人生が詰んで(チェックメイトに追い込まれること)しまった人の大逆転は、まずない。
カーネル・サンダースが60歳過ぎて大成功したと言ったって、彼は何十年も奮闘していたし、失敗続きとはいえ、ちゃんと優秀だった。
グランマ・モーゼスは75歳から本格的に絵に取り組んで大画家になったが、彼女は子供の時から絵は得意だったし、なんらかの絵はずっと描いていたのだ。
昔、テレビで、売れない高齢の歌手の特集という、趣味の悪い企画の一回の番組があった。
40代から60代もいたかもしれない。
明日のスターを夢見て、大真面目にやっているが、スーザン・ボイルのように、知られていなかっただけで本当は天才というわけではない。
見込みは、ほぼ・・・というか絶対にない人達だった。
人生が詰んでいることを認めたくない、そんな惨めな人達としか見えない。
いや、別に年寄りでなくても、人生が詰んでしまっている人だって少なくない。
まだ30歳くらいなんだから、これから何が起こるか分からないし、本人も夢を捨てていないかもしれない。
しかし、そいつを少し見たら、絶対駄目と断言出来るのである。
呪われた人達である。いや、冗談でなく、そんな人達はいるし、それどころか、普通にいる。それは我々かもしれない。
そんな駄目な人達が大逆転するスイッチなんてものはない。
実は、駄目な人間は皆、スイッチを求める。
「不登校の息子が学校に行くスイッチがないですかね?」
と、世界的心理学者の河合隼雄さんに言った父親が本当にいたし、そんな人はいくらでもいる。
結婚出来るスイッチ、彼女が出来るスイッチ、高収入になるスイッチ・・・そんなものを求める者はいくらでもいる。
スイッチはない。
しかし、あるのかもしれない。
宇宙に果てはない。
しかし、あるのかもしれない。
光速は超えられない。
しかし、超えられるかもしれない。
ところで、小説、ドラマ、映画、漫画、アニメなどは、考えれば当然であるが、IQが高くない者用に作られている。
大ヒットする映画やアニメ映画を見るのは、あまりIQが高くない人達だ。
だから、最も多い、IQ90から110の間の者に好まれるように作ることが成功の条件だ。
IQ120以上(上位10%。偏差値では65以上)の読者が楽しめる作品は、いくら良くてもさっぱり売れない。
ところが、西尾維新さんという作家の小説は、普通のIQの人はもちろん、結構IQが高い読者もいると思われる。
私は、彼の作品は冗長過ぎて好きではないのだが、それでも面白いと思うところはある。
彼の作品は、「IQが高い人には面白くない。いや、面白いかもしれない」である。
これと同じことが、「人生、詰んでしまったので終わりだ。いや、終わりでないかもしれない」と通じている。
何のことか分からないかもしれないが、すぐに分かるし、非常に重要だ。
彼(西尾維新)の『刀語』という作品に出てくる七実(なあみ)という美しい娘(二十歳は過ぎているが、アニメでは15~16歳に見える)の口癖がそんなものだ。
「良かったわ。いえ、悪かったのかしら」
「それがいいわ。いえ、よくないわ」
判断をした後、すぐに、反対の判断をするのである。
これがスイッチで、七実はスイッチの押し方を知っているのである。
荘子は、「破壊と見えるものも、他方から見れば完成である」「悪と見えるものも他方から見れば善である」といったふうに、「ものごとは相対的」ということを強調した。
だが、本当は、「破壊と見えるものが他方から見れば完成」なのではなく「破壊は完成」なのである。
七実流に言えば、「破壊ね、いえ、完成かしら」である。
中国の陰陽思想は、陰と陽が1つであるように、実は世界は、対立するもので出来ている。
しかし、対立したものは実際は同じである。
だが、人間の頭脳は、これを理解するには馬鹿過ぎる。
ところが、思考を消せば即座に分かる。
見える脳ではなく、見えない脳で理解するからだ。
思考を消すスイッチが、七実の「そうね。いや、そうじゃないわね」である。
AIアート283
「波の音」
Kay
実は私は、西尾維新の冗長な表現が好きでないので、『刀語』は読んでおらず、アニメだけ見たが、多分、彼の作品のアニメは原作に忠実だ。
いや、忠実ではないかもしれないが(笑)、それも同じである。
私は、彼の『物語』シリーズは22巻まで読んだが、あの冗長さに我慢がならず(笑)、それ以降読んでいない。しかし、アニメではセリフまで忠実にそのままであることが多かった(だから冗長で嫌なのだが 笑)。
対立を自然に受け入れれば、IQは即座に上がり、引き寄せのスイッチが入る。
七実だって、自分が死ぬという不可能なことが可能になるスイッチを入れたのである。
