私は、「人生の目的は魂のレベルを上げることです」などと言う人は信用出来ないなと思った。
普段はそんなことは考えないが、たまたま見たYouTubeの動画で、吉野敏明氏(歯学博士。政治活動家。元参政党共同代表)が、街頭演説でそう(人生の目的は魂のレベルを上げること)言うのを見て、こう(そんなことを言う人は信用出来ない)思ったのだ。
もちろん、誰かが心の中で「人生の目的は魂のレベルを上げることだ」と思うのは、私の関知したことではない。
また、単に、個人的信念として「人生の目的は魂のレベルを上げることです」と言うのも、まあ、人それぞれであるから、私がとやかく言うことではない。
しかし、そんなことを、これが真理ですと人に押しつける者はロクなやつではないと私は思う。
そりゃ、まだ若くて、誰かの言うことを真に受けてそう言っているなら、今後、間違いなく痛い目に遭うだろうから、暖かい目で見守ってやるべきかもしれないが、吉野氏は50代も後半の、かなり偉い人のようで、また、博士号を持っていることをよく自慢している。
まあ、単に私の推測であるが、吉野氏は、さぞ痛い目に遭い続けているのではないかと思う。
一方で、悟りを開いたような顔で「人生に目的なんてありません」と言う、宗教関係やスピリチュアル関係の有名人もいるが、それもどうかと思うのだ。
そういうのもまた、自分でそう思うのは勝手だが、やはり「これが真理だ」と押し付ける者は・・・やっぱりロクなやつではないと思う(笑)。
言ってみれば、「人生の目的は魂のレベルを上げること」と言うのも、「人生に目的なんてない」と言うのも、「初音ミクが世界で一番可愛い」と言うのと全く同じで、自分で勝手に思うのは自由だが、人に押し付けるようなことではない。
他にも、たとえば、「ガンジーは真の偉人である」「美空ひばりは最高の歌手である」「大谷翔平さんは人間的にも素晴らしい」と言うのも同じである。相手が嫌がらない程度に主張するのは良いが、やはり押し付けるように言ってはならないはずだ。
ただ、吉野さんも「人生の目的は魂のレベルを上げることだと私は思っています」というふうに言ったり、どこかのスピリチュアリストが「人生に目的はないと私は思っています」と言うなら、それはそれで傾聴に値するかもしれない。
つまり、どれほど偉くても謙虚でなければならないのだろう。
2014年のTEDで、当時、MITメディアラボ所長だった伊藤穣一氏の講演『革新的なことをしたいなら「ナウイスト」になろう』で、伊藤氏が、
偏見かもしれませんが 教育は 外に出て何かやる前に 百科事典を 暗記させようとしている ように見えます
※TEDでは英語で講演。この部分は実際は”And it feels like, and I'm biased, it feels like they're trying to make you memorize the whole encyclopedia before they let you go out and play,”と話した。
と言うのを聞いて、「教育は~」について、私は全くその通りだと思ったが、伊藤氏はそう思わない人にも配慮し、注意深く、「偏見かもしれませんが」と言ったのが印象的でよく憶えている。
これだって、
「教育は 外に出て何かやる前に 百科事典を 暗記させようとしているようなものだ」
と言ったら、賛成する人が多いとしても、賢い人が言うことではないと思う。
まあ、私も、このブログを書いている時、「~だ」という表現を、後で「~だと思う」に書き換えているのだが、つい、「~だ」で放置することも多いことはご容赦願いたいと思う(言い訳するなだ 笑)。
特に、親が子供に、教師が生徒に、偏見かもしれないこと(あるいは明らかに偏見であること)を、叩き込むと言って良いレベルで押し付けていることが、とても多いように感じる。
親や教師も苦しいのだろうが、そうやって偏見を叩き込まれた子供は、その偏見を壊さない限り一生苦しむ。
そこで、我々は、なるべく速やかに、自分の頭の中の偏見を壊したい。
そのためにも、いつも述べている「存在の自覚」を感じることはとても効果的であると思う。
AIアート782
「準備」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
()〈増補版〉教養としてのテクノロジー(伊藤穣一)
()テクノロジーが予測する未来(伊藤穣一)
()世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
()アイ・アム・ザット~私は在る~ニサルガダッタとの対話
