「2ケ月以下の派遣規制」は日雇い派遣の規制にならない!!!!!!!
ぜひぜひ、お読みください!
(2008年2月22日 格差是正と派遣法改正を実現する連絡会)
第1 「2ケ月以下の派遣規制」は日雇い派遣の規制にならない
「2ケ月以下の派遣規制」は、日雇い派遣の問題を解決することにはなりません。
理由① 無保険状態を解消できない
不安定雇用だからこそ最も必要な雇用保険。ところが、2ケ月以下の派遣法規制では、日雇い派遣労働者がおかれている無保険状態を解消することはできません。むしろ、一般の雇用保険(1年以上の雇用継続見込み)と日雇い雇用保険(30日未満の雇用契約)の谷間に落ち込み、雇用保険さえ加入できない無保険の不安定雇用労働者を大量に生み出すことになります。
理由② 「ワーキングプア」がなくならない
「日雇い派遣」の拡大は、日給10,000~12,000円が相場だった肉体労働の賃金水準を日給7,000円程度にまで下落させました。派遣会社が取得している3~4割のマージン分がそのまま賃金ダウンにつながっています。日給7,000円程度(交通費込み)では、1ヶ月に21日フルに働いても手取りは12~3万円。とても自立して生活できる生活水準ではありません。99年派遣法改正による派遣対象業務の原則自由化が専門業務以外の業務(自由化業務)における「ピンハネ」を認め、労働条件の著しい低下を招いたのですから、自由化業務の派遣を規制しない限り、低賃金をなくすことはできません。
理由③ 不安定雇用を固定化する
雇用調整に便利な日雇い契約や、1~3ヶ月の短期契約を反復更新する「細切れ雇用」の横行は、不安定雇用を拡大しています。日雇いにおいては「明日の仕事はありません」の一言で収入の道を絶たれ、「細切れ雇用」においては「契約期間満了」の一言で契約を打ち切られています。1日単位の雇用が2ヶ月単位になったからといって使い捨ての構図が解消するわけではありません。「2ケ月以下の派遣規制」は「2ケ月+1日」または「3ケ月」契約の反復更新による「細切れ雇用」の横行を助長し、不安定雇用を固定化させることになります。
理由④ 労働災害が減らない
5年先、10年先も働く事を予定している労働者に対してはあり得ないような不十分な安全対策、過酷な重労働、危険な作業を、使い捨てを前提とする日雇いや短期契約の労働者には強いています。危険が伴う製造や物流などの現場に、十分な安全教育や安全対策さえ講じることなく、慣れない労働者が派遣され酷使されれば、必然的に労働災害は発生します。2006年の東京都内の派遣労働者の労働災害は1.5倍に急増しています(2007年4月26日・東京労働局発表)。1日単位が2ケ月単位になっても、使い捨ての構図が変わるわけではなく、労働災害は減りません。
理由⑤ 住居の確保が困難
「ピンハネ」構造が生み出す低賃金は、住居さえ確保できない「ネットカフェ難民」を生み出しています。その日その日を何とか生きていける程度の収入では、貯金はおろか、賃貸住宅に入居するための敷金・礼金や家賃の確保さえ困難です。雇用促進住宅でさえ、日雇いや雇用保険未加入の登録型派遣労働者は入居できません。「2ケ月以下の派遣規制」では、低賃金や無保険状態を解消できませんから、住居の確保も困難なままです。
第2 対象業務の自由化によって生まれた「日雇い派遣」は対象業務の限定によって規制すべき
「日雇い派遣」は、1990年頃に「軽作業請負」(偽装請負)として誕生し、1999年の派遣法「改正」(対象業務の原則自由化)により合法化され、急成長しました。専門業務のみに限定されていた労働者派遣が、「対象業務の原則自由化」によってあらゆる業務(港湾・建設など禁止業務を除く)で解禁され、間接雇用・マージン取得(ピンハネ)による不安定雇用・低賃金を拡大し、「ワーキングプア」を生み出しました。
対象業務の原則自由化(ネガティブリスト化)によって生まれた「日雇い派遣」は、対象業務の限定(ポジティブリスト化)によって規制すべきであり、日雇いが求められる業務については職業安定法に基づく職業紹介で対応すべきです。
