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みーぽんBLOG from カリフォルニア
カリフォルニアから時事、政治、環境、日米比較などランダムに綴ります
「帝国」のアントニオ・ネグリを入国拒否する日本
3月27日追記:3月24日付けのNPJ通信に、私の言いたいことをはっきりわかりやすく解説してくれるようなコラムが載りましたのでご紹介します。ぜひ読んでみてください。
日本は新しい鎖国時代に入るのか ネグリの「入国拒否」 に関心ないメディア

本日の「ジャパン・ハンドラーズ」の記事、官僚のバカさ加減:ネグリ氏来日中止にはびっくりしました。

入国管理局が、「政治犯だったということを証明する書類がないとだめ」と言ったということですが、ネグリ氏のメッセージによれば、


この5年間にトニが訪れた22カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありません


とのことです。

朝日新聞の記事によれば、事情により法相の特別許可を受けることができるとのことです。財団法人国際文化会館の招聘、ということであれば、法相の特別許可をとりつけることぐらい簡単ではないか、と思われるのですが、鳩山法相は知っていて許可しなかったのか、それともあまりの無知ゆえに「テロリスト」扱いしたのかどうなんでしょう。

ああ、なんと恥ずかしいことか。これ以上私から付け足す言葉も今日はありません。


テーマ:本日のニュースより - ジャンル:政治・経済

サンタクルーズの二つの顔
今日は私の住んでいる町、サンタクルーズ(Santa Cruz)についてちょっぴり書いてみようと思います。

サンタクルーズはサンフランシスコからおよそ130km、シリコンバレー、ベイエリアと呼ばれる地域からは山を越えて車で3-40分ほど、モンテレー湾の北端の太平洋岸の町です。モンテレー湾の南端にはゴルフファンには有名なぺブルビーチや、クリント・イーストウッドが市長を務めたことで有名なカーメル市があります。サンタクルーズ郡の人口は25万人ほど、サンタクルーズ市の人口は約5万人です。

このエリアを日本にたとえると、私の頭に真っ先に浮かぶのは鎌倉です。それは東京や横浜といった大都市から適度に近く、自然が豊かで、歴史がある一方で、若い人をひきつけ続ける場所でもあるからです。サンタクルーズへの入植は1790年ごろカトリックの宣教師がミッションを開いたことに始まります。カリフォルニアの多くの町はゴールドラッシュ以降にできたことからすると、西海岸では歴史を感じさせる町です。

1849年のゴールドラッシュを契機に、サンフランシスコの町が栄えるようになると、金や鉄道でにわかに儲けた人々は、風光明媚なサンタクルーズに別荘を建てたり、小旅行をするようになります。今でもサンタクルーズには1800年代の後期に立てられた、木造2階建て、3階建ての美しいビクトリア調の家が多く残っています。窓枠と壁がカラフルなパステルカラーで塗り分けられ、周囲の緑に映えてそれは素敵です。

さて、今世紀に入ると、海岸に木製のボードウォークが建設され、家族連れが週末を過ごす観光地として、多くの観光客をひきつけるようになりました。今でもジェットコースターやフリーフォールなど乗り物は刷新されつつ、西海岸最古のボードウォークとして観光客が訪れ続けています。

サンタ・クルーズはまた、1990年までの62年間、ミス・カリフォルニア(ミス・アメリカの予選ですね)の舞台でもありました。また、戦後はハワイのデューク・カハナモクがサーフィンを紹介したことをきっかけに、北カリフォルニアのサーフィンのメッカともなりました。

70年代までのサンタ・クルーズは、観光地の華々しさはあっても、カトリックの白人の商店主や、サンフランシスコからリタイアしてきた富裕層を中心とする、かなり保守的な土地柄でした。そんなサンタクルーズが徐々に変化してきたのは、1965年にカリフォルニア大学サンタクルーズ校(UCSC)ができてからです。

USCSのマスコットはなんと、黄色いナメクジです。大学当局側はずっと抵抗していたようですが、学生側が気に入ってしまったので、事実上の公式マスコットになってしまったそうです。どうでもいいネタですが、パルプ・フィクションでトラボルタが着ていたことで全米にも知られるようになりました。

