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2011年12月12日 (月)

主観、主観、ただ主観

【からだ こころ いのち】再生の時代 幼児体型の大人が増加(1/2ページ) - MSN産経west

なぜ月刊『秘伝』の記事が産経に?と思わずにはいられない内容。

述べられているのは、主観的印象に基づいた独自の身体観と社会観。そこに科学的な根拠らしきものは全く示されていない。「野口晴哉( (野口)整体の創始者)」の名と野口の論の紹介はあるが、私の知る限り、野口は自らの施術の経験に基づいて独自の体系を創出したが、その体系の有効さやメカニズムがバイオメカニクスや整形外科学や運動生理学等によって実証的に支持された、という話は聞かない。

この論を開陳している方のプロフィールを見ると、どうやら社会学系の教員のようである⇒プロフィール :: 研究業績・活動履歴(論文・学会発表・著書(主なもの)) || 平山身体文化研究室
業績を見るに、なかなか興味深いタイトルが踊っているが、どうやら体育学やバイオメカニクス系の論文は無いようだ(CiNiiでも社会学系のものが数件しかヒットしない)。

体型というものが、認知のあり方や行動の傾向と関連する事は、理論的には充分に有り得る。たとえば、筋肉や脂肪の量や身体各部への分布などが運動のありようと関わり、それが生理学的に意味のある違いとなり、さらに心理学的な状態と関係する、というものであったり、いわゆるジェンダーステレオタイプなどが、体型と人格的な部分を結びつけるような社会的認知を形成する可能性もある。「メカニズムとして一応想定は可能」というレベルでは。
それを仮説として提示し、実証的に研究していくのは科学的に重要だし意義のある事だろう。しかしながら、「印象」などという極めて主観的なものに基づいて論を展開し、あまつさえ、身体的特徴に「あるべき方向」のようなものを設定し、「体型の正常な発達段階」のようなものを想定する。更にはその事と、「特定の文化を嗜好」する事とを結びつけ、当該文化領域を、正常な発達を妨げるものとして批難する、というのは、いささか慎重さに欠けるのでは無いだろうか。
苟も学者と標榜するのならば、新聞記事であり論文で無いとは言え、○○の研究によれば――とか、△△学で解っている所では――という風に、持説を支持する知見についての情報を示すのが筋だと思うのだが、いかがだろう。


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コメント

野口晴哉:(野口)整体

野口三千三:野口体操

これ豆知識ね。

※野口は「整体」と言い、「野口整体」は外部からの呼称という話がありますが、社団法人整体協会のサイトには、特にその辺に関する情報は無い模様。

投稿: TAKESAN | 2011年12月13日 (火) 00:00

そもそも「幼児体型」ていうのは、「俗に言う」以外に定義はあるんだっけか?

後、筋肉の付け方とか以前の、身長とか、骨格的な形態の所の話をもしているとすると、生物学レベルの壮大な話になりますよね? いや、そういう壮大な話をしている人はしばしば見る訳だけれども。

投稿: TAKESAN | 2011年12月13日 (火) 11:54

ところで。

腰椎三番を中に入れるよう促す、というのは、腰背部の筋群の過緊張を促し、骨盤を後屈させる事によってポジション(アライメントと言うのがいいのかな)が狂って力学的に無理のある姿勢を取らせる虞がありそうに思えるがいかがか。

投稿: TAKESAN | 2011年12月13日 (火) 22:40

武術的には、背中や腰は反らないようにされる。反身の忌避。
その時に得られる体性感覚的なものが「正中線」と呼ばれている。恐らく、筋感覚等が総合され、それが「程良く抜けた(弛緩している)」時の知覚がそう表現されると思われる。
※もちろん、解剖学上の正中線とは異なる

体幹を反らさず大腿後部の筋群を優先させて使う姿勢については、達人と呼ばれる人々の姿勢の観察によって事例が得られる。

斉藤守弘(晩年。若い頃には結構腰を入れるようにしておられた)
岡本正剛
黒田鉄山
宇城憲治
塩田剛三
佐川幸義

これらの人々の姿勢を参照せよ。
なお、「どうしてそのような姿勢が良いのか」についてのバイオメカニクス的な構造を把握してはいない(実は合理的で無い可能性をも想定する必要がある)。

投稿: TAKESAN | 2011年12月13日 (火) 22:48

確かに月刊秘伝は身体操作に関わる代替医療(医療類似行為も)が好きで、武道の身体論と絡める記事が多いですね。そして例によって科学的な情報になっていないという。
姿勢については2011年5月号の「達人を測定する!」といった特集記事も参考にはなりましたが、使っている筋肉が分かっても分析がアレなので、分からないことが多かったと記憶しています。筋肉を使わない事に武術的な意味がある可能性もあるので、複合的に考える必要がありそうですし。

投稿: 町田 | 2011年12月14日 (水) 08:38

町田さん、今日は。

秘伝誌は、意欲的ではあるが危うい、という感じですね。
どの筋肉を用いるか、みたいな所にもアプローチしていて、武術関連の雑誌としては大変積極的ですが、もう少しメタで総合的な科学の視野を用いて頂きたいですね。いわゆる「科学の方法」の方面からのアプローチ。たとえばバイオメカニクスの研究者にゴリゴリに専門的なコラムを書いてもらう、とか。

後は、一般的な所で、エビデンスベイストな見方であったり、資料をきちんと参照・提示する事の重要さを示すとか。

投稿: TAKESAN | 2011年12月14日 (水) 11:58

TAKESANご返答ありがとうございます。
海外の格闘技・武術雑誌を読んでも測定についての記事が掲載されるものはなく、武術の神秘化で終わらせまいとする月刊秘伝はかなり特異な雑誌であると言えるでしょう。
だからこそ勿体無い話ですが、これ以上の学術寄りの内容は、他の記事との兼ね合いが難しいでしょうね。何しろ「心の一方はプラズマだ」と書く人がいるくらいですから。

投稿: 町田 | 2011年12月14日 (水) 15:43

かなり色々入り交じってますよね。それがあの雑誌の特色でもありますが。

最近は、高岡氏もDS全開ですし。
私自身は、達人の実感的な言葉を資料にするくらいですね。基本的には学術的な価値はほぼ無いので、達人の事例と歴史的な証言を参考にする程度が無難ですね。

投稿: TAKESAN | 2011年12月14日 (水) 16:23

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