カテゴリー「『ゲーム脳の恐怖』を読む」の記事

2008年3月19日 (水)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(9)

○6章 ゲーム脳人間とキレる脳のしくみ

・テレビゲームと集中性の関係

まず森氏は、ゲームが「集中性を高める」という説が信じられてきた事を紹介し、それは実は誤解である、と主張します。そして、ゲームによって前頭前野の神経細胞の活動の低下が起こった、という推測を、その主張の根拠としています。

ここで森氏は、被験者の報告を出しています。たとえば、

 彼らに自分自身を分析してもらうと、その大半はもの忘れが激しいと言います。鍵、財布、友達との待ち合わせ時間の間違いなど、毎日あるそうです。そしてほぼ全員が、もの覚えが悪く、集中性も悪いと答えています。(P148)

この部分についても、それまでの主張と同じく、詳しい情報は明記されていません。分析というのがどのようなものだったか、客観的に測定出来る心理学的指標なりを用いたのか、他に分類された人との違いはどの程度であったか、等々。

森氏は、次のような例も出します。

 小学校三年から大学三年まで一二年間(引用者註:引用にあたり、表記はそのままにしてあります。本書は縦書きなので、この部分は、「12年間」。以下、文脈に沿って読み替えて下さい)、六~七時間毎日ゲームをしている人で、計測してみるとβ波が全く出現しない状態の人が某大学にいました。彼は、大学の授業も休みがちで、約束したことはよく忘れてしまうなどの特徴がみられます。しかも現在もゲームをやめられず、アルバイトもゲームセンターでやっているゲームマニアです。

 彼は現在、団体競技スポーツをおこなっています。そこで人とのコミュニケーションがありますから、まだ助けとなっていると思われますが、社会人になったときに自分の世界にこもってしまうようになると、厄介なことになるでしょう。このままでは、将来がたいへん心配です。(P148・149)

この部分が極めておかしな論理である事は、明らかでしょう。まず、何度も言うように、森氏の脳波計によって得られたデータが、前頭前野の機能低下を示す指標として無反省に用いられている事。また、大学の講義に出席しない事は、即、社会性の欠如や脳の生理学的機能低下を示す訳ではありません。ゲームセンターでアルバイトをしているというのは、この文脈では、特に重要な情報ではありません(アルバイトにまでそれを選ぶほど、ゲームに執着している、という印象を著者が持ったのかも知れない)。直後に、その人が、スポーツによってコミュニケーションの機会を持っている、という事が書かれています。「社会人になったときに」、以降の文は、全くの憶測ですし、それまでの文章から論理的に導かれるものではありません。

次に、森氏が講演で受けた質問が紹介されます。その質問とは、息子がゲームばかりやるので叱りたいが、ゲームは集中性を高めるのだ、と言われると反論出来ない。ゲームが集中性を高めるのは本当か? というものです。森氏はこの質問に対して、それ(集中性を高める)が誤解である事を、「データを示しながら」(P150)説明したと言います。そして、ゲームを止めさせなくてはならないと実感した人の、ゲームを止めさせるにはどうしたらいいか、という別の質問があったと言い、それについての森氏の答えが説明されます。

 この質問に対しては、その子を私のところに連れてきてくださいと言いました。実際に、お子さんの前頭前野の頭皮上から脳波を記録して、自分の結果を本人がみれば、ほとんどの人はやめるようになりますよとお話します。しかし、この本のデータをみせれば、ことの重大さをわかってもらえるでしょう。(P150)

つまり、森氏の脳波計によるデータが、「子どものゲームを止めさせる」道具として、用いられる訳です。もちろん、画像診断の所見を示して深刻さを実感させる、というのは、一般的にもある程度行われるのでしょうけれど、ゲーム脳の場合、そもそも、森氏の脳波計による計測が妥当であるとは言えないのですから、全く話が異なります。「恐怖感を煽る」道具として機能している、とも言えるでしょう。

・激情を抑制する前頭前野

以降、森氏の主張を、箇条書きで示します。

  • ゲーム脳人間タイプの人(男性)に自己分析してもらった所、ゲームの成績が悪かったために「頭にきてゲームセンターのゲーム機を複数回壊したことがあるという人が多くいた」(P150)
  • ゲーム脳人間タイプの内80%が、よくキレやすいと答えた。その内の90%は運動しているため、今の所、キレやすい人は80%に抑えられている可能性がある。「しかし、その彼らが社会人になり、運動をやめたとき、社会に適応できなくなるのではないかと心配です。」(P151)
  • 前頭前野が理性をコントロールしている事を、ゲージの症例を紹介して説明。
  • ゲーム脳人間は、ゲームを長年にわたりプレイする事によって「視覚系が強化」(P152)され、前頭前野の脳細胞の活動が低下した。そして、抑制が効かなくなり、キレる。
  • 幼児期には、運動する事が、脳の健全な発達にとって重要。
  • 子ども達がゲームプレイに費やす時間が増えている事を指摘。
  • 子どもはテレビゲームの習慣がつき、麻薬と同様に止められなくなる。

ゲームセンターのゲーム機を壊すというのは、かなりおおごとですが、これは、筐体を破壊した、という意味でしょうか。多く、という所の根拠は示されていません。運動しているからキレやすい人が抑えられている、というのも、論理的におかしいです。その後の憶測も。ゲージの症例は、外傷によって脳が障害を負った例なので、ゲームの話と結び付けるのは、早計です。

・ゲーム中毒は幼児期に形成

  • ゲームを始めた頃は、ドーパミン神経系が刺激され、快楽を持つようになっていると思われる。
  • しかし、常習化した場合、本人が楽しいと思っているかどうかは解らない。「単にやらずにいられなくなっているだけのような気がします。」(P156)――理由:「シナプスの反復刺激によって脳の神経回路が、そのように組み上がってしまっているからです。ゲームに対して体の反応が決まってしまっているのです。」(P156)
  • ゲーム脳人間になると、楽しいという気持ちも感じられなくなっている。
  • 中学生や高校生になってからゲームを始めた人は、ゲーム脳人間にはなりにくい(10歳頃までに神経回路が組み上がるから)。ゲームをやらせるなら、中学生以降、出来れば大学生以降で、18歳未満はやらせない。時間は30分、週一回程度。
  • 幼児期に組み上がった神経回路のために、ゲームをするのが本能であるかのようになる。
  • 大人は止めようと思えば止められるが、「子どものころからテレビゲームをしている人は、やめようと思ってもやめられません。重症で、将来が心配です。」(P158)

楽しいとうい気持ちが感じられないというのは、全くの主観です。所々に論理の飛躍があり、科学的推測とも言いがたいです。

・育てたい前頭前野のワーキングメモリ

  • 子どもの頃に色々の遊びや多くの経験をするのは、前頭前野を鍛える事になる。それが、「社会で活躍できる人間を育成することにつながります。」(P158)
  • 子どもの健全な発達には、作業記憶を鍛える事が重要。
  • 森氏の開発した脳波計によって、テレビゲーム歴の長い人は、β/αの値が2.0より低い。ゲームを全くやった事の無い女子高生は、安静時で3.0で、ゲーム10分やらせても低下しなかった。理由:発育期にゲームをしてこなかったから。

・子どもの神経回路は親がつくるもの

  • 刷り込み(imprinting)や、猫の視覚の発達に関する研究(いわゆる臨界期の研究。こちらを参照:サルの視覚野)を紹介し、幼児期における経験の重要性を説明。
  • 森氏の見解を示す部分を引用。
    • 〇歳から三歳までは、赤ちゃんは好き嫌いの表現はしますが、なにひとつ文句を言わないで神経回路が形成されます。親や環境から与えられるままの、まったくのコピーなのです。ただ人間としての立派な態度を示しておけば、赤ちゃんはそれをそのまま受け取るわけです。(P164)
  • 子どもは何でも情報を収集してしまうので、テレビやラジオの音を垂れ流しにするのは良くない。※そのすぐ後に、乳児に幼児教育のビデオを見せるのは、赤ちゃんは何も解らないので養育者の自己満足に終わる、と書いている。
  • 現在の子ども達は、言語的で無いビジュアル的な情報に多く晒されているため、「言語を理解できないままイメージ的情報が脳に容易に取り込まれます。」(P166)

猫の研究のような実験的状況を、テレビゲームをする子どもに当てはめるような書き方は、妥当ではありません。また、引用部を読むと、極端な経験説を採っているように思われます。何でも情報を収集する、というのは、心理学的な注意の概念等を無視した意見でしょう。無意識的に記憶されるという現象はあり得るでしょうけれど、森氏のように一般化出来るかは、疑問です。また、現在、ビジュアル的な情報の方が多い、という主張も、根拠が不明です。

○7章 健全な脳を育てるだめに、今できること

・手をとって教えることの意味は大きい

ここで森氏は、「スキンシップ」、「手をとって教えること」が重要だ、と主張します。乳児を母親から離すとストレスのために脳に悪い影響が出る、と言います。そして、孤独が精神的不安を起こす事を示すために、ネズミを群れから離した実験(数週間後に凶暴になった)や、サルの実験(ネズミと同様)を紹介します。さらに森氏は、「テレビゲームやビデオに没頭して、自ら孤独の世界に入り込んでいる人はつらくないのでしょうか。人と人とのコミュニケーションがとれないと社会生活が送れなくなるのでは、と心配です。」(P170・171)と言います。しかし、この部分も、論理的ではありません。テレビゲームを好んで行う事は、即孤独を意味する訳では無いですし、また、動物の実験を人間の生活にそのまま当てはめるのが早計であるのは、他の部分と同様です(※発達心理学におけるストレンジ・シチュエーション法の研究等もあるので、養育者との関係が重要であるのは間違い無いと考えていますが、「ゲームをする子ども」に当てはめるのは早計だ、という事です)。次に、いくつかの例を挙げながら、「スキンシップ」、つまり触れ合いの効用を説きます。

さて、森氏はP173で、いわゆる「オオカミ少女」、アマラ・カマラの例を出していますが(カマラの体をさすってやったら警戒心や恐怖心がほぐれた、という)、この説の信憑性については、疑問が提出されています。

・自分の頭で考えられる人間に

この節では、パソコンを用いた教育について、疑問が呈されています。

先に述べたように、画面をみているだけでは前頭前野に情報が行かず、視覚野だけで処理してしまいます。パソコンを使うのなら、子どもが受動的に知識を取り入れるのではなく、自分のものとして能動的に取り入れられるようにしなければなりません。(P175)

と森氏は書いていますが、その直後に、

パソコンを使えば、たしかに知識は増えるかも知れませんが、自分で工夫して身につけた知識ではないので、そこから新しく組み合わせて何かを創造することができない子どもになってしまいます。創造性に乏しいといわれる所以です。(P175)

と言っています。しかし、教材というのは、コンテンツの内容が重要なのであって、メディアの特性のみをもって、その効果を云々する事は、出来ないでしょう(しかも、メディアの特性について、ちゃんと論じられていない)。そもそも、2つの引用文の内容が、矛盾しています。また、現在の子どもが創造性に乏しいと言われる事はあるのかも知れませんが、それが妥当な意見であるかは不明です。

・前頭前野の働きを高める方法があった。

ここで、ゲーム脳を調べている人にはお馴染みと言える、「お手玉」の話が出てきます。グラフが示されています。以下、説明を箇条書きします。

  • 被験者―テレビゲーム暦10年以上の大学3年生(年齢は不明)。
  • 実験内容―お手玉(3個)を行わせる。
  • 実験期間―毎日5分間、2週間程度継続。
  • グラフA―10円玉立てを行わせたデータ。横軸:時間(分)、縦軸:α%・β% および、β/αの値
  • グラフB―お手玉を行わせた2週間後(2週間継続した)のもの。Aと同じスタイルだが、横軸のスケールが異なる(Aは2分刻み。Bは1分刻み)。どの状況で計測したかは明記されていない。

