昨日はお客さんところで2時までこき使われて切れそうでした。
アタシは社員じゃねーってのよ!
いろいろと思うところはあるんですけど、なかなか書く暇がありません。
昨日フィリピンで日本兵がみつかったとかっていうニュースがありましたが、新聞で久しぶりに見ました。
「ゲリラ」
という言葉。近頃はもっぱら反政府勢力には「テロリスト」という言葉が使われていたように思うのですが、メディアのこれらの言葉の定義はどうなっているのでしょうね。
さて、数日前のkitanoのアレのエントリーで、報道2001で行われた、ジェンダーフリーについての議論を文字起こししています。
「神武天皇のY遺伝子を持つものしか天皇になれない」論の八木センセー@教科書を作る会会長が、男らしさ女らしさについて“語れなかった”という事態を、キタノさんが面白おかしく書いてらっさいます。
わたしはこの番組は見ていないのですが、実に面白いですね。
で、1つ、アンテナに引っかかったところが。
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●浅井:…(略)…日本の調査の中でも、男らしさというのは「知性と力」というようなのに集約され、女らしくっていうのは「美と従順」なんですよ。まあ「知性と力」は置いておきましょう。そうすると「力」、トップになっていくということと、「従順」。こういうセットなんですよ。ですから、そういうことで八木さんも考えておられるのであれば…
▼八木:(さえぎって)そういうこともひとつの要素で、それが文化だと思うンですね。《ええーっっ!「男は力で女は従順」というのは文化なのかぁ??? おいおい、いいかげんにしろよ》ちょうど端午の節句が近いですけれど、いまのジェンダー・フリー教育、またはジェンダー・フリーの施策の中では、女の子の雛祭りや男の子の端午の節句を否定的に扱う傾向もあるんですね。
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この《 》の中はキタノさんの突っ込みなんですけど、この「男は力で女は従順」ていうのは確かにかつての日本の文化だったんですよね。
こないだニュース23で、占領軍が起草した日本国憲法の、女性条項の部分を書いたベアテさんのインタビュー番組をやっていたんですが、その中で、女性の権利を書くことに日本側が抵抗したというエピソードが語られていました。彼女が紹介した日本側の言葉は確かこうでした。
「日本には女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない」
「えええええーーーーーー!」と思わず叫んだわけですが、まあ叫んじゃうくらいそれははるかに遠い時代の話のようにわたしには思えるのですが、でも八木センセー達はそういう時代の日本を取り戻したいと考えていろいろな活動をしているんですよね、きっと。
なんだか気の毒になっちゃいます。男であるとはそんなにたいへんなことなのでしょうか。
古き良き懐かしいあの時代。
何者でないものでも、男であるだけで価値があったあの時代。
××で●●●で□□□□□でも、男であるだけで女からリスペクトされたあの時代。
70年代以降、女は強くなる一方、男は弱くなる一方とはよく言われますが、まあなんというか、たいへんですよね、男子諸君は。
でもね、いくら「行き過ぎたジェンダーフリー」(って何のことかよくわからないけど)とやらを攻撃しても、小中学生に“男らしさ”や“女らしさ”を教え込んでも、
男の価値が上がるわけじゃない
ですから。
アタシは社員じゃねーってのよ!
いろいろと思うところはあるんですけど、なかなか書く暇がありません。
昨日フィリピンで日本兵がみつかったとかっていうニュースがありましたが、新聞で久しぶりに見ました。
「ゲリラ」
という言葉。近頃はもっぱら反政府勢力には「テロリスト」という言葉が使われていたように思うのですが、メディアのこれらの言葉の定義はどうなっているのでしょうね。
さて、数日前のkitanoのアレのエントリーで、報道2001で行われた、ジェンダーフリーについての議論を文字起こししています。
「神武天皇のY遺伝子を持つものしか天皇になれない」論の八木センセー@教科書を作る会会長が、男らしさ女らしさについて“語れなかった”という事態を、キタノさんが面白おかしく書いてらっさいます。
わたしはこの番組は見ていないのですが、実に面白いですね。
で、1つ、アンテナに引っかかったところが。
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●浅井:…(略)…日本の調査の中でも、男らしさというのは「知性と力」というようなのに集約され、女らしくっていうのは「美と従順」なんですよ。まあ「知性と力」は置いておきましょう。そうすると「力」、トップになっていくということと、「従順」。こういうセットなんですよ。ですから、そういうことで八木さんも考えておられるのであれば…
▼八木:(さえぎって)そういうこともひとつの要素で、それが文化だと思うンですね。《ええーっっ!「男は力で女は従順」というのは文化なのかぁ??? おいおい、いいかげんにしろよ》ちょうど端午の節句が近いですけれど、いまのジェンダー・フリー教育、またはジェンダー・フリーの施策の中では、女の子の雛祭りや男の子の端午の節句を否定的に扱う傾向もあるんですね。
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この《 》の中はキタノさんの突っ込みなんですけど、この「男は力で女は従順」ていうのは確かにかつての日本の文化だったんですよね。
こないだニュース23で、占領軍が起草した日本国憲法の、女性条項の部分を書いたベアテさんのインタビュー番組をやっていたんですが、その中で、女性の権利を書くことに日本側が抵抗したというエピソードが語られていました。彼女が紹介した日本側の言葉は確かこうでした。
「日本には女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない」
「えええええーーーーーー!」と思わず叫んだわけですが、まあ叫んじゃうくらいそれははるかに遠い時代の話のようにわたしには思えるのですが、でも八木センセー達はそういう時代の日本を取り戻したいと考えていろいろな活動をしているんですよね、きっと。
なんだか気の毒になっちゃいます。男であるとはそんなにたいへんなことなのでしょうか。
古き良き懐かしいあの時代。
何者でないものでも、男であるだけで価値があったあの時代。
××で●●●で□□□□□でも、男であるだけで女からリスペクトされたあの時代。
70年代以降、女は強くなる一方、男は弱くなる一方とはよく言われますが、まあなんというか、たいへんですよね、男子諸君は。
でもね、いくら「行き過ぎたジェンダーフリー」(って何のことかよくわからないけど)とやらを攻撃しても、小中学生に“男らしさ”や“女らしさ”を教え込んでも、
男の価値が上がるわけじゃない
ですから。
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