99年の派遣法改正で解禁された「自由化業務」については「有期雇用契約」を禁止する(つまり「常用型派遣」のみを認めることとする)派遣法改正が現実的な「日雇い派遣規制」です。
以 上
3/8 斎藤貴男さん出版記念集会に出ます。
お時間のある方、ぜひ参加してみてください。
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格差? 監視=戦争国家
私たちは2007年6月28日に、清水雅彦著『治安政策としての「安全・安心
まちづくり」』の出版を機に「監視社会を超えて」と題する集会を持ちました。
その際、多くの参加者から「監視社会を超えて」第2弾を開催するようご要望を
いただきました。
ジャーナリストの斎藤貴男さんは、これまで『機会不平等』『安心のファシズム』『ルポ改憲潮流』『人間破壊列島』『絶望禁止!』『「非国民」のすすめ』『分断される日本』『人間選別工場』『報道されない重大事』をはじめとして数十冊の著作を出版され、国家と社会のひずみに警鐘を鳴らしてこられましたが、今回、出版記念会を「格差?監視=戦争国家――監視社会を超えてPart.2」として開催することを快諾していただきました。多くの方の参加を呼びかけます。
3月8日(土)14時―18時(開場13時30分)
東京しごとセンター講堂
東京都飯田橋3丁目10番3号、TEL. 03-5211-1571
JR中央線・飯田橋駅東口より徒歩7分
参加費(資料代含む):500円
第1部 変えよう、格差社会(座談会)
斎藤貴男さん、池田一慶さん(ガテン系連帯)、狩野浩久さん(NPO法人POSSE)
うた 井上ともやすさん
第2部 とめよう、改憲潮流(パネル・ディスカッション)
上原公子さん(元国立市長)、斎藤貴男さん(ジャーナリスト)、清水雅彦さ
ん(明治大学講師)
呼びかけ人:
上原公子(元国立市長)、内田雅敏(弁護士)、海渡雄一(弁護士)、澤藤統一郎(弁護士)、辛淑玉(人材育成コンサルタント)、鈴木邦男(評論家、一水会顧問)、田島泰彦(上智大学教授、監視社会を拒否する会共同代表)、俵義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)、西野瑠美子(VAWW NET共同代表)、山下幸夫(弁護士)
協賛:週刊金曜日
連絡先:平和力フォーラム
八王子市宇津貫町1556 東京造形大学・前田研究室
042-637-8872 E-mail:[email protected]
事務局:清水雅彦(明治大学講師)、前田朗(東京造形大学教授)、宮本弘典
(関東学院大学教授)
中国地方で派遣労災88%増の224件(「中国新聞」)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200802220271.html
「業務上の理由で従業員が勤務や通勤中にけがをしたり病気などになったりした場合、事業者に提出が義務づけられている「死傷病報告書」を基に、4日以上の休業を伴うケースを抽出して取りまとめた。最多は広島の98件で、前年の53件の2倍弱となった。岡山も約2倍の81件。山口も80.0%増の36件と大幅に増えた。島根は4件で1件増え、鳥取は5件で2件増加した。製造業での発生数が174件と最も多く、全体の77.7%を占めた。」
労災がこれだけ多いのは、数ヶ月単位の細切れ雇用に大きな原因があります。工場での仕事がいくら単純とはいえ、しっかり職場の危険箇所や作業手順を押さえるには数ヶ月を要します。
ところが数ヶ月単位で入れ替えられる派遣労働者は、そうした安全を会得する前に工場を去らなければならないワケです。そして、新しい工場でも同じことが続くわけです。
また、派遣先でこのような細切れ雇用の派遣社員にしっかり安全教育がなされるでしょうか?