Aのグラフでは、10円玉立てをしている時にはβ波(と森氏が言っているもの)が減り、β/αの値も下がっています。森氏はこれを、慣れてしまったから、と推測していますが、ゲームについてそのような解釈をほとんどしない事は、これまで見てきた通りです。

対してBのグラフでは、いずれのレベルも上がっている事が示されています。森氏はこれについて、お手玉が、目や手を駆使しているから、というような説明をしています。ところがこのグラフ、お手玉を2週間続けた後、と書かれているだけで、どのような状態で計測されているかが、明記されていません。お手玉を行っている最中のグラフはありません。

森氏はこの後、爪先立ちや剣玉も同じような効果が期待出来る、と主張しています。そして、

 けれども、もしも子どもが「一時間お手玉をするから、一時間テレビゲームをやってもいい?」と聞いてきても、いいとはいえません。結局ゲームをしているときに脳の働きは低下してしまいます。(P180)

と言います。ある程度大きく身体を動かすもので、同じようなデータが出たのなら、(これまでの森氏の論証を見ても)そういう「動き」を拾っていると考えるのが、妥当でしょう。

・創造の喜びや挫折感も体得させたい

ここでは、遊びについて、論じられます。全身を使っての遊びから、数本の指しか使わない遊びへと移行してきた事が指摘されます。そして、その最たるものが、ゲームである、と言います。

この後には、ゲームは指先を用いるといっても、巧緻さが求められるものでは無く、単純に素早く動かすものばかりである、と主張される訳ですが、これは明確に言って、誤りでしょう。もちろん、指先の巧緻さを定量的に測る指標をもって、ゲームとそれ以外のものが比較された研究、等を参照した訳ではありませんが、ここでは、そういうデータも示さずにゲームが単純な指先の運動しか用いていない、という部分を批判すれば充分です。

全身を用いた運動が重要である、というのは、その通りでしょう。しかしそれは、ゲームの有害性を「ゲーム脳」説を用いて批判する事とは、別の問題です。運動生理学や医学、心理学的に、全身運動の効用、あるいはそれを行わないリスク、を評価すべきであって、ゲームをすれば前頭前野の機能低下が起こる、という説を補強するためにそれを用いるのは、妥当では無いでしょう。

・脳に必要な栄養素は

ここでは、食べ物について論じられます。いくつかの生理学的な説明が行われた後、ファーストフードに対する懸念を表明し、魚等に含まれるEPAの効用を説明し、青魚をもっと食べさせたいものだ、と結びます。

五感を鍛えるイキイキ体験を

ここでは、節のタイトルの通りに、五感を充分に活用した遊びが重要だ、と主張されます。そして、大学の学園祭の時のエピソードが語られます。二人の男の子を連れたご夫婦に、脳波を計測させてくれないかとお願いし、それを承諾して貰った、というエピソードです。少々長いですが、引用します。

 お母さんのお話ですと、いつもお兄ちゃん(一一歳)が力ずくで弟(六歳)のぶんまで長くテレビゲームをやっていると言っていたのですが、前頭前野からの脳波を記録してみると、やはり弟よりもお兄ちゃんのほうがβ波の低下が顕著でした。

 弟のほうはビジュアル脳人間タイプで、積み木合わせの携帯型ゲームを始めたところ、途端にβ波が一気にα波レベル以下に減少してしまいました。これをみていたお兄ちゃんは、低下することが悪いことだとわかったようで、「ああ、下がっている、下がっている」と言っていました。五分間の記録時間中、お兄ちゃんは「僕もやるの?」と不安そうに言っていましたが、自分のデータに興味もあったようで、彼にも積み木合わせ携帯型ゲームをやってもらうことにしました。

 すると、お兄ちゃんは半ゲーム脳人間タイプに近い状態であることがわかりました。もともと低かったβ波のレベルから、やはりゲーム開始と同時に弟と同様の低下がみられたのです。

 けれども、一分半もしないうちに「僕、頭が痛いよう」と訴え、途中でやめてしまったのです。どうやら、ゲームに対する不安が”頭痛”というかたちで表れたようです。

 お母さんのお話ですと、ふだんは二時間ぐらいは平気でやっているとのことでしたから、この日のことは子どもなりにショックだったのでしょう。実際にゲーム中のβ波の減少を目の当たりにして、これを契機にもうテレビゲームはやらないと言っていたのがとても印象的でした。記念に、記録したデータを差し上げました。

 またやりたいと言わないように、勉強机のまわりの目立つところに貼っておくことをおすすめしました。(P191・192)

頭に何か着けられて、グラフで「脳の良し悪し」を測られる少年の不安は、いかばかりであったでしょう。常識的に考えれば、ゲームに対する不安以前に、「自分が実験される人間になる事」への不安と見るのが、妥当でしょう。直前に弟のデータを目にして、グラフが下がる事が悪い事だと認識した上で、受けたのですから。ここで(森氏の脳計による)脳波は、脳の機能を直接測るものとして、他人にも認知されてしまった訳です。

○あとがき

ここで森氏は、テレビゲーム等の普及・発展による影響を懸念します。そして、注意欠陥・多動障害(ADHD)の原因として、ゲームのやり過ぎも含まれている、と推測しています。更に、引き続き研究を行い、警告を続ける事を宣言します。最後に、知人の自動車教習所の経営者から、バイクの免許を取る人が減っている事を聞いた、というエピソードを紹介し(昔より友達と遊ぶ事が激減した、という。友達とバイクで遊ぶよりメールやPC、ケータイでやり取りする事が多くなったからではないか、と書いてあるが、それを「遊ぶ」という概念には含めていないのだろうか)、「私たちはもう一度、人と人とのコミュニケーションのあり方について、考える時期にきているのではないでしょうか。」(P195)と結びます。

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ここまで、『ゲーム脳の恐怖』の内容を順に追いながら、その論証の甘さ、論理の捩れ、森氏の、主観に基づく思い込みの主張のおかしさ等を、指摘してきました。

ゲーム脳について調べていると、ゲーム脳がデタラメでも、それで、言う事を子どもが聞くのなら良いのではないか、という意見があったり、「ゲーム脳」という語に独自の意味を付与して、「それはあり得るのではないか」、という主張がなされているのを、目にする事があります。

本シリーズでは、「ニセ科学」の一つと看做されているゲーム脳説が、何故そう考えられているのか。また、実証されていないとしても、子どもに言う事を聞かせる道具として用いるのは構わないのでは、という主張に対して、森氏が明らかに行き過ぎた事を言っているという事実を示し、独自の「ゲーム脳」概念を用いる意見に対しては、「そもそも森氏がどのような論を展開したか」、というのを知らしめる事を、企図しました。

本書は、厄介な著作です。グラフという、「客観的なデータのようなもの」が出てきたり、教科書からそのまま抜粋したような、「正しい記述」もあり、また、一般常識として妥当だと思われている事が、根拠不明確な「ゲーム脳」という言葉と絡めて主張されているので、一定の説得力を持つ可能性があるからです。そして、論理が捩れているために、詳細に批判するのが難しいものでもあります。あまりにも不整合が多いので、解きほぐすのに苦労する、という意味です。

私の目的が、このテキストによってどれほど達成されるかは解りませんが、原典を詳細に検討するものとしての意義はあると信じます。ゲーム脳論、より一般的にはニセ科学論について論じる際の参考にして頂ければ、幸いです。

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2008年3月11日 (火)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(8)

・前頭前野で働く化学伝達物質

ここからは、ドーパミン等の神経伝達物質の働き、また、ストレスについての理論を紹介しながら、ゲームをする事によって前頭前野が機能低下するメカニズムについての推測が、開陳されます。

前回と同じく、森氏の主張を箇条書きでまとめてつつ、考察していきましょう。

・ドーパミンを止めるスイッチ

  • ゲームをする事によって、ドーパミンを神経伝達物質とする神経線維の働きがおかしくなる――原因:「たとえばビジュアル脳人間タイプの場合には、ビデオ、テレビ、パソコンなど視覚性入力が多くなっていることから、視覚系から運動野への神経回路が強く働くためと考えられます。」(P110)
  • テレビゲームを行うと前頭前野の働きが低下するが、それは、ドーパミンの低下と関係があるのかも知れない。「テレビゲームや携帯型ゲームをおこなったとたんに、ドーパミン神経線維がセロトニンという化学伝達物質によって抑制されてしまうため、前頭前野のニューロン活動が一気に低下してしまうのではないかと考えられます。」(P111)
  • 半ゲーム脳人間タイプおよびゲーム脳人間タイプは、神経回路があまり活動していないか、ドーパミンの量が低下していると考えられる。

森氏は、外国のドキュメンタリー番組で、手のつけられない子どもが長く作業を出来た際の報酬として、3分間携帯ゲームをやらせる、という内容のものがあったと紹介し、次のような推測を立てます。これも、大変飛躍しています。

 この子どもたちは、家庭でテレビゲームあるいは携帯型ゲームをひんぱんにおこなっていたり、格闘技やホラー映画のビデオをよくみていたのではないかと思われます。あるいはまた、幼児期の神経回路がまだ未発達な時期に、両親の絶え間ない夫婦喧嘩の影響を、知らず知らずのうちに受けてしまったのかもしれません。

 いずれにしても、このように落ち着きがなく暴れまくる現象は、少なくとも前頭前野の働きが低下したために起こっていると考えられます。もちろん、生まれながらに前頭前野に脳障害があって異常行動を引き起こす場合もあります。(P112)

ここで、子ども達や養育者の習慣について語られている部分は、全くの憶測です。子どもが問題行動を起こす要因というのは、様々に考えられるのですから、対象の環境をしっかり分析する事無くこのような憶測を並べるのは、妥当ではありません。

・緊張するゲームは脳のストレス

  • ゲーム脳人間でもゲーム中(ホラー要素のある「ロールプレイングゲーム」。前回を参照の事)にβ波が増大するのは、脳の興奮性を高めるために、各神経の活動が高まったため。
  • 緊張が続くゲームを長時間行えば、自律神経のバランスが崩れる。そういう状況が続けば、「体調を崩すことになり、学校を休みがちな結果に陥ってしまいます。いわばストレスを受け続けているのと同じ状態なのです。」(P113)
  • 極度のストレス、長時間のストレスを受けると、コルチソル(コルチゾール)が過剰分泌され、「脳のセロトニンに作用して、うつ状態を引き起こすと考えられています。」(P115)と言い、ホラー映画やホラーゲームがそのストレスとなっている可能性を指摘。

・ストレスに身構える脳

この節では、ストレスの影響に関する神経科学的論理を紹介。ゲームについての言及はありません。

  • 軽度のストレスが生体に悪いものでは無いと指摘。
  • 強いストレスによって海馬が萎縮するという研究を紹介。※帰還兵の脳をMRIで調べたら海馬が萎縮していた

○5章 体を動かせば脳も動き始める

・ダンスゲームも脳を活性化?

