文系ならば非定量的
などという馬鹿げた考えを持っている人は、今すぐにでも改められますよう。
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せいぜい、研究対象の大まかな分類に使う(人文・社会・自然 の分類に似たように)、あるいはそれに関連して、高校の学科の分類を示す、程度に留めておくべきでしょう(でも、商業系や工業系や情報処理系はどう分類する?)。
そこから一般化して、「文系/理系 それぞれに属する者が一般的に持っている思考の傾向がある」といったような判断は安易に行うべきでは無いでしょう。例:「文系は論理的思考力に欠けている。」 「理系は頭がカタく融通が利かない。」
もし、理系文系それぞれの一般的な傾向を本気で主張したいのならば、「調べる」必要があるでしょう。主に社会心理学的に。○○に属する人間の□□%くらいの割合の者は△△だ、といった具合に。そういう証拠を提示する準備はありますか? もしそういう証拠の提示が必要無く主張出来る、と言うならば、その理由は提示出来ますか?
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いでよ広辞苑第五版! そして願いを叶え給え!!
【文系】 文科に属する系統。
【文科】 (1)人文科学・社会科学に関する分野。また、大学などでもっぱらその分野を修める学部・学科。「―系」 (2)文学部。文学科。
【人文科学】 (human sciences)政治・経済・社会・歴史・文芸など、広く文科系の学問の総称。狭義には、自然科学・社会科学に対して、哲学・言語・文芸・歴史などに関する学問の称。文化科学。
【理系】 理科の系統。理・工・農・医・薬などの学部を指す。
【理科】 (1)学校教育で、自然界の事物および現象を学ぶ教科。(2)自然科学の学問。また、大学などでそれを専攻する部門。理学部・工学部・農学部などの総称。また特に、理学部。「―系」
※引用元:『広辞苑』第五版 一部省略
Interdisciplinary: 「科学」でも纏めたけれど、基本的、「文字通り」的には、研究の対象によって分類される、という事でしょうね。
さて、日常的な使われ方について。
学校教育の印象が、強く残るのかも知れません。理系を象徴するものとしての、数学や自然科学。記号を操り、手順をきちんとして進めていく学問。「文系」は、「それ以外」と看做されるのかな(理系の補集合、的な)。「理系で無い」、という意味合いで使うと言うか。数学や記号を操るという所が、「理詰め」、「論理的」、「厳密にものを考える」、と印象付ける、のか。あるいは、「文系」というのが、たとえば「文学」を想起させ、更にそれが、「直感」や「感情」を思い起こさせ、「論理」と排他的な関係にある、と思わせるのかな。これ(社会による言葉の用いられ方)自体は、社会科学的な対象でしょうか。
端的に、「数学が使えない」、「数学を勉強してこなかった」、という意味で、「文系」が用いられる事もある気がする。カリキュラムの影響かな。理系と文系の高校では、やる事全然違いますしね。ちなみに、私は高校時代、微積分すらやりませんでした。あり得んですよ。
なんでしょうね。理系はクローズアップしやすいが、文系はそうでも無い、と言うか、「学問」とは看做されにくい、と言うか。理系と言われれば、数学や物理や化学や生物やらがすぐに浮かんで、「記号や公式やらを憶えさせられた」経験が想起されるのかな。で、文系は、「それ以外」。
そして、論理的にものを考えていく文章なりを目の当たりにして、それについていけない人が、言い訳等の言い回しとして、「自分は文系だから…」的な言葉を出す、という。文系/理系が、「それまでに学んできた分野」を表す言葉として用いられるなら全然構わないけれど(私は、基本的にそう使う)、「言い訳」として用いられてしまう事が、あるのでしょうね。
