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☆原発とめよう!九電本店前ひろば第851目報告☆

青柳行信です。 8月18日。

本日、「さよなら原発!11・10九州集会」(仮称)
      実行委員会結成集会
日 時:8月18日(日)14時より 
場 所:福岡県教育会館(福岡市東区馬出4-12-22)
  地図:http://tinyurl.com/jwb9de6

 さよなら原発!11.10九州集会(仮称)
ホームページHP http://bye-nukes.com

「きみへ」 さよなら原発! 
http://twitsound.jp/musics/tsMDocgv4

【転送・転載大歓迎】
☆原発とめよう!九電本店前ひろば第851目報告☆
呼びかけ人賛同者8月17日迄2928名。
★原発とめよう!の輪をひろげる【呼びかけ人】を募っています。
  
★私たちの声と行動で原発・再稼働は止められます。★
<ひろば・想い・感想・ご意見等 嬉しいです>

★ 横田つとむ さんから:
青柳さま
帰省の混雑や、高校野球の熱戦、毎日の暑さ、あれやこれやしているうちに
夏休みも終わりました。
また、いつもの生活が すぐ始まります。
今日は 久しぶりに ヘビーメタル音楽を聴きにいきました。
大音響に身体がついていかず、かなり疲れました。
あんくるトム工房
増え続ける 汚染水  http://yaplog.jp/uncle-tom-28/archive/2579
九丁茶        http://yaplog.jp/uncle-tom-28/archive/2578

★ 橋本左門 <無核無兵・毎日一首> さんから:
 ☆ドイツ国は検証し・反省し・謝罪した しかし日本は何もしてゐぬ〈ストー
ン監督〉
   (左門 8・18-387)
※ドイツはその上に国家的にも・個人的にも国家予算で賠償をつつけている。
今も、日本政府は「政治決着した」と口を拭っている。認めさせなければならない。

★ 田島直樹 さんから:
みなさま
第1回学習会は、開催チラシのとおり開かれました。
予約25名で参加者32名でした。
会場が小さくて参加してくださった皆様にはご迷惑をお掛けしましたが、
超満員の活気が会場にあふれました。
理解学習には、痒いところに手が届くよう、
質疑応答はさらに充実させたいと思います。

おかげさまで盛会におわった8月10日、第一回学習会の報告
http://www57.atwiki.jp/20030810/pages/26.html
がようやく書けました。
よって、『放射線被ばくを学習する会(仮)』のHPを開設しました。
http://www57.atwiki.jp/20030810/

これをブックマーク(お気に入り)して下さるようお願いいたします。
また、お友達にも伝播してください。
第二回学習会は、8月29日(木)に行ないます。
http://www57.atwiki.jp/20030810/pages/45.html
第3回は9月24日(火)です。

★ 舩津康幸 さんから:
おはようございます。
「17日午前、福岡市の気温が35度を超え、今年の猛暑日(最高気温35度以
上)の日数が観測史上最多の25日になったと発表した。これまでで最も多かっ
た2010年の24回(同年7月20日~9月4日)を上回った。・・・・猛暑
日の継続日数も12日となり、観測史上最長記録を更新」したと発表され、暑さ
は記録更新中です。

