腹も膨れたので、駅前のドトールで、沖縄黒糖ラテをおごってあげる。初めて飲んだらしく、おいしいと喜んでいた。
思い出話に花が咲く。月刊の科学雑誌でライター見習いをしていた。ご飯をおごってくれた元編集者は、副編集長。
元編集者は、遠藤周作の推薦で講談社に入社した。たまたま隣に住んでいて、「好青年がいるから、雇ってくれ」ということで入社。自動車学校は同級生。
「すずと言えば、国道1号線をまっすぐ行って、京都に行くと言い出した大冒険だよな」。
「あぁーありましたね。観測史上、一番暑い真夏で、大崎だったかな。そこで、あまりの暑さに断念して、ユースホステルに泊まったんですよ。持って行った本は、高野悦子の二十歳の原点。鉄道自殺のくだりを読んでいて、怖くなって、翌朝、家にとんぼ返りしちゃいました。編集部にも、二日後には出社してましたね」。
「それと、デザインルームに突っ走っていった笑話。デザインルームに行ってくれと編集長が言ったら、もういない。本当は、持って行って欲しいものがあったのに」。
「ありました、ありました。デザインルームに着いたら、編集長から電話があって、おーい、帰ってこいって言われちゃいました(笑)」。
「ビールの味の特集があって、池袋西武で、いろんな缶ビールを買ってこいと言われたこともありましたね。撮影するので、缶がつぶれてないか吟味して買って帰ったのを覚えています。出来上がった雑誌を見たら、この写っている缶ビールは、あたしの指紋が付いているんだなと思ったら、不思議な気がしました」。
「雇っていただく時、本当は大学二年生くらいの男の子がいいと言われたんですよね。何でもしますからって、編集長に食い下がったんですよ。大学に入ったばかりでした。男の子がいいと言われれば、赤毛のアンじゃないですけど、しゃかりきで仕事してましたね。重いレイアウト用紙をデザイナーのところにタクシーでいいから持って行けって言われて、いえいえ、電車で行きますからって、遠慮しちゃったこともありました」。
「好きな仕事は、印刷所から戻って来たイラストの返却。一枚一枚、イラストレーターに宛名を書いて、返却するんですけど、当時はパソコンなんかで描かずに一点一点、手書きで描いていて、それを見るのが好きでした。科学雑誌なので、DNAの二重らせん構造の絵なんかを細密画で描いていて、感動したのを覚えてます」。
「ご存じです? 編集部のそばのハヤシライスが有名な洋食屋さんで、講談社の社員が階段から落ちて亡くなったんですよ。あの階段、急だったじゃないですか。酔っ払っていて、落ちたんですね。その後、洋食屋さんは廃業したんですよ。非があるわけでもないのに可哀想ですね」。
「講談社の社員が東京スカパラダイスオーケストラのメンバーで、ツアーに出かける時は、ホワイトボードにツアーって、面白がって殴り書きしていたんですけど、その方も自殺なさったんですよね。原因はわからないんですけど」。
「あーそんなことがあったんだ。知らなかったな。僕が定年した後だな」。
「30歳の時から48歳まで、18年間、書き溜めたエッセイを読んでくださって、ありがとうございます。結構な分量があったのに一気読みしてくださって、うれしかったです。いつか自伝的小説が書きたいですね」。
「短い文章に濃い中身が上手に詰め込まれていたね。科学雑誌時代からの修業で文章力が身についたんだね。いろんな人生経験が話に生かされてるし、物書きとして十分な力量があると思うよ。編集した単行本で、ベストセラーの実績もあるようだね。ブログの読者も、次回作を心待ちしているんじゃないかな」。
「ありがとうございます。これからも、体調がいいときは、エッセイの続きを書いていきたいと思います」。
「またの機会を楽しみにしてるよ。今日は、ひさびさに楽しかった」。
「あたしも楽しかったです。また誘ってやってください。ごちそうさまでした」。
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