ゾーイ・ヘラーの「The Believers」:信じてきたものが揺れ動くとき |
ここ数年間、実はフィクションはほとんど読んでいなかった。子育てで忙しかったし、すこしでも時間があれば仕事のための勉強をしなくちゃ、と思っていたからだけれど、最近は少しは自分の好きなことに時間をとることに罪悪感をもたなくなってきた。 フィクションを最後に読んだのは3年近く前、矢作俊彦の「あ・じゃ・ぱん」だから、ぜんぜん毛色はことなる。この本を手に取ったきっかけは、Costcoで黄色い表紙が派手だったこと、Twitterで私がフォローしている@Lingualinaこと大原ケイさんが何度か言及した「ミチコ・カクタニ」、NYTの超辛口批評家の好意的なレビューの一部が本にのっていたことだ。 この物語はNYの左翼ユダヤ系の弁護士ジョエル・リトヴィノフとイギリス労働者階級出身のその妻オードリー、その長女カーラ、次女ローザ、養子レニーを中心として描かれている。といっても肝心の弁護士は冒頭すぐ脳梗塞の発作で植物状態になってしまい、あくまで背景の一部分でしかないのだが。この家庭では休日は家族全員で反戦デモに参加するのが当たり前だったりするので、かなり一般的な基準からすると変わっているのだが、私自身、母親と一緒に反核デモに参加したりして育ったので、この奇妙な家族のありかたにおもしろく引き込まれていった。 タイトルがThe Believersとあるように、テーマは信じること、それがイデオロギーだったり、家族だったり、信仰だったり、人は何をきっかけに信じるようになり、また信じるものが何かのきっかけで信じられなくなったり、裏切られたりしたとき、どう反応するのか、ということをリトヴィノフ家の家族それぞれの一員の行動を通して描いている。 オードリーはジョエルの妻として一家を支えてきたという自負が、ジョエルの不倫&隠し子の発覚で揺るがされる。長女カーラは面倒見が良くやさしいが、太めで容姿に自信がなく、婦人科の問題で妊娠できないことを引け目に思っている。子沢山の家庭を望む夫に忠実に従い、内心気が進まない養子縁組のプロセスをはじめるのだが、自分を熱心に慕ってくれるアラブ系の男性が現われ、心が揺れ動く。次女ローザは一途で純粋、熱烈な社会主義者としてキューバに4年間も生活していたが、社会主義に失望し、今度は自分のルーツであるユダヤ教、それもバリバリ硬派の正統派ユダヤ教に傾倒してゆく。 人間は誰でもなにかしら信じるものを必要としている。基本的に無神論者であるリトヴィノフ家の場合は左翼イデオロギーがそれにあたるだろう。宗教や政治思想に比較的アレルギーの強い日本人だって、「自分は日本に生まれて日本民族の一員だから日本人だ」ということに安心の源をおく、いわゆる「日本教徒」が大半なのではないだろうか。(だから多くの人、特に男性は「夫婦別姓」とかが出てくると、もともと日本教の一部分であるイエ制度とかお墓とかが完全に滅びる予感で動揺してしまうのである。) 登場人物の中でやっぱり面白いのは女主人オードリーである。娘のローザがユダヤ教に傾倒してゆくのを嘆き、ローザに「自分が信じていたものが事実でなかったことに気がついたらどうするの?」と尋ねられると、きっぱりと「その事実を拒否するわ」と言い切るのである。夫ジョエルがもてて不倫を重ねてきたことは知っていたが、自分がその問題に直面せずに住んでいるうちは、なかったことにして強気にふるまってきたのだ。 ところが今度の不倫相手には子供もいる。養育費も要求してくる。なおかつ「自分の子とジョエルの3人の子供を兄弟同士として交流させたい」とまで言ってくるなかなかあつかましい女なのである。簡単に「なかったふり」はできず、さすがのオードリーも悩まずにはいられない。自分の信じていた家族のありかたの軌道修正を彼女はできるのかどうか、というのが面白いポイントなのである。
それからほとんど出てこない植物状態のジョエルだが、ヘラーは回想場面などでその魅力的なキャラクターをうまく描いている。知的だが偉ぶることが無く、人間的な温かみを備え、クラシック音楽をたしなむ。好きな音楽の中には王政賛美の曲もあったりして、若い頃のローザはそんな父を社会主義者として不純だとせめたりするわけだが、包容力のある物語の主人公にはかくあってほしい、という理想的なキャラクターだ。
わたしがキャラクターとしてまあまあ似ていると思ったのは次女のローザだ。彼女は自分の信念に対して一途に生きているので、中途半端な生き方をする人々が許せない 。社会主義に失望してキューバから帰国して以来、ハーレムの少女たちをサポートするNPOの職員として働いているが、そんな自分の中途半端さに嫌気がさしている。正統派ユダヤ教の教理を知って、「こんな極端な生き方は無理」と言いつつ、ユダヤ教徒たちの確信に満ちた生き方に魅かれずにいられない。 わたしは無神論者の家庭で育ち、はたちでかなり過激なキリスト教の教会に飛び込み、10年以上かなりストイックなキリスト教徒としての生活を送った。30台の半ばで教会自体の変容もあって、今では「イエス教」だけど「キリスト教徒じゃない」という心境になった。たぶん年齢のせいもあって、「中庸の美徳」の良さ、日本的な多神教的な包容力の大きさにより魅かれるようになってきた。
