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2006年12月28日 (木)

お笑いとバーチャル

たかぎFさん、GJです⇒WEBダ・ヴィンチ 水道橋博士の「本、邪魔か?」(25)いじめ問題

前に言及した、北野武氏のエッセイの文章が、引用されています。

で、前半の、お笑いの構造の解説については、特に異論はありません。自分も、そう思って楽しんでいますし(だから、そうなんだよ、と教えるのが重要でしょう)。ただ、問題なのは、後半。えー、という感じです。昔(←曖昧)の人はそれが解っていた、今の人はゲームをやっていて、バーチャルと本物の違いがわからない云々、というのは、何か、確たる根拠でもあるのですか? そういう意味では、お笑いがいじめの原因だと言う事と、余り変わらないでしょう。

個人的には、バラエティを見慣れていると言っても、こりゃいかんだろう、と思う様な、やり過ぎ感みたいなものを覚えるものはあります。それは、一部のゲームなり小説なりを見て、嫌悪感を覚えるのと同じです。そういう事では? バーチャルと現実がどうのこうのと言う前に、どうなっているのかを教えればいいでしょう。その方が、余程現実的ですよ。

余談。以前、遊鬱さんのブログに、最近のバラエティの作り方が気になる、と書いたのですが、これは、そもそもバラエティ(お笑い芸人が出るもの)は、人の欠点を笑ったりするのを楽しむ構造を持っていますから、そこは、ちゃんとメタにみるべきだろう、という意味ですね。

※水道橋博士さんの文章へのリンクですが、それ自体の趣旨に賛同しているという事では、全くありません。念の為。

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コメント

あれ,ほめられた :-)

ところで,私が選ぶ、最近見たなかで最も「バーチャルとリアルの違いがわかってない」おバカさんは,教育再生会議の有識者委員に天海祐希を選ぼうとした誰か(役人?政治家?)です.

ドラマと現実の区別がつかないような人達が,バーチャルの弊害云々と言っているんだな,と思う今日このごろ.

投稿: たかぎF | 2006年12月28日 (木) 15:06

たかぎFさん、今日は。

あの記事、私は立ち読みしただけで、どこかに引用とか無いかなあ、と思っていたので、かなりありがたかったです。

 >天海祐希を選ぼうとした誰か
ありましたねえ。色んな所から突っ込まれまくりでしたね。本気であんな事を言ったのだから、ちょっともう、どうかしてるとしか思えません。天海さんも、困ったでしょうね。呆れたかも知れません。金八先生とかに打診が無くて良かった…。ヤンキー先生は、似た様なものですが。

実際、天海さんを推した人が誰なのか、激しく気になります。

バーチャルと現実の区別がつかない人達が氾濫している、というバーチャルな妄想を繰り広げている人が沢山いるのでしょうね。

投稿: TAKESAN | 2006年12月28日 (木) 17:16

「笑い」が現象として現れるためには,まず観察者が「普通の状態」や「正しい状態」を知っている必要があるわけです。
そしてそれら状態からの「ずれ」が観測されると,「笑い」という感情が励起されるわけです。

踏まえて北野氏が言っているのは,「本物」,つまり「普通の状態」や「正しい状態」を知らない世代がテレビを見るようになったため,それがバーチャルであること,つまり「ずれ」の状態であると理解しない人間が増えたよね,と言うことだと思います。

こっからは私の想像ですが,北野氏は,今の視聴者,特に子供たちを,怖いと思っているかもしれません。
どういうことかというと,「本物」を知っているからこそ笑えるはずの「ずれ」芸であるのに,「本物」を知らないはずの子供が,昔と変わらず「ずれ」の芸をしている芸人を見て笑っている。ということは,芸人は「ずれが面白い」と思ってやっているが,子供たちは全然別のところで笑っているのではないか?と。
もし子供たちが,「弱いものいじめ」の構図に笑っているのだとすると,芸人としては,殺されたようなものです。

投稿: A-WING | 2006年12月28日 (木) 18:28

A-WINGさん、今晩は。

たけしさんの認識についての分析は、多分その通りであろうと思います。それで私は、果たして、お笑いの論理を認識出来ない人が増えたのか、又、昔の人が、それを踏まえた上で(潜在的にしろ)、あくまで芸として捉えていたというのは本当か、という所を指摘しました。仮にそうであるとしても、ゲーム等のやり過ぎにその原因(が強すぎれば、要因でも)を求めるのは、早計ではないか、という事ですね。もしかすれば、お笑いそのものが、それを促したかも知れない、と仮説を立てる事も出来ますし(バラエティの構成自体が変わった、等の根拠によって)。←お笑い批判をする論者の主張ですね。

実は、私も、後半でA-WINGさんが仰っている様な事を、結構考えています。ですので、本文に書いた様に、「最近のバラエティの作り方が気になる」という考えも持った訳です。ここでの私の視点は、最近のバラエティは、いかにも芸っぽく無い、わざとらしさが少ない、という主観から、保護者なりがちゃんと、それが実は、全部台本通りのものなんだよ、という事を教えた方が良い、というものですね。エンターテイメントの空間である事を教える、という意味です。

ナインティナインの岡村さんは、いじめ等が騒がれる度にお笑いが攻撃されるが、それはとんでも無い話だ、という事を、よく仰っていますね。私もそうだと思います。ただ、実際に、お笑いのマネをして、それが、いじめになってしまう、という事はありうる訳ですから、メタに考えさせるのが、重要だと考えています。「そんな事ありえないよ(←これは、反論する側が、たまに見せる反応ですね)」と言うよりは。