ここではまず、テレビゲームをしている時に「前頭前野の活動(β波)」(P120)が低下することを強調し、次に、β波が上昇するゲームもある、と言います。一つは、前章後半で考察された、「恐怖をかきたてられるようなゲーム」(P120)であり、もう一つは、「体を動かすテレビゲーム」(P120)である、と言います。そして、後者によって(森氏の主張する)前頭前野の活動が増大するのは、運動が脳に影響しているからである、と主張し、本章において、運動による脳への影響について考察されていきます。

まず、ダンスゲームプレイ時にはβ/αの値が低下し、ゲーム後にはそれが高まった事を示し、「これはゲームそのものの内容よりも、運動をすることの効果だと思います。」(P121)と主張します。

以前にも説明しましたが、ダンスゲームのようなジャンルにおいて、「ゲームそのものの内容」と「運動」を分けるのは、妥当ではありません。運動が、ゲームの要素として組み込まれているのですから。専用コントローラで無くゲームパッドでもプレイ出来るものもありますが、それを考えると、議論の前提が変わってしまいます。

・ゲーム脳への運動効果

ここでは、ビジュアル脳人間タイプとゲーム脳人間タイプの人が、”テレビゲームを用いない「運動」”(P122)を行っている時のデータが示されます。ここで示されているグラフは、以下の通りです。

  • A:ビジュアル脳人間(つま先立ち反復運動)
  • B:ビジュアル脳人間(ウォーキング)
  • C:ビジュアル脳人間(ジョギング)
  • D:ゲーム脳人間(ウォーキング)
  • E:ゲーム脳人間(ジョギング)

※横軸:時間(分)、縦軸:β/α  Aのみ10分刻みの目盛りで、残りは2分刻み。縦軸のスケールは全て同じ。ウォーキングは5km/h、ジョギングは7km/h。それぞれのタイプのグラフを見ると、運動を行っている時間がバラバラになっている。A:3分(本書に記述あり)、B:約10分、C:約10分、D:約8分、E:約7分  運動の効果を調べるのに時間を揃えないのは、妥当では無いと思われる。

森氏は、ビジュアル脳人間タイプは、運動後にβパーセントが上昇したが、ゲーム脳人間ではほとんど上がらなかった、と言います。そして、ゲーム脳タイプの人は、「歩いたり走ったりするだけでは改善されないほど、前頭前野の働きが低下してしまうようです。」(P123)と結論します。

しかしこれは、おかしい論理です。ここで示されているのは比のグラフであって、β%が上昇していないか解りませんし(α波も共に上がれば、比は大きく変わらない)、仮にそれが事実であっても、それが前頭前野の機能を反映している、と即言える訳ではありません。また、これは、各タイプの内、一人ずつのデータです。そもそも、どうやってタイプ分けしたかも解りません。たとえば、CのグラフよりDのグラフの方が(ゲーム中の部分)、比の値は大きいように見えます。森氏によれば、この比は、ビジュアル脳>ゲーム脳  であったはずです。文脈によって、比の大きさとβ%の値を、恣意的に使い分けらているように思います。

この後に森氏は、ゲーム脳人間タイプの人が運動後にもβ波が上昇しなかった理由(運動中に下がるのは、セロトニンによってβ波が抑制されている可能性がある、と説明している)として、「前頭前野のノルアドレナリンやドーパミンといった物質の上昇が起こっていないことを意味しているのかもしれません。」(P123・P126 途中に図を挟む)と推測します。

・「楽しい」ことが重要なポイント

ここでは、運動をするラットとそうで無い(普通の飼育箱に入れられた)ラットとの、海馬におけるニューロンの増加の違いについての研究が紹介されています(楽しい運動では増加し、特別な運動をしない群および嫌いな運動をする群では増加しない)。

・シナプスは反復刺激で増える

この節では、シナプスの可塑性についての説明がなされています(長期増強等)。そして、「成長過程の子どもの脳に何度も同じ刺激を与えると、そこのシナプスの数が増えるということになるわけですから、テレビゲームをやり続けることは、重大な問題を含んでいるのです。」(P130・131)と主張します。

これも飛躍でしょう。テレビゲームをやり続ける事が、生理学的な意味での同一刺激である、などとは言えません。そもそも、ゲームをやり続けるというのは、同じゲームを全く同じようにやる事を、意味しません。同じものをやり続ければ良い、という事だったら、新しいゲームを買う、という現象が成り立たちません。

・運動もシナプスを増やす

運動学習によってシナプスが増える事が示され、一般の大学生より剣道有段者の方が短い時間で運動が生じる、という事を見出した研究を挙げ(「一般の大学生では、手首の運動が発生する一・五秒ぐらい前から脳の電位が大きくなってきます。一方、剣道有段者では、だいたい0・五秒前から脳の活動が始まっており、急速に大きくなります。一般大学生とくらべて、はるかに短い時間で運動が生じていることがわかりました。」(P133) )、それが、脳の神経回路の単純化によるものであると推測し、ゲームにおいて素早い指の運動が可能になる現象と似ている、としています。

・ゲームは反射神経をよくするわけではない

ここは、非常に読み取りにくい節です。

まず、ゲームによって「反射神経がよくなる」という意見がある事を紹介して、その後に、生理学的に、反射と条件反射の区別を説明します。また、様々な反射の論理が説明されます。そして、テレビゲームで操作が速くなるのは、実は「反射」では無く「反応」であるとし、ゲームによって「反射神経が良くなる」訳では無い、と主張します。

しかしこれは、おかしな話です。そもそも、世間一般に言う所の「反射神経」というのは、生理学的論理を踏まえられているものでは無いはずです(「反射神経」という語が、それを示している)。にも拘らず、ゲームによって向上するのは反応であって反射では無い、として、世間で言われる「反射神経が良くなる」という意見が妥当では無い、と結論するのは、論理が捩れています。まず、一般に言われる「反射神経」と対応する科学的概念を考察して、妥当であるか否かを判断するべきです。

・体で覚えたことは一生忘れない

最初に、ゲーム脳人間タイプの人と痴呆者に、「もの忘れが激しい」点が共通している、と言います(ここにも、論理の捩れや定義の曖昧さが見られる)。そして、記憶のメカニズムについて、説明されます。※宣言的記憶や手続き記憶、短期記憶と長期記憶の違い等。本書では、「認知記憶」、「運動記憶」等の語が用いられている。

森氏の主張を引用します。

 たとえば人と会って、話の内容を忘れてしまうことがあるかもしれません。ところが痴呆の人は、人と会ったこと自体を忘れてしまいます。三~四分で、「どなたでしたか」という程度、一五分もすると「お会いしたことがありますか」となります。

 ただし、ゲーム脳人間になると、こういった会話もできなくなります。やる気がなくなって、いろいろなことに興味も失ってきますから、だれと会って、なにを話したかなど、どうでもいいことになってしまうのです。コミュニケーションがとれなくなってしまいます。(P141)

ここでも、心理学的な現象についての言及がなされています。しかし、それをきちんと研究していないのは、再三指摘した通りです。

・歩くほどに脳が冴える

まず、二宮金次郎や伊能忠敬が例に出され、歩行運動が脳を活性化させるのではないか、と示唆します。「このことからもわかるように、歩くことをおろそかにしてはいけません。」(P142)

その後に、運動による神経活動についての説明がなされ、運動が脳全体を活性化させると主張します。そして、ダンスゲームがβ波を増大させる事をもって、「ゲームもものによっては、そう悪いものではないかもしれないという気になってきます。」(P143)と言い、ホラー系のゲームでも同様である事を示した上で、「これらのことから、前頭前野を活性化させる健康的なゲームソフトの開発の可能性も十分考えられると思います。」(P143)とします。

次に、運動の要素を採り入れたダンスゲーム等の効果を示唆し、ホラー系のソフトへの懸念も示します(業界の取り組みとして、レーティングを紹介している)。そして最後に、「また、ゲームソフトを開発している人には、ぜひ本書のデータを参考にしていただけたらと思います。」(P145)と結びます。ちなみに、この節には、次のような記述があります。

データとしては出しませんでしたが、将棋ゲームではβ波の活性がやや高まる人も一部にはいました。これはゲーム脳人間タイプの人でした。ただし、これも慣れるとβ波が低下したままになってしまいます。考えなくても、ゲームができるようになるからでしょう。(P143・144)

これは、慣れが影響を与えている事を、森氏自身が認めているのを意味します。また、ゲームが将棋である事から(文脈から、コンピュータゲームだと思われる)、「将棋というゲーム」についての言及にもなっています。つまり、コンピュータゲームという概念から離れている訳です。将棋の盤面をディスプレイ上で再現し、操作をコントローラ等で行うと、いう違いがあるだけで、構造的には、「将棋そのもの」なのですから。ここにも、森氏の論理のおかしさが表れています。

次回へ続く

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2008年3月10日 (月)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(7)

・画像情報は前頭前野に行かない

・半ゲーム脳人間と痴呆者の違い

・ゲーム脳人間の前頭前野は活動停止状態

・読書も視覚からの情報だが

ここからは、脳の情報処理過程を説明しつつ、森氏の主張が展開されていきます。以下、箇条書きで、森氏の主張を示します。

  • ゲーム(「テレビゲームや携帯型ゲーム」(P96) )の画像刺激は、前頭前野に信号が行かない。「ゲームのテンポが速くても遅くても」(P96)同様。
  • ノーマル脳人間タイプは、テレビゲームやビデオ・テレビにほとんど接しておらず、β波が低下しない――根拠:「初めてやることなので、次の動作を考えながら意思決定をおこなうために前頭前野が活動しており、β波の活動が低下しないものと考えられます」(P97)
  • ビジュアル脳人間タイプは、頻繁に入る視覚情報によって、前頭前野を使わずに手を動かすために、後頭部中心の神経回路が強固になる。「前頭前野の脳細胞が働く必要性が減っていくことから、βパーセントの急激な減少が生じるものと考えられます。」(P98)

ここから、「半ゲーム脳人間と痴呆者の違い

  • 半ゲーム脳タイプは、ゲームを「小学校低学年から大学生になるまで、週三~四回、一日一~三時間おこなっている人たち」(P98)である。
  • 半ゲーム脳人間タイプは、ゲーム開始と同時に前頭前野の活動が低下し、β波がほとんど見られなくなる。β/αの値は、ほぼ0を示す――「後頭部中心の視覚系の回路が強固になっていると思われます。」(P97)
  • 半ゲーム脳人間タイプのヒストグラムは、α波とβ波が重なり、高齢の痴呆者と同様になるが、それは、高齢者の痴呆の脳の状態とは少し異なる。痴呆者の場合には、梗塞や萎縮等がある点が、大きく異なっている。「若者は脳のほかの場所は働いているわけですから、会話もできるし、ものを覚えることもできるわけです。痴呆の方は、こういったこともできなくなっています。」(P99)

ここから、「ゲーム脳人間の前頭前野は活動停止状態

  • ゲーム脳人間タイプは、「小学校低学年あるいは幼稚園児から大学生になるまで、週四~六回、一日二~七時間テレビゲームをおこなっていた人たち」(P99)である。
  • ゲーム脳人間タイプは、「前頭前野の脳活動が消失したといっても過言でないほど低下」してしまった人たち」(P99)である。
  • ゲーム脳人間タイプは、ゲーム中には、完全と言っていいほどβ波が消失する――根拠:「これは視覚系神経回路が強烈に働き、前頭前野の細胞が一気に働かなくなるためです。」(P100)

以下、森氏の認識を示す重要な部分を引用。

 ゲーム脳人間タイプの人の様子はというと、主観かもしれませんが、表情が乏しく、身なりに気をつかわない人が多いようです。気がゆるんだ瞬間の表情は、痴呆者の表情と非常に酷似しています。ボーッとしているような印象です。ゲーム仲間で集まることが多いようですが、関わりあいは浅く、ひとりで内にこもる人が多いようです。

 計測器がなくても、表情をみればある程度は見当がつけられると思います。幼い子どもでも、同様に無表情で、笑顔がなく、子どもらしくないな、という雰囲気になります。

 もうひとつは自分勝手であること。羞恥心がないこと。そういった人間らしさが乏しい印象の人は、ゲーム脳人間か、ゲーム脳人間になりかかっている危険があります。(P100)