さて、福島第1原発では、東電が慎重?になっているようで、「発表」が少な
く、ヒットする記事も少ないです。
1.「福島第1原発1、2号機『汚染水』、初日40トンくみ上げ」福島民友
(08/17 09:55)
⇒http://www.minyu-net.com/news/news/0817/news10.html
記事「・・・・福島第1原発1、2号機の海側で進められている地下汚染水のく
み上げ作業で、東電は16日、くみ上げのための鉄管について整備計画数28本
に対し、同日までに13本設置し、稼働を始めた同日午前11時過ぎから午後4
時までに約40トンをくみ上げたと発表した。現場付近の観測用井戸の水位は低
下傾向にあるが、東電は『雨が降っていない影響』と天候による変位と分析。く
み上げ効果については『今後検証する』とするにとどめた。・・・・」
・・・・・”雨”が原因??? 歯切れの悪い発表ですね。
2.「汚染水くみ上げ設備の設置遅れる 福島第1原発、掘削機故障」西日本
(最終更新08月17日 19時40分)
⇒http://www.nishinippon.co.jp/nnp/science/article/33633
記事「・・・・・計画では、1、2号機の海側に鉄管28本を設置し、真空ポン
プで汚染された地下水をくみ上げる。しかし17日の作業で掘削機が固い地盤に
当たり、部品が破損。19日に代替機で作業を再開する。・・・・・・東電は
17日夕までに鉄管22本を設置し、順次くみ上げを始めた。全て設置すると、
1日約70トンのくみ上げが可能という。」
・・・・共同通信の配信記事そのものです。
3.「貯水槽の外側、ベクレル10倍 福島第一、地下水影響か」朝日デジタル
8月17日21時29分
⇒http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201308170223.html
記事全文「東京電力は17日、福島第一原発で4月に高濃度汚染水が漏れた地下
貯水槽の外側で、放射性物質の濃度が上昇している、と発表した。この地下貯水
槽の汚染水はすでに地上タンクに移した後だが、微量が残っているとみられる。
東電によると、3号貯水槽の外側の放射性物質の濃度が、12日には1立方セン
チあたり0・063ベクレルだったのが、17日には同0・66ベクレルと約
10倍に上昇した。今月、貯水槽が、周囲を流れる地下水によって、最大40セ
ンチ浮き上がっていることが分かったため、東電は関連を調べるとしている。」

被災地フクシマでは、
4.「放射線量が一時急上昇 県『大雨で放射性物質降下』」福島民友(08/17
09:30)
⇒http://www.minyu-net.com/news/news/0817/news7.html
記事全文「(福島)県が県内各地で行っている大気中の放射線量測定で、南会津
合同庁舎駐車場の測定値が16日午後3時から急上昇した。県は『上昇した時間
帯に大雨が降り、自然由来の放射性物質が降下したため』としている。県による
と、同庁舎の午後3時の測定値は毎時0.05マイクロシーベルトだったが、同
4時は毎時0.09マイクロシーベルト、同5時は毎時0.12マイクロシーベ
ルトまで上昇。同日午後8時現在、測定値は毎時0.05マイクロシーベルトに
戻ったという。・・・また、南会津地方では同日、南会津町のリゾートイン台
鞍、びわのかげ運動公園でも同様に数値の上昇が見られた。県によると、南会津
合庁と要因は同じという。」
・・・“自然現象”って???、こちらも“雨”を理由に!

5.「測定不能のモニタリングポスト復旧 大熊の夫沢字南台」福島民報08/17
09:03
⇒http://www.minpo.jp/news/detail/2013081710305
記事「(福島)県は16日、東日本大震災以降、停電のため測定不能だった大熊
町夫沢字南台のモニタリングポストが復旧したと発表した。測定値は毎日公開し
ている環境放射線量578地点と合わせて発表する。・・・・・15日夕に復旧
し、16日午後5時現在の放射線量は毎時13・66マイクロシーベルトだっ
た。・・・震災前から県が東京電力福島第一原発周辺に設置していた23地点の
うち、大熊町夫沢の1カ所は現在も停電が続き、復旧の見通しは立っていない。
この他、富岡、大熊、浪江3町にあった4地点は津波で流失した。」
・・・・・なんと2年半ぶりの復旧・・・・・。

6.「帰還困難区域への一時帰宅(8月17日)」福島民報8月18日付紙面
記事「富岡町25世帯54人、大熊町45世帯130人、双葉町45世帯
1164人、浪江町15世帯42人、個人の積算放射線量、1~11、
1~29、0~32、0~22イクロシーベルト」

7.「入所待ち1万2495人 (福島)県内特養ホーム 震災前より1549
人増 避難生活の長期化影響(08/17 08:55)
⇒http://www.minpo.jp/news/detail/2013081710297
記事「・・・・・(福島)県内の特別養護老人ホームの4月1日現在の入所申込
者(待機者)は1万2495人で、東日本大震災、東京電力福島第一原発事故前
の平成22年同期より1549人増加したことが県の調査で分かった。県は原発
事故に伴う避難生活の長期化で介護が必要な高齢者が増えていることなどが要因
とみている。・・・・・・待機者数について県高齢福祉課は『仮設住宅の暮らし
が長期化するなど生活環境の変化から介護を必要とする高齢者が増加している』
と分析している。」

