「女の子が一番可愛く見えるポーズは?」などという話がよくあると思う。
我が国おいては、間違いなくこれだというものがある。
これは、個人の主観(自我の想い:哲学用語)とは関係がない。
ただ、少し昔なら、ひな祭りの時ならそれをする機会もあったが、今はなかなか出来なくなった。
ところが、面白いことに、初音ミクの姿を描いた、イラストレーターのKEIさんが、「メーカー非公式」と銘打った漫画作品『初音みっくす』の3巻で、そんな姿の絵を3回も描いていた。それは、着物を着た初音ミクや巡音ルカが、広げた扇を口元にあてる姿である。
出来るなら着物で、そして、広げた扇で口を隠し、ややうつむく・・・これほど可愛い女の子の姿は考えられない。
妻やガールフレンドが、そんな姿をしたところを想像しただけで惚れ直すだろうし、さして好きでもない女の子でも、そんな姿をすれば惚れてしまう。

現在、一般の人がそんな姿をすることが出来るのは、ひな祭りの時くらいと、さっき書いたが、実は、それは、本来のひな祭りと大いに関係がある。
最上段に置く内裏雛(だいりびな)の配置をご存知であろうか?
内裏雛は、親王(天皇)と皇后(親王妃)の2人のことであるが、一般に、男雛、女雛と言う。
現在、男雛が右(向かって左)、女雛を左(向かって右)に配置するのが普通になっているが、これは逆である。
これは、単に、風習とかしきたりの問題ではない。本当は、左が男、右が女である。
結婚式でも、現在は、神前結婚においても、雛人形同様の逆の配置になってしまっている。
実は、明治時代までは、雛人形も、結婚式の新郎新婦の配置も、現在とは逆の正しい配置だった。
しかし、大正時代から、政治的なものだと思うが、天皇陛下と皇后陛下が並ばれる時の位置を、西洋に合わせて反対にしてしまったようなのだ。
それから、日本は逆さまの国になってしまったのだ。

『古事記』において、男神のイザナキと女神のイザナミが、天の御柱の周りを回って出逢うという儀式をした際、イザナキが左から、イザナミが右から回ったというのは、大きな意味があったのである。『古事記』以前に書かれたと言われる『ホツマツタヱ』でも、これは同じである。
左の「ひ」は、火である。上に燃え上がる炎だ。熱く、陽である。
右の「み」は、水である。低いところに静かに控える水だ。冷たく、陰である。
別に男尊女卑ではなく、男が積極的に外に向かい、女は内に静かに控えるのである。
いや、男尊女卑どころか、これは、女の方がはるかに貴いことを示しているのである。
昔から、日本では、大奥という、高貴な処を作り、今でも、奥様と言う。奥にあるものが極めて重要なのであり、責任も重いのだ。
これは世界的にも言えることで、賢者達は皆、神は内にいるものであり、外の世界は幻だと必ず言うのである。

ただ、イザナキが天の御柱を左から回り、イザナミが右から回ったのは良かったが、イザナミが先に「ああ!いい男」と声をかけてしまったことが失敗だった。
『古事記』でも、『ホツマツタヱ』でも、そのことを、不完全な子が出来たことで表している。
つまり、右(水。陰)である女は、慎ましく、奥ゆかしくなくてはならない。
それが、ひな祭りに着物を着て、広げた扇で口を隠す乙女の姿で表されているのである。

ところで、上に、扇を口元にあてる初音ミクの話をとり上げたが、左と右の意味についても、初音ミクのコンサートではよく守られているのだ。
これが、日本の秘めた力を現している理由でもある。
ミクとルカのデュエット『magnet』では、主役のミクが左(向かって右)に、ルカは右(向かって左)に。
ミクとリンのデュエット『Promise』では、やはり、ミクが左(向かって右)に、リンは右(向かって左)に。
レンとリンのデュエット『右肩の蝶』では、いわゆる「レン版」であったので、レンが左(向かって右)で、リンが右(向かって左)だった。
ところが、アメリカ・ロサンゼルスのコンサートでは、ミクとルカがデュエットした『ワールズエンド・ダンスホール』で、ルカが主の位置である左(向かって右)だった。
これは、アメリカ式に合わせて主役のミクを右(向かって左)に置いたのではなく、この歌は、コンサート中、ただ一曲、完全に英語の歌(元はこの曲も日本語)であり、英語を完全に発音できるルカを主としたのは、自然なことだろう。
アメリカへの配慮というなら、大人っぽく、よりすらりとしたアメリカ人好みのルカを主役にしたということも言えるかもしれない。
ただ、この曲の際、先にミクが登場してポーズを取り、ルカは後から後ろ向きの姿で登場したことが、主役を立てたルカの奥ゆかしさかもしれない。

現在、逆ナン(逆ナンパ。女性が男性を誘うこと)や、肉食系女子(女が男を積極的に誘う)などというものが流行っているという話もあるが、これは日本人の正しい姿ではなく、日本の衰退の現れなのである。女の方が主導権を持ったカップルは長続きしない。ただ、その場合でも、後で女の方が男を立てて控えるようになれば別であることもないではない。女性が年上でうまくいっているカップルというのは、女性が実に甲斐甲斐しいものである。
また、好きな男性の前ではしゃいで見せる、悲しい勘違いをしている女の子が多い。そんな自分の姿が可愛いとでも思っているのかもしれないが、はしゃいでいる女の子の姿を可愛いと思うのは、佐々木希みたいな美女ならともかく、普通は父親くらいのものである。
会社でも、自分は有能だと思って態度の大きな女性(そんなので本当に優秀な女性を見たことはないが)がいるだろう。そんな女性は、自分と同じくらいの年の男を君付けで呼ぶことも多いが、別に古いとかではなく、それは傲慢であり、実際、嫁のもらい手も無いものだ。

女性は、着物で扇を持っていなくても、そんな姿である気持ちで、両手で口を隠し、うつむくようであれば、その姿に、男どもはメロメロになるのである。
もて過ぎて困りたくなければ、やってはならないという注意すら必要であるほどである。









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