ここから、「読書も視覚からの情報だが

  • 視覚情報だからβ波が低下する、という事では無い。
  • 本を読む事とゲームをプレイする事は違う――「ゲームからの情報は思考がほとんど働かないのです。しかも画面がカラーですと、色に関する想像力もいりません。」(P101)
  • 本を読んでいる瞬間もβ波は低下するが、「そこに思考が入ってきたとき」(P101)には変わる――”「ああ、こういうことを言っているのか」「これからどうなるのだろう」などと読んでいる内容について考えるので、ゲームとは違うわけです。”(P101)
  • ゲームはテンポが速く思考が入らない。本は言葉を読んで理解するから、「過去の記憶と照らし合わせながら、場合によっては右脳が働いて、抽象的に画像も出てきます。」(P101)

森氏は、各タイプについて、ゲームを週にどれくらいする、という内容を書いていますが、被験者をゲームプレイ時間ごとに分けて層別の分布を見る、等をしていません。ですから、ゲームプレイ時間と森氏の測ったデータに連関があるのかも、判然としません。たとえば「ゲーム脳人間タイプ」なら、「ゲームのプレイ時間が多い」かつ「森氏の分類する(簡易脳波計による)ゲーム脳タイプの脳波を実験中に示した」被験者を、「ゲーム脳人間タイプ」と呼んでいるだけに過ぎない、と思われます。

さて、森氏は、ゲームでは「思考が働かない」、と主張します。そして、「本を読む事を」対置し、読書の場合には、書かれている事を元に、記憶と照合したり、ビジュアルイメージを想起したり、という所が特徴である、としています。

この森氏の主張は、明白に誤りです。ここで、「ゲーム」(コンピュータゲーム)について詳しく見ていきながら、森氏の論の不備を指摘します。

テレビゲームをプレイした事がある方なら容易に想像が出来ると思いますが、ゲームは、まず操作系を憶える、というのが必要です。それが解らなければ、ゲームを進めようがありません。そして、操作を憶えるには、取扱説明書を読んだり人に訊いたりして、知識を蓄え、実際にプレイし、試行錯誤を繰り返して身に着けていく、という作業が必要です。つまり、ゲームをプレイしている時間そのものでは無く、その他の時間に、言語的な思考は働かさなければならない訳です。操作系は、いわば「約束事」です。どのボタンを押せばキャラクターがどう動くか、というのが、それぞれのゲームで独自に決められているのです。

上では、ゲームの操作を憶える、という、ゲームに一般的に成り立つ部分について書きましたが、森氏の論では、ゲームの「ジャンルの多様性」も、無視されています。ゲームには、非常に多様なジャンルがあります。ロールプレイング・アクション・シミュレーション・アドベンチャー・パズル 等々。それぞれのジャンルで、全く性質が異なります。たとえば、アドベンチャーやロールプレイングでは、テキストを読みながらストーリーを追ってく、というのが基本的な構造です。文字を読むというのは、まさに「本を読む」という要素を包含している、という意味でもあります。シミュレーションゲームは、将棋や碁に近いと言えます。色々なルールを憶え、戦略を組み立てて進めていく、という。

パズルゲームやシューティングゲーム、あるいはアクションゲームは、比較的、「ゲーム中」には、テキストを読みながら進める、というのは少ないでしょうが、それ以外の時間も考えると、思考しない、などとは全く言えません。敵の配列、動きのパターンを憶える、対人であれば、相手の思考を読む、等の要素があります。これはゲームをやらない方にはピンとこないかも知れませんが、ある種のパズルゲームやシューティング、格闘アクション等は、「実際やっている時に指が(認知を介在せずに)勝手に動く」のが高パフォーマンスである、と考えられます。森氏の言っているのは部分的に正しい、という事ですね。もちろん、そのために、様々な「準備」が必要な訳です。私は詳しく無いのですが、楽器演奏等も、そうなのではないでしょうか。練習では色々悩み考え、本番では何も考えずとも身体が動く事を目指す、という具合に。スポーツ等の身体運動文化もそうでしょう。つまり、「いちいち考えなくとも出来るように」なるのを目指す訳です。

また、近年のゲームでは、様々なジャンルの要素を複雑に組み合わせてあるゲームも多い、という事を、付け加えておきたいと思います。上で書いたような分類は便宜的なものです。操作も複雑になったり(コントローラのボタンが増えた、というのも、端的にその事実を示している)、という部分もあり、ゲームが複雑になってきている事が、ゲーム離れの要因だと考えられる場合もあるくらいです。

森氏の論を見ると、このような、ゲームの実態について全く無知である、というのが解ります。無理やりに、「読書」(と纏めるのも無理があるが)と対置させる所に、それが表れています。

次に、P100からの引用文についてです(「ゲーム脳人間タイプの人の様子はというと~」の部分)。

これは、全くの先入観に基づいた、印象論です。はじめに主観かも知れないと断っていますが、後になると、ほぼ断定的になっています。表情についての言及など、全く根拠不明です。当然のように、心理学や社会学等の調査・実験のデータも示されていません。悉くが、森氏の印象によるものです。次章もそうですが、本書の論理は、このような、ゲームへの無理解を元に、組み立てられています。

○4章 β波を上昇させるゲームもあった!?

・ロールプレイングで脳が活性化?

まず森氏は、ほとんどのゲームが前頭前野の働きを低下させる、と言います。しかしながら、中にはβ波を増大させるものもある、という事を指摘します。それは、森氏によると、「ロールプレイングゲーム」です。森氏の「ロールプレイングゲーム」についての説明を、引用しましょう。

 ロールプレイングゲームにもいろいろな種類がありますが、前頭前野の活動を増大させたソフトは、単にファンタジー的なものではなく、ホラー映画のような、スリルと恐怖感を抱かせるものでした。自分が敵にみつかって殺されないように敵陣に進入し、相手を威嚇しながら画面上で突き進んでいくというゲームだったのです。(P104)

前回も指摘したように、この森氏の説明は、誤っている可能性が、非常に高いです。タイトルが書いていないので断言は避けますが、この記述を見る限りでは、一般的な「ロールプレイングゲーム」の事を指していると考えるのは、かなり困難です。当然、ホラー的要素のあるロールプレイングはあるでしょうが、それにしても、「自分が敵にみつかって殺されないように敵陣に進入し」、などという説明は、サバイバルホラーアクション(『biohazard』シリーズ等)を指していると見る方が、妥当だと思われます。いずれにしても、ホラーの要素がロールプレイングに一般的に含まれる訳では無い、というのは、強調しておきます。

森氏は、(本書で言う)ロールプレイングゲームプレイ中は、絶えず緊張し、心拍数や血圧が上昇し、自律神経に影響を与える事を示唆し、リラックスがなされないと言います。そして、そのようなゲームを繰り返し行う事によって、「前頭前野から古い脳への抑制がきかなくなり、視床から直接扁桃体に信号が行きやすくなってくると思われます。」(P107)と主張します。更に、長時間やっていると自律神経が不安定になる、という事を、テレビゲームを長時間している子どもが朝礼で立ちくらみを起こしやすいという報告(毎日新聞の記事を元にしている)を挙げて説明します。

もちろん、仮に、ゲームプレイ時間と立ちくらみの頻度について正の相関関係があったとしても、それが脳の機能の低下(という概念も曖昧だが)を示す、とただちには言えません(森氏も、「関係がありそうです。」(P107)という言い方はしている)。

次に、ゲーム中での行動が記憶に残り、「ゲームの場面のような状況に遭遇したときには、異常な行動や心理的恐怖感をもつようになります。」(P107)と言います。そして、またしても、驚くべき論理展開を見せます。

 実際このテレビゲームをおこなってもらった大学生は、ゲームを一人で深夜にやると、恐怖心にかられると言っていました。くり返しおこなっているとナイフで自分を防御しようと思うようになるかもしれません。さらにエスカレートすると、自分の身を守るために警官のピストルを奪おうとする行為に及んでしまうかもしれません。(P107・108)

唖然とする主張です。まず、ホラー的な要素があるゲームをやって恐怖心にかられる、というのは、当然と言えます。これは、ホラー映画を観たら、ホラーものの小説を読んだら怖くなった、と言っているのと同じような事なのですから。にも拘らず、とんでもない論理の飛躍を行います。ゲームが他の文化と異なっている特徴として、インタラクティビティ(双方向性)、つまり、自分の操作に応じて画面上のキャラクターが変化をしたり、という所がありますが、その部分が、ゲーム特有の影響を与える、というのは、当然考えられます。しかし森氏は、そういう部分についての心理学的研究を参照するのでも無く、強引に論を進めます。これは、科学的な論証として、全く妥当ではありません。

この後森氏は、テレビゲームに影響を受け、警官から拳銃を奪おうとした事件を例に出し(木村文香氏の文章を参照。私は原典未確認)、「この事件を起こした子どもは、現実と空想の世界の区別がつかなくなってしまったのではないかと考えられます。」(P108)と結びます。

論理的に言って、ゲームに影響を受けて問題行動を起こす、というのは、あり得る訳です。しかしそれは、他の文化でも同じ事です。ですから、本来行うべきは、社会心理学や疫学による調査研究で、それらの関係を定量的に見出す事です。しかるに、森氏はたった一例を挙げて、それが代表的な事例であるかのごとく扱っているのです。これも、不当な印象誘導である、と言わざるを得ません。

次節からは、ドーパミンやノルアドレナリン等の神経伝達物質の働きや、ストレスに関する論理が、ゲーム脳と絡めながら説明されていきます。

次回へ続く

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2008年3月 9日 (日)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(6)

※引用文で、丸囲み数字等は、適宜修正します。

・半ゲーム脳人間がゲームをしているとき(図17)

本節以降、それぞれのタイプ(森氏の分類による)の人が「じっとしているとき」および、色々な種類のゲームをプレイしている時の脳波(正確には、森氏の簡易脳波計によって測定されたもの)に関するグラフが、森氏によって解釈されていきます。以下、「α波」、「β波」としているのは、あくまで、森氏の脳波計によるものである、という事を、強調しておきます。表記を替えると記述が煩雑になるおそれがあるので、本書に従います。

※森氏の主張する各タイプ(ビジュアル脳・半ゲーム脳・ゲーム脳)に関して、「どのように判定するか」、というのが、示されていません。前節までに、「こういうパターンならこのタイプ」、という説明がなされただけです。以下、○○タイプはこうであった、と書く部分は、「森氏がそう言っている」という意味で、お読み下さい。

まず、「半ゲーム脳」です。

ここでは、「半ゲーム脳人間タイプの人が携帯型ゲームの積み木合わせゲームをおこなったとき」(P78)のグラフが示されています。グラフは、横軸に時間(単位:分)を取ったグラフ2種です(縦軸に、α%・β%を取ったグラフおよび、β/αの値を取ったグラフ、の2種類)。「積み木合わせゲーム」について、具体的なタイトルは示されていませんが、『テトリス』系のパズルゲームであると思われます。

森氏は、ゲーム開始後1分の所でβ%の値が激減し、β/αの値も、1分後にほとんど消失している事を示します。そして、「ビジュアル脳人間タイプ」の人のグラフ(本書24ページのグラフ)と比較します。半ゲーム脳タイプは、β%グラフは、初め20付近を推移し(ばらつきが大きいように見える)、ゲーム開始から1分経過後に、0近辺まで低下する。ビジュアル脳タイプでは、β波は初め40辺りを推移し、やはり、ゲーム開始後に減少します。森氏は、ビジュアル脳タイプの人が、ゲームを止めると元に戻る、という所を強調します。

ここで、図17(P79:「半ゲーム脳人間がゲームをしているとき」のグラフ)の説明文を引用しましょう。

テレビゲームを始める前からすでに、脳の働きが低下しています。下図をみると、脳の働きが0以下になっていることがわかります。24ページの図1の人と違い、ゲームをやめてももとにもどっていません。