現在、厚生労働省の指針などで日雇は規制し二ヶ月単位の雇用を最低限確保する、という案が出されていますが、これではこうした安全の問題は解決できないでしょう。
上州のからっ風に吹かれながら
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派遣労働者としての単調な毎日が続いた。ただただ日々を過ごし、生き抜くことだけが僕の大切な目標になっていた。毎朝、工場近くに行くと、多くの派遣労働者たちが、まるで夢遊病者のように工場に吸い込まれていった。僕の姿も当然のようにその群れの中にあった。僕は、工場の中に蔓延している油の匂いが嫌いになっていった。彼らは、この工場の中でどのようなドラマを演じているのだろう?僕は何故か、他の派遣労働者たちのことが気になりだした。
どこで聞いたのか、僕が労働法規の勉強をしていることを聞いて、派遣労働者が僕のところに相談に来るようになった。
遅刻したことを職長に土下座して謝ったら、安全靴でその頭を踏みつけられた若者。生産ラインから外され、次回の雇用延長はしないと告げられた若者。今は毎日掃除しかやらされないという。まさに、僕たち派遣労働者には、人格さえ認められないかのような扱いに僕は絶句してしまった。同時に、僕はどこまでドロップアウトしていくのだろうという不安でいっぱいになった。
そんな僕に、嬉しいニュースが飛び込んできた。剣道をやっている娘が東日本の選抜大会に出場するために、前橋にやってくるというのだ。東京に来てから2ヶ月。心底逢いたかった。でも、生活費がやっとの僕にとって会いに行く交通費などはとてもなかった。
ただでさえ質素な食生活を切り詰め、ダブルワークに励んだ。休みの日は、散財しないように部屋にこもり、勉強していた。娘に逢うことだけを楽しみに。
新宿から高崎に向かう電車の中で、僕ははやる気持ちを抑えきれなかった。娘に逢える。そのことだけしか僕の頭の中にはなかった。
会場に着くと、チームメイトと共に試合に汗を流す娘の姿を見つけることができた。こんなにも成長したか。久しぶりに娘の姿を見る僕は、嬉しくなった。目尻をさげながら娘を見つめている自分の存在をしっかりと感じることができた。
休憩時間になると、多くの選手たちが大会記念グッズ売り場に群がっていた。娘の姿もあった。でも娘は、チームメイトの輪から一歩引き下がっていた。娘は、私の状況、自分が買えない立場であることを知っていたのだ。
僕は、娘にそんな思いをさせていることが悔しかった。ポケットの中の有り金をぎゅっと握り締めた。買ってやりたい、でもこのお金に手をつければ明日からの生活ができなくなる。
娘と目が合った。僕は何かを決意したように大きく頷いた。娘は、満面の笑みを浮かべてチームメイトの輪の中に入っていった。これでいいんだ。僕はそのことしか考えられなかった。娘は、弟たちへの土産も買っていた。
楽しい時間の過ぎ行くのは、とても早く感じた。娘たちを乗せたバスは、みちのく路を目指して会場を後にした。僕は、バスが見えなくなるまで見送った。バスの中から娘だけが目にいっぱいの涙を浮かべながら、最後まで僕を見続けていたのがわかった。
娘たちが去った後、早く田舎に帰りたい。派遣労働者の生活から早く這い上がりたい。そんな思いと明日からの生活をどうしようかという不安を胸に抱きながら、僕は、上州の冷たいからっ風に吹かれ駅に向かった。
その後、およそ1年間僕は子ども達に逢うことはなかった。もちろんお金がなくて。
『マスコミ市民』に記事が載りました。
『マスコミ市民08年2月号(NO.469)』(http://homepage3.nifty.com/masukomi-shimin/)に池田の書いた文章を掲載していただきました。
ありがとうございました。
みなさん、ぜひお読みください。
池田の書いた文章は、近いうちにjanjan(http://www.janjan.jp/)でも読めるようになるそうです。ありがたいかぎりです。
以下、目次です。
2008年2月号 NO.469
NO.469特集■格差社会の変貌■
プレカリアート問題の背景にあるネオリベラル
雨宮 処凛(作 家)
均等待遇の確立と有期雇用、間接雇用の規制を
関根秀一郎(派遣ユニオン書記長)
セーフティーネットがない社会とは
湯浅 誠(自立生活サポートセンター・もやい)
労働者内部の格差拡大と利害の対立
橋本 健二(武蔵大学教授)
仲間とともに生きる道を切り開く
池田 一慶 (ガテン系連帯 共同代表)
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安田好弘弁護士が語る、和歌山カレー事件の真相
