直感的
テラヤマアニさんの、おれはおまえのパパじゃない - ゲームがゲーオタだけのものでなくなりますように(黒で引用)、たまごまごさんの、たまごまごごはん - なあゲームをやろうじゃないか。(紫で引用)
すっごい悔しいわけです。俺が少々時間の配分に異常をきたしていたことは認める。いくらなんでもやりすぎだったことは認める。でもゲーム自体がいけないことだという決めつけだけは認めるわけにはいかない。野球だったらどうなの? 四六時中野球のことばっか考えてて、野球の練習のしすぎで他になんにもできなくなるくらい体力使い果たしてるとか俺に言わせれば同じアホなのに、でも親はそっちなら安心なんでしょ? じゃあ将棋だったら? 奨励会に入るくらいものすごい入れ込みようだったらどうなんだと。野球も将棋もテレビゲームもみんな同じ広義のゲームじゃん。
これは推測ですが(前にも書きましたけれど)、ゲームに対して、娯楽以外の何物でも無い、という認識を持つ人が多いのでしょうね。又、野球だったらプロ野球選手、将棋であればプロ棋士、といった様に、それらに一所懸命に取り組む事によって社会的に成功した事例を思い浮かべ易い、という理由もあるでしょう。実際には、成功するのは、極く一部の人である訳ですが、スターが、マスメディア等で肯定的に取り上げられたりするのを見聞きする事によって、その人達が取り組む文化に対する評価も、肯定的になるのでしょう。或いは、スポーツは健全な心身を育むもの、将棋は思考力を育てるもの、という先入見が、それらに対する肯定的印象を強化しているのかも知れません。
全てのゲームを「ピコピコ」というわけのわからんオノマトペで総称し、敵視し、有害なものだと信じて、決して自分からさわろうとしない、理解しようとしない、この難攻不落の親という人種
幸い、私の近親には、そういう認識の人はいませんが(これは、恵まれていると思います。ただ、もう少し関係の離れた人は、このような物の見方をしていましたね。かなり嫌でした)、テラヤマアニさんは、その難攻不落たる牙城を、何とか攻め落とすべく、涙ぐましい努力を試みられた様です。身近な人の無理解・偏見からの批難に傷ついたり、ゲームに嫌悪を抱いたりする事なく、親御さんの説得を志されたテラヤマアニさんは、正に勇者であります。
この時ほど、グラフィックの進化に感謝したことはありませんでした。父が興味を示した原因は、間違いなくこの美しいグラフィックにありました。デモムービーを、父は本物のレースと勘違いしたのです。
余りゲームをしない人にとっては、最近のハードによる高精細グラフィックは、驚愕の代物でしょう。インパクトは、かなりのものだったと思われます。
しかし……、その5分後、俺はいまだかつてない失望を感じていました。父はゲーム内の自車をろくにコントロールできなかった。「なんだ、全然うまく運転できない。やっぱり面白くないな」と父は言いました。
これは、ゲームを余りしない方の、典型的な反応です。そして、ゲームの面白さを伝えたいと企図する者は、「操作に慣れて、自由に動かせる様になれば、面白さが解るんだけどなあ…。」と、歯痒い気持ちになるのです。そこを我慢して、もうちょっとやってみて! と。後でも触れますが、操作が直感的では無い、というのは、ゲームの操作の利点でもあり、欠点でもあります。
父は数回、そのGT FORCEを使ってレースをしました。他の車にぶつかり、縁石に乗り上げ、壁に激突し、コースの真ん中でスピンし、最下位でゴールしました。「本物ならもっとうまく運転できる」。以来父はグランツーリスモにさわることはなく、GT FORCEはただのバカでかいゴミとなり、押し入れにしまわれ、埃をかぶり、壊れるまで使い倒してくれる主人と出会えなかった不幸を嘆いています。そのように俺には見えます。
嗚呼、無念…。見事、牙城を陥落する事は、叶わなかった様です。車の運転がお好きなお父上に、なるべく実際の自動車の操作を擬えたデバイスを使わせる事によって、面白さを伝えようという配慮が、逆効果になってしまった様です。何たる皮肉。恐らくお父上は、自動車の運転に格別の関心を持っていた為に、シミュレーションであるゲームが、「本物の車の運転とは全然違う」、という事を、強く認識されたのでしょう。実に残念です。
しかし、ゲーマーとゲームしない人のカベは「操作を直感的にできるかどうか」。
ゲーム脳といわれてもなんでも、これは認めざるを得ない壁です。分厚すぎて悲しくなるカベです。
そう、これは厚い壁です。そもそも、コントローラでキャラクターを操作する際の、ボタンと動きとの対応というのは、恣意的なものです。方向キーと運動方向との対応は、全く無契的(関連性が無い)という訳ではありませんが、例えば、「○ボタンは決定、×ボタンはキャンセル」というのは、単なる約束事に過ぎず、それを「わざわざ」憶えなければなりません。慣れている人にとっては、操作を憶える事そのものが楽しみだったり、操作系にある程度のパターンがある事を知っていたりする(そして、とても多様な操作系を設定出来る)のですが、初心者にとっては、まるで、数学の公式を丸暗記するかの様な、「面倒さ」なのでしょう。そして、
ゲーム慣れしてる人は、解説書とか読まないでもするんとゲームはじめますよね。自分も解説書読まないでゲームする人間の一人です。(きちんと読む人もいますよね。それが正しいんだけど。)
ゲームやらない人にしてみれば、まず説明書読んで、操作を理解して、うんぬんかんぬん・・・・
・・・めんどくさい!つまらない!つらい!
こうしてカベはさらにさらに厚くなっていきます。
この様な悪循環に…。
そこをうまく突き破ったものに「ニンテンドーDS」があると思います。
うちのDSは「ゲームなんてとんでもない!」といっていた親の専用機と化しています。「脳トレ」が、勉強になる、ってのはやっぱポイント高いですよね。説明書いらないし。
仰る通り、任天堂の戦略は、見事であったと言えます。入力デバイスとしては、特に目新しいものでもない「タッチパネル――ペン」を、家庭用ゲーム機の標準の入力装置としたのは、画期的です。それを採用する事によって、複雑な操作の仕方を憶えずとも、直感的に、ペンで画面をなぞる事によってキャラクター等の操作が出来る。これは、初心者にとって、「敷居を下げる」という、絶大な効果があったのでしょう。
ゲームをしない人にとっては、ゲームをやる人が画面に向かってじっとしているのが異様に見えたり、自分が勧められても、何やらごちゃごちゃした操作方法を憶えなければならない、という経験もあったりで、どんどん、ゲームに対する良くない印象を強化してしまうのでしょうね。そういう人に、ゲームの面白さを解って貰う、というのは、結構難しいです。何やら小難しい、と思うくらいなら、特に問題は無いのですが、積極的に、悪意を持ったりする場合があります。これは、とても宜しくない事態ですね。「ゲーム脳」等の、特定のメディアの悪影響論は、こういう印象を、より強くしてしまうものですが、その様な偏見を打破する為にも、積極的に面白さを伝えようとする努力(押し付けてはいけませんね。面白さが解らないのか、とか)は、重要なのではないかと思います。直感的な入力デバイスの採用というのは、その一つのきっかけとして、良いのではないかとも考えています。
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