願いを叶える方法を説く本やセミナーや教材は世の中に溢れているのに、願いを叶える人は、まあ、滅多にいません。
しかし、極めて少数の人は、その大きさや難しさに関係なく願いを叶えています。
願いを叶えている人が必ずやっているのは、「願っても、忘れている」ことです。
よく、「紙に書けば願いが叶う」なんて言います。紙に書くこと自体に意味はないのですが、それで本当に叶う人がいます。どんな人かというと、願いが叶った後で、たまたま願いを書いた紙を見た時、「ああ、すっかり忘れていた!」という人です。つまり、書くことで安心して忘れる人です。逆に、願いを書いた紙を、未練がましく何度も取り出して見る人は、まあ、見込みはありません。
ジョセフ・マーフィーも、願いを書いた紙を使うことは本に書いてはいましたが、「戸棚にしまって鍵をかけた」と書いています。

願った後で忘れるということを教える人には、嘘つきがいません。
逆に、書いた紙を何度も見ろと教える人は、多分、自分も願いを叶えていないのだと思います。
願った後で忘れることを明確に言った人では、作詞家の阿久悠さん、画家で講演家の足立幸子さん、発明家の政木和三さんなどを思い出します。
政木和三さんになると、忘れるどころか、最初から積極的に諦めることを教えます。文筆家の五島勉さんは、それを(最初から諦めることを)強く強調する本を書き、その本を竹村健一さんや舛添要一さんが推薦していました。
ただ、その「積極的に諦める」場合は、奇跡でもなければ叶わないような大きな願いがある場合で、そうでないなら、忘れるのが最上です。
そして、忘れることをしっかり教えたのは、イエス・キリストですが、当時の人達に分かりやすいように、こんな風に言いました。「神様ってのは何でも分かるのだ。お前たちに何が必要かくらい、言わなくてもとっくにご存知だ。そして、それは与えられて当然なので、安心しろ」
世間の本を見ると、「願いを明確にしないと神様は分からないので叶えてくれない」とか書いているものがあります。なんとまあ、神様を馬鹿にした言葉でしょう。神様の能力がその程度なら、そんな神様に頼んだって期待できる訳ないじゃないですか?
ただ、注意すべきは、イエスは、「必要なものは与えられる」と言ったことです。必要もないものまで与えられるとは言っていません。必要もないものを願うから、心が穢れて必要なものも手に入らなくなるのです。これは非常に大切なポイントです。
大きな病気になり、当然持つべき健康を失ったり、あって当然の十分な生活費がないというのは、特別な例外もあるにはありますが、普通の人の場合は、不要なものを強く願ったからではないかと思います。

量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフが、著書に非常に興味深いことを書いています。
彼が鷲の意識と融合し、空を飛んでいると、探さなくても獲物の場所が分かり、楽にそれを捕えます。
イエスは、「スズメは働かないが、父(神)はちゃんと養う」と言っています。神の顕現である自然は、生み出したものの面倒は見ます。そして、人間は、神が生み出したものの中でも、最も上等なもので、神と同じ力を与えられています。だからこそ、その気になれば悪いものでも自分で生み出してしまうことができます。野生動物がなれないような病気にもなれます。その創造力は驚くべきものです。
不要なものを望まなければ必要なものは与えられます。何が必要かは、全知万能の神がご存知です。神は別の言い方をすれば宇宙の英知です。宇宙の英知に従っていれば、我々の心はそれと溶け合います。それは、吸収されて消えるのではなく、我々の心が宇宙の英知に似てくるということです。また、融合しますから、宇宙の果ての果てまで知ることもできます。わずかかもしれませんが、無限の宇宙を想像できる我々の心は驚異ではないですか?犬や猫にそんなことは不可能です。そして、心が宇宙の英知と溶け合う度合いが高まるほど、宇宙の全てが分かるようになります。それはまた、人間が分かるということでもあります。
宇宙の英知に従うとは、命を大切にするということです。命とは、身体だけではありません。心身という言葉通り、身体と心が一体になったものが命です。エミール・クーエは心に影響を与えるだけで、器質性のものも含め、難病も簡単に治しました。
願いを忘れるためには、そして、命を大切にするためには、不要な欲望である個人的な欲望の大半を捨てる必要があります。不要な欲望を捨てるには、必要な欲望が満たされることで満足することです。老子は「腹を膨らませることで満足する」のが良いことと言います。ただ、飽食、美食していては、食欲はとどまるところを知りません。食を慎んでこそ、食の満足を得ることができます。つまり、基本の基本は食を慎むことです。世はグルメブームですし、美味しい食べ物の宣伝が盛んです。それは、必要すら満たせない愚かな人間を量産させています。また、電車の中や駅のベンチなど、どこでもものを食べている人をやたらと見るようになりましたが、彼らは、必要なものすら得られない惨めな者になるか、すでになっているのでしょう。







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