ひっそりとダライ・ラマの来日も終わり、ブログ界でのチベット関連の議論も一巡したようです。 ここ数週間、わたしは考えがまとまらぬまま、各ブログ、チベット亡命政府のサイト、Youtubeなどでチベット問題についてわたしなりに学んできました。
その中にはいろいろな見方がありました。
1.中国政府による少数民族の人権弾圧である 2.米国(諜報員、ラジオなどを通した)による扇動であるという見方 3.共産党は封建的な神権政治による階級社会だったチベットを解放したので、もともとの下層民はダライ・ラマの帰還を喜ばない、という説 4.「平和的な」デモに対する弾圧なのでなく、チベット人が漢人に暴力を振るったからだ、という見方
もちろん大多数の意見は1に集約されているわけですが、2,3,4のそれぞれにも一定の事実の裏づけはあるわけで、単純な断罪はできないなあ、というのがわたしの思いです。今回初めて知ったことも多々ありました。
たとえば、1950年代にはヒマラヤでのプレゼンスを維持したい英国政府が、中共に対抗するためにチベット僧たちに武器を提供したこととか、その後80年台まではチベット亡命政府はCIAから資金援助を受けていたこと。これはニクソンによる米国の中国との国交回復で終わりを告げました。
また、チベットは桃源郷であったように描写されがちですが、チベット仏教はインド文科圏の影響が完全には無くならず、人口の90%以上は苗字も持たない農奴であり、土地は一握りの僧や貴族に所有されていたこと。亡命したチベット人の証言はやはりどちらかと言えば恵まれていた層に属する人々からの証言である、ということを勘定に入れる必要があること。
平和的な行進を始めた僧侶の列に、民衆が加わって暴徒と化し、漢人に対する暴力は実際にあったということ。
それから当初はあくまで領土問題、つまりインドに対抗する上での地政学上の要衝ではあっても、辺境の貧しい地でしかなかったチベットが、中国の経済成長に資する豊富な資源を有する地として重要性が近年増してきたこと。
これらのことを知った上で、チベット問題とは何か、ということを考えてみました。
お時間があるとき、ぜひ読んでみていただきたいサイトがあります。 ルンタ・プロジェクトの「亡命チベット人たちが語るチベットの真実」です。
これを読むと、チベットの人々にとって、貧しくともチベット仏教の信仰を中心とした独自の生活スタイルが大事だったのか、切々と伝わってきます。どれほど中国政府が教育によって、また強制や暴力によって恭順させようとしても、チベット人の独立、自治への渇望は消すことができないのです。
映画で有名になった「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の著者、ハインリッヒ・ハラーは、チベットは非衛生で食生活も貧しく、医療も呪術しかないが、ユーモアや笑いにあふれ、季節の折節の祭儀が、生産性よりも重要視されている、と書いているそうです。(参考サイト)
チベットは「桃源郷」だったわけではありません。中国政府が主張するとおり、乳幼児死亡率は下がり、識字率は上がり、飢餓に苦しむことも減ったのでしょう。でも、人間の幸せは数字だけで測ることはできません。
チベットで行われていることと、かつての植民地、南アフリカ、そして現在のパレスチナ、さらにはイラクと重なり合ってきます。百歩譲ってチベットの社会状況が中国の介入で改善したのだと仮定しても、それがチベット人が望んだものではない限り、正当化することはできないはずです。
だからこそ、イスラエルによるパレスチナの占領を支援し、サダム・フセインの独裁に対する解放者としてイラク攻撃を正当化するアメリカが、中国によるチベット弾圧を批判するのは「ちゃんちゃらおかしい」とつくづく思います。
日本人のわたしたちにとっては、かつて大日本帝国の旗印のもと、アジアの人々を苦しめたという過去があります。もちろん欧米の帝国主義に比べ、インフラを整備した、とか教育のレベルも日本人と現地の人々と同等だった、とかいろいろ言われています。中国政府によるチベット政府の支配の正当化は、まるで日本の右翼の過去の植民地支配の正当化と共鳴しているかのようです。
でも、現地の人々が望まない形で、植民地政府への恭順を強制し、逆らう人々を投獄し、拷問し、命を奪ったことは同じです。
チベット問題が語られるときに、「ああ、豊富な資源を巡って、大国の思惑がいろいろあるのねー」とドライに捉えてしまうのではなく、かれらの痛みを私自身の痛みとしてどこまで分かち合うことができるか、そして弾圧者の論理がわたしたちの論理であったことをどこまで思い起こすことができるのか、それが今のわたしにとってのチャレンジなのです。
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テーマ:チベット問題について - ジャンル:政治・経済
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