あるお医者さんの入院患者の一人に男性の老人がいた。
ある夜、その老人が医者に、自分の杖をあげると言った。実は、その杖は、その老人のほとんど唯一と言える持ち物だった。
医者は少し躊躇したが、何かを感じて、杖をもらった。翌朝、老人は亡くなっていた。
この医者も、老人も、世間的な考え方を超えた感覚を使ったのだ。これを直観と呼ぼうが、超能力と呼ぼうが構わないが、人はそんな不思議な能力を持っている。
この医者は、患者が許可すればだが、易を立てて治療に使うことがあった。著名な精神科医であったC.G.ユングも易の威力に驚き、熱心に研究した。彼らが使ったのは、コインを使う方法で、ドイツ人の宣教師リヒアルト・ヴィルヘルムが、中国で学んできたものだった。
この医者が、神秘的感覚を持つのは、易に馴染んでいたことと関係するかもしれない。

大海の中で針を探すという言葉をご存知と思う。
ほとんど可能性の無いことを大袈裟に表現したものだ。
だが、人類の歴史の中で、英雄たちは、「よし、その針を探してやろう」と言って、それを見つけたのだ。
どんな時、その針を探すべきなのだろう。それは、探すべき時だ。それが必要であるなら、我々は躊躇すべきでない。
我々の内なる感覚がGOと言うなら、結果については分からないが、やってみるべきなのだ。結果は、神のみぞ知るだ。
自分の直観、内なる声、閃き、予感といったものを、我々は信じなければならないし、無視してはならない。ただ、それを得るためには、個人の意思は宇宙の意志にひざまずき、従うことを決意しなければならない。それを形にすることが、聖書の詩篇23や91を毎日読んだり、南無阿弥陀仏の念仏を唱えることだ。そうやって、至高の英知と和らげば、それに素直に従うだけで、全ては簡単になり、あなたは幸福になるだろう。









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