2024/02/10
ドイツの住宅地のみんなの公園
家に近くにこんな公園が欲しいな〜
オイラが子供の頃の公園やグラウンドは・・
オイラが子供の頃は近所にアップした写真のような公園があった。といってもこんな卓球台や滑り台やブランコまではなかった。それに一休みできるベンチや椅子もなかった。でもシロツメクサで覆われたふかふかした緑の広いグラウンドがあった。みんなでボール投げをしたりボールを蹴ったり、シロツメクサで王冠や首輪を作ったり寝転がって雲を眺めたりした。
当時はまだ戦後10年前後の頃だから日本は貧しくて食べ物もあまりなかった。我が家は田畠、山林や広い裏庭もあったのでほぼ自給自足生活をした。だから米、野菜、果物、味噌、お茶、小豆など作れるものはなんでも作った。でも甘いお菓子や飴やアイスキャンデーはたまにしか食べれなかった。遊び道具はなくてこんな公園や山や海に出かけて走ったり泳いだり地面に絵を描いたり陣取り、隠れん坊、缶蹴りをして遊んだ。
近くの神社には相撲ができる土俵もあって近所に同級生も7−8人いたしちょっと声をかけるとソフトボールの試合ができるくらいの人数が集まった。何しろ子供は多かったので皆で相撲やソフトボールをし、「ご飯だよ〜」って呼びに来るまで遊んでいた。
日本の1960年前後は多少の違いはあってもどこもこんなものじゃなかったろうか。外国など自由に行ける時代ではなかったし、行けるようになってからも$1=360円で$500までだったか?制限があった。日々の暮らしもスマホはないし塾も滅多にないし、当たり前のように集団就職があった。でも近所にはこんな公園があった。