哲学とか言語学とか、高校までにはほとんどやりませんしね。普通科以外だと、倫理すら無いし。文系学問をある程度突き詰める機会が少なくて、しかも、理系が理詰め(理という字が入ってるし)である事の解りやすさが相俟って、「文系」という言葉の意味内容が、構成されたのかな。
後、「定量的」、あるいは「計量的」に考えるのが、ポイントかも。厳密に測定し、それを記録して、得られたデータを操作していく、という過程が、厳密さや「曖昧さの排除」を、強く印象付ける、と言うか。で、「理系」にそういう印象を持って、「非・理系」である所の「文系」を、理系の持つ特性「を持たない」分野と認識してしまう、と。
うむ、まことに取りとめの無い文章。dlitさんのエントリーとコメント欄を読むと、文系:非・理系と考える方は、やはりいらっしゃいますね。
「科学」を、現象の仕組みの構造を解き明かす知的営為だと捉えれば、理系にしろ文系にしろ、共通する部分は多いでしょう。違いは、「何を」知りたいか、という事と、道具立ての異なり、等でしょうね。
私をインスパイヤしてくれた方々⇒理系文系論メモ:文系としてのアイデンティティ - 思索の海 So-net blog:王様は裸だ!Annex:文系・理系の分類基準
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凄くどうでもいいんだけど、ふと思った事。
私の文章は、「文系」、「理系」、どっち側の文に見えるんだろうか。
いや、やっぱり、人文系の分野に興味を持ったか、それとも理科系を好んでいたか、という部分が、文の書き方に反映される、という考えは、誰でも持ってると思うんですよね。あるいは、もっとメタに、「この文は、他人に○○系を思い起こさせるだろう」、とか。
もちろん、文中に、文学作品のタイトルが多く出るとか、自然科学系の学者の名前を頻繁に出す、とか、そういう所でも、「ん、この人は○○系かな?」と思わせたり。
そういうので、文系/理系を装う、と言うか、「それっぽく見せる」のも、可能な気がしますね。
ええ。もちろん、だからどうした、という話です。
2008年2月2日追記:コメント欄で、小説等の作品について、やり取りがあります。ストーリーの大まかな所が紹介されていたりするので、作家名をご覧になり、作品を未読の方は、ご注意下さい。
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トラックバックの質問には一部答えようと考えたが、答える前に、内輪ですでに答えをだしているのである。答えは、これすべて、自己のうちにあるのである。
む。これは、私の質問の事なのでしょうか。私が問うた質問については、自分の所では、特に答えを出した憶えは無いので、違う話なのかな? 答えなど、出しようも無いし。まさか、「推測」について、「答えを出した」、などと仰っている訳でも無いでしょうし。poohさんが、「ブーメラン」という喩えを用いられましたね。論宅さんは、そこをちゃんと考えてみた方が、よろしいですね。
それにしても、どこまでも、ご自身に都合良く、論理を展開なさいますね。
私も含めてニセ科学批判批判をする人たちは、よく見れば孤立化しバラバラなような気がする。
この事実を整合的に説明出来る理由は、他にも考えられるでしょうに。
それで、私の質問には、答えては下さらないのかな。もしかしたら答えてくれるかも、と、お待ちしているのですが。
ちなみに、論宅さんが疑似科学批判者を批判なさった動機については、よく解りません。Kumicitさんの分析が当たっているかも、知りようがありません。ですが、その後の、ニセ科学批判者を批判する言説が、全く論になっていないのは、周知の事実です。具体的な事を、全く書いておられないのですからね。
それと、コメントに、論外の事を書いている方が、おられますね。ニセ科学論から、飛躍している。
左巻さんがおかしな事を書いた、というのであれば、そこを、科学的論理的に批判すれば、よろしいのですよ。※ちなみに、私は、書かれている事について、どれほど妥当かは、解りません。しかし、明らかに、左巻さんに対するかなり強い批判ですので、事情をご存知の方は、なんらかのフォローをした方が良いかも知れません。
