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事実確認
訂正(内藤教授の所属研究科について)
> Twitterより
> https://twitter.com/masanorinaito/status/532416455032074240
> https://twitter.com/masanorinaito/status/532424786387824640
上記ツイート1(@masanorinaito)
文藝春秋の池内論文。私を批判していますが、完全な間違い。まず、私は中田考先生の後任の神学部教授じゃありません。
15:15 - 2014年11月12日
上記ツイート2(@masanorinaito)
池内先生、ちょっと調べりゃ分かるのに。わざわざ「元一橋大学教授で、中田考氏の後任として同志社大学神学部教授に就任している内藤氏は」って、ここまで詳細に書いといて間違えるとはねえ。私は大学院グローバル・スタディーズ研究科の教授です。粗忽だ。
3:48 PM - 12 Nov 2014
上記のご指摘を受けました。
確かに、調べてみますと、内藤教授はグローバル・スタディーズ研究科の所属で、中田考教授は神学部所属でした。内藤教授は2010年に着任とのことです。
前任者が退任が決まっている場合に先行して後任を採用することは大学ではよくあることなので、そのような事例と推測していましたが、それは異なるというご指摘と受け止めています。
「中田考氏の後任として同志社大学神学部教授に就任している内藤氏」を訂正し、「中田考氏の辞職と時期を同じくして同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授に就任した」といたします。
なお、神学部とグローバル・スタディーズ研究科はイスラーム研究に関して密接に協同して事業を行っていることが知られています。それは人事・所属の面でも明らかです。神学部と密接な関係をもって設立された一神教学際センターの幹事を中田考神学部教授が務めただけでなく、現在は内藤正典グローバル・スタディーズ研究科教授が務めています(中田考氏は教授辞職後も客員上級共同研究員)。
http://www.cismor.jp/jp/researchers/
http://rc-pda.doshisha.ac.jp/research_member/member.html
逆にグローバル・スタディーズ研究科内に設置されたアフガニスタン平和・開発研究センターの現在のセンター長は内藤教授ですが、中田考氏がターリバーン幹部を日本に招請して国際会議を開くなどこのセンターの主要な活動を推進してきており、現在も客員上級共同研究員を務めています。
http://rc-pda.doshisha.ac.jp/research_member/member.html
このように神学部とグローバル・スタディーズ研究科がイスラーム研究で一体的に事業を運営し交差的に人事を行なっており、グローバル・スタディーズ研究科が大学院のみで学部を持たないことから、イスラーム研究関係の人事が神学部と実質上一体的に行われていると推認していましたが、異なるということであれば、訂正します。
ただし私の論稿で中田さんのイスラーム法学の議論を紹介する際に内藤教授の一連のツイートを取り上げた主眼は、もちろん内藤教授の所属先がどの学部あるいは研究科であるか、あるいは中田さんと内藤教授の任期が一年重なっているか否か、それが前任・後任の関係を意味するかにあるのではない。ここで問題にしたのは、内藤教授のイスラーム法学認識であり、それが10月13日の午後は現実のイスラーム法学書にある定説とは異なるものであったのが、10月13日夜9時の中田さんの法学解釈の後の、翌日早朝2時台には劇的に変化し、激越なアメリカ批判が行われた点である。「イスラーム法学では異教徒の奴隷化はあり得ない(であるがゆえに欧米メディアあるいは日本メディアの「イスラーム国」批判はデタラメ)」という議論から、「イスラーム法学で異教徒の奴隷化があり得ると知りながら米国は地上軍を出さずヤズィーディ教徒を見捨てた」という議論に変化した事象が興味深いととらえているがゆえに取り上げていることは明確にしている。
しかし背景説明として付した内藤教授の肩書きで、所属学部・研究科を誤記したことについて、訂正し深くお詫びします。
内藤教授は私の論稿を「完全に間違い」とされているため、論稿全体が完全に間違っていると教授が主張されているという印象を与えかねない。おそらくツイッターという、字数が非常に限られた媒体を用いているために発言が断定的に見えるのだろう。私の論稿のうち、内藤教授の所属研究科の名称と、中田考氏と任期が一年重なっているか否か、それが前任・後任としての関係を意味するかについて、当時者より「完全に間違い」であるというご指摘と受け止め、ここに訂正する所存です。
> https://twitter.com/masanorinaito/status/532416455032074240
> https://twitter.com/masanorinaito/status/532424786387824640
上記ツイート1(@masanorinaito)
文藝春秋の池内論文。私を批判していますが、完全な間違い。まず、私は中田考先生の後任の神学部教授じゃありません。
15:15 - 2014年11月12日
上記ツイート2(@masanorinaito)
池内先生、ちょっと調べりゃ分かるのに。わざわざ「元一橋大学教授で、中田考氏の後任として同志社大学神学部教授に就任している内藤氏は」って、ここまで詳細に書いといて間違えるとはねえ。私は大学院グローバル・スタディーズ研究科の教授です。粗忽だ。
3:48 PM - 12 Nov 2014
上記のご指摘を受けました。
確かに、調べてみますと、内藤教授はグローバル・スタディーズ研究科の所属で、中田考教授は神学部所属でした。内藤教授は2010年に着任とのことです。
