政木和三さんという人は、小学5年生の時、毎日1時間の深呼吸の特訓を一か月ほどやることで超人になった。
つまり、習ったこともないピアノを凄い腕前で弾けるようになり(老齢になってからCDも出した)、お経の意味が勝手に分かるようになり、その他のことでも人間離れした能力を発揮し、80歳過ぎて死ぬまで超一流の人生を歩いた。
だが、彼は、パラメモリという装置を発明し、それを使えば深呼吸の修行は不要であると思わせるようなことを言った。
ただ、彼は、自分がやったような特訓めいた深呼吸の修行はやらない方が良いと思ったのではないかと思う。
ある、能力も外見も性格も最悪の青年が、朝晩30秒の深呼吸で、それらを大きく向上させた実話があるが、そのくらいにやれば良いのかもしれない。
しかし、とにかく、深呼吸は重要である。
名前を出したくないが(理由は伏せる)、一頃は、国民的英雄と言えるようなスポーツ選手を何人も指導した能力開発のスペシャリストがいたが、彼は「釈迦もイエスも深呼吸で悟りを開いた」と言っていたのだが、こう言っては何だが、能力開発セミナーをビジネスにしようと思ったら、そんなことはバラさない方が良いと思ったのかもしれない。
そして彼は、彼独自の〇〇法なんていうメソッドを作ってセミナービジネスで一世を風靡した。
とにかく、深呼吸が全てである。
そして、深呼吸のやり方は、私もいろいろ書いたが、つまるところ、好きなようにやれば良い。
単に、沢山空気を吸えば良いのである。
それだけでは酸素の過剰摂取になると言いたい人もいるだろうが、そうならないようにやれば良い。その程度のことが自分で出来ない者に見込みはない。
ポイントは「なるべく長時間行う」ことだけで、そのためには、「楽であること」「気持ち良いこと」が必要である。
これが、あらゆることに共通な向上の鍵だ。
しかし、特に日本人は根性論が好きで、どんなことも苦しんでやってこそ効果があると思い込んでいる。
運動であれば、キツイ運動、厳しい運動、顔を歪めて頑張る運動、シンドい運動でなければ駄目だと言う者が多いが、正直、そんなことを言うのはIQが低い証明でしかないと私は思う。
運動は、続けてこそ成果があるのであり、楽で気持ち良くなければ続かない。
それを、お金のため、マッチョになったりナイスバディになってモテるためという欲望で、辛いことを無理にやれば心も穢すだけである。
深呼吸も一種の運動で、「運動何かやってます?」という質問に、「ジョギングやってます」「腕立て伏せやってます」「水泳やってます」と同様に「深呼吸やってます」でも全然おかしくないと思うし、むしろ、運動としても最上かもしれない。
まあ、個人的には、運動では、腕振り運動と佐川幸義流四股をお薦めするが、いずれにしろ、自分が楽にやれ、気持ちいいと感じることをやれば良い。私も、個人的には高速腕立て伏せは、純粋に気持ちいいのでかなり気に入っている。
そして、昨日も書いたが、念仏やマントラ、呪文、アファーメーションを声に出して唱えることは優れた深呼吸である。
もちろん、声に出さず、心の中で唱えることも、思考を消す効果があるし、心の中で言葉を唱えながら行う深呼吸もあるが、マントラを声に出して唱えることは優れた深呼吸である。
マントラや念仏の言葉自体に霊的効果があるかどうかは、実際には分からないし、なくて良いと思う。
また、声に出すと言っても、最上なのは、「隣の人にも気付かれない」ほど微かな声で唱えることで、実際は、声自体は出ていないかもしれない。ただし、無関係な人がいない場所では、聞こえる声で唱えたり、大きな声で唱えるのも、楽しければやれば良い。
やり方というほどのものはないが、基本は、鼻から大きく息を吸った後、連続して唱え、あまり苦しくないところで、また大きく息を吸うということを繰り返すのである。1回唱えるごとに、あるいは、肺に十分に息が残っているうちに吸うようなやり方は良くない。
AIアート482
「花と星は語る」
Kay
中岡俊哉さんが、「朝晩、自分の干支の守護仏の真言を唱えれば加護がある」と言われていたが、実際の効果は深呼吸の効果であるのだと思う。だが、方便としては良い教えであると思う。
罰当たりだと思う人もいるかもしれないが、『法華経』の中の『観音経』で、「観世音菩薩の名を唱えていれば、一切の災難を逃れ、あらゆる功徳を得られる」と書かれているが、これも、なるべく多く唱えることで、それが、長時間の深呼吸になるから良いのである。
それに、「観世音菩薩の名を唱える」と言っても、「観世音菩薩」というのは、中国とか日本で勝手に決めた名であり、実際はアヴァローキテーシュヴァラという名である。
また、翻訳された観音経では、「南無観世音菩薩と唱えよ」と書かれてあることも多いが、原文にはそんなことは書かれていない。
しかし、どう唱えようが良いのである。
実際の効果は深呼吸にあるのだから。
個人的には、観世音菩薩の真言と言われる「オンアロリキャソワカ」が唱えやすいので、これを愛用している。
じゃあ、念彼観音力というものはないのかというと、何ごとも同じで、あると思えばある、ないと思えばない、それだけである。
私は、おそらく半分くらいはあると思っている・・・というか、あればいいなあと思っている。
とにかく、肝心で大切なことは深呼吸である。