この記述を見れば解るように、森氏は、自身の脳波計によって得られたデータのみを元にして、「脳の働き」に言及しています。他の根拠、たとえば、心理学的な検査や、他の画像診断等のデータは、一切示されていません。その論証を全く疎かにしたまま、森氏は、簡易脳波計によるデータを、「脳の機能の程度」を反映するものとして、使っている訳です。

・ゲーム脳人間のソフトによる違い(1)(図18)

・ゲーム脳人間のソフトによる違い(2)(図19)

ここでは、「ゲーム脳人間タイプの人」の、(A):開眼安静時 (B):積み木合わせゲームプレイ時 (C):「格闘技ゲーム」(P80)プレイ時 (D):ロールプレイングゲームプレイ時(図19では、「ダンス体感シミュレーションゲーム(P81) )  のそれぞれのグラフが示されています(それぞれ、6分間の記録)。図18と図19で、異なる人のデータが載っています。カッコ内にある通り、図19のグラフDは、ダンスゲームプレイ時のデータです。

まず森氏は、D(図18)グラフについて説明します。Dは「ロールプレイングゲーム」のプレイ時と説明されていますが、森氏の説明によれば、「そのゲームソフトは、ホラー映画的な要素のある非常にリアルなテレビゲームです。」(P80)との事です。しかし、(解釈にもよるが)一般的なロールプレイングゲーム(参照:ロールプレイングゲーム - Wikipedia ※Wikipediaの記事は、あくまで参考資料として示します)で、ホラー的な要素があるものは、それほど多く無いように思われます。○○ゲームをプレイしている時のデータを採るのですから、普通は、いわゆる典型的なソフト(最もポピュラーなのは、『ドラゴンクエスト』シリーズや『FINAL FANTASY』シリーズでしょうか)を題材にするのが、妥当であると言えるでしょう。そして、P19に、

「最近発売された、ホラー映画のような恐怖を感じさせるテレビゲームで、敵にみつからないようにいろいろな部屋に進入して武器を獲得し、相手を殺しながら勝ち進んでいくというものがあります。」

という説明がある事から、このゲームを「ロールプレイング」と認識している可能性があります。更に、P104に、

 ロールプレイングゲームにもいろいろな種類がありますが、前頭前野の活動を増大させたソフトは、単にファンタジー的なものではなく、ホラー映画のような、スリルと恐怖感を抱かせるものでした。自分が敵にみつかって殺されないように敵陣に進入し、相手を威嚇しながら画面上で突き進んでいくというゲームだったのです。

このような記述がある事からも、森氏がゲームのジャンルについて知識をほとんど持っていない可能性は高い、と思われます。上記引用文の後段にある説明がなされるようなゲームは一般的に、「アクション」ゲームと称されます。メーカーによって、また、ジャンルの細分化によっては、異なる呼称が用いられる場合がありますが、最も大まかな分類を用いれば、アクションとするのが妥当な所でしょう。少なくとも、「ロールプレイング」に含めるのは、一般的ではありません。

これらを踏まえると、森氏は、「ゲームが脳に与える影響」を研究していると称しているにも拘らず、ゲームの具体的な部分についてはかなり無知な可能性がある、と言えるでしょう。ここは、そもそも研究対象についての知識・調査が足りない、という部分なので、押さえておくべきだと考えます。

さて、森氏は、ゲーム脳タイプの人がロールプレイングゲーム(「森氏の言う」、です。ここはとても重要なので、繰り返します)をプレイしている時には、β波が「増加」している事に注目します。ここまでの論理を踏まえるならば、「ゲームによってはβ波を下げない」、と解釈するのが妥当ですが、森氏は、驚くべき解釈を行います。即ち、

ゲームをしているとき、本人は極度の緊張状態でした。そのためか、β波が増加してβ/α値は二・五ぐらいまで上昇しており、見た目にはよくなっています。

 しかし、これは後で述べるように、精神的ストレス状態であり、自律神経のバランスが崩れた状態になっていると思われます(113ページ参照)。 (P80)

このように、です。

ここまで、順に森氏の論を追ってきたので、この主張がおかしいのは、明白です。森氏は初め、(森氏の脳波計によって測られた)「脳波(β波)」の出方によって痴呆症が判定出来る、と主張し、それをゲームプレイ中の人についても適用した、として、論を進めてきた訳です。しかし、ある種のゲームをやった結果、β波が増加したというデータが得られたら、そこに、アド・ホック(後付け)で恣意的な、「解釈」を施したのです。このような後付けの解釈をする、というのは、「森氏の測る脳波によって心理状態を判定する事は出来ない」、というのを自ら示している、と言えます。

そして森氏は、ダンスゲームをプレイしている時にもβ波が増加している事を示します(図19のDグラフ)。

 しかし、最後のダンスゲーム(D)をしたときのデータをみてください。◎(引用者註:◎はゲームを止めた時を示し、★が、ゲームを始めた時を示す)の時点で一回のダンスが終了しています。グラフをみるとダンスをしているときにはβパーセントが低下していますが、終わった後はβパーセントの増加がみられ、それが一回目よりも二回目、さらに四回目ではβパーセントの増加はさらに顕著で、その持続は長くなる傾向を示しています。ゲーム終了後においてβパーセントの増加によりβ/α値が二・〇まで上昇しています。(P81)

この説明にもある通り、ダンスゲームプレイ中のグラフは、中断を入れながらゲームを数回したデータを図示したものです。そして、ゲームを行っている時にはβ波が下がり、止めた時~再度ゲームを行うまで はβ波が増加する、という事です。ちなみに森氏は、「一回目よりも二回目、さらに四回目では」、と、ダンスゲームをやる度に(やればやるほど)β波が増加した事を仄めかしていますが、グラフを見ると、微増です。どの程度増加すれば実質的に意味があるのか、全く不明で、説明もなされていません。しかもこれは、サンプルの一つの要素(1人の被験者)のデータに過ぎません。

更に、森氏は説明を続けます。森氏は、ダンスゲームによって(ゲーム中断後の)β波が増加したのが、「ゲームの効果というよりも、運動をしたことによる効果」(P81)である、と主張します。この説明も、森氏の方法について疑問を抱かざるを得ない内容です。この結果は、森氏の脳波計によって測られる生体信号のデータが、運動によって容易に変化し得る、という事を示しているのですから。

また、森氏は、ゲームの効果と言うより運動の効果、と主張していますが、これは、おかしな論理です。ダンスゲームというのは、運動(取り敢えず、ある程度大きく身体を動かす事、とでもします)の要素がゲームに含まれている訳です。これはつまり、ゲームがβ波を低下させる、という自身の説への反証例である、とも言えます。※しかし、「ダンスゲームは全ゲームの内の一部である」、という反論を受ける可能性がある。つまり、多くのゲームはダメだが、ダンスゲームは良い効果を与えるかも知れない、という具合に。

・ゲーム脳の人間のふだんの脳波(図20)

ここでは、2枚のグラフが示されています。※横軸:時間(分) 縦軸:α%・β%および、β/αの値

この説の本文は3行なので、全て引用します。驚く内容です。

 図20は、ゲームをしていないときのゲーム脳人間タイプの人のデータを示しています。

 被験者は高校三年生ですが、本人の話では、毎日母親と口論が絶えないと言っていました。彼は表情が非常に乏しく、ほとんど笑い顔がなく、キレるタイプのようです。(P86)

このような、印象を誘導するような記述は、本書に散見されます。ここでは、「本人の話では」という伝聞を元にし、更に、表情についての主観的な、いわゆる「印象」を語り、「キレるタイプのようです。」と、それまでの文章から導くには無理のある推測を行っています。口論などというのも定量的な概念では無く、単なる被験者の報告です。

この節の見出しには、「ふだんの脳波」とある訳ですが、ここで示されているグラフは、上記引用文にもあるように、「ゲームをしていないとき」のもので、しかも、たった5分間のデータです。森氏の脳波計で、人間の生活の各局面においてどのようなデータのパターンを示すか、という所には、一切言及がありません。

・ゲーム脳人間がソフトを買った直後と2週間後の脳波の比較(図21)

図21は、二枚一組のグラフです。Aは、ゲーム脳タイプの人が、ソフト発売直後に「ロールプレイング」ゲームを買い、それをプレイした時のもの。Bは、同じ人が同じゲームを2週間後に再度プレイした時のものです。

A・B両方のグラフで、β波がある程度高い所にあります(「ほかのゲームソフトでは、ゲーム中はβ/α値がゼロになってしまう状態」(P87)とある )。森氏は、グラフAよりグラフB(当該ゲームを2回クリアした時から2週間後)の方がβ波が低下していると言い、「四回クリアしたときには、完全にゲーム脳のレベルまでβ波が低下してしまいました。」(P87)と言います。ところで、AとBのグラフでは、Bの方がβ波が低下しているとされていますが、図を見てみると、数値自体は確かに下がっているように思えますが(度数分布の図は載っていない)、その差にどのような意味があるか、判然としません。

更に森氏は、

 このままですと、αとβがやがて重なってしまうでしょう。さらにそれでもテレビゲームを続けていれば、前頭前野の機能が大きく低下し、人間らしさが失われていき、やがて彼は人間としての社会生活を営むことができなくなってしまうのではないかと案じられます。(P87)

と、まさにとんでもない論理展開を行います。まず、数回ゲームをクリアしたらβ波(と称されるもの)が下がった、という観測がなされたとすれば、それについての解釈は、色々あり得る訳です。たとえば、「慣れ」であるとか(森氏自身、後でそういう説明をしている)。しかし森氏は、様々に可能である解釈の中から、「前頭前野の機能が大きく低下」する、という主張を行います。そして、「人間らしさ」や「人間としての社会生活」等の、心理・社会的現象についても言及しています。しかし、これらについて、妥当性・信頼性の確認された心理測定尺度を用いて定量的に測定したという記述は、全くありません。

ゲームを発売直後にプレイし、数十時間掛けてクリアした→数週間後に再びクリアしたら、(森氏による)β波が下がっていた――という現象を科学的整合的に説明するには、「何が違っているか」、という所を考察する必要があります。つまり、慣れ、体調、やる気、身体の動きの大きさ、等々。これらの条件をコントロールした適切な実験計画を立てて論証していく、というのが、科学的な手続きです。しかるに本書では、そのような論証は一切行われておらず(更に、まともな学術論文も存在しない)、現象の原因が、即「前頭前野の機能低下」と看做されます。これは、全く妥当では無い、と言わざるを得ません。

・ゲーム脳人間がほかのゲームをしているとき(図22)

図22は、ゲーム脳タイプの人が、「立体の木製ブロックパズルの組み立てと十円玉立て(十円玉を机などの平面上に立てる遊び)」(P90)を行っている時のグラフです。グラフのスタイルは、図20や21と同様。

森氏によれば、いずれの作業も、完成した瞬間にβ波が増大した、との事です。図22の説明文には、「それぞれ、完成して作業に集中した瞬間にβ波の活動が上がっています。」(P91)とあります。集中時に上がるなら、完成後に増大するのはおかしな気もしますが(そこに時間差がある、というのを示している)ここではその説明はありません。そして森氏は、被験者について、「なお、本人は自分のことを、よくもの忘れをするタイプだと言っていました。」(P90)と紹介しています。これも、単なる被験者の報告に過ぎません。そもそも、物忘れという概念が、曖昧なものです。

・幼稚園児と小学生がテレビゲームをしているとき(図23)

図23は、A:6歳(テレビゲーム未経験者。テレビゲーム時の測定 ※「ほとんどテレビゲームをおこなっていない」という説明と、「テレビゲームをしたことがありません」という2つの説明がある) B:6歳(週1・2回、一度につき1時間程度のゲームプレイの習慣あり。テレビゲーム時の測定) C:11歳(ゲーム習慣については後で説明。10円玉立て時の測定)  のグラフです(スタイルは前節と同様。各2枚のグラフ)。