栃木県、
8.「原木生シイタケ基準値下回る 県の生産工程管理で成果」下野新聞(8月17
日 朝刊)
⇒http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20130817/1113446
県環境森林部は16日、県の生産工程管理基準に基づき矢板市で生産した原木生シ
イタケ(施設)から検出された放射性セシウムが、いずれも国の基準値(1キロ
グラム当たり100ベクレル)を下回ったと、発表した。・・・・・・生産工程
管理基準は、原木の洗浄や土の入れ替え、原発事故当時のビニールハウスの撤
去、収穫時の器具管理など約60項目にわたるほか、各項目実施後に細かい点検作
業も行うのが特徴だ。 ・・・今回モニタリング検査を行ったのは、同管理基準
によるシイタケ栽培を試験的に行った矢板市の農家1軒。・・・・」
・・・・・・・・・涙ぐましい努力の積み重ねの結果だが・・・・。

次の記事、国内に事実上、廃炉の原発が4基ある実態に関するレポートのよう、
9.「(核リポート)閉鎖原発はまだ生きていた」朝日デジタル8月17日17時47分
⇒http://www.asahi.com/special/news/articles/OSK201308170071.html
長文記事「・・・・・まず国内の現場を見ようと考えた。国内で現在、廃炉(廃
止措置)にかかっている原発は4基。日本原電東海発電所(茨城県東海村)、日
本原子力研究開発機構の新型転換炉『ふげん』(福井県敦賀市)、中部電力浜岡
原発1、2号機(いずれも静岡県御前崎市)だ。ちなみに福島第一原発は、俗に
『廃炉』と呼ぶものの、実際の廃炉の過程にはほど遠い段階にある。廃炉までに
越えなければならない課題が山積しているからだ。
・・・・4基に取材を申し込んだ。『受け入れた例がない』『見せるべきもの
がない』などと、いくつかはとりつく島もない。原発に対する世論が厳しい昨
今、『何か悪口を書かれるのでは』との警戒感がありありだ。最終的には4基す
べてを訪問することができたのだが、その中で、訪問依頼後すぐに受け入れの回
答をしてきたのが『ふげん』だった。4月半ば、必要な手続きを済ませ、現地に
向かった。」(→以下、有料記事)

官邸前は続いてます、
10.「1基も再稼働させない 官邸前行動」しんぶん赤旗8月17日
⇒http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-17/2013081701_02_1.html
記事「・・・・・・原発推進の安倍晋三内閣に、3000人(主催者発表)の参
加者が、抗議の声をあげました。・・・反原連のミサオ・レッドウルフさんが官
邸に向かって『安倍首相、事故は収束していないと国民に表明してください。9
月15日に大飯原発がとまったあと、私たちが絶対に1基たりとも再稼働させま
せん』と訴える・・・・・・・」

今届いた西日本新聞朝刊紙面では、
3面下方に、2.の記事が あります。
他に、原発の文字が見える記事は
2面に、
共同通信社が企業の111社にアンケート調査をした結果を伝える記事の中にあ
ります。記事内の小見出しに、
11.「原発再稼動52%「必要」
記事には、「停止中の原発再稼動については、安全性の確保を前提に全体の58
社が『必要だ』と回答・・・・ただ原発の今後どうあるべきかでは『依存度を減
らし一定割合で維持』との回答が33社ともっとも多かった。推進派と考えられ
る『新増設も含め拡大』は1社もなく、『・・・震災前の水準を維持』は4
社・・・・脱原発派も12社、・・・・再稼動に必要な時期を『今冬までに』
『来年夏までに』などと具体的に示したのは15社だった。」、とあります。
・・・・・・さすがの原発容認の企業も“再稼動”をどんどんと推進とはこたえづ
らいのか・・・。
同じ面のトップ記事は、
12.「安倍政権 夏の宿題 鍵は「設備投資」拡大 首相、国家安保戦略年内
策定へ エネルギー、海洋分野も」(08月18日 03時00分)
⇒http://qbiz.jp/article/22107/1/ (添付表参照)
・・・・この記事の文面にはないが、添付の表「生長戦略の主な目標と主要施
策」の「日本産業の再興―立地・競争力」の項に、「・・・・電力システム改革
の断行、原発の活用」ということばがしっかりと埋め込まれていました。
今朝の紙面は以上です。