もともと北カリフォルニアは60年代からヒッピー・ニューエイジの文化の発祥地でもあり、北にはUCバークレーがあり、南のモンテレーにはやはりニューエイジ運動のゆりかごとなったエサレン研究所がありました。当然サンタクルーズに集まった学生、サーファー、ヒッピーたちは、ベトナム戦争に反対し、保守的な町にラディカルな色を加え始めました。

ミス・カリフォルニアも「女性を容姿で選別する」としてリブの立場から大規模な反対運動が起こり、結局サンタクルーズを離れてサンディエゴで行われるようになりました。当然町の保守層はイベントが落とす大きな収入が突然なくなったことを、今でも嘆いています。

ヒッピー文化のマイナス面というか、怪しげな服装で昼間からラリっている人々がメインストリートをうろうろするようにもなりました。今でもホームレス(目にするほとんどは麻薬中毒者です)はけっこう多いのです。

私の義父はベトナム戦争に従軍し、その後ディーン・ウィッター(後にモルガン・スタンレーと合併した)証券に25年勤めた筋金入りの共和党員でした。彼は地元の「エルクス・ロッジ」という紳士クラブに加入し、3人の子供をカトリックの修道院付属の小学校に通わせました。

私の夫はそんなわけで、中学生ごろまではお行儀の良いカトリックの少年だったわけですが、学校では両親がヒッピーの子供たちがいる、つまり親からして子供のいるところでマリファナを吸ってたりしたそうです。ということで夫は近所の子供たちとあまり遊ばせてもらえなかったのだとか。

私の職場にはUCSCで環境学を専攻した卒業生(ベジタリアンでゲイ)がいたり、普段から学生がインターンとして出入りしていることもあり、また環境金融という仕事柄、この町の古い顔に接する機会は今まであまりありませんでした。

最近夫の親友のお父様が癌で亡くなったのですが、彼も義父と同じく「エルクス」のメンバーでした。彼の遺志でお葬式はエルクス・ロッジで行われたのですが、これはなんとも奇妙な体験でした。「ロッジ」という言葉だけでピンと来る人もいるかもしれませんね。フリー・メーソンも支部のことを「ロッジ」とよぶように、エルクスにも秘密結社的な匂いがあるのです。

エルクスもつい最近までは白人男性しか入会資格がなかったのです。お葬式の場に集まった100名以上の集まりで、非白人は私を入れて3人ぐらいしかいなかったように思います。式の進行役はメンバーを「ブラザー」と呼び、大きなメダルの連なった肩飾りをかけ、呪術的に文句を唱えます。別に怪しいことを言っているわけではないのですが、こうやって「俺たちは特別だ」という意識を強化してきたのか、と感じざるを得ませんでした。

有名なメンバーの中にはルーズベルト(FDR)、トルーマン、ケネディ、フォードといった大統領から、企業家、そしてさきほどふれたクリント・イーストウッドまで含まれています。公式ウェブサイトにも星条旗がひるがえり、愛国心でいっぱいです。

ふだん近所を散歩していて、"Impeach Bussh"とか”Peace is patriotic"とか、共和党員が嫌いそうなスローガンやサインを良く目にしていただけに、ちょっと強烈な経験でした。

ちなみに義父は一期目は忠実にブッシュに投票しましたが、二期目はさすがに目が覚めて(バークレー出身の妻や夫を含む子供たちに押されたのもあり)ケリーに投票しました。義父が言うにはエルクスに入ったのは、あくまで富裕層のクライアントに食い込むためで、それ以外に理由はなかった、と言っています。なんか「青年会議所」みたいですよね。ビジネスのため入会したほうが便利だ、ということで入会しても、やっぱりその集団の思想に影響を全くうけずにいるのは難しい。

サンノゼからサンタクルーズの町に帰ってくると、ハイウェイの出口で真っ先に町の最古のカトリック教会、ホーリー・クロスチャーチの尖塔が目に入ります。夫によれば、「サンタクルーズに住むものはみんな、この尖塔を見て、ああうちに帰ってきた、とほっとするんだ」そうです。