前任者が退任が決まっている場合に先行して後任を採用することは大学ではよくあることなので、そのような事例と推測していましたが、それは異なるというご指摘と受け止めています。
「中田考氏の後任として同志社大学神学部教授に就任している内藤氏」を訂正し、「中田考氏の辞職と時期を同じくして同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授に就任した」といたします。
なお、神学部とグローバル・スタディーズ研究科はイスラーム研究に関して密接に協同して事業を行っていることが知られています。それは人事・所属の面でも明らかです。神学部と密接な関係をもって設立された一神教学際センターの幹事を中田考神学部教授が務めただけでなく、現在は内藤正典グローバル・スタディーズ研究科教授が務めています(中田考氏は教授辞職後も客員上級共同研究員)。
http://www.cismor.jp/jp/researchers/
http://rc-pda.doshisha.ac.jp/research_member/member.html
逆にグローバル・スタディーズ研究科内に設置されたアフガニスタン平和・開発研究センターの現在のセンター長は内藤教授ですが、中田考氏がターリバーン幹部を日本に招請して国際会議を開くなどこのセンターの主要な活動を推進してきており、現在も客員上級共同研究員を務めています。
http://rc-pda.doshisha.ac.jp/research_member/member.html
このように神学部とグローバル・スタディーズ研究科がイスラーム研究で一体的に事業を運営し交差的に人事を行なっており、グローバル・スタディーズ研究科が大学院のみで学部を持たないことから、イスラーム研究関係の人事が神学部と実質上一体的に行われていると推認していましたが、異なるということであれば、訂正します。
ただし私の論稿で中田さんのイスラーム法学の議論を紹介する際に内藤教授の一連のツイートを取り上げた主眼は、もちろん内藤教授の所属先がどの学部あるいは研究科であるか、あるいは中田さんと内藤教授の任期が一年重なっているか否か、それが前任・後任の関係を意味するかにあるのではない。ここで問題にしたのは、内藤教授のイスラーム法学認識であり、それが10月13日の午後は現実のイスラーム法学書にある定説とは異なるものであったのが、10月13日夜9時の中田さんの法学解釈の後の、翌日早朝2時台には劇的に変化し、激越なアメリカ批判が行われた点である。「イスラーム法学では異教徒の奴隷化はあり得ない(であるがゆえに欧米メディアあるいは日本メディアの「イスラーム国」批判はデタラメ)」という議論から、「イスラーム法学で異教徒の奴隷化があり得ると知りながら米国は地上軍を出さずヤズィーディ教徒を見捨てた」という議論に変化した事象が興味深いととらえているがゆえに取り上げていることは明確にしている。
しかし背景説明として付した内藤教授の肩書きで、所属学部・研究科を誤記したことについて、訂正し深くお詫びします。
内藤教授は私の論稿を「完全に間違い」とされているため、論稿全体が完全に間違っていると教授が主張されているという印象を与えかねない。おそらくツイッターという、字数が非常に限られた媒体を用いているために発言が断定的に見えるのだろう。私の論稿のうち、内藤教授の所属研究科の名称と、中田考氏と任期が一年重なっているか否か、それが前任・後任としての関係を意味するかについて、当時者より「完全に間違い」であるというご指摘と受け止め、ここに訂正する所存です。
Re: 訂正(内藤教授の所属研究科について)
補足:内藤教授は2010年に着任、中田考教授は2011年に退任。着任・退任の月が分かりませんが、ともに4月だとすると、1年重なっています。同研究科・学部であれば同分野の教授同士では一般に前任・後任とみなされますが、ここでは学部・研究科をまたがっているため、前任・後任と呼ぶのはふさわしくないというのはごもっともです。
『文藝春秋』読みました
<日本の知識人による独自の「イスラーム」構築>
左翼イデオロギー受容との背景心性の近似(誤解要因2と4)はその通りだと思います。
政権政党・ビジネス界の主流が東側陣営と永遠の友情を誓ったりはしなかったのに対し、イスラーム世界に向いては(特に石油危機以降)全方位外交と称して(時にアメリカの方針に反してでも)石油欲しさにすり寄る姿勢を取り続けていることも両思想を取り巻く状況の違いで、思潮にも影響を与えているのではないかと思います。
現在の政権が掲げる価値観外交も、中東とロシアには適用されないように見えます。「親日」認定したら、その後はひたすらご機嫌を取り結ぶような姿勢が望む効果を生むかは疑問ですが。
<自由からの逃走>
個人がリスクを負う社会に対比して集団主義を理想化したがる傾向は、日本に限らず、西洋においてさえも、繰り返し個人主義の正義・功利と集団主義が実現した場合の問題点を説き続けないと、ぶり返すものではないでしょうか。
「信じたら終わり」に出来ないのが個人主義の強みであり、根付かせる上での弱みだと思います。
左翼イデオロギー受容との背景心性の近似(誤解要因2と4)はその通りだと思います。
政権政党・ビジネス界の主流が東側陣営と永遠の友情を誓ったりはしなかったのに対し、イスラーム世界に向いては(特に石油危機以降)全方位外交と称して(時にアメリカの方針に反してでも)石油欲しさにすり寄る姿勢を取り続けていることも両思想を取り巻く状況の違いで、思潮にも影響を与えているのではないかと思います。
現在の政権が掲げる価値観外交も、中東とロシアには適用されないように見えます。「親日」認定したら、その後はひたすらご機嫌を取り結ぶような姿勢が望む効果を生むかは疑問ですが。
<自由からの逃走>
個人がリスクを負う社会に対比して集団主義を理想化したがる傾向は、日本に限らず、西洋においてさえも、繰り返し個人主義の正義・功利と集団主義が実現した場合の問題点を説き続けないと、ぶり返すものではないでしょうか。
「信じたら終わり」に出来ないのが個人主義の強みであり、根付かせる上での弱みだと思います。