★ 藤井悦子@アジェンダ・プロジェクト さんから:
京都近辺の皆様、ぜひご参加ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆アジェンダ・プロジェクト京都 上映企画

「わすれない ふくしま」 四ノ宮浩 監督作品
http://wasurenai-fukushima.com/

「原発さえなければ」と書き残した福島の酪農家を軸に、
福島の状況をつづったドキュメンタリーです。
Face Book イベントページ
https://www.facebook.com/events/218134355005721/

日時: 2013年8月25日(日) 14:00から
場所: 下京いきいき市民活動センター本館 3階 集会室
参加費:600円
(アジェンダ・プロジェクト会員・定期購読会員および学生は400円)
※上映の後、簡単な意見交換会も行います。

連絡先:アジェンダ・プロジェクト京都
京都市南区東九条北松ノ木町37-7
Tel&Fax 075-822-5035
URL http://www3.to/agenda/
ブログ http://agenda-kyoto.ldblog.jp/
FBページ https://www.facebook.com/agenda.project

<映画について(公式HPより)>
2011年3月11日東日本大地震、そして太平洋沿岸部500キロに渡る
大津波により多くの人々が犠牲になった。福島県また、その翌日の
3月12日からの福島第一原発の爆発により大量の放射能が放出さ
れた。この映画は2011年5月福島第一原発北西に40キロの福島県
飯舘村から始まり、そこから避難したある家族と、いまだ警戒区域で
300頭の牛を飼い続けている畜産家の日常を追った記録です。その
背景には、原発事故後、牛を殺処分させられた酪農家が自殺した事
件、フィリピン人妻を持つ家庭の現実など様々な問題が存在した。
監督は「忘れられた子供たち スカベンジャー」で第44回マンハイム
国際映画祭ベストドキュメンタリー賞を受賞した四ノ宮浩。震災直後
の2011年4月下旬から福島に入り撮影を始め、2012年12月末まで
カメラを回し続けた。作品完成後も監督は福島を忘れないために現
地に居続けている。
・・・・・・・・・・・・
 9月15日“原発とまった!このまま廃炉”
  京都デモをします。 ぜひ、ご参加ください!

全国の全原発が再び止まる9月15日、「全原発停止」を知らせ、「次は廃炉」
へ進もうと呼びかけるデモをします。
政府は、“次々再稼働”を狙っていますが、福島第一原発事故の現実とその後の
運動・世論は、この9月に、再び「原発の動いていない日本」を作り出します。
デモは、そのことを知らせ、危険な原発はもう二度と動かさないで! 政府の
意志で「原発ゼロ」を決め、このまま廃炉にむかへ、と求めるものです。
当日は、出発前集会などは行わず、午後2時半から集合を始めて、午後3時デモ
出発の予定です。上記の主旨に賛同いただける皆さん、ぜひデモにご参加くださ
い。周りの皆さんにも、デモへの参加を呼びかけて下さい。よろしくお願いしま
す。
楽器大歓迎、横断幕・メッセージボード、市民の皆さんの共感を広げる
フレンドリーな表現をお待ちしています。    

日時:9月15日(日) 午後2時半集合、3時出発
集合:円山公園しだれ桜西側-ラジオ塔前
  *デモコースは、円山公園から四条通、河原町通を通って、京都市
役所前までのコースです。
主催:“原発とまった!このまま廃炉”京都デモ・実行委員会

★ M.Shimakawa さんから:
<「死ぬ覚悟した」福島原発の元運転員>
 東京電力福島第一原子力発電所事故当時、中央制御室で事故対応
にあたっていた元運転員(オペレーター)が事故当時の状況を語っ
た、運転員としては初の証言インタビューをアップしました。
 