()ラマナ・マハルシの教え
普段はそんなことは考えないが、たまたま見たYouTubeの動画で、吉野敏明氏(歯学博士。政治活動家。元参政党共同代表)が、街頭演説でそう(人生の目的は魂のレベルを上げること)言うのを見て、こう(そんなことを言う人は信用出来ない)思ったのだ。
もちろん、誰かが心の中で「人生の目的は魂のレベルを上げることだ」と思うのは、私の関知したことではない。
また、単に、個人的信念として「人生の目的は魂のレベルを上げることです」と言うのも、まあ、人それぞれであるから、私がとやかく言うことではない。
しかし、そんなことを、これが真理ですと人に押しつける者はロクなやつではないと私は思う。
そりゃ、まだ若くて、誰かの言うことを真に受けてそう言っているなら、今後、間違いなく痛い目に遭うだろうから、暖かい目で見守ってやるべきかもしれないが、吉野氏は50代も後半の、かなり偉い人のようで、また、博士号を持っていることをよく自慢している。
まあ、単に私の推測であるが、吉野氏は、さぞ痛い目に遭い続けているのではないかと思う。
一方で、悟りを開いたような顔で「人生に目的なんてありません」と言う、宗教関係やスピリチュアル関係の有名人もいるが、それもどうかと思うのだ。
そういうのもまた、自分でそう思うのは勝手だが、やはり「これが真理だ」と押し付ける者は・・・やっぱりロクなやつではないと思う(笑)。
言ってみれば、「人生の目的は魂のレベルを上げること」と言うのも、「人生に目的なんてない」と言うのも、「初音ミクが世界で一番可愛い」と言うのと全く同じで、自分で勝手に思うのは自由だが、人に押し付けるようなことではない。
他にも、たとえば、「ガンジーは真の偉人である」「美空ひばりは最高の歌手である」「大谷翔平さんは人間的にも素晴らしい」と言うのも同じである。相手が嫌がらない程度に主張するのは良いが、やはり押し付けるように言ってはならないはずだ。
ただ、吉野さんも「人生の目的は魂のレベルを上げることだと私は思っています」というふうに言ったり、どこかのスピリチュアリストが「人生に目的はないと私は思っています」と言うなら、それはそれで傾聴に値するかもしれない。
つまり、どれほど偉くても謙虚でなければならないのだろう。
2014年のTEDで、当時、MITメディアラボ所長だった伊藤穣一氏の講演『革新的なことをしたいなら「ナウイスト」になろう』で、伊藤氏が、
偏見かもしれませんが 教育は 外に出て何かやる前に 百科事典を 暗記させようとしている ように見えます
※TEDでは英語で講演。この部分は実際は”And it feels like, and I'm biased, it feels like they're trying to make you memorize the whole encyclopedia before they let you go out and play,”と話した。
と言うのを聞いて、「教育は~」について、私は全くその通りだと思ったが、伊藤氏はそう思わない人にも配慮し、注意深く、「偏見かもしれませんが」と言ったのが印象的でよく憶えている。
これだって、
「教育は 外に出て何かやる前に 百科事典を 暗記させようとしているようなものだ」
と言ったら、賛成する人が多いとしても、賢い人が言うことではないと思う。
まあ、私も、このブログを書いている時、「~だ」という表現を、後で「~だと思う」に書き換えているのだが、つい、「~だ」で放置することも多いことはご容赦願いたいと思う(言い訳するなだ 笑)。
特に、親が子供に、教師が生徒に、偏見かもしれないこと(あるいは明らかに偏見であること)を、叩き込むと言って良いレベルで押し付けていることが、とても多いように感じる。
親や教師も苦しいのだろうが、そうやって偏見を叩き込まれた子供は、その偏見を壊さない限り一生苦しむ。
そこで、我々は、なるべく速やかに、自分の頭の中の偏見を壊したい。
そのためにも、いつも述べている「存在の自覚」を感じることはとても効果的であると思う。
AIアート782
「準備」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
()〈増補版〉教養としてのテクノロジー(伊藤穣一)
()テクノロジーが予測する未来(伊藤穣一)
()世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)※『AT YOUR COMMAND』翻訳書
()アイ・アム・ザット~私は在る~ニサルガダッタとの対話
()ラマナ・マハルシの教え