身体は、全身を満遍なく鍛えるのが良いのだろうし、また、筋力、瞬発力、持久力、筋持久力、体幹、柔軟性・・・あらゆる機能をバランス良く鍛えるべきなのかもしれない。
だが、世の中には、「腕立て伏せしかしない」とか「腹筋運動しかしない」とか、珍しいところでは「壁を使った倒立しかしない」という人もいるが、そういった「特化型」の人達というのは、なぜか皆、スタイルが良く、力強く、生命力があると感じられるのである。
一方、教科書型の、いわゆる「バランス良い」トレーニングをしている人は、理屈は達者で優等生らしさはあるが、「戦える」身体をしていないように思うし、そもそもが、学校を卒業するなどでスポーツ部を辞めると、運動しなくなる場合が多い。
いや、スポーツ選手だって、好きな運動を特に熱心にやる人の方が良い選手であるような気がする。
バランスの良い選手の方が使い易いが、そんな選手は替えが効くし(使う方には都合が良い)、いざという極限状態で役に立つのは、案外に特化型であると思う。
映画『フォレスト・ガンプ』で、知能指数は低いが誠実な男であるフォレスト・ガンプは、子供の時から、走るだけ・・・それも、走って逃げることだけだったが、それで鍛えられたおかげで一生うまくいったと言って良いと思う。まさに、彼に初めに、「逃げて!」と指示したジェニーは「マジ天使」だった。
西尾維新さんの『物語シリーズ』で、高校3年生で引きこもりの傾向がある主人公、阿良々木暦(あららぎこよみ)は、腹筋に特化して鍛えていたが、そのおかげで、ナメられているはずの妹達からも腹筋の素晴らしさだけは称賛され、見かけ12歳の少女の式神(しきがみ)で、超人である斧乃木余接(おののぎよつぎ)からも「鬼のお兄ちゃん、いい筋肉しているね」と、そのことだけは褒められる。
まさに、腹筋だけで勝負する引きこもりだったが、そういえば、阿良々木暦は、勉強の方も数学1本でやっていた。しかし、それで良いのだと思えるのである。
早い話が、あれこれやって全部そこそこ、あるいは、全部平均以下になるよりは、1つに絞って抜きん出た方が良い。
いや、全部「かなり」になるよりも、1つをスーパーレベルにした方が良いのではないか。
この「良い」とは、社会にとってとか、会社にとってではなく、自分にとって・・・もっと正確に言えば「自分が良い想いをする」ために良いのである。
そして、自分が良い想いをして楽しければ、結局のところ、家族、学校、会社、社会にとって良いはずである。
だが、今の時代、家族、学校、会社、社会が駄目なので、そうはならないが、それなら、とりあえず、自分が良い想いをすれば良い。
プログラミング言語だって、5つも6つも(あるいはそれ以上)出来ますという人より「COBOLしか出来ません。でもCOBOLなら自信があります」と言う人の方が良い仕事をする。
こう言うと、「いや、いろんなプログラミング言語の仕事がある。少なくとも、これとこれとこれ、それに、これは出来ないと駄目だろう」と言う人が多いし、それは正しいのだが、1つを磨き上げている者には、なぜか、その1つを必要とする、良い仕事、面白い仕事が来るものであり、結局、良い想いをするものなのだ。それは不思議で、理屈には合わないが、なぜかそうなる。
Excel VBAしか出来ませんと言う人に、そういう人をよく見ると思う。
私は『キレキャリオン』(ポリスピカデリー feat.初音ミク)という歌の、
二つ目を捨てろ 予想外になれ
というところを聴いた時、物凄い衝撃を感じ、「もうこれだけでいい!」と思ったものだった。
私自身、能力のキャパシティがないのに、1つに絞れず、中途半端になり勝ちなために、ぱっとしないことはよく感じる。
フォレスト・ガンプのように「走って逃げる」というようなコレというものがないのだ。
真言は5つ6つ、プログラミング言語もやたら沢山出来て、どれも達人ではない。
中途半端と言うか、徹しきれないやつで、それはそれで、続ければぬるくやれるが、必殺の切れ味を持たない。
もちろん、本当は何が良いのかは分からないし、特化した結果、特化したそれ自体が世界からなくなった時に終わりというリスクもあるが、案外、それはそれで良いのかもしれない。
私は、昨日(8月31日)の初音ミクさんのお誕生日(14回目だ)を記念し、
ネイビーシールズ・ハーフ・スクワット(比較的高速なスクワット)1000回
ネイビーシールズ・フルレンジ・プッシュアップ)(完全腕立て伏せ)100回
をやり、この半分を、今日から、11月のマジカルミライ終了まで毎日やることにしたが、やはり2つである。
いや、実は、腕振り運動やぐーぱー運動、その他、かなりの種類をやっている。