彼女が死ぬことが出来るスイッチは万能である。
カーネル・サンダースが60歳過ぎて大成功したと言ったって、彼は何十年も奮闘していたし、失敗続きとはいえ、ちゃんと優秀だった。
グランマ・モーゼスは75歳から本格的に絵に取り組んで大画家になったが、彼女は子供の時から絵は得意だったし、なんらかの絵はずっと描いていたのだ。
昔、テレビで、売れない高齢の歌手の特集という、趣味の悪い企画の一回の番組があった。
40代から60代もいたかもしれない。
明日のスターを夢見て、大真面目にやっているが、スーザン・ボイルのように、知られていなかっただけで本当は天才というわけではない。
見込みは、ほぼ・・・というか絶対にない人達だった。
人生が詰んでいることを認めたくない、そんな惨めな人達としか見えない。
いや、別に年寄りでなくても、人生が詰んでしまっている人だって少なくない。
まだ30歳くらいなんだから、これから何が起こるか分からないし、本人も夢を捨てていないかもしれない。
しかし、そいつを少し見たら、絶対駄目と断言出来るのである。
呪われた人達である。いや、冗談でなく、そんな人達はいるし、それどころか、普通にいる。それは我々かもしれない。
そんな駄目な人達が大逆転するスイッチなんてものはない。
実は、駄目な人間は皆、スイッチを求める。
「不登校の息子が学校に行くスイッチがないですかね?」
と、世界的心理学者の河合隼雄さんに言った父親が本当にいたし、そんな人はいくらでもいる。
結婚出来るスイッチ、彼女が出来るスイッチ、高収入になるスイッチ・・・そんなものを求める者はいくらでもいる。
スイッチはない。
しかし、あるのかもしれない。
宇宙に果てはない。
しかし、あるのかもしれない。
光速は超えられない。
しかし、超えられるかもしれない。
ところで、小説、ドラマ、映画、漫画、アニメなどは、考えれば当然であるが、IQが高くない者用に作られている。
大ヒットする映画やアニメ映画を見るのは、あまりIQが高くない人達だ。
だから、最も多い、IQ90から110の間の者に好まれるように作ることが成功の条件だ。
IQ120以上(上位10%。偏差値では65以上)の読者が楽しめる作品は、いくら良くてもさっぱり売れない。
ところが、西尾維新さんという作家の小説は、普通のIQの人はもちろん、結構IQが高い読者もいると思われる。
私は、彼の作品は冗長過ぎて好きではないのだが、それでも面白いと思うところはある。
彼の作品は、「IQが高い人には面白くない。いや、面白いかもしれない」である。
これと同じことが、「人生、詰んでしまったので終わりだ。いや、終わりでないかもしれない」と通じている。
何のことか分からないかもしれないが、すぐに分かるし、非常に重要だ。
彼(西尾維新)の『刀語』という作品に出てくる七実(なあみ)という美しい娘(二十歳は過ぎているが、アニメでは15~16歳に見える)の口癖がそんなものだ。
「良かったわ。いえ、悪かったのかしら」
「それがいいわ。いえ、よくないわ」
判断をした後、すぐに、反対の判断をするのである。
これがスイッチで、七実はスイッチの押し方を知っているのである。
荘子は、「破壊と見えるものも、他方から見れば完成である」「悪と見えるものも他方から見れば善である」といったふうに、「ものごとは相対的」ということを強調した。
だが、本当は、「破壊と見えるものが他方から見れば完成」なのではなく「破壊は完成」なのである。
七実流に言えば、「破壊ね、いえ、完成かしら」である。
中国の陰陽思想は、陰と陽が1つであるように、実は世界は、対立するもので出来ている。
しかし、対立したものは実際は同じである。
だが、人間の頭脳は、これを理解するには馬鹿過ぎる。
ところが、思考を消せば即座に分かる。
見える脳ではなく、見えない脳で理解するからだ。
思考を消すスイッチが、七実の「そうね。いや、そうじゃないわね」である。
AIアート283
「波の音」
Kay
実は私は、西尾維新の冗長な表現が好きでないので、『刀語』は読んでおらず、アニメだけ見たが、多分、彼の作品のアニメは原作に忠実だ。
いや、忠実ではないかもしれないが(笑)、それも同じである。
私は、彼の『物語』シリーズは22巻まで読んだが、あの冗長さに我慢がならず(笑)、それ以降読んでいない。しかし、アニメではセリフまで忠実にそのままであることが多かった(だから冗長で嫌なのだが 笑)。
対立を自然に受け入れれば、IQは即座に上がり、引き寄せのスイッチが入る。
七実だって、自分が死ぬという不可能なことが可能になるスイッチを入れたのである。
彼女が死ぬことが出来るスイッチは万能である。