 今回インタビューに応えたのは、事故当時、福島第一原発発電所
2号機の運転員だった井戸川隆太さん27歳。井戸川さんは双葉町
出身で、中学卒業後に東京電力が運営する東電学園(東京)に入学。
電気に関する専門知識を学び、18歳で地元・福島第一原子力発電
所に配属されました。以降、原子炉を運転する現場で下積みを重ね、
25歳のときに運転員試験に合格。2号機の運転員(オペレーター)
を担ってきました。
 1号機爆発、重要免震棟への退避、そして、東京電力を辞める決
断をするまで、その一部始終を語ります。

*ContAct「『死ぬ覚悟した』~福島原発の元運転員、初証言」
http://ourplanet-tv.org/?q=node/1628

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 NewsClips
 「帰還の切り札「新型線量計」とは?~被曝量を自己管理へ」
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 これまで避難指定区域だった福島県田村市の都路地区で8月1日、
帰還の準備を進めるため3か月間の期間限定で住民の宿泊が始まっ
た。7月31日までに宿泊を届け出たのは、120世帯380人の
住民のうち、28世帯112人。政府は住民帰還に向け、一人ひと
りに線量計を配布した。

■配信日 2013年8月1日(木)
■視聴URL http://ourplanet-tv.org/?q=node/1626

★ 木村(雅) さんから:
 経産省前テントひろば 704日目 テント日誌 8月14日(水)  世間
はお盆休みだが…

テントでは朝の10時ころから暑くなるのだが、この猛暑では朝から暑い。暑さ
の中でもテントは比較的過ごしやすいのだが、そうはいかないようだ。紋切り型
の暑い暑いという言葉は自然に口についてでるのだけれど、それはある意味で心
的には僕らを安心させるのかも知れない。多分、この言葉には身体化されたもの
が対応している。季節感は身体化されてあり、それを言葉があらわすわけだが、
身体化されたものと異なる季節の動きこそが、心的にも不安感になるのだろう。
それ故に、局地的な大雨や季節はずれの寒さなどが問題なのだ。猛暑も利用して
原発の必要《再稼動》に訴えるという体制や権力の動きを想起するが、原発は異様
な季節の演出の一端を担っているかもしれないことを研究すべきだと思う。僕ら
には暑さ寒さを楽しむことが大事だし、その意味では紋切り型の挨拶はとてもい
いことなのだと思う。小津の映画も良さもそんなところだろう。

テントの前に座っていると、友人の差し入れたくれた風鈴の音がここちよく響い
てくる。風が出てきて心もあらわれるような気分の中で、このお盆休みの一日を
過ごす。世間はお盆休みの週でテント前も人通りが少ない。前夜もいつもの待機
タクシーがほとんどいず、各省の電気も消えていた。こんな静かなのもいいかと
は思うがやはり寂しい。午前中にはテントにはほとんど人が訪れない。明日の
15日は敗戦記念日であり、いつものように夜にはトークライブに出掛ける、恒
例のことだ。紋切り型の「戦争はだめだというのは」重要だ。安倍の式典のあい
さつから紋切り型の言葉が消え去った事は批判に値する。

テントでは9月11日にはテント設立の2周年を迎える。9月12日には第3回
の後半もあってその準備がはじまっている。9月15日は現在稼働中の大飯原発
も定期審査のために稼働はとまる。再び、原発稼働ゼロの状態になる。そして再
稼動問題が政治焦点になる。政治的な動きなど展望すれば、先に動きはイメージ
できるのであるが、テントは2周年を近くに控えてやはり、時間との闘いという
困難ななかにあるように思える。

時間は原発への動きについての関心を風化させるように現象させる。これは本当
のところは関心が薄れたことではなく、中性化し、身体化して行く過程である。
関心が消えて行くのではなく身体化して行くのだ。と同時に関心がなくなって行
く場合もある。時間は関心《反応》が変化して行くようにあわわれるから、それを
見極めていくことが大事だ。人々の反応《感情》を喚起させるような現実の事件は
そうたびたびおこるものではないし、反応《感情》を持続することは簡単でではない。