本誌編集部
韓国民主化運動、光州、尹伊桑氏の音楽
伊藤 成彦(中央大学名誉教授)
市民メディア訪問「続・地域コミュニティをつなぐFM局」
松本 恭幸(メディアプロデューサー)
グローカルの眼 韓国大統領選挙結果の見方
小倉 英敬(常磐会学園大学教員)
連載 空に歌えば─平和・人権・環境
最後のフォークソング まよなかしんや
前田 朗(造形大学教授)
アジアメディア最前線
マスコミのセンセーショナリズムが自己責任論を生む
大村 一朗(アジアプレスインターナショナル)
■新連載■対米呪縛の心理を読む 第1回
福田誠之郎
山椒のひとつぶ「森達也と故丸山友岐子が問うたもの」
しんすご(辛淑玉)(人材育成コンサルタント)
21世紀キーワード図鑑85 民主主義
橋本 勝(社会風刺漫画家)
市民のひろば
チクリ・おとなのにほんご
編集手帖
ごめんな
派遣労働者となった僕の食生活は実に質素なものだった。朝は、食パン2枚に百円均一ショップで買った紅茶。昼は工場の食堂で定食。夜は、インスタントラーメン。卵入りは、豪華なものになっていた。
派遣会社には、前払いという制度があった。自分が働いた日数に応じて、毎週給料を前払いしてくれるというものだった。1日4000円×稼動日数分。僕は、毎週2万円ずつ前払いを利用した。そのうちの1万円は、田舎の子どもたちに送った。当然、給料日に手にする給料は少なくなる。だからまた前払いを利用する。これが派遣労働者が、貧困という蟻地獄に陥るシステムである。派遣労働者は、派遣会社にしがみついていかなければならない罠のようなものである。このまま僕は這い上がることができないのか?いつもそのような絶望感でいっぱいになっていった。
少しでも子どもたちにお金を送ってやりたい。そんな思いから、僕はどんどん生活費を切り詰めていった。1日の支出目標は、500円だった。
近所のスーパーに行くと、惣菜コーナーに500円のカツ丼があった。食べたかった。心底食べたかった。でもそれに手をつけると、1日の予算がそれだけで破綻してしまう。僕は、思いっきり生唾を飲んで食べたつもりと自分に言い聞かせた。
試食デビューも果たした。栄養の摂取と空腹を満たすことを目的にスーパに試食品が陳列される時間帯を選んで出かけていった。まごまごしていると百戦錬磨のライバルたちに負けてしまうので、つまよう枝で一気に串刺しにして食べる術も取得した。腹は満たされるものの心は満たされなかった。
ダブルワークも始めた。僕が契約している派遣会社の系列会社に登録してスポット派遣に出かけた。1回目は、事務所待機。突発で欠員が出たときに、仕事に出かけるというものだった。事務所には、僕の他に女性が1名いた。欠員が生じ、僕は、引越しの仕事に行くことを命ぜられた。現場に行くと、先方は依頼していないということだった。僕はその日は何もせずに半日分の日当をもらった。2度目は、マンション建設現場への派遣だった。現場近くのコンビニで、担当者と待ち合わせた。彼は、僕に「派遣だとは言わないでください。」と真剣に言ってきた。僕は、数分後に全てが理解できた。僕は更に別な会社に派遣されていたのだ。社会保険労務士を目指して勉強を始めていた僕にとって、このからくりの意味することは、そう難しくはなかった。でも多くの派遣労働者は、言われるがままに働いているのだろう。3回目は、運転助手。配達の助手だった。その運転者の一言が脳裏を離れない。「お宅らは、気軽な気持ちできているのだろうが、こっちは、派遣会社に1万5千円も払っているんだ。しっかりやってくれよ。」僕のその日の日当は、7千円。残りはどこにいったのだろう。
その日のダブルワークは、午後2時に終わった。日当は、1日分出るのでありがたかった。帰路についた時、ファミリーレストランの側を通った。窓越しに、世界中の幸せを全て浴びているかのような家族連れの姿が見え
た。僕は、田舎に残してきた3人の子どものことを思い出した。
今が一番家族の思い出が必要な子どもたち。でも僕は、何もしてやれない。晴れ渡った空を見上げ、「ごめんな。ごめんな。」僕は、何度も何度も、子どもたちに謝った。空に映し出された子どもたちの顔は、3人とも
満面の笑みを浮かべていた。
「ごめんな。」その後子どもたちを思い出した時、この言葉は僕の口癖になっていった。
「1・30格差是正と派遣法改正を実現する院内集会」のご報告
当日ご参加くださったみなさん、本当にありがとうございました。