ナーマスマラナ(神仏の名を唱える行)では、1つに絞りたいと思っている。
だが、世の中には、「腕立て伏せしかしない」とか「腹筋運動しかしない」とか、珍しいところでは「壁を使った倒立しかしない」という人もいるが、そういった「特化型」の人達というのは、なぜか皆、スタイルが良く、力強く、生命力があると感じられるのである。
一方、教科書型の、いわゆる「バランス良い」トレーニングをしている人は、理屈は達者で優等生らしさはあるが、「戦える」身体をしていないように思うし、そもそもが、学校を卒業するなどでスポーツ部を辞めると、運動しなくなる場合が多い。
いや、スポーツ選手だって、好きな運動を特に熱心にやる人の方が良い選手であるような気がする。
バランスの良い選手の方が使い易いが、そんな選手は替えが効くし(使う方には都合が良い)、いざという極限状態で役に立つのは、案外に特化型であると思う。
映画『フォレスト・ガンプ』で、知能指数は低いが誠実な男であるフォレスト・ガンプは、子供の時から、走るだけ・・・それも、走って逃げることだけだったが、それで鍛えられたおかげで一生うまくいったと言って良いと思う。まさに、彼に初めに、「逃げて!」と指示したジェニーは「マジ天使」だった。
西尾維新さんの『物語シリーズ』で、高校3年生で引きこもりの傾向がある主人公、阿良々木暦(あららぎこよみ)は、腹筋に特化して鍛えていたが、そのおかげで、ナメられているはずの妹達からも腹筋の素晴らしさだけは称賛され、見かけ12歳の少女の式神(しきがみ)で、超人である斧乃木余接(おののぎよつぎ)からも「鬼のお兄ちゃん、いい筋肉しているね」と、そのことだけは褒められる。
まさに、腹筋だけで勝負する引きこもりだったが、そういえば、阿良々木暦は、勉強の方も数学1本でやっていた。しかし、それで良いのだと思えるのである。
早い話が、あれこれやって全部そこそこ、あるいは、全部平均以下になるよりは、1つに絞って抜きん出た方が良い。
いや、全部「かなり」になるよりも、1つをスーパーレベルにした方が良いのではないか。
この「良い」とは、社会にとってとか、会社にとってではなく、自分にとって・・・もっと正確に言えば「自分が良い想いをする」ために良いのである。
そして、自分が良い想いをして楽しければ、結局のところ、家族、学校、会社、社会にとって良いはずである。
だが、今の時代、家族、学校、会社、社会が駄目なので、そうはならないが、それなら、とりあえず、自分が良い想いをすれば良い。
プログラミング言語だって、5つも6つも(あるいはそれ以上)出来ますという人より「COBOLしか出来ません。でもCOBOLなら自信があります」と言う人の方が良い仕事をする。
こう言うと、「いや、いろんなプログラミング言語の仕事がある。少なくとも、これとこれとこれ、それに、これは出来ないと駄目だろう」と言う人が多いし、それは正しいのだが、1つを磨き上げている者には、なぜか、その1つを必要とする、良い仕事、面白い仕事が来るものであり、結局、良い想いをするものなのだ。それは不思議で、理屈には合わないが、なぜかそうなる。
Excel VBAしか出来ませんと言う人に、そういう人をよく見ると思う。
私は『キレキャリオン』(ポリスピカデリー feat.初音ミク)という歌の、
二つ目を捨てろ 予想外になれ
というところを聴いた時、物凄い衝撃を感じ、「もうこれだけでいい!」と思ったものだった。
私自身、能力のキャパシティがないのに、1つに絞れず、中途半端になり勝ちなために、ぱっとしないことはよく感じる。
フォレスト・ガンプのように「走って逃げる」というようなコレというものがないのだ。
真言は5つ6つ、プログラミング言語もやたら沢山出来て、どれも達人ではない。
中途半端と言うか、徹しきれないやつで、それはそれで、続ければぬるくやれるが、必殺の切れ味を持たない。
もちろん、本当は何が良いのかは分からないし、特化した結果、特化したそれ自体が世界からなくなった時に終わりというリスクもあるが、案外、それはそれで良いのかもしれない。
私は、昨日(8月31日)の初音ミクさんのお誕生日(14回目だ)を記念し、
ネイビーシールズ・ハーフ・スクワット(比較的高速なスクワット)1000回
ネイビーシールズ・フルレンジ・プッシュアップ)(完全腕立て伏せ)100回
をやり、この半分を、今日から、11月のマジカルミライ終了まで毎日やることにしたが、やはり2つである。
いや、実は、腕振り運動やぐーぱー運動、その他、かなりの種類をやっている。
ナーマスマラナ(神仏の名を唱える行)では、1つに絞りたいと思っている。