原発に対する反応《感情》も中性化し、身体化して行くというのと消えていくのと
がある。ただ、現象としては反応(感情)が消え去り、何処かに行ったように見え
るところがある。原発に対する反応の必然的な変化は、原発への反応《感情》が消
え去ったように見えるだが、反応《感情》の上に形成された運動は孤立していくよ
うに思えるし、そういう危機感を持つこともある。中性化して、身体化していく
ものは,契機さえあれば反応派出てくるし、基盤化したもので運動の発展でもあ
る。消え去るのは違う、ここをどう認識しているかは運動にとって一番大事で難
しいところだ。原発に対する反応《感情》を意志に発展させていけるか、どうかは
重要なことであり、それが体制や権力との闘いの実体をなす。その場合に、時の
中での反応《感情》の変化という現象とどう対応するか大事なのだ。

僕は脱原発や反原発の運動が持久戦にあると書いた。この認識は今も変わらな
い。これは現実からその反応が出て気にくい時期にあって、それに依存せずに運
動を持続する時期であると考えてきたことだ。この時期は人々の原発に対する反
応の変化を見極めながら、ある程度、この意志によって運動を持続して行く過程
である。体制や権力の動向は強化されていくのがみえながら、人々の反応は見え
ず、ある種の孤立の中で闘うことを強いられることだ。テントが二年間にわたっ
て持久戦を意識してやってきたことは意味ある事だが、現在、まだ持久戦期の局
面にある。運動に悩みはつきものだけれどそういう現状にある。

日本の反体制運動や反権力運動は運動が孤立した場合の伝統的パターンがある。
それは内部対立を激化させ自滅して行く道をたどることだ。持久戦は下手であっ
て急進的展開という型でない運動を展開した経験もあまりないのだ。これは遺伝
子のように僕らも受け継いでいて、そのことに自覚的でないととんでもない結果
にいたることもある。脱原発の運動の一般的な反応は変化しており、テントに対
する反応も変化している。その意味である種の孤立として現象していると言え
る。この時にこれまでとちった持久戦型の闘いをやることが問われているのだ。
知らず知らずのうちに内部対立に誘導されてしまうところに自覚的でないといけ
ない。僕らは人々の反応や意識に寄りそう方向を、その持続の方向に意を傾ける
べきなのだが、これは外ならない自分の反応や感情の変化をのぞき見ながら、自
己問答をやって行くこと、そこで答えを見いだす事だ。答えがないのも答えだと
いう時期も含み脱原発という国民的な反応を国民的意志にする問いかけを自分の
内で繰り返すことが依然として出発点である。持久戦の時期とは運動の先が見通
せなく、個々は心的不安を抱える時期だが、その解決を自己問答の中で見出すべ
き耐える時期であり、不安を些細なところに対立感情に解消してはならない。こ
このところこそ、見ないところでの権力や体制との闘いである。こんなときは考
えることに戻るしかない。これも紋切り型の言葉だがそこへ戻ることが大事だ。
(M/O)

★ 榊原晴美 さんから:
朝日新聞・名古屋本社・連載記事まとめ
---------------------
下級兵士の記憶 桑名市・元日本兵・近藤一さん(1)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-August/025828.html
下級兵士の記憶 桑名市・元日本兵・近藤一さん(2)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-August/025832.html
---------------------
下級兵士の記憶 桑名市・元日本兵・近藤一さん(3)
1941年秋、初年兵だった近藤一さん(93)は、約2ヶ月に及ぶ大規模な
作戦に参加した。

八路軍の攻撃を警戒しながら、中国の険しい山の尾根を行軍していた時、
「全裸の女性が、靴だけ履かされ、乳飲み子を抱いて歩いていた」と話す。
全裸の女性は目の前にいた。
古年兵が冷やかした。
「どうだ、良い眺めだろう」。
先輩兵の銃弾や食料なども持たされ、数十キロもの重荷から解放されたい、
とだけ思っていた。

休憩中だった。
疲れて衰弱している女性を見た古年兵が、歩くのに邪魔だろうと乳飲み子を
奪い取り、谷底に放り投げた。
すると、女性も一瞬のうちに後を追うように身を投げた。
休憩が終わると、行軍は何事もなかったかのように再開された。

これと重なる光景は、四日市出身の田村泰次郎(1911-83)が小説『裸女の
いる隊列』に描いている。
近藤さんより一カ月早く、同じ第13大隊の別の中隊に配属されていた田村は、
中国山西省の前線で見聞きした体験に基づき、多くの戦争小説を残した。