昨年末、財界主導で進められていた労働政策審議会での派遣法改正が労使の意見対立から見送られ、厚生労働省は日雇い派遣を規制する指針を年度内に出すと発表しました。1月28日に出された日雇い指針の内容は全く無内容で、規制するといいながら現状の日雇い派遣の存在に役所がお墨付きを与える役割しかもたないものでした。しかも、いま求められている格差社会の是正のためには、派遣労働の無原則な自由化を抜本的に見直すことなのに、厚労省はその課題を先送りしてお茶を濁そうと考えているとしか言いようがありません。
今回の院内集会は、そうした役所や財界の小手先の事態収拾策に痛打を浴びせ、派遣法改正の動きをさらに加速させるものとなりました。当日、会場となった参議院議員会館には200名近くの聴衆が訪れ、会場はこれまでどおり超満員。年が明けても変わらぬみなさんの関心を見せ付けられました。
また、民主党、国民新党、共産党、社民党の野党4党に加えて、今回も与党の公明党が参加。15名もの国会議員が次々に法改正の決意を明らかにしました。
参加議員はこちらのみなさんです。ありがとうございました。
民主党 山田正彦 衆議院議員(党ネクストキャビネット厚労大臣)
細川 律夫 衆議院議員
田名部 匡省 参議院議員
谷 博之 参議院議員
姫井 由美子 参議院議員
国民新党 亀井 亜紀子 参議院議員
共産党 小池 晃 参議院議員
紙 智子 参議院議員
山下 芳生 参議院議員
社民党 近藤 正道 参議院議員
菅野 哲雄 衆議院議員
福島 みずほ 参議院議員
辻元 清美 衆議院議員
保坂 展人 衆議院議員
公明党 谷合 正明 参議院議員
今回の集会では民主党、共産党、社民党がそれぞれの立場から派遣法改正に関する基本的な論点を明らかにし、改正案提出に向け、具体的な作業に入ったことを告げました。また国民新党は次週に党の基本的な考え方をまとめることを約束し(おそらく先週まとまっているはず)、公明党は「公明党北側幹事長が予算委委員会で日雇い派遣の原則禁止、法改正の必要性を明らかにした。みなさんと議論を深めていきたい」と発言しました。いよいよ派遣法改正に向けた動きが大詰めを迎えつつあります。
各党から示された派遣法改正の論点は次の通りです。当日、議員発言のコーディネーターを勤めた中野麻美弁護士が発言したように、私たちの積み重ねてきた議論が形になったと感があります。
■民主党
①2か月以下の登録派遣の禁止・日雇い派遣の禁止
②違法派遣・偽装請負への規制強化
③派遣先・元の共同雇用責任
④派遣料金の上限規制
⑤専ら派遣の規制
⑥均等待遇の徹底
■共産党
①雇用の原則は直接・常時雇用であり、登録型派遣は厳しく規制
②派遣期間を超えた場合や違法行為があった場合、労働者を派遣先の正社員にする
③派遣労働者の均等待遇を実現
④派遣元・派遣先企業の責任を強化する
⑤違法行為に対する労働者の告発を保障し、不利益取扱いを禁止する
■社民党
①派遣対象業務をポジティブリスト方式へ見直す
②常用型派遣を基本とし、日雇派遣は禁止する
③派遣期間の上限を厳守
④派遣先の責任を強化
⑤派遣先派遣元両者に共同責任を持たせる
⑥派遣元の責任を強化する
⑦直接雇用のみなし規制を設ける
⑧紹介予定派遣制度の見直し
⑨行政による監督・指導の強化
また、今回のシンポでは各界からの発言をもらいました。
日本労働弁護団の小島周一 幹事長は、「1985年の派遣法成立時も、1999年の改正時も我々は反対の意を唱えてきたが、ここまで関心を集めることがなかった、今日の状況は本当にすばらしい」と派遣法が成立した頃の状況を回想しながら、「派遣先企業規制、連帯責任を盛り込んだ改正の代案に賛成します」と応援の言葉を述べました。
中央大学の毛塚勝利 教授は、「派遣法は論理的におかしい法である。①一時的・臨時的派遣に限定、②派遣元事業主の下で継続雇用の原則、③派遣先には行政的規制よりも私法的規制、④有期契約規制との整合性が課題となる」と研究者の立場から意見を述べました。
また労働界からは全労連・伊藤政策局長、全労協・中岡事務局長から激励のメッセージをもらいました。(連合は日程の都合により欠席)
主催の立場からは派遣ユニオンの関根秀一郎 書記長が「『日雇い派遣に関する指針』は有名無実な内容であり、現行の派遣法規制では違法派遣は妨げない。派遣制度の見直しが必要だ」と派遣規制には法改正しかないことを強調しました。
労政審での派遣法改正の議論が一時中断になったとはいえ、建て前上は中立の立場からなる研究会で検討したうえで、今年夏に派遣法改正の議論が再開されます。財界の抵抗も強くなっていくでしょう。しかし、状況は着実に進んでいます。
みなさん、がんばっていきましょう!!!