その町の反対側の海岸のウェスト・クリフにはサーフボードを抱えた青年の銅像があります。わたしにとっては、教会の尖塔と、このサーファーの銅像がサンタクルーズを象徴する二つの顔のように思えるのです。

テーマ:アメリカ合衆国 - ジャンル:政治・経済

3兆ドルの戦争 - スティグリッツの新刊
オハイオ&テキサスの予備選はヒラリーが巻き返し、とりわけオハイオ州では10%以上の大差でオバマを下しました。次の勝負どころは4月22日のペンシルバニア州予備選ということになりました。今のところ論評を読んでいると、ペンシルバニア州は製造業の衰退が激しいという点でオハイオ州に類似しており、ヒラリーに有利なのではないか、という見方が強いようです。

ところで、前回のブログで触れた、ヒラリー陣営の「夜中の3時の電話にどう対応しますか?」の広告でベッドに眠る少女を演じていたケイシー・ノウルズさん(当時は8歳、今は18歳だそうです)は、実はオバマサポーターなのだそうです。(この広告の映像は、ある企業のCMのために撮影されたが使われず、ヒラリー陣営がゲッティ・イメージから購入したのだとか。)

ノウルズさんは日曜朝の「グッド・モーニングアメリカ」に出演し、「わたしはこの広告は、恐怖を煽るようで好きじゃない。オバマの、明るい未来を楽しみにしよう、というメッセージの方がずっといい」と言ったのだそうです。

そんなニュースに並んでここ数日メディアで話題になっているのが、スティグリッツ教授とハーヴァード大のリンダ・ブライムズ教授の新刊本、「3兆ドルの戦争 (The 3 Trillion Dollar War)」です。イラク戦争の費用に関しては、以前「暗いニュースリンク」の2007年1月18日の記事、「NYタイムズ:1.2兆ドルで何が買えた?」の中では、両教授の見積もりは2兆ドルということでしたが、昨年の「増派」や石油価格の更なる上昇でコストがアップした、ということなのでしょうか。

3兆ドル、といわれてもピンときませんが、アメリカの2008年度の国家予算が2兆9020億ドル、ということですから、この6年の戦争で1年間の国家予算は吹き飛んだ、ということですね。もちろんこの3兆ドルという数字は、直接の戦費を含むだけではなく、「イラクに侵攻しなければ、どの費用がかからなかったか」という仮定に基づいて、石油価格の高騰なども考慮にいれられているそうです。

ワシントン・ポストには、両教授の署名入りの記事がありましたので、ざっとの訳でご紹介したいと思います。

イラク戦争は3兆ドルとそれ以外に多くの負担を強いる>

イラク侵攻から5周年を迎え、この戦争はベトナム以降もっとも長く続き、また第二次大戦以外のどの戦争より高くついている。

一般の目にこの費用の規模が目立っていないのは、ブッシュ政権が、緊急対策費として処理される、先払い費用についてしか口にしないからである。これらは月間で120億ドル、アフガニスタンを含むと160億ドルと推計される。しかし、隠れた将来の退役軍人への援助や、傷んだ装備の取替えなどを足していくと、国家予算だけで確実に1.5兆ドルは超える。

しかし社会経済に与えるコストははるかに高くつく。一人の兵士が亡くなるとき、家族はわずか50万ドルを見舞金として受取るが、一人の命が失われたことで社会が支払うことになるコストははるかに高い。遺族を本当の意味で「補償」することは不可能だ。さらに傷病軍人への支払いも、兵士や家族にとって十分な補償にはなっていない。兵士が重傷を負った場合、2割のケースで家族の誰かが仕事をやめて介護をしなければならなくなる。

さらにすでにエンストしはじめている米国経済にとって高くつく。3兆ドルを超えそうだという見積もりも、控えめなものに過ぎない。

ブッシュ政権イラク戦争開始後も富裕層への税控除をやめなかったので、戦費は負債によってまかなわれている。ブッシュの任期の終わりまでに戦費と、その調達のための負債への累積利息だけで1兆ドルを超える。