Aの被験者は、ゲームを行っている最中は、β/αの値は、若干下がっています。これは、β波が少し下がりつつ、α波が微増しているためです。β波の低下は、それほど顕著ではありません。

B例は、図を見る限りは、それほど変化しているようには見えません。森氏は、ゲームをプレイし始めると、α波とβ波が混在してくる、と言います。また、β/αの値のグラフを見ると、大体1付近を推移していますが、α波%のグラフが高い所にあるので、比が下がるのは当然ではないかと思います。※A例では、α波%は、20前後を推移。3分の2程度は20を下回っているように見える。B例は、ほぼ20以上。

C例(11歳。週3回、1回につき2時間程度プレイの習慣)については、「すでに半ゲーム脳人間の状態を示しており」(P92)と言い、「積み木合わせゲーム」を行うとβ波が低下し、(実験開始から)6分経過後に10円玉並べ(上記のものと同様か不明)をやらせたらβ波が少し増大した、と言います。そして、「これらのデータが示すように、幼稚園児、小学校低学年児でさえ、β波の低下がすでに認められます。なお幼稚園児では、α波よりもβ波が低くなる例は、一例も認められません。」(P92)と結びます。

C例を見ても、そもそもα波のレベルがある程度高いために、比の値は小さくなっていますが、A例と較べても、β%の値は、それほど大きく異なっている、とは見えません。その数%の違いをもってタイプ分けを行う根拠は、相変わらず示されません。

さて、やはり森氏は、この節でも、印象を元にした説明を行っています。C図についての説明文を、引用してみましょう。

まだ小学生なのに、すでに半ゲーム脳人間タイプです。このまま大きくなったら、キレる人になってしまうかも知れません。けれど6分のときに、ゲームをやめて10円玉立てをしたら、少しβ波が上がりました。(P95)

またしても、森氏の、かなり飛躍した推測です。根拠は、この図のみです。ちなみに、少しβ波が上がった、とありますが、それと同時にα波が下がっているので、β/α波の値が、ほんの少し上がっている訳です。

次節からは、ゲーム脳の神経科学的「メカニズム」について、推測を交えながら、説明されていきます。

次回へ続く。

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2008年3月 7日 (金)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(5)

○ゲーム中の脳波、四つのタイプ

子どもたちにもみてほしいデータ

前章で、「(実験に参加した)痴呆者の脳波―β波/α波の値は低い」事が見出されたのを紹介した森氏は、本節で、

以前までは痴呆の程度は、質問紙などの結果から判断していましたが、この簡易型の脳波計を用いることで、脳の活動として痴呆を判定する可能性を示すことができました。(P68)

と主張します。しかし、前回指摘したように、森氏の実験は、極めて根拠不充分であり、方法的な不備等も批判されています。それをもって、「脳の活動として痴呆を判定する可能性を示す」とは、とても言う事は出来ません。

しかし森氏は、自身の方法をそのまま、テレビゲーム中の人間の脳波計測に適用し、論を進めていきます。

さて、まず森氏は、自身が開発した簡易脳波計によって、コンピュータゲームをプレイしている人の、主に前頭前野の活動を見ていく、と説明します。ここで、押さえておくべき重要な部分を、引用しておきましょう。

私は、β波の活動の大きさが、ゲームソフトによってこれほど変化するとは想像もしませんでした。(P68)

これは、よく森氏が批判される部分です。つまり、ゲームによって前頭前野が機能低下すると言っておきながら、ゲームによって違いがある事が見出された、と主張している訳です。もちろん、ゲームの大部分がβ波を大きくしないが、それでもゲームによって違いがある、と言っているようにも読み取れますが、森氏がどう考えているかは、次第に明らかになっていくでしょう。

・テレビゲームを全然したことがない人(図15)

ここから、前章にもあったようなグラフを示しながら、説明が進められます。(図○○)というのは、そのグラフを指します。

まず、テレビゲームの経験が無い人を対象に採ったデータです。

テレビゲームを全然経験したことがなく、ビデオやテレビもほとんどみない一八歳から二二歳の複数の大学の学生に協力してもらいました。(P69)

ここでは、4つのグラフが示されています。即ち、

  • A:横軸に時間(分)を取り、縦軸にα波・β波それぞれの割合(%)を取ったグラフ(つまり、α波のグラフとβ波のグラフが記入されている)。
  • B:横軸に時間(分)を取ってあり、縦軸に(恐らく)度数が取ってある折れ線グラフ(本書では「ヒストグラム」)。度数は0-100まで目盛ってある。横軸が、α%・β%であり、単位は(%)の誤植である可能性あり。参考として、グラフの画像を示します(P70より引用)。森氏の説明は、「BはAをαパーセント、βパーセントのヒストグラムで表したものです。」(P69)とある。
  • C:前章で出てきたグラフ(Dのグラフの下図)と同様。即ち、横軸に時間(分)を取り、縦軸にβ/αの値を取ったもの。このグラフが下に位置していれば、良くない(後で森氏の説明を引用)。
  • D:Cをヒストグラムにしたもの。横軸は、恐らくβ/α値(目盛りは0-6。単位未記入)、縦軸は度数。Mean(平均値)=3.3、SD(標準偏差)=0.4

以上のようなグラフです。この後は、各タイプにおける、上記のAとCに当たるグラフが、それぞれ紹介されます。

森氏は、B図で、α%とβ%のグラフが重なると、「痴呆の状態に近くなるということです。」(P69)とし、C図のグラフにあるβ/αの値の平均値(つまり、DのグラフのMean)が2.0以下になると、「脳の働きが悪いということです。」(P69)としています。ここでは明らかに、森氏が計測したデータから、脳機能の程度について判断が可能である、と主張されている訳です(「脳の働きが悪い」という表現から判る)。

森氏によれば、ここで例示されているグラフ(α波、β波に関する二つのグラフが大きく離れている)は、良い状態であるといいます(「平均値が二・五以上あれば、脳の働きはよいということなので」(P72) )。

・代表的な四つのタイプ(図16)

森氏は、「多くの大学生」(P72)に協力を得てデータを集めた所、前頭前野のβ波の活動状態から、4つのタイプに分類出来る事が判明したと主張します。そして、これらのタイプが、森氏の印象をまじえながら説明されます。それを引用しながら、纏めてみましょう。4つのタイプとは即ち、

  • 「ノーマル脳人間タイプ」――テレビゲームをしてもほとんど脳波に変化が無い。テレビゲームを全くした事が無い人。「脳が正常に働いていることがわかります。」(P72) 「私の印象として、この人は礼儀正しく、学業成績は普通より上位でした。」(P72)
  • 「ビジュアル脳人間タイプ」――テレビゲームはほとんどした事が無いが、テレビやビデオを1・2時間毎日観ている人。テレビゲームをやる事によって、β波が減少。「このタイプの人のなかには、某大学で四年間成績がトップで、特待生の人もいました。」(P73)
  • 「半ゲーム脳人間タイプ」――テレビゲームを行う前後とも、β波がα波レベルまで減少。グラフが重なる所もある。”C(引用者註:A-Cは、それぞれのタイプのグラフの例を指す)のようなデータを示す人たちには、少しキレたり、自己ペースといった印象の人が多くなってきます。ゲーム中に声をかけても、「うるさい!」程度の返事しか返ってこないでしょう。日常生活において集中性があまりよくなく、もの忘れも多いようです。”(P73・78 ※途中グラフを挟む)
  • 「ゲーム脳人間タイプ」――β波レベルがα波レベルよりも下がる。
    • 「このタイプにはキレる人が多いと思われます。ボーッとしていることが多く、集中力が低下しています。学業成績は普通以下の人が多い傾向です。もの忘れは非常に多い人たちです。時間感覚がなく、学校も休みがちになる傾向があります。」(P78)

以上のようです。

P74~P77に、各タイプのグラフが示されています(A:ノーマル脳人間タイプ、B:ビジュアル脳人間タイプ、C:半ゲーム脳人間タイプ、D:ゲーム脳人間タイプ)。それぞれ2枚ずつで、1枚は、横軸:時間(分)、縦軸:α%・β%のそれぞれ値で(一つの図に2種の折れ線グラフ)、もう一枚は、横軸:時間(分)、縦軸:β/αの値のグラフです。ここで、Aのグラフだけが、縦軸のスケールはそのままで、横軸のスケールが異なっています。他のグラフは1分刻みで目盛ってあり、ゲームプレイ時間は約5分であるのに対し、Aのグラフは0.5分刻みの目盛りで、ゲームプレイ時間は半分ほどです(つまり、グラフの横幅はほぼ同じ。他のグラフと幅を揃えるために、スケールを変えて引き伸ばした、とも思える)。Aグラフの被験者のゲームプレイ時間が何故短いのか、その理由は定かではありませんが、比較のために出されているグラフで、一つだけスケールを変えるのは、妥当ではありません。

さて、それぞれのタイプの説明の際に、森氏は、そのタイプに入る人達の、心理・社会的な行動傾向についての言及をまじえています。ここは、大変重要な箇所なので、詳しく見ていきましょう。

森氏は、「礼儀」・「学業成績」・「集中性」等の心理的・社会的な現象についての説明を加えています。しかし、いずれも、「例」です。即ち、学業成績が良い人がいた、とかは、各タイプ(と森氏が分類する)にそのような人間が多い、という事は全く意味せず、ただ単に、そのような人がいた、という事実を示すだけに過ぎません。また、学業成績などは、ある程度明確な概念ですが、心理学的な部分、つまり、キレるであるとか自己ペースであるとかは、森氏の主観です。これも同様に、そのような人の割合が、各タイプごとに異なっているか、というのを、定量的に研究しなければならない訳です。それは、集団の傾向を推測する統計的方法によらねばなりません。しかるに、森氏はそのようなデータを全く示しておらず、その点については、根拠不充分と言わざるを得ないでしょう。

次に、ゲーム脳論の最重要な部分を見ていきます。

最重要の部分、それはつまり、「ゲーム脳の定義」、です。

本書が出版されてから、マスメディアが森氏の説を採り上げ、色々な人が、それに言及してきました。そこでは、森氏による心理・社会的現象に対する言及、つまり、ゲームをやると、「キレやすくなる」、「(前のと被りますが)暴力的になる」、「無表情になる」、等の部分のみを捉え、それを「ゲーム脳」としています。しかしこれは、明らかに妥当ではありません。

森氏は、脳波計によって得られたデータの傾向によって、分類を行った訳です。ですから、狭義には、ゲーム脳とは、「森氏の簡易脳波計によって得られたβ波/α波の値が低い状態」、と言う事が出来ます。これを、取り敢えずは「定義」とします。

しかし、ここからがややこしいのですが。(だから、「取り敢えず」と書いた)

森氏はそもそも、

  • ゲームによって前頭葉の機能が低下する、という生理学的現象。
  • 無気力、キレる、忘れ物が多くなる、暴力的になる、等の、心理学的現象。

これらを判断出来る方法として、簡易脳波計による計測を編み出した、と主張している訳です。つまり、痴呆者の多くがある脳波のパターンを示す、という所から、そのパターンを示している人は、脳の機能低下が起きている、と判断し、そこから、そういうパターンを示す人は、心理・社会的な問題行動起こすだろう、という論理展開です。ですから、これらの主張が絡み合って、「ゲーム脳」という概念が形成されている訳ですね。従って、ゲームが心理学的・社会学的に与える影響だけを取り出して論じても、それは「ゲーム脳」を論じている事には、ならないのです。