厚労省日雇い指針に関する声明
派遣法改正に向け、これまで3回の国会シンポを企画してきた労働組合、NPOからなる「格差是正と派遣法改正を実現する連絡会」が厚労省が1/28に出した「日雇い指針」(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/01/h0128-1.html)に対して出した声明をご紹介します。
抜本的な派遣法改正をめざす声明
労働者派遣法の改正案に向けて議論を進めてきた労働政策審議会 労働力需給制度部会は、昨年12月25日に今通常国会での労働者派遣法の改正案の提出を見送ることを決めた。
しかし、同時に社会問題ともなっている日雇派遣については「労働者保護の仕組みがより適切に機能するよう、必要な省令、指針の整備について、当部会において速やかに検討を行うべきである」(「労働者派遣制度の検討状況について(中間報告)」。以下「中間報告」)と示した。
そして、この中間報告に基づき1月16日の同部会で「日雇派遣労働者の雇用の安定等を図るために派遣元事業主及び派遣先が講ずべき措置に関する指針(案)」(以下「指針案」)が提出された。
しかし、今回の指針案はワーキングプアの温床となっている日雇派遣を規制すべきとする世論に逆行し、なんら規制になっていないばかりか、主に以下の点において問題であり、日雇派遣での悪しき習慣が他の働き方に拡大することさえ危惧される。
1.「日雇派遣労働者」を日雇雇用保険の対象者と合わせ「日々又は30日以内の期間を定めて雇用されるもの」と定義しているが、日々雇用で数ヶ月間にわたって働く者などもおり、その形態は多様である。このような定義は、日雇派遣問題を矮小化することにつながる恐れがあること。
2.情報公開については、派遣料金を明示することにより、不当なマージン率を規制することが目的だったはずである。しかし、指針案では個別の派遣契約ごとの派遣料金の開示は求めておらず、当初の目的を達成できる内容になっていないこと。
3.携帯メールで労働条件を明示する場合のモデル例を作成するとしているが、これは原則として文書で労働条件の明示を義務付けている労働基準法と矛盾し、今後、こうした労働条件明示の方法が一般化されてしまうおそれがあること。
4.日雇雇用保険について指針案では加入促進のみに終始していること。先般グッドウィルに対し業務停止命令が出されたが、仕事にあぶれる日雇労働者が現れることが懸念されるにもかかわらず、遡及加入などについて認めようとしないのは、業務停止という事業主の責任の一端を労働者にも負わせることになり問題である。
5.罰則を設けてまで強制されている集合時間について、労働時間とすべきか否かの判断を避けた曖昧な記述になっていること。これでは、こうした不当な取扱いを容認・助長しかねず、今まで以上に悪影響が拡がることが懸念される。
そもそも、現行の労働者派遣法で違法ではない日雇派遣に関する規制を指針や省令で行うことには限界がある。しかし、現在の格差社会、ワーキングプア、ネットカフェ難民を生み出したのは、規制緩和による労働者派遣法の改悪であり、派遣労働者の立場に立った労働者派遣法の改正が求められている。
同部会では、労働者派遣法にあたっては「厚生労働省の学識者からなる研究会を設け、労働者派遣制度の趣旨、登録型派遣の考え方、派遣先の責任の在り方、派遣労働者の処遇の在り方を踏まえつつ、当部会で出された検討課題等を中心に、幅広く、法的、制度的な考え方について整理を行う」(中間報告)としているが、今回の指針案は日雇派遣について曖昧な規制をすることでお茶を濁し、労働者派遣法の抜本的な改正を避けようとしているとしか考えられない。
私たちは、日雇派遣という究極の細切れ、かつ、不安定な雇用を合法化している根本である登録型派遣を原則として禁止していかなければ問題の解決はあり得ないと考える。
今後、野党のみならず、与党にも呼びかけ、労働者のための労働者派遣法の改正に向けた取り組みを進めていく決意である。
2008年1月25日
格差是正と派遣法改正を実現する連絡会
NPO法人 派遣労働ネットワーク
『週間金曜日』に取り上げられました。
是非お読みください!