戦費への負担は、他の優先事項を後回しにする。医療制度の改善、傷んだ道路や橋の大規模な修繕、より設備の整った学校などである。すでに国立衛生研究所、食品医薬品局、環境保護局などを含む国家予算にはかげりが見え、各州や自治体への補助金もイラク侵攻以降大幅にカットされている。

今回の不況に際しても、効果的な景気浮揚策を行うには、今年だけで2000億ドルを超える2つの戦争の費用と、急上昇する債務が重荷となる。

3兆ドルの浪費をしなければ、最貧国へのマーシャルプランを行い、いまや反米感情でかたまったイスラム国家の心を勝ち得ていたかもしれない。毎月の戦費の半分で世界の文盲をなくしたかもしれない。中国のアフリカに対する影響力を心配する前に、イラクでの戦費一か月分でアフリカへの年間の援助を2倍にすることができた。

国内でも低所得地域の学校に予算を割り当てることができた。もしくはブッシュ政権の2期目でするはずだった社会保障制度の改善により、今後50年間の支払能力を確実にできたかもしれない。

大恐慌をぬけださせた第二次大戦の記憶のせいか、戦争は経済のためになると経済学者は考えてきた。しかし景気改善にはもっと良い方法 - 市民の福祉を改善し、将来の成長への基礎をかためること-があるといまや我々にはわかっている。イラクでネパール人労働者に支払われる金は、国内で使われる金のように米国の景気を刺激しない。もちろん研究、教育、インフラなどへの投資が長期的にもたらす基盤も提供しない。

さらなる懸念は、この戦争が景気にとりわけ悪影響を与えたのは、石油価格を高騰させたからだ、ということである。2003年の侵攻以前、1バレルあたり25ドルだった石油価格は、最近とうとう100ドルを超えた。(もちろん中国とインドの需要増は予測されていたが、中東がまかなえるはずだった。)

米国が能力を超えた支払いをする一方で、石油産業と同じく、産油国を中心とする国は貯めこんでいた。ウォール街のシティ、メリルといった金融業がサブプライム問題で破綻に瀕する中、手を差し伸べたのが中国、シンガポールにならんで多くの中東の産油国であったことに何の不思議もない。これらソブリンファンドが米国の資産を買いあさり始めたらどうするのか?

ブッシュ政権が次期政権に渡そうとしているのは戦争だけではない。戦費の浪費によって深刻に打撃を受けた経済問題もなのだ。今回の景気後退は過去四半世紀で最悪なものになりそうなのだ。

最近まで、米国が何千億ドルも石油イラク戦争に使いながら、経済に負担をあまり与えていないということは驚きの目で見られていた。しかし謎解きはここにある。FRBが資金の流動性を高め、規制当局が借り手の支払能力をはるかに超えての貸付を見過ごしてきたことにより、経済の弱い部分は覆い隠されていたのだ。その間、銀行や格付け機関は金融の錬金術は、不良な抵当をAAA資産に変えることができるふりをし、政府は家計の貯蓄率がゼロまで下がるのを見ないふりしていた。

なんと荒涼とした風景だろうか。景気の後退による最終的な損失(実際の生産力と潜在的な生産力の差)は、大恐慌以来最大のものになるだろう。その合計だけでゆうに1兆ドルを超えると思われるが、それはわれわれの戦費の見積もりの3兆円には含まれていない。

地政学的な問題も解決する必要はあるが、経済学的な立場は明らかだ。戦争を終結する、もしくはすくなくともなるべく早く規模を縮小することで、経済面では大きな見返りがある。

11月(の大統領選)を控え、世論調査によれば、有権者の主な懸念は経済であって戦争ではない。しかしこの2つを同時に解決する方法はない。米国は今後数十年間イラクでの費用を払い続けることになるのだ。値札の価格が大きくなったのは、ひとえにわれわれが経済の原則を無視し続けたからであり、放置すれば費用はさらに大きくなるだろう。