教会が変容する過程で牧師がやめたり自分の親友を含む多くの教会員が教会を離れたり、オードリーやローザがこの物語で体験する、「信じるものの土台が揺れ動く」がまさに起こった。それを通して私も自分の信仰のありかたをその後の7、8年間、ゆっくり問い直してきた。 そういう経験に直面すれば、好むと好まざるをかかわらず、わたしたちは自分の生き方を見直して、自分のよりどころをどこに置くのか、それなりに考え直さざるをえない。そのきっかけは、配偶者の死かもしれないし、失職かもしれないし、または社会の変化(自民党の敗北、みたいにね)かもしれない。 高い自殺率でもわかるよう、多くの日本人はそういうとき、信じるものが不確かな「日本の世間の中の自分」である分、比較的打たれ弱いように思う。
頑固なオードリーはローザみたいに宗教に走ったりはしないのだが、なかなか見事に自分の「信じるもの」を再構築してみせている。やっぱりそこの裏にあるのは自分を裏切ったことを知りつつ、愛さずにいられない、ジョエルに対する愛なのである。へラーは「嫌われ者」のキャラクターを描くのがうまい、と評されているようで、2作目のA note on a scandalは「あるスキャンダルの覚書」として邦訳があり、映画化もされている。最初の2作もぜひこれから読むつもりだ。
テーマ:書評 - ジャンル:本・雑誌
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アラブの人とのプチ異文化交流の思い出 |
全然ランダムな話題なんだけど、Twitterを見ていてふと思い出したので。
私は大学2年の時、ひと夏をヨーロッパで過ごしました。4週間イギリス南部のフォークストーンという港町でホームステイして英語学校に行き、その後はホームステイ先が一緒だったスイス人の女の子の実家に3日間お邪魔し、それから電車に乗ってオーストリアのザルツブルグに祖母を訪ね、ザルツブルグからロンドンに戻って2週間ダンスやバレエのサマークラスを受け、、という楽しい夏でした。
ロンドンではロンドン大学の寮が夏の間観光客に開放されるので、そこに泊り、ヨーロッパ各地や中南米からの学生などと親しくなり、クラスの後はパブめぐりをしたり、今思うと二十歳の娘っ子がだいぶ色々冒険したなあと思います。その当時の友達とはフェースブックのお陰で旧交を最近温めており、これもまた楽しいのですがそれは又の機会に。
ある週末、思い立ってマダム・タッソーのロウ人形館に行ってみた日、長い行列で私の前に並んでいたのはチャドルをかぶったお母さんを含むアラブ人の大家族でした。小さな子供もウヨウヨいたのですが、どうやら受付で「10人なら団体割引が利く」と言われたらしく、後ろにいた私に声をかけてきました。そりゃ貧しい学生ですから、喜んで便乗させてもらいました。
1階の蝋人形、そして地下のこわーい拷問博物館を見た後、「どうせだからこの後ランチ一緒にしない?」といわれ、ありがたくご一緒させてもらうことにしました。この頃までにはそれぞれの子供の名前やら年を聞いて、けっこう仲良くなってましたから。地下鉄で15分ぐらい乗って、外に出ると、そこはアラブ人街、壁のあちこちにはアラビア語のグラフィティーが描かれていたり、道行く人々もアラブ系を多く見ました。
フィッシュアンドチップスを買って、狭いアパートで一緒にランチを食べながら、彼らがサウジアラビアから一時的にこちらの親戚を頼ってたずねて来ていること、観光ビザで来ているけれど、仕事が見つかればこちらにそのまま滞在したいらしいことなどがわかりました。今思えば、80年代終わりのロンドンは不況で、彼らは仕事が見つからないままそのまま不法滞在を続けたのではないでしょうか。
それでも彼らはとてもとても感じの良い人たちで、子供たちも行儀がよく、互いに住所を交換して別れました。
それから日本に帰ってきて、この夏の思い出もあせてきた1年ほどたった頃、アフマド某(仮名)という人から絵葉書が舞い込みました。「こんな名前は覚えていないぞ」とくずかごに放り込む直前に、「自分はあなたがロンドンで世話になったアブドゥラー(仮名)のいとこだ、職探しで日本に来るから家に泊めてくれないか」といった内容が目にとまりました。うわあ!仰天です。
確かにフィッシュアンドチップス、割り勘にしようといったけれど払わせてもらえなかった。だからといって、見ず知らずの私からしたら他人を、いきなり家に泊めるなんて、不可能ですよ!母とふたり暮らしのうちには親戚だって泊めたことが無いのに!