こんな記事も出ています→
■「キヤノン大分工場」大醜聞
御手洗氏は経団連会長を即刻やめよ(藤田 和恵)
キヤノン(本社・東京)大分工場建設工事をめぐり、不透明な随意契約や、
税金穴埋めありきの安売り、「親密企業」による脱税疑惑が浮かび上がった。
キヤノン会長・御手洗冨士夫氏に日本経団連会長の資格はあるのか。
「なぜか、仰げば尊しを」
僕は、のっけから地獄の底に叩き落された。男が言うには、僕が希望して上京してきた派遣先にいけるかどうかまだ分からないというのだ。つまり、ぼくは、行き先も分からないまま招聘された兵隊だったのだ。雇用契約が済めば、2万円支給するとうたい文句にあったが、派遣先が決まるまで支給できないというのだった。財布の中の1万円札がなければ、僕は、無一文で東京生活を始めることを余儀なくされていたのだった。男は何事もなかったように、部屋を去って行った。
パンツ一枚で現れた男はすでに寝たらしく、僕は静まり返った部屋の中で、孤独感と言うおかずを味わいながら、手作りのラーメンをひたすらすすり続けた。貧乏だった学生時代にもなかった光景であった。
採用が決まったらしく、翌朝早くその男は、再び僕の部屋に現れた。男が乗ってきたワゴン車に乗ると、北海道出身の男も乗っていた。派遣会社の作業着を渡された。なんとも粗末なものだった。その辺のホームセンターで買えば5百円くらいだろう。昼休みには食堂の前で待ち合わせをして安全靴も渡された。工場内での販売価格は、2千3百円だった。その男は翌月の給料から、作業着代として5千円天引きすることを告げて、工場を後にしていった。
僕はあまりの現実の酷さに絶望感に溢れていった。その日の作業は、見学がほとんどだったが、何故か7時過ぎまで残業させられた。この先どうなるのだろう?そんな不安感をいっぱいにしながら、冷たい北風の吹く甲州街道をひたすら寮に向かいながら歩き続けた。何故か小さな声で「仰げば尊し」を口ずさみながら。
再び東京へ・・・派遣労働者として
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砂をかむような思いでしかない東京に、背を向けるように郷里に戻った23年前。もう二度と戻って来まいと誓ったはずなのに、僕は再びその一歩を踏み入れてしまった。しかも、格差社会が騒がれている真っ只中に、その象徴とも揶揄されている派遣社員として。中央線の豊田駅付近は、素晴らしく晴れ渡っていた。前日宮城の小さな田舎町は大雪に見舞われ、遅れて仕事先を失っては大変と思い、約束の時間より2時間も前に到着していた。手にしているのは、求人広告のとおりバック一つと子どもたちとの思い出がぎっしり詰まったノートパソコン1台。財布の中は1万円。これが僕の2度目の東京生活の始まりだった。2006年1月23日。派遣会社の営業担当に連絡を入れた。「もう着きましたか。これから向かいますから。」彼が来たのは、それから3時間もたってからだった。元来短気な僕だが、仕事にありつくため、じっと耐えて待った。豊田駅付近の小さなスクランブル交差点を何度も行き来した。彼は何事もなかったように迎えに来た。ワゴン車の中には、北海道出身という派遣労働者が一人乗っていた。僕たちを乗せたワゴン車は、近くの自動車工場に向かった。そこに入っていくと、僕と同じように連れてこられた派遣労働者が、30名近くいた。食堂に通され、堂々と事前面接が行われた。何も知らない派遣労働者は、素直に応じていた。一人一人が、アフリカから連れてこられた奴隷のように見えた。面接官の手には、僕が派遣会社に提出した履歴書がしっかりと握り締められていた。これが世の中の動きなのか?田舎でのんびり過ごしてきた僕にとって、そう思って妥協するしかなかった。フローリングのワンルームを想像していた寮に連れて行かれた。なんとも小汚い団地であった。部屋番号は201。中に入ると、同じ東北出身という男が、風呂からパンツ一枚の姿で現れた。この男との出会いが、将来僕に生きがいを与えてくれるとは、その時は夢にも思わなかった。