テーマ:アメリカ合衆国 - ジャンル:政治・経済

NAFTAを巡るオバマvsヒラリー、南アメリカ銀行、コロンビアとベネズエラ一触即発
長ったらしいタイトルですが、実は全部微妙につながっているので、辛抱してお読みください(笑)

この週末はけっこうC-SPAN(政治専門チャンネル)でオバマvsクリントンのスピーチを見ていました。3月4日(火)はオハイオとテキサスで予備選が行われるのですが、ここで連敗中のクリントンが挽回できるかどうかが大きな見所になっているのです。(なんだかプロ野球みたいですね。)

オハイオ州はNAFTA(北米自由貿易協定)締結以来、製造業がのきなみ海外に流出してしまい、全国平均を上回る失業率に苦しんでいます。そこをオバマはついて、「ヒラリーはクリントン政権以来NAFTAの支持者だったが、自分はNAFTAには反対だ」と主張してきました。それに対し、ヒラリーNAFTAを単なる「フリートレード」から「フェアトレード」にしなければならない、といい、製造業の海外流出を無視していいと言っているわけではない、と主張しています。

オハイオ州でのオバマのスピーチ、それからQ&Aはたいへん興味深いものでした。オバマが10代の母親のもとに生まれ、2歳のときに父に捨てられて苦労して育ち、大学を出てからはコミュニティーワーカーとして、その後は公民権関連の弁護士として働いてきたことを織り交ぜつつ、なぜ自分は今の政治を変えたいのかをわかりやすい言葉で語って聴衆をひきつけます。

Q&Aの中では私がここ何回かブログで触れてきた、銃規制や医療制度の問題にも触れ、NRA(全米ライフル協会)や製薬会社のロビー活動が、ワシントンで密室で行われていることを批判し、消費者代表を含む関係者の話し合いは、C-SPANのカメラの元、オープンに行われるべきだ、主張しました。(「関係者がテーブルを囲んで話し合うんだ、ただし私は大統領として一番おおきな椅子に座らせてもらうけどね」なんてジョークを飛ばしていたのがお茶目でした。)

もうひとつ印象的だったのは、イランについての質問で「アメリカのイラク侵攻によって、イランをかつてないほど中東で強大にさせてしまった。これは自分がイラク侵攻に2002年当時反対した根拠のひとつだ。」と言うのと同時に、9.11以降、やはり恐怖から完全に逃れられない、という聴衆に対し、数億人のイスラム教徒の内、過激思想を持つものは数万人だと指摘し、この少数者をターゲットにした捜査がきちんと行われるべきで、国民全体に恐怖感を植えつけるべきではなかったと言いました。

また、それに関連して、冴えた質問が「あなたは憲法の優位性についてどう思いますか」というもので、これに対し、ブッシュ政権がこれを踏みにじって憲法に反する法令を乱発し、拷問や盗聴を許したことに触れ「安全保障のためなら、大統領の権力が憲法に優越するというのは間違いだ、自分はグアンタナモも閉鎖し、憲法を擁護する大統領になる」とはっきり言明したのはちょっと痛快でした。

ところでこの週末ヒラリーがテキサスで放った広告のひとつは、「明け方3時の電話にあなたはどう反応しますか?
 ヒラリーならあなたと国家の安全を守ります、というわけです。これにはオバマ側も「電話に答えるなら、最初からイラク侵攻に反対した人間が大統領であるべきだ」という広告ですかさず反撃しました。

オバマは反ナフタ、反イラクでオハイオでは票を稼いだと思うのですが、テキサスは経済の大部分を軍事関連部門に頼っているので安全保障への関心が高いのです。NAFTAのおかげでメキシコ湾に面した地域では、貿易の増加によって景気も浮揚しています。テキサスでのスピーチではオバマはNAFTA関連への言及は避けているようですが、テキサスではヒスパニックに強いヒラリーが勝つような気もします。いずれにせよ、世論調査は行う機関によって、オバマの勝ちだったりヒラリーの勝ちだったりで、僅差であることはまちがいないようです。