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論理的な考えが身に着いていない、とか、それを好まない、とか、あまりものを考えない、という言い方がありますね(場合によっては、そうなった、と言われる)。
私としては、そういう事は無いんじゃないかなあ、なんて思っています。
ストーリーの複雑な物語とか、頭の体操的なパズルみたいな、いわゆる「頭を使う」ものは、それなりに、一定の人気があるんじゃないかなあ、と。コナン観て犯人を当てようとする、とか。
で、私が考えているのは、ムツカシイ事を考えるのが嫌いなんじゃなくて、「記号」が嫌いなのでは? という事ですね。
きっかけとしては、やはり、学校の授業や試験勉強かな、と。
公式なり記号なりが何を意味するかを充分咀嚼しないまま、取り敢えず型を憶えて使う。それは、内容をおざなりにして、表面をなぞるだけなので、身に着かない訳ですね。当然、「面白さ」なんて、皆無です。
興味無い人にとっては単なる意味不明な記号の羅列であっても、実際には奥深いものなのですよね。先人達の叡智の結晶。
本当は、そういうものを暗記するなんて、無意味とは言わないけれど(「試験に役立つ」とか、「後で勉強しようと思い立った時に、記憶に残っていると若干便利」、等の意味があるから)、かなりの程度、無駄な作業ですね。
じゃあ、どうすれば良いか、というと、その意味とか面白さを気付かせればいい、という事なのでしょうけれど、それを出来る人が、どれだけいるだろうか、と。先生も大変でしょうしね。
記号を嫌う教育をしてるんじゃないか、なんて感じるのは、さすがに考え過ぎかな。
毛嫌い、なんですよね。俗に言う「アレルギー」。何の役に立っているかがさっぱり解らず、しかも、それを解るためには、何らかのきっかけで、勉強してみよう、と思わなければならない。で、そんなきっかけなんて、滅多におとずれない訳で。
こういう時に、マスメディアが力を発揮するといいんですけどね。NHK教育なんかでは、いい番組とかありますね。後、たけしさんの数学の番組なんかも(ちゃんと見た事無いけど…)。そういうのが増えていけば、良い意味でのメディアの影響を、与えられるのではないですかね。マスメディアのエンターテイメントを付加する力は、やっぱり凄いものがありますからね。
あ、この間、インド式計算の本を、ちょっとめくってみました。
あれって、普通の計算ですよね。むしろ、あれが、一つのメソッド的なものとして捉えられている事に、びっくりしました。尤も、ちらっと見ただけなので、ちゃんと解ってないのかも知れませんけれど。
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もっと言うと、「数学における記号が嫌い」、なのかも。
先入観とか、周りの人の意見とか(別に数学が出来なくても云々、とか)から、それを毛嫌いするのかな。で、それを一般化して、なんだかよく解らない記号っぽいもの全般を嫌いになる。
私は、小学4年だか5年だかの頃に、BASICを始めて、100%独学で、ちょっとしたプログラミングは出来るようになりました。そんな事、小学生でも簡単に出来る訳ですね。興味を持てば(言うまでも無いかもですが、動機は、「ゲームを作りたい」、というものでした)。
でも、数学は、もう、全く嫌いでしたね。まさに、「何の役にも立たないだろう」、という中二病的認識で。
プログラミングと、論理や数学って、本質的に繋がっているのですよね。なのに、プログラムは凄まじく面白かったけど、数学の教科となると嫌いでした。上手くいけば、プログラミングをきっかけにして数学にも興味を持つ、という方向にいけたのかも知れませんが、残念ながら、そうはならなかったんですねえ。
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ふと思った。
私、文系なのか、理系なのか、どっち?