全裸の女性について近藤さんは解説する。
「掃討に入った集落で捕まえ古年兵たちが犯した。殺すのが普通だが、
珍しく若かったから連れてきた。裸なら逃げまい、と考えたのだろう」

集落を襲って女性を見つければ、古年兵たちは代わる代わるに凌辱した。
初年兵が「やらしてください」などと言えば鉄拳制裁を受ける羽目になる。
眺めるしかなかった初年兵も、年次が進むと、同じ行為を真似するように
なっていった。

近藤さんによると、大隊本部があった太原には慰安所があった。
将校は日本人の女性、下士官以下の兵隊は中国人や朝鮮人の女性が相手を
した。
初年兵は絶対に出入りできなかったが、2年兵以上の兵は月1回の外出日、
軍支給の避妊具を持って出かけた。

当時、1等兵の月給は8円80銭。
大半は強制的に貯金させられ、手元に残る現金はわずかだった。
慰安所を利用するには1円20銭~1円50銭必要だったと言い、略奪した物を
換金し慰安所に通う兵もいた。

日頃の花札賭博も、略奪の「温床」になった。
負けが込むと借金が膨らみ、返済のために金目のものを奪うという悪循環
だった。
銀貨や反物、骨董品などを奪って来ては、日本軍が占領した「治安地区」で
金に換えた。

あちこちの民家の壁に「東洋鬼」と書かれていたのを覚えている。

近藤一さんは1944年8月、上海から輸送船に乗せられた。
前月にサイパンが落ち、南方に送られると思っていたが、着いたのは沖縄
だった。
証言は転戦先の戦闘に及んだ。

当初、銃声は聞こえなかった。
「血まみれの戦場から解放された」
「満期除隊で家に帰れる」
が、約2ヶ月後の大空襲が淡い期待をかき消した。
45年4月1日、米軍の沖縄本島への上陸作戦が始まった。

第13大隊が陣地を構えた嘉数高地(現・宜野湾市)にいた。
艦砲射撃が降り注ぐ中、海岸を見下ろして驚いた。
「艦船がびっしり浮かび、海面が見えなかった」

兵器の差も歴然だった。
近藤さんによると、日本軍が05(明治38)年に採用した三八式歩兵銃は
米軍のM1カービン銃より約40センチ長く約1.5キロ重かった。
日本兵が1発撃つ間に米兵は5~10発も発射できた。

米軍は連日、艦砲射撃と艦載機による空爆を1時間ほど続けた後、約
30台の戦車を横並びにして前進させてきた。
戦車1台の後ろに米兵が約20人付いてきた。

日本軍は前夜に穴を掘り、木箱にダイナマイトを詰めた爆雷を持って待ち
構える「たこつぼ攻撃」で対抗した。
戦車が近づくと、手投げ弾を発火させ木箱と共に戦車の下に放り込む。
戦車に兵1人で立ち向かった。

遺体の損傷は中国戦線とはくらべものにならなかった。
「手足や頭などが吹き飛ばされ、誰だか分らんような死体ばかりだった。

5月以降、攻撃はさらに激しさを増し、米軍は火炎放射器も使った。
日本兵が隠れる壕に上から穴をあけ、爆薬を仕掛けたり、ガソリンの流し
込んだりして皆殺しを狙う「馬乗り攻撃」もしてきた。

火炎放射器を浴びると、火が軍服にべたっと張り付き、振り払っても落ち
ない。
「まるで不動明王のようになって黒こげになる。どうせ死ぬなら銃弾で
撃ち抜かれた方がましだった」

日本軍は闇夜に乗じた「斬り込み攻撃」で抵抗するしかなかった。
地下足袋を履き、2人1組で小銃と手投げ弾2発を持って、米軍が野営
する幕舎を襲うが、近藤さんの中隊で生還した兵はいなかったという。

ある夜、見送った長崎県五島列島出身の同年兵は言った。
「こんな惨めな、無意味な戦闘は初めてだ。でも、何を言っても仕方ない」
「これが最後だ。じゃあな」
振り返ったとき、泣いているように見えた。
あの時の表情が脳裏にこびりついている。