世界は地獄の季節に入った。
なおさら深呼吸が必要である。
つまり、習ったこともないピアノを凄い腕前で弾けるようになり(老齢になってからCDも出した)、お経の意味が勝手に分かるようになり、その他のことでも人間離れした能力を発揮し、80歳過ぎて死ぬまで超一流の人生を歩いた。
だが、彼は、パラメモリという装置を発明し、それを使えば深呼吸の修行は不要であると思わせるようなことを言った。
ただ、彼は、自分がやったような特訓めいた深呼吸の修行はやらない方が良いと思ったのではないかと思う。
ある、能力も外見も性格も最悪の青年が、朝晩30秒の深呼吸で、それらを大きく向上させた実話があるが、そのくらいにやれば良いのかもしれない。
しかし、とにかく、深呼吸は重要である。
名前を出したくないが(理由は伏せる)、一頃は、国民的英雄と言えるようなスポーツ選手を何人も指導した能力開発のスペシャリストがいたが、彼は「釈迦もイエスも深呼吸で悟りを開いた」と言っていたのだが、こう言っては何だが、能力開発セミナーをビジネスにしようと思ったら、そんなことはバラさない方が良いと思ったのかもしれない。
そして彼は、彼独自の〇〇法なんていうメソッドを作ってセミナービジネスで一世を風靡した。
とにかく、深呼吸が全てである。
そして、深呼吸のやり方は、私もいろいろ書いたが、つまるところ、好きなようにやれば良い。
単に、沢山空気を吸えば良いのである。
それだけでは酸素の過剰摂取になると言いたい人もいるだろうが、そうならないようにやれば良い。その程度のことが自分で出来ない者に見込みはない。
ポイントは「なるべく長時間行う」ことだけで、そのためには、「楽であること」「気持ち良いこと」が必要である。
これが、あらゆることに共通な向上の鍵だ。
しかし、特に日本人は根性論が好きで、どんなことも苦しんでやってこそ効果があると思い込んでいる。
運動であれば、キツイ運動、厳しい運動、顔を歪めて頑張る運動、シンドい運動でなければ駄目だと言う者が多いが、正直、そんなことを言うのはIQが低い証明でしかないと私は思う。
運動は、続けてこそ成果があるのであり、楽で気持ち良くなければ続かない。
それを、お金のため、マッチョになったりナイスバディになってモテるためという欲望で、辛いことを無理にやれば心も穢すだけである。
深呼吸も一種の運動で、「運動何かやってます?」という質問に、「ジョギングやってます」「腕立て伏せやってます」「水泳やってます」と同様に「深呼吸やってます」でも全然おかしくないと思うし、むしろ、運動としても最上かもしれない。
まあ、個人的には、運動では、腕振り運動と佐川幸義流四股をお薦めするが、いずれにしろ、自分が楽にやれ、気持ちいいと感じることをやれば良い。私も、個人的には高速腕立て伏せは、純粋に気持ちいいのでかなり気に入っている。
そして、昨日も書いたが、念仏やマントラ、呪文、アファーメーションを声に出して唱えることは優れた深呼吸である。
もちろん、声に出さず、心の中で唱えることも、思考を消す効果があるし、心の中で言葉を唱えながら行う深呼吸もあるが、マントラを声に出して唱えることは優れた深呼吸である。
マントラや念仏の言葉自体に霊的効果があるかどうかは、実際には分からないし、なくて良いと思う。
また、声に出すと言っても、最上なのは、「隣の人にも気付かれない」ほど微かな声で唱えることで、実際は、声自体は出ていないかもしれない。ただし、無関係な人がいない場所では、聞こえる声で唱えたり、大きな声で唱えるのも、楽しければやれば良い。
やり方というほどのものはないが、基本は、鼻から大きく息を吸った後、連続して唱え、あまり苦しくないところで、また大きく息を吸うということを繰り返すのである。1回唱えるごとに、あるいは、肺に十分に息が残っているうちに吸うようなやり方は良くない。
AIアート482
「花と星は語る」
Kay
中岡俊哉さんが、「朝晩、自分の干支の守護仏の真言を唱えれば加護がある」と言われていたが、実際の効果は深呼吸の効果であるのだと思う。だが、方便としては良い教えであると思う。
罰当たりだと思う人もいるかもしれないが、『法華経』の中の『観音経』で、「観世音菩薩の名を唱えていれば、一切の災難を逃れ、あらゆる功徳を得られる」と書かれているが、これも、なるべく多く唱えることで、それが、長時間の深呼吸になるから良いのである。
それに、「観世音菩薩の名を唱える」と言っても、「観世音菩薩」というのは、中国とか日本で勝手に決めた名であり、実際はアヴァローキテーシュヴァラという名である。
また、翻訳された観音経では、「南無観世音菩薩と唱えよ」と書かれてあることも多いが、原文にはそんなことは書かれていない。
しかし、どう唱えようが良いのである。
実際の効果は深呼吸にあるのだから。
個人的には、観世音菩薩の真言と言われる「オンアロリキャソワカ」が唱えやすいので、これを愛用している。
じゃあ、念彼観音力というものはないのかというと、何ごとも同じで、あると思えばある、ないと思えばない、それだけである。
私は、おそらく半分くらいはあると思っている・・・というか、あればいいなあと思っている。
とにかく、肝心で大切なことは深呼吸である。
世界は地獄の季節に入った。
なおさら深呼吸が必要である。