私は、もしお笑いの真似事をして、それが結果的にいじめになっているとすれば、それは、いじめる側が、「自分がお笑いを演じている」と思いこんでいる、のだと考えています。悪意無きいじめ、ふざけ且ついじめ、というものですね。ただ、それとは別に、弱いものを虐げる、という価値観を学習する(つまり差別)事があるとするならば、それは、「お笑い」より、もっと広い概念で考える必要があるかも知れません。なので、私は「バラエティ」と書きましたけれども。…なんか、書いていて混乱してきました。不明な所があれば、仰って下さいね。

すみません、超長文ですが…。以下は、ちょっと論点がずれるかも知れませんが、タイムリーな話題にも絡めて。

ゲーム等のメディアについての議論でも、似たような事がありますね(具体性は、全然違いますが)。つまり、ゲームは暴力性を高める、等の主張が起こった時に、「ゲームはただの記号だ、そんな事ありえない」と反応する様な場合ですね。しかし、そんな事が言えるのは、自分達が子どもの頃には、チープなドット画がピコピコ動くゲームしか無かったから、である訳で、物心ついた頃から、精緻なグラフィックのゲームが標準である状況とは、別に考える必要があるだろう、という事ですね。やっぱり、同じ「ゲーム」と言っても、文化自体が変化しているのは確実な訳で、それは考える必要があるでしょうね。ですから、坂元章氏に関する反応(今日のエントリーで言及)に対して、かなり腹が立ったのですね。「そんな事は無い」と言うのではなくて、「果たしてそうだろうか」と考えるべき、ですね。

投稿: TAKESAN | 2006年12月28日 (木) 20:02

たけしの言い分は最後の部分だけで
なぜ俺達ばっかり文句いわれるんだ
ってことだけのような。

たけしなどもいつもそうだけど
テレビに出てる人のずるさで
テレビ側の言い分をかってに
こちらに押し付けて来る。
テレビがヤラセだらけなのは
テレビの中の人は当然しってるけど
見てる側は知ってるとはかぎらない。
こんなことぐらいたけしぐらい頭がよければ
当然わかるはずだ。

でもこれを言ってしまうと
もう誰もテレビをみなくなる。
だからいわない。
それでいて何かあれば責任回避で
知らないやつが悪いという。。

卑怯なんですよ。

個人的にはヤクザ映画も問題だと思いますよ。
たけしさんといったところ。
ヤクザ映画はどうなんだ。
というのは開き直りですね。

映画とテレビの違いは
テレビは受身でタダで誰でもみれるもの。
映画は金はらって見たい人が
見に行くものという違いもある。

投稿: nin | 2006年12月28日 (木) 20:09

やはりどんな分野も,現在を語るためには歴史を追ってみる必要があるんでしょうね。

>いかにも芸っぽく無い、わざとらしさが少ない

これは私も考えています。なんというか,最近のお笑い系バラエティ番組は,見るものに「これは虚構だ」と気付かせるだけの「すき」がないんですよね。某コンビの番組なんかは,日常的にふざけているようにも見えます。

>いじめる側が、「自分がお笑いを演じている」と思いこんでいる、のだと考えています。

あぁ,これはかなり高い可能性であるように思います。

投稿: A-WING | 2006年12月28日 (木) 20:34

ninさん、今晩は。

たけしさんが、何でお笑いが責められるんだ、と言うのは、ご尤もだと思うのですよね。ただ、バーチャル云々を引き合いに出されたのが、上手くありませんでした。ああいう意見を見た、私達ゲームユーザーは、「何でゲームが責められるの?」となりますから。だから、たけしさんが、もっと穏健に、お笑いは芸だから、それを考えさせようよ、と書いていたのなら、良かったのだと思います。他の何かを批判して、自分達を擁護する、という風に、やっぱり見えてしまいます。

 >こんなことぐらいたけしぐらい頭がよ
 >ければ当然わかるはずだ。
そうなんですよね。だから、あの記事を読んだ時、ちょっとがっかりしたんです。もしわざとなら、幾らエッセイとは言え、ちょっと書き方が不誠実ですし、解っていないとすれば、認識不足と言えるでしょうし(バラエティに限らず、テレビを鵜呑みするのは、今も昔も、結構あると思います。増えたか、多いか、というのは判りませんが)。ただ、たけしさんの真意は、量りかねますが。

テレビが、受信機があれば無料で見られる、というのは、重要な点ですね。対象を広げると、メディア論一般の話になるので、難しくなりますけれども。

投稿: TAKESAN | 2006年12月28日 (木) 20:34

A-WINGさんへ。

自分が愛好したり、直接携わっている文化を擁護したい、というのは、誰にでもあるのでしょうね。しかし、それが高じてしまうと、今度は、批判に耳を貸さなくなってしまうという。それは、依怙地ですね。

同じ文化でも、時代によって、中身が変化するのは当然ですから、それをしっかり吟味しなければいけないな、と思っています。

バラエティ番組の構成の変化については、多分、同じ様に思っている人は、沢山いると思います。私もそうですね。で、私達は、それがやらせ(悪い意味では無く)である事を知っていますし、不快なら観ない、という選択も出来ますから、全然構わないのですが、対象が若年者であればどうなるか、という事を考えるのでしょうね。しかし、みのさんの言う様に、ああいうのがいじめを助長しているなんて言い切ってはいけない。だから、教えるのが重要だ、と思います。

投稿: TAKESAN | 2006年12月28日 (木) 20:44

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