近藤一さん(93)は、単行本ほどの大きさの手帳に日記をつけている。
日々あったこと、新聞記事の感想などを書き留める。
約30年前から始めた「語り部」の活動記録でもある。
市民集会、教員や労組の勉強会、沖縄修学旅行のための事前学習……。
最も多かった7、8年前は、1年間に三十数回出かけたが、最近は
年10回あるかどうかまで減ってきた。
集まってくる人たちも少なくなった。
愛知県内の大学自治会に呼ばれた今年4月のある日は、こう
したためた。
《参加した大学生は10人前後。これが今の日本の現実かと思うと、
情けない気持ちでいっぱい》
「語り部」は1982年の教科書検定問題がきっかけだった。
沖縄戦での日本兵の「加害」の記述削除を機に、日本兵すべてが
悪かったかのような報道があふれた、と感じた。
真実を伝えようと、沖縄戦で生き残った仲間4、5人で話し姶めた。
国に「捨て石」にされた兵士の戦いを語るうち、心に引っかかる物を
感じた。
「中国でやったことを話さないで本当の戦争を分かってもらえるのか」
仲間は拒否反応を示し、去っていった。
「絶対に話せん」「周りからどんな目で見られるか」。
それでも、家族にも明かしたことのない体験を話し続けた。
ある集会で参加者から「もっと悪いことをしたはずだ」と詰め寄られた。
戦友会では、近藤さんの証言が載った新聞切り抜きを手に「とんで
もないことをしゃべっている者がおる」などと、聞こえよがしの会話が
聞こえた。
公安刑事が繰り返し自宅に来て、話の中身を根掘り葉掘り尋ね
られたこともあったという。
それでも壇上に立つのをやめようと思ったことはない。
「戦場で何が起きたのか、戦争の本質は何か、を伝えることが
生き残った者の使命」と思う。
4月、安倍晋三首相は国会で「侵略という定義は定まっていない」と
答弁し、「侵略戦争を否定するかのような発言」との指摘が出た。
「本当の中国戦を知っていれば、あんな発言は出ない」。
この国は、敗戦を経験しても根本的に変わらなかったのでは、と
感じる。
このまま憲法9条が捨て去られれば、戦争で犠牲になった多くの
人の死が無駄になる、と心配になる。
同じ年の戦友は、すべて鬼籍に入った。
残された時間は多くない、と感じている。
「1人でも2人でもいいから聞いてほしい。記録に残りでもすれば、
自分の記憶も生き続けることになる」
(終)

○----------集会等のお知らせ----------○

本日●「さよなら原発!11・10九州集会」(仮称)●
    実行委員会結成集会
日 時:8月18日(日)14時より 
場 所:福岡県教育会館(福岡市東区馬出4-12-22)
  地図:http://tinyurl.com/jwb9de6

 さよなら原発!11.10九州集会(仮称)
ホームページHP http://bye-nukes.com

● 「原発なくそう!九州玄海訴訟」(玄海原発1万人訴訟)●
  第6回口頭弁論期日 9月27日(金)14:00 佐賀地裁
午後12時30分に佐賀県弁護士会館に集合
原告総数 原告総数 6751名(8/9現在)
  ホームページ: http://no-genpatsu.main.jp/index.html

○--------------------------------○
★☆ 原発とめよう!九電本店前ひろば・テント★☆
サマータイム 午前10時から午後3時。(土・日曜・休日は閉設)
     8/10~8/18 まで閉設。
♪ みなさん、一緒に座って・語り合いませんか☆
場所:九州電力本店前 福岡市中央区渡辺通2丁目1-82
地図:http://www.denki-b.co.jp/company/map19.html
★☆ (ひろば・テント080-6420-6211) ☆★
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〒812-0041
福岡市博多区吉塚5-7-23
青柳 行信
電話:080-6420-6211
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平和な有明海

Author:平和な有明海
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佐賀市在住です。平和や障がい者、有明海問題に強い関心を持っています。1950年生まれ。戦争法廃止、原発廃止、有明海再生、障害者と共生できる社会づくりを目指します。

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