冷めた目で見ればオバマも原発の支持者であったり、「アメリカ株式会社」に大きく逆らうことはできっこないのでしょうが、クリントン政権の企業に対する太鼓もちぶりを見たあとでは、やっぱりオバマに対する好感度が私の中でもアップしてしまいます。

原状のNAFTAがなぜ批判されるべきか、アメリカ人の立場から言えば製造業の雇用が失わへれる、ということですが、メキシコの人民の立場から言えば、労働者の最低賃金や、環境面などあるべき国内法制に優越する、とされる協定で、まさに国内の一部の金持ちを潤すだけの新自由主義的な押し付けといってよいものだと思います。

アメリカ株式会社が世銀とIMFという機関を通して押し付ける、収奪の構造に対抗して、ベネズエラのチャベスとアルゼンチンのキルチネル大統領が中心となって、中南米7カ国の首脳が集まって昨年12月に発表したのが、「南部銀行(Bank of the South、バンコ・デル・スル)」です。

アメリカのメディアでは全く取りあげられることはありませんでしたが、これは実は中南米にとってたいへん重要な出来事だったと思います。アメリカではチャベスが悪者扱いされるばかりですが、中南米全体で政治面、経済面双方で着々と「反北米連合」(反新自由主義的独立、と言ってもいいかも)は進んでいるのでした。

ところでこの南部銀行に参加する7カ国(アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、エクアドル、ボリビア、ベネズエラ、ウルグアイ)の顔ぶれを見て、目立つのはなんでしょう。

そう、中南米第3の大国、コロンビアがここに参加していないことです。コロンビアは自由党と保守党の2大政党制が敷かれ、事実上それ以外の野党が活動できない、アメリカのミニ版みたいな国です。双方の政党の政治家は、麻薬カルテルとのつながりが絶えることがなく、絶えることのないFARC(コロンビア革命軍)の武装反政府運動に対してはCIAの軍事顧問団が常駐して、軍事キャンペーンが続いています。

FARCは隣接するエクアドル、ベネズエラ領内に拠点をおいていることもあり、チャベスもコロンビア人の人質解放交渉の仲介にもたずさわっていました。ところが、先日、コロンビアの国軍が、エクアドル国境を越えて反政府勢力の拠点を攻撃したことに反発し、とうとうエクアドル、ベネズエラ両国は、コロンビアに対して国交断絶を宣言すると同時に両国軍を国境近くに配備しました。(関連ニュース)。

チャベスはコロンビアはアメリカの傀儡だ、と主張し続けていますが、同様にコロンビア側はベネズエラがFARCに資金提供をしている、と主張しています。新自由主義というのは、巨大企業のマネーパワーとそれを担保する軍事力の2つのパワーで世界を席巻してきました。9.11以来米軍は中東に戦力を割かなければいけないので、南米はある程度の軍事的な緊張緩和、そして米国からの自由を謳歌してきたわけですが、今回の衝突はひょっとするとまた米軍を巻き込む紛争につながってしまうかもしれません。

新自由主義」のゆくえ、という枠組みで南北アメリカをウォッチしていると、一見つながりのない事柄に関連性が見えてくるのです。そして、「日米軍事同盟」も、(CIAから与野党、メディアへの資金も)やはり日本が資本家にとって都合の良い国であり続けることを担保するための存在である、ということは簡単に類推できることですよね。

日本がアメリカの収奪から距離を置こうと思えば、アジアにおけるゆるやかな同盟、そしてアジア通貨構想を無視せざるをえないでしょう。ここらへんは私もまだまだ勉強不足なので、これから学んでいこうと思っている今日この頃なのです。

テーマ:新自由主義 - ジャンル:政治・経済



プロフィール

みーぽん

Author:みーぽん
複数の外資系秘書を経て英語通訳者に転身、2007年に夫の地元カリフォルニア州サンタクルーズに引っ越しました。
2年間こちらで環境金融の会社のアドミ&会計を担当した後、2009年からフリーで通訳・翻訳をしています。
TwitterのIDは@miepongです。



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