フォークストーンでクラスが一緒になったUAEやイエメン出身の子達に、「アラブ人は情が厚いから互いにもてなしあうことを大切にするんだ」とは確かに聞いてはいたものの、これほどとは思いませんでした。英語学校でアラブ系の子達は、親日的で、日露対戦を持ち出して「イスラムのトルコを迫害していたロシアを破った日本人をみんな尊敬しているんだ」と語ってくれたものでしたが。
ともあれアフマド氏にいきなり日本に来られては困りますから、うんうんうなりながらびんせんに丁寧に「あなたが泊り場所を確保したら、観光案内ぐらいはできるけれど、病気の母がいてうちに人を泊めることはできない(もっぱら嘘でもない)」と書いて返事をしました。
その数週間後、ある日「今成田空港にいる、迎えに来てくれ」とアフマド氏からいきなり電話が来ました!手紙を送った旨説明したのですが、彼は明らかに電話口の向こうで不機嫌そうで、「日本に行ったら、俺たちの親友が面倒みてくれると言われていたのに」と最後までブツブツ言われました。ともあれものすごいアラブ訛りに四苦八苦しながら、事情を説明して、ホテルを探す方法と、リムジンバスに乗る方法を教えました。その電話以降彼が連絡してくることはありませんでした。
その後もうアフマド氏ともアブドゥラーファミリーとも音信はありませんが、今でもアパートで食べた新聞に包まれ、油くさいフィッシュアンドチップスの匂いと、アフマド氏の不機嫌な声のトーンが脳裏に残っています。二十歳で知った、異文化交流の難しさの思い出です。
テーマ:異文化を楽しむ! - ジャンル:海外情報
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海岸までジョギングしてみた |
カリフォルニア、それも風光明媚なビーチタウンのサンタクルーズに住んでいるくせに、出不精なITギークの配偶者を持ったばかりに全然それを生かしていない私の生活、、がそろそろ変わるかも!
わたしはもともと筋金入りのエクササイズ好きなので、一人目の子供が生まれた後も、子供をスリングに入れてはせっせと散歩し、半年ちょっとで妊娠前の体形まで戻したのでした。ところが二人目を生んだ後は1月で産休はおしまい、仕事に復帰したら家と仕事場は来るまで往復、子供を保育園に迎えに行ったら自分の時間なんて取れない、、、というわけでいまだに妊娠前プラス2kgほどが落ちないままなのでした。
昨年夏から思い切ってフリーで通訳・翻訳者として仕事をするようになってからも、最初の半年は必死こいて勉強&営業活動に励んでいたので、平日運動に時間をとるなどとは思いもよらなかったのです。ところがそんな中で昨年末にはとうとう「ぎっくり腰」をやって寝込んでしまい、生活を改める決心をしたのでありました。
以前から目をつけていた、ランニングシューズの専門店に行き、足のバランスを見る機械に乗って、歩き方をみてもらって、いくつかシューズを見繕ってもらいました。土踏まずはしっかりあるが、歩くときにやや右足が内側に傾くとの判断。ミズノ、アシックス、ニューバランスを出してもらたった中で、圧倒的に足の送り出しが良く、走りよかったのはアシックス。昔ジョギングをしていたときもアシックスのトルションだったのを思い出しました。そういうわけで高いけど($140、チーン!)思い切って良い靴を買いました。
それからいまどきのジョガーなら当然でしょうが、ン10年ぶりの私にはびっくりの合繊の吸湿速乾(wickableというのですね)のソックスを買い、Costcoでセールだった運動用のカプリパンツを買い、ばっちり用意して、それから数日間仕事&週末の子供の相手で忙しくて、、本日ようやく走ってきました。
モンテレー湾を見渡す海岸まで1.1マイル、1.8km、ジョギングにはぴったりの距離です。行きは気持ちよく、とりわけ海が見えてからは「あと少し!」と元気にジョギングしていきましたが、帰りはさすがに心肺機能がついてゆかず、半分ジョギング、半分早歩きとなりました。
今は家から海岸まで直線的に行って帰るだけでやっとですが、すこしずつ海岸沿いを走る距離を伸ばしてゆくのが今後の楽しみ&チャレンジです。
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