結論。
そんなもん、どっちでもいいよね。わざわざ自分は「何系」なんて、決める必要無い。
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poohさんの所にも、似た様な事を書きましたが。
理系白書ブログでの、元村氏に対する批判。私は、穏当な部類だと思っているのですよね。
と言うかですね。柘植さんやJosephYoikoさんや、他の、高い知性と幅広い知識を持った専門家の方々が、「わざわざ」忠告している訳です。JosephYoikoさんのコメントなんかは、確かに超辛口ですが、単なる誹謗とは、全然違いますからね。必ず論理的な批判が含まれている。これって実は、かなり「ありがたい」事だと思うのです。おかしな所とかを、チェックしてくれているのですから。あちらのコメントを見ると、元村さんが誹謗中傷を受けている、みたいに捉えている方も、おられる様です。
元村さんは、批判に対して異論があれば、反論すれば良い、と思うのですよ。そうじゃなくて、いつも、はぐらかす様な書き方や、無理に一般論に持っていこうとなさるのは、如何なものかと感じるのです。
男社会で第一線で活躍中の”おんな”に対する”できないおとこ”の嫉妬、やっかみ、いじめ、の形を変えたものでは?・・・・・はうがちすぎでしょうか(3月6日 14:05の、遅れ痴さんのコメント)
こんな考え方をするんですねえ…。こういう、いかにも「無意識」を問う様な物言いは、ダメダメです(柘植さんのレスの様に答えざるを得ないので)。
※「忠告してるんだから感謝すべきだ」、と言っている訳ではありません。
※元村氏への批判というより、理系白書ブログに寄せられるコメントの一部を読んで、思ったりした事を、書きました。
※これは、理系白書ブログの最新のエントリー(「再び大阪」)を読む前に、書いたものです。
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↑何ちゅうタイトルだ…。
みお線各駅停車(『特に40歳を過ぎた方にはがん検診をおすすめします!!』)
偶然見つけたのですが、何か、読み易くて、凄くしっかりした文章を書くなあ、と思ったのでした。
…白状します。23歳という年齢と、「アイドル」だというバイアスが、かかっていたと思います。ぶっちゃけ、「アイドルと言われる人が、こういう文章を書くなんて、ちょっと意外」と考えました。芸能人は、相対的に勉強する時間が少ないという、勝手な思い込みが、ちょこっとあったのでしょうね(ちょっと、です)。いかんいかん。反省。でもあれですね。「アイドル」って、時には、若干ネガティブな意味で用いられる場合がありますね。で、そういうバイアスを排除しても、良い文章だと思います。
それと、後半の、「★おじいちゃんへのラブレター」を読んで、身につまされたのでした。
「芸能・アイドル」カテゴリーに入れたのは、ご愛嬌です(笑)
よく解りませんが、ブレイクするんじゃないですかね。『SUPER SOCCER』のレギュラーにもなってますし。
頑張れ! そして、「理系」を前面に出してくれ!(結局それか)
中学・高校時代に、数学の勉強をサボり(しかも理由が、「こんなもの、役に立つか!」だったりします。余りに典型的です…)、高校を卒業してしばらくしてから、数学の重要さを認識する、という事があります。人文・社会科学でも、数学的知識は必要です。経済学は言わずもがなですが、心理学や社会学でも、確率・統計(勿論、それ以外も)の考えは必須ですし、領域横断的な分野では、そもそも文系・理系両方の知識が必要です。その事を悟って、後悔するのです。「もっと、ちゃんとやっとけば良かった…。」と。でも、嘆いてもしょうがありませんから、一念発起して、独習しようとすると、これがまたややこしい。高校三年間で、微積分すらやってない人間にとっては、数式の羅列が、宇宙語にしか見えないのです。大学の教材レベルの「微積分入門」という類の本を繙いても、二次関数すら忘却の彼方にある人間には、読める筈もない内容だったりします。そして、「どこが入門なんだ!」と言って投げ出すのです。その後は、「わかりやすい」テキストを探す旅に出るのです。果てには、「参考書コレクター」の誕生、という訳です(笑)
とまあ、こんな感じで、数学の勉強を続けていますが、やっぱり、中・高でやっておくに越した事は無いと思います。しかし、今の中・高生に、「後々役に立つからやっておいた方が良いよ。」とはなかなか言えません。後で役に立つから、と諭されたって、やる気になる訳がありません。経験者語る、です(笑)でも、後から、特に自然科学に興味を持ったら、数学は絶対必要ですからね。悩ましい所です。一番好ましいのは、数学そのものの面白さに目覚めさせる、いかに役に立つかを実感させる、という事でしょうけれど。具体的・実践的課題と結び付けて学習させる、というのは一つの方法ですね。プログラミングに興味を持って独学し、数学的・論理学的知識を身に着ける、という事もありますし。これは、学習科学的なテーマですね。
一般に使われる「文系」って、「数学が不得手である。又は、数学に苦手意識がある」、という意味じゃないかなあ、と思ったり。
今回の内容、まるで我が事の様に同意して下さる方も、結構いらっしゃるのではないかと思っています(笑)
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