ですから、たとえば、社会心理学的に、ゲームが行動に何らかの悪影響をおよぼす、というのが「仮に」明らかになったとしても、それは決して、「ゲーム脳」が立証された事を意味しないのです。

しかし、森氏は、脳波のパターンに関する主張とともに、心理学的・生理学的な状態をも、ゲーム脳の概念に含めています。それは極めて定性的で、根拠は主観的な、「印象」です。ですから、厳密に考えれば、ゲーム脳には、科学的批判に耐えうる「定義」は実は無い、と言えるでしょう。この、まともな定義が無いという所が、「様々なゲーム脳」概念を生み出すという状況を作り出している訳です。それぞれの人が直感する「ゲームの悪影響」を指す概念として、「ゲーム脳」が「持ち出される」という、捩れた状況になっているのです。

※先に挙げた「狭義の定義」、つまり、「脳波の特定のパターン」は、「ゲーム脳」という概念にはなり得ない。何故なら、ゲームをやらない人にも現れるパターンであるから。語に「ゲーム」を含める妥当性が認められない。心理学的・生理学的・社会科学的概念と絡めて論じないと、論が構成出来ない。しかし、それを絡めると、広く心理学的・社会科学的な検証をしなければ、理論としては認められない。従って、ゲーム脳は、定義もあやふやで、まともな理論の体をなしていない、と言える。

次節からは、それぞれのタイプの人の脳波のパターンが、ゲームによって異なる事が、示されます。

次回へ続く。

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2008年3月 6日 (木)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(4)

○2章 人間らしさは前頭前野にあり

・「新しい脳」が発達している人間

・脳の役割は「知」「情」「意」

・高度な働きをする連合野

・あきらかになる大脳の役割分担

・円柱状にまとまっている機能

・脳の働きは脳波でわかる

これらの節では、脳の生理的構造・機能が解説されていて、一般的な生理学等のテキストに載っているような内容なので、省略します。

・β波を数量化する機器を開発

この節ではまず、α波が注目されてきた事を挙げ、β波を用いた研究がほとんど無かった、という事を紹介します。次に、それまでの脳波計測は一般的には、外部からの電波をシールドした場所で行われていたとし、森氏が、シールドされていない場所でも簡易に計測出来る機器を開発した、と主張します。

そして、本書では、その脳波計(特にα波とβ波を分析出来ると主張)を用いて得られたデータを分析する、としています。

・α波とβ波が重なると痴呆

森氏はここで、前述の簡易型脳波計を用い、痴呆者のα波・β波を解析した所、「研究の結果、痴呆者の脳波の特徴について興味深い結果が得られました。」(P59)と主張します。その研究内容を、箇条書きで示します。

  • 研究対象:痴呆のある高齢者(70~91歳)。特別養護老人ホームに入居している患者37名。アルツハイマー型痴呆および脳血管性痴呆含む。
  • 脳波記録:長谷川式知能評価スケール(本書では、「長谷川式簡易型知的機能検査スケール」)の聞き取り中(開眼状態)に計測。
  • 計測状況:入居者用個室において、実験者と被験者が対面状態。聞き取りは、同じ実験者。
  • 対照:健常な高齢者(68~87歳。身体的に不自由が無く、毎日一時間以上の歩行をしている)。聞き取りは、開眼安静時および、聞き取り時。
  • 痴呆者への計測は、聞き取り時のみ。痴呆者では、一定の安静時において、5分以上の記録が困難であったため。

以上のようです。そして、計測したα波とβ波についてのデータをグラフにしたものを示しながら、研究結果の解釈が、説明されていきます。

ここで、図について説明します。

図は、A:痴呆者へ聞き取り中 B:健常者へ聞き取り中 C:健常者の安静中 D:痴呆者へ聞き取り中(時系列によるデータ) となっています。A~Cまでは、それぞれ、「α%とβ%の比較」および、「β/α値のヒストグラム」という二種類のグラフが載っています。後者は「ヒストグラム」となっていますが、実際は折れ線グラフです。「α%とβ%の比較」グラフは、「・横軸:10-60(%) ・縦軸:0-16 単位はP(発生度数)」で、「β/α値のヒストグラム(実際は度数多角形)」は、「・横軸:0-6 単位は(β/α) ・縦軸:0-40 単位はP(発生度数)」です。Dのグラフは、同様のものがこちらにあるので、ご参照下さい⇒携帯メールでも脳が壊れる? 拡大する“ゲーム脳”汚染 ※上の方にある画像をクリックで拡大 単位は、横軸:(分) 縦軸:(%)

説明不足で甚だ解りにくいグラフですが、このグラフを解説しながら、森氏は説明を進めて行きます。Aの上(痴呆者―α%とβ%の比較)のグラフの、α%とβ%の分布が、一部が完全に重なるほど近くにあり、健常者における安静時(Cのグラフ)と同様の状態を示している事を指摘します(B、つまり、健常者における聞き取り時のグラフでは、分布が大きく離れている)。そして、「これをみると、痴呆者は作業をしている状態であるにもかかわらず(A)、健常者の安静状態(Cのボーッとした状態)と似ていることがわかります。」(P66)と言います。

次に、この研究によって得られたデータ(β波/α波の値)と長谷川式のスコアとの間に高い相関が見られた事を指摘します。そして、「つまり、痴呆の症状が重い人は、脳波の値(β/α値)も低いという関係がみられたのです。」(P66)と結論します。

本章の概要は、以上の通りです。

森氏の主張に関して、そもそも脳波に関する知識が素朴である、という指摘があります。私が不充分な知識を元に検討し、不正確になってしまってはいけないので、有名な批判をご紹介します。

斎藤環氏に聞く 『ゲーム脳の恐怖』1[www.tv-game.com]

脳波のなぜ?:“ゲーム脳”の脳波について (1)

この章で重要なのは、森氏の、自身が開発した脳波計によって、痴呆者を判定する事が出来た、という主張です。これは、ゲーム脳説を主張する根拠となるものですので、当然、その正当性が充分に認められなければ、ゲーム脳という概念自体が成り立つ基盤を失う、と言えるでしょう。

さて、その研究は、参考文献にも挙げられている事から、森昭雄・大友英一 『脳波による痴呆の解析』、という論文(参照⇒CiNii - 脳波による痴呆の解析  学会誌 Vol.3 No.1|認知神経科学会)を指しているものと思われます。先日頂いた、ちがやまるさんのコメントによる情報(私は原著未読)と照らしてみると、間違い無いでしょう。

その研究では結局、被験者である痴呆者の(β波/α波)値は、健常者の安静時の値に近く、長谷川式のスコアとの間に高い相関関係(ちがやまるさんによると、相関係数:0.995)が見られた、という事です。当然、これだけでは、β波/α波の値によって、痴呆者が判定出来る、などとは言えない訳です。痴呆者に特異的に現れるパターンで無ければ、それ以外と区別を付けられないのは明らかですし、現に、「健常者の安静時」にも同じようなパターンになる、と、森氏自身が言っているのです。にも拘らず、「α波とβ波が重なると痴呆」とするのは、誤謬であると言えるでしょう。仮に、痴呆者の多くが、「α波とβ波が重なるパターンを示す」としても、それは、「α波とβ波が重なれば痴呆である」、というのを意味しないのは、至極当然の話です。

次節からは、本章の論を踏まえて、「ゲーム脳」論が開陳されていく訳ですが、本章における論証が、これほど脆弱なのですから、本来、この時点で、科学的には信頼に値しない、と言っても構わないであろうと思います。

森氏の論は、「痴呆者の多くに、ある脳波のパターンが見られた」→「痴呆者を、脳波によって判定する事が出来る」→「ゲームをやっている人は、痴呆者と同様の脳波のパターンを示す」→「ゲームをやっている人は、痴呆者と同様の心理状態を呈する。また、前頭前野の機能が低下している」  と、このように、完全に捩れてしまっているのです。人間が、様々な活動をしながら生活している存在である事を考えれば、仮に、ゲームをやっている最中に一定の脳波のパターンが見られるとしても(これは、森氏自身が反証している。次回以降を参照の事)、それが生活全般に亘ってみられるとは言えませんし、更には、その脳波が認知機能を正確に反映している、という前提すら、全く根拠不充分なのです。

次章からは、いよいよ、ゲーム中の脳波の分析に入っていき、「ゲーム脳」が(学術的には不充分に)「定義」されます。

次回へ続く。

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2008年3月 1日 (土)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(3)

前頭前野の機能低下

この節は、「キレる」という事に関して言及されています。まず、「私の知人である都内某所の痴呆専門病院院長が、最近キレてしまうことが多い高齢者が急増していると話していました。」(P23)と、知人の医師(この「知人」について、この方ではないか、という心当たりがあるが、断定出来るだけの情報は、本書には載っていない)の話から、高齢者の「キレる」例が増えていると言い、次に、福島章氏の著書(『子どもの脳が危ない』)から引用し、殺人者の脳の糖代謝(前頭葉内部の)が低下していたのを見出した研究、また、脳画像に異常が認められたという研究を紹介しています。

そして次に、「前頭前野の機能低下と思われる身近な例」(P25)を挙げます。これは、大変重要な箇所なので、引用します。

 前頭前野の機能低下と思われる身近な例も挙げてみましょう。たとえば、人目を気にせず電車内で化粧をしている人、公衆の面前で抱き合っているカップルなど。人間らしさを表現する場所である前頭前野が働かず、理性、道徳心、羞恥心、こんなことをしたら周囲がどう思うだろうということを、考えられなくなってしまっているのです。

 公共の場である電車のなかでパンを食べたり、水を飲んだりしているのも同じことです。まわりの人を不愉快にさせるのではないか、といった他人を想う気持ちや、がまんするという抑制心がなくなっているのです。(P25・26)

そしてこの後、電車の出入り口(電車の扉の事か?)に座り込む若者の例を出し、「脳の問題なのです。」(P26)と言い切っています。

さて、森氏はここで、いわゆる「マナー」の問題を採り上げ、それがなっていないのは、「脳(前頭前野)の機能低下」によるものだ、と言っている訳です。そして、道徳心や羞恥心等が無くなってしまっている、と論を進めます。

しかし、これが極めて飛躍した論理である事は、明らかです。まず、いわゆるマナーは、そもそもは、社会科学的な観点で考察されるべき問題です。電車内で化粧をするべきでは無い、物を飲食してはならない、というのは、社会的に決められた事であって、それ自体が客観的なものでは無い訳です。たとえばこれは、記号論や文化人類学の入門書等に載っている、ごく初歩的な事ですが、「あいさつ」という機能を担うものとして、「手と手を握り合う」、「頭を下げる」、「頬と頬を合わせる」等の、様々なパターンの行動が、各文化ごとの価値体系の中に、組み込まれているのです。

道徳心、羞恥心等というものは、社会的価値体系から離れて論ずる事は出来ないのですから、それを詳細に考える事無しに、即「脳機能の低下」に原因を求めるのは、飛躍です。「公衆の面前で抱き合っているカップル」が仮に増えているとして、最も妥当な解釈としては、「他文化についての情報が流布し、それが受け容れられた結果」、というものでしょう。

また、「脳機能が低下した結果、問題行動を起こした」人間がいるとして、「問題行動を起こしたのは、脳機能が低下しているからだ」、とならないのは、論理的に当然の事です。森氏は、意図的か否かは判りませんが、このような、非常にまずい論理展開を行っているのです。

睡眠不足の子どもたち

この節では、近年の子どもの睡眠時間が減っている事が、NHKの調査等を引きながら、紹介されています。また、別の調査による、テレビゲームをやる回数についての割合のデータも載っています(「ほぼ毎日」~「今まで1度もやったことがない」の6つのカテゴリー)。

