free-speech:言論表現の自由を考える素材
毎日jp:撤回要求:現職校長、都教委に…職員会議の挙手禁止通知
都教委は06年4月、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」と通知した。
↓
通知後の職員会議について土肥校長は「教職員が『何を言っても意味がない』と思うようになり、活発な議論がされなくなった。教員の意見が反映しにくくなった」と主張。
要するに、都教委としては、一般の教員の直接の意思を運営方針決定に反映させることが気に入らず、「校長ら幹部による企画調整会議を中枢に据える」ということを求めたというわけである。
この体制では、職員会議というのは単なる連絡会議、それも上意下達の連絡会議となる。
これを大学に置き換えてみると、教授会主体の運営決定体制を排し、学長リーダーシップの強化を進めるという方針が連想される。
個人的には功罪相半ばというように思うが。
それはともかく、このケースは言論・表現の自由というよりも、教育のあり方をめぐる問題なのだろう。憲法の条文で言うなら、21条の問題ではなく、23条の問題か。
そして23条(学問の自由)との関係では、少なくとも最高裁的には、大学教育で認められる教育の自由と普通教育に認められる教育の自由とは同じでないといわれている。そして教育については、教師の側を主体とする自由権よりも、生徒の側を主体とする教育権があり、こちらの方からも教育の自由は制約を受けるのだろうなと思う。
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コメント
2006年でしたか(最近は時間が速くなった(^_^;)
職員会議で挙手・採決禁止となったときに「会議の意味がなくなる」という意見が当然あって、そこについては問題にされないというか無視して進んだと記憶しています。
もっとも、根っこは教育委員会以下の公立学校の人事システムとも密接に関係していることなので、何とも言いがたいのですがこんな事を大々的にやっているのは、東京都だけのようだし、私が直接伺っている複数の都立高校では特に問題になっている様子は見えません。
それに職員会議が活発であれば、生徒に対しても元気よく接するものなのか?と考えてみると多くの学校の中には「社会人失格」と言える教師も居ます。
細かいことでは、あっちこっち問題だらけであります。
しかし、都教育委員会がやったことは校長の仕事の一方だけに焦点を当てたことになって、校長先生ではなくて学校長・責任者として事務管理に専念することにすれば、職員会議が通達だけでよいようにも見えます。
しかしながら、これだと個々の教科などはとにかくとして、学校全体としての教育をどうするのか?という中心が無くなってしまう。
都立高校では、事務室を経営企画室と名前を変えています。
じゃあ経営企画室が有効に機能しているのか?と見てみると、有効とはとても思えない。
学校の事務管理だけのために、あれほどの人数を貼り付けておくことか?と思うところです。
その一方では、生徒のためにコピーを取るのを先生自身がやっている。
その時間は打ち合わせも出来ない。
事務方と教育方を仕事としては区別しているのに、現実の人は兼任させているわけで一人の先生に二つの顔を持たせているのだから、そりゃ混乱するでしょうし一方の立場から見れば常に問題がある。
ここらヘンの交通整理の問題で、放置したままで重心を移動するから起きる問題、職員会議で挙手・採決をして職員会議が活発になれば、問題が解消か?と考えると必ずしも肯定できないところが、難しいですね。
投稿: 酔うぞ | 2008/05/02 09:40
これって、本当に議論が活発になる/ならないってうだけの話なんでしょうか?
日の丸掲揚・君が代斉唱を強制して、従わない教員を次々処分しているのも東京都ですよね?その同じ東京都がこのような制度を作ったというのはどういうことなのか、議論が活発になるとか以前のもっと深刻なものがあるんじゃないでしょうか。
投稿: Cherry Cherry | 2008/05/02 12:26