色々説明
「血液型性格診断」に科学的根拠がないことは、すでに心理学の実験で証明されている」
ホントか?ソース出せよ。
→正確には、「心理学の実験で証明」、では無い(普通は、質問紙調査を「実験」とは言わない)。血液型性格判断は、大規模な社会心理学的研究などにより、反証されている。ソースは、大規模な研究では、松井や山崎・坂元 等。その他、多くの小規模な研究がある。参考資料⇒■(シリーズ)「血液型と性格」論文レビューをするにあたって|ほたるいかの書きつけ ■(シリーズ)忘却からの帰還: "Blood type and personality" に手を出したことがある研究者(1) Cattell ~ 忘却からの帰還: "Blood type and personality" に言及したことがある研究者 (4) Kosaku Yoshino
「性格」なんてものが科学で定量的に扱えるわけないだろ。
→それは性格心理学そのものの否定。質問紙調査等により性格特性を把握する事をも否定する。その立場自体はあって良いが、「仮に性格が科学的定量的に研究出来なくとも」、それは、「ニセ科学という評価が出来なくなる」条件では無い。
こんなものを科学的に反証できると考えている人間こそニセ科学の側だ。
→性格心理学や社会心理学のパラダイムに則れば、科学的に反証出来る。仮に、上の理由により、性格を定量化出来ず、従って反証出来なくとも、それは、「ニセ科学という評価が出来なくなる」条件では無い。
「血液型は単に抗原の違いを示しているに過ぎないのだから、性格とは何の関係もない」って批判は意味がない。
→それは、血液型性格判断に対する筋の悪い批判なので、そのような想定はあまり意味が無い。
そもそも科学でないことを「ニセ科学」だとか「科学的根拠がない」とか言い出すのを止めろと。
→科学で無いとして、それを「科学的根拠が無い」と評価するのは、全くおかしく無い。そして「ニセ科学」は、科学的根拠が無いにも拘らず、それが成り立っているかのように主張もしくは認識されるものである。
頭の悪い人はAが「科学的に」否定されてると思っちゃうから、警戒しないと。
→血液型性格判断は、心理学的に反証されている。繰り返し研究され、その結果強い関連が見出されなければ、反証されたと見て構わない。ごく慎重な態度を採り、それでも反証なされていない、と主張しても良いが、それは、「ニセ科学という評価が出来なくなる」条件では無い。
仮に、今までの全ての心理学における、血液型―性格 関連説の研究に不備があったとして、数十年後にそれが明らかになり、「実は血液型と性格に強い連関があった」事が解った、とする。その場合でも、「現在における、血液型性格判断を”ニセ科学”とする評価」は変わらない。確かめられていないにも拘らず、「確かめたかのように」主張してはならない。
血液型性格判断の否定と、「血液型と性格に関係が無い」、という論は必ずしも同じでは無い(文脈にもよる)。
20年前は加熱した牛からヤコブ病が感染する「科学的根拠はない」、
30年前は注射器の使い回しで病気が感染する「科学的根拠はない」って言ってましたよ。
→「科学的根拠は無い」、と、「科学的に考えてあり得ない」、は別である。現象が実証的に確認されていないなら、それは一般に「科学的根拠は無い」、と評価される。そしてそれは、必ずしも、「これまでの科学の体系から見て、原理的に成り立たない」というのを意味しない。現象が確認されていないのに「確認された」と言えば、それは批判される。「仮に成り立っているとしても」、である。成り立っている事と、それが「確かめられる」事は同じでは無い。
血液型性格判断がニセ科学だなんてニセ科学だぜ
→この文は、血液型性格判断をニセ科学と評価する事そのものが「ニセ科学」だと言っている。という事は、ニセ科学という概念を理解した上で、それに当てはまると考えた、のを意味する。では、ニセ科学概念の意味を説明出来るはずである。単なる揶揄で、特に深く考えずに使ったので無ければ。
<追記>こちらもどうぞ⇒血液型性格判断・ニセ科学・差別、あるいは「科学」と「価値」|ほたるいかの書きつけ<追記終わり>
資料
リンク集:
- 批判的思考のための「血液型性格判断」(PDF)
- 人類学よりみたる血液型と性格(PDF)
書籍(私が未読のもの含む):
不思議現象 なぜ信じるのか―こころの科学入門 著者:菊池 聡,宮元 博章,谷口 高士 |
「モード性格」論―心理学のかしこい使い方 著者:サトウ タツヤ,渡邊 芳之 |
心理学 (図解雑学) 著者:大村 政男 |
血液型と性格 著者:大村 政男 |
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