この節での森氏の文を、いくつか引用してみましょう。

 (引用者註:この文の直前に、東京都立川市の調査による、夜遅くに寝る児童・生徒の割合が多い事を指摘) 睡眠不足ぎみの子どもがたくさんいることになります。もしもテレビゲーム中毒になってしまうと、朝の三時ぐらいまですることにもなりかねません。とくに次の日が休みとなると、夜更かししてしまい、大学生ぐらいになると友達といっしょに徹夜ということもあるでしょう。(P27・28)

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テレビゲームばかりで育った子は10年後、20年後には、体も弱く、まわりの人に気配りできない大人になってしまうでしょう。(P28)

一番目に引用した文章、これは、明らかにおかしな論理です。睡眠不足の子どもがいる事が、即「ゲーム中毒」の子どもが多い、という事を意味する訳ではありません(ここでの中毒という概念が曖昧だが、恐らく、前頭前野の機能が低下し、「止められない状態」になった、という意味合いだと思われる)。もちろん、「睡眠時間」をどれくらい取るべきか、というのも別の問題ですから、以前より平均睡眠時間が減ったとしても、それだけでは、その事が良いとか悪いとかは、言えない訳ですね。そして最後に、大学生の話が出てきます。一般に、何かに没頭して徹夜する、などという事は、あるのですから、それを「ゲーム」に限定する必要はありません。尤も、それらが「ゲームのせい」であるのを示すために本書が書かれている、とも言えるのですが。

二番目の文章。これもおかしい。テレビゲームばかりやるというのは、「運動をしない」等の、身体機能を低下せしめる習慣を持つ、というのを、必ずしも意味しません。また、「気配りできない大人」になる、というのも、飛躍です。

そして、森氏は最後に、上で表明した懸念が、ゲーム機器がある国に共通する問題である事を仄めかし(「理性的にものを考える、冷静になるという能力が世界中で低下してしまったら、その結果はどうなるのでしょうか。」(P28) )、更に、「脳研究者として警告します。」(P28)と結びます。

次回へ続く

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2008年2月27日 (水)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(2)

1章 ゲーム中の驚くべき脳波の変化

社会が注目するテレビゲームの影響

冒頭、校内暴力の急増がマスメディアによって報道されている事が紹介され、

 「キレる」とか「むかつく」という言葉に象徴されるように、子どもの自己抑制力やコミュニケーション能力の欠如が、改めて浮き彫りになっています。ちょっと注意をされても言葉で反応するのではなく、カッとなっていきなり暴力を振るってしまうというような、状況を冷静に判断できない行動は大きな問題です。(P18)

と、いわゆる「キレる」、「むかつく」という状態への懸念が示されています。そして、その原因として、「親の価値観や躾」(P18)が言われている事等を指摘し、また、テレビゲームとの関係について採り上げられるようになった事も指摘します。いわく、

 その一方で、テレビゲームとの関係も取り上げられるようになっています。虚構の世界に没入することで、現実との区別がつかなくなっているのではないか、あるいは、ゲームの暴力行為に加わることで、攻撃的な性格が形成されていくのではないかなどの指摘がされています。(P19)

そして、その直後に、あるゲームを30時間(「約二日」)でクリアした大学生のエピソードを出しています。その大学生の感想として、疲労感を覚えた事、画像が鮮明である事、恐怖を感じた事、が紹介されています。ちなみに、このゲームの説明は、「最近発売された、ホラー映画のような恐怖を感じさせるテレビゲームで、敵にみつからないようにいろいろな部屋に進入して武器を獲得し、相手を殺しながら勝ち進んでいくというものがあります。」(P19) というものです。タイトルは書かれていないので、断定は出来ませんが、説明文から推測するに、『バイオハザード』を代表とする、ホラー系のアクションアドベンチャー(サバイバルホラー。参照:サバイバルホラー - Wikipedia)を示しているものと思われます。

ここから森氏は、そのようなゲームが、「暗い夜道などを歩くと凶悪な殺人者が出てくるのではないかと錯覚させてしまいそうな要素を十分もっていると思われます。虚構と現実の世界が重なってしまう例でしょう」(P19)と主張し、もしテレビゲームの長期使用が「キレる」事の要因であれば社会的に問題である事、そして、ゲームが問題であるという意見のほとんどについて、「科学的に裏付けのない憶測にすぎません」(P19)、と、当時のゲーム研究の評価を行っています。(ゲームの好影響を主張している人がいる事も紹介)

さて、上に挙げた、森氏による大学生の事例、二日で30時間プレイしたという、極端な例であり、疲労感を覚えるのは、当然の事であると考えられます。十数時間一つのものに取り組めば、疲労するのは当たり前ですし、更に、恐怖感を覚えるというのは、そもそも、当該ソフトがサバイバルホラーである事から、これも当然であると言えるでしょう。ゲームに明るく無い方のために、映画でたとえると、ホラー映画を5本連続で観た人に感想を聞いて、疲れた、恐怖を覚えた、と言われたのを元にして、「虚構と現実の世界が重なってしまう例」、と主張しているようなものな訳です。

ゲーム中の脳波は痴呆と同じ

まず森氏は、

 私たちは、テレビゲームをしている人の脳波が変化することを発見しました。その変化は劇的で、驚くほどはっきりしていて、データをみるとひと目でわかるほどです。(P20)

と言い、自身の経歴を紹介しています。そして、自身の研究によって、痴呆(表現は、著書に従います。文脈によっては、認知症とします)を判定出来る機器および方法を開発した、と主張します。その方法とは、「おでこに相当する前頭前野領域の頭皮上から記録されるα波とβ波の比を求めることで、約八五パーセント判定できる」(P21)というものです。

次に、森氏が、テレビゲームをしている子どもの脳波を調べようと思い至った動機が、書かれています。森氏によると、脳波を計測する機器の製作過程で、「機器の調子をみるため実験的にソフトウェアを開発していた人たち八人の脳波を記録」(P21)した所、全員が、「痴呆者と同じ脳波を示した」(P21)という事があり、そこから、何故そのようなデータが取得されたかを推測します。

 どうしてこのようなデータになったのか考えてみました。ソフトウェア開発者は、視覚情報が強く、前頭前野が働くのは勤務時間内でもほんの一瞬で、ずっと使い続けているわけではありません。開発といっても設計図を描くわけではなく、画面をみてつくっていく仕事です。朝九時に席に座り、夕方五時までずっと画面をみています。ひらめいたり、集中しているのはわずかな時間で、ただ画面をみている時間のほうが圧倒的に長いのです。(P21・22)

森氏はこのように論理を展開し、更に、開発者達が一日に会話をほとんどしない事を挙げ、前頭前野の機能低下が、画面に向かっている時間が長いからではないか、と、推測を進めます。そして、この事をきっかけにし、「視覚を中心としたテレビゲームでは前頭前野の働きがどうなっているのか、たいへん興味をもった」(P22)と、テレビゲーム中の人の脳活動を計測するに至った経緯を紹介しています。

ここからは、実際にテレビゲームを行っている人の脳波についての説明に移ります。テレビゲームを長期間行っている人の脳波が「重い痴呆の人の脳波にたいへん類似」(P22)しており、α波とβ波のレベルが完全に重なり、ついには(更に深刻になれば)β波がほとんど出現しなくなる、と言います。

この節でのポイントは、森氏が開発したと称する機器によって、ソフトウェア開発者の脳波が計測され、それが痴呆者と同様であった、と主張されている所でしょう。まず、森氏の開発した機器および方法がどれほど妥当か(一般的には、認知症は、精神医学的、心理学的診断や身体的な診断を総合的に用いて、診断していくものだろうと思います)、仮に、痴呆者の脳波のパターンに、ある共通性が見られるとしても、論理的には、同様のパターンの脳波が見出された場合に、必ずしもその人が痴呆であるとは言えない、という所は、押さえておくべきでしょう。

次節からは、実際にゲームを行っている人を計測したデータが紹介されます。

次回へ続く

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2008年2月26日 (火)

『ゲーム脳の恐怖』を読む(1)

先日お知らせしましたが、森昭雄氏の著作、『ゲーム脳の恐怖』の内容を検討するシリーズを、始めます。不定期の連載になると思います。

今更? と思われる方もおられるでしょうけれど、ゲーム脳説は、現在ある程度流布されており、森氏の講演会や、ゲーム脳をテーマにしたイベント等も、たびたび行われています。そういう状況を鑑みれば、森氏が著作で何を主張したか、というのを検討するのは、決して意味の無い作業では無いと考えます。

カテゴリーとして、「『ゲーム脳の恐怖』を読む」を追加します。

引用文は、特に断らない限りは、森昭雄 『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)からのものです。

強調部分は、引用書の見出しを示します。

------------

前書き

まず、ファミコンの誕生、いくつかの有名ソフトの紹介および、ゲームハードの出現の大まかな歴史を、紹介しています。その後に、ゲームの悪影響についての指摘がある事を紹介し、木村文香氏の論考を引用し、テレビゲームの真似をして傷害事件が起こった例を挙げています。

次に、森氏が、幕張メッセで行われたイベントに行き、そこで見たコスプレをした少女にショックを受けたエピソードが、紹介されています。

 昨年、幕張メッセで開催されたテレビゲームショーに行くチャンスがあり、見学してきました。その会場の異様な雰囲気に私は驚き、ショックを受けてしまいました。というのも、中学生風の女の子が、左右に立派な白い羽をつけたエンジェルの格好をして、真面目な顔で歩いているのです。しかし、会場をよく見回してみると、テレビゲームのなかに出てくるキャラクターそっくりの衣装に身を包み、無表情で歩いている小中高生が、彼女のほかにも百人前後いることに気がつき、再度ショックを受けました。(P4・5)

この引用文から、森氏が、恐らくコスプレという文化に無知である事が、窺えます。更に、印象として、「異様な雰囲気」、「無表情で歩いている」、等の表現を用いています。この後森氏は、その印象を元に、将来の日本についての危機感を表明しています。

 このとき、私はこの子たちの将来、そして日本の未来はどうなってしまうのだろうかと心配になってしまいました。本当に自分が別世界に来たみたいで、自分の意識を一瞬疑ってしまいました。(P5)

この文章から、森氏が、自身の知らない文化について、その内容を調べようともせず、「印象」のみをもって評価し、その印象を不当に一般化しているのが、見て取れます。

さて、森氏はこの後、自身の研究によって脳波が容易に記録出来るようになり、その方法によって、テレビゲームや携帯ゲーム中の前頭前野の活動を調べた結果を纏めた、と主張します。そして、その結果から、

驚くことに、テレビゲームのなかには前頭前野の脳活動をあきらかに劇的に低下させるものが多いことがわかったのです。このままこれを放置していると、テレビゲームに熱中しすぎる子どもたちは、キレやすく、注意散漫で、創造性を養えないまま大人になってしまうと思われます。さらに若年性痴呆症状態を加速する可能性が高くなるのではないかと危惧しています。(P6)

こう結論しています。ここで注目すべきなのは、キレやすい、注意散漫、創造性を養えない、という心理学的な悪影響および、「若年性痴呆症状態を加速」するという、医学的悪影響が、明確に主張されている所です。

この後には、IT革命による、「子どもたちの限りない潜在脳(ママ)力を削ぎとっている可能性」(P6)への懸念を表明し、五感を駆使し、人と触れ合う事の大切さを主張します。そして、飼育していたカブトムシが死んでしまい、親に、「電池を交換すればいい」と言う子どもの例(森氏の友人の話として紹介)が挙げられ、「この話に私は非常に強い衝撃を受けましたが、子どもの脳に異変が生じていることは現実なのです」(P7)としています。当然、生き物が死んだのを見て電池を交換すれば良いと発言する事は、脳の状態について推測する材料には、特にならない訳ですが、森氏はそこも、強引に結び付けています。

次回へ続く

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