私は、これまでの人生でずっと、お正月というものを意識的に無視しようとしてきた。
でないと、やりきれない。
年末には自殺者が増えるというが、分かるような気がする。
周りの雰囲気に押されて、どうしてもその1年を振り返り、お正月を区切りとして未来を考えてしまうのだが、明るい展望を見出せなければ気が滅入り憂鬱にもなる。そんな時期に、お金が無かったり、失業していれば、絶望感はより強くなるのだ。
お正月を喧伝(盛んに言いはやすこと)するのは、辛く苦しい人に「死ね」と言うに等しいということを少し考えて欲しいような気がする。
私は、自分もお正月を意識したくないし、絶望している人をさらに苦しめ、下手をしたら自殺させかねないお正月が無くなれば良いと本当に思っていた。世間の人である私の家族は、まるで嫌がらせのように、毎年、お正月を言葉と行いで私に思い起こさせてくれたので、私はそう強く思うようになった。
そんな私の人生目標なんて、年の暮を心安らかに過ごすことだけだった。希望に満ちている必要もないが、せめて平安のうちに過ごしたいと思っていたものだ。
それでも、太陽暦を使っているからまだ良いが、これが太陰暦(旧暦)が使われていたら、更に自殺者は増えているかもしれない。太陽暦の場合は、お正月の時期では、まだ冬の勢いが上り坂の感じはあるが、太陰暦のお正月である2月18日だと、まだまだ寒いことが多いとはいえ、日照時間も増えていて、春の予感を感じ始めている。すると、明るい希望の無い者には、よりわびしさが増すのである。
区切りの時。例えば、このようなお正月や、お誕生日、卒業。私は完全に無視したが成人式などの気の持ち方は大切と思う。
そして、実は、1日の終りの就寝時の気分が重要なのだ。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、「神様に全てお任せすれば、年の暮は安らかです」と言った弟子に対し、「神様に全てお任せすれば、毎日の暮が安らかなのだ」と教えた。
毎日を心安らかに終えることを覚えれば、1年の終りも、1つの年齢の終りも、学校の終了も全て安らかでいられる。そして、安らかな心は、確実に幸運を呼ぶ。
そのために、こんな話がヒントにならないだろうか?
ある青年が道を歩いていたら、不意にナイフを持った男に切りつけられた。相手は巨大で鋭利なナイフで、自分を刺し殺そうという凄まじい勢いだ。こちらは動揺しているし、敵も若い男でそれなりに力強いので、危ない状況に追い詰められるが、なんとか難を逃れた。
すると、そこへ、偶然に彼の姉が通りかかった。大勢の人々の喧騒の中心にいる弟にただならぬものを感じて姉は駆け寄り、「どうしたの!?何かあったの?」と、取り乱して尋ねる。
しかし彼は、落ち着き払って、静かに言う。「いや・・・平和そのものさ」。
今日も、嫌なことや苦しいことがあったかもしれない。しかし、それは神様が差し出した軽い荷に過ぎない。丁度、ハイキングの時、良い父親が子どもに、無理の無い荷を持たせるようなものだ。神様も父親も、可愛い子どもを甘やかさずに鍛え、子どもがそれに応えた時に褒美をやろうと手ぐすね引いている(準備して機会を待っている)のだ。
アメリカ大統領だったセオドア・ルーズベルトは「荷を軽くしてくれと祈るな。重い荷を背負えるように強くして欲しいと祈れ」と言ったらしい。
しかし、祈るまでもないのだよ!セオドア!常日頃与えられる軽い荷を黙って負えば良いのだ。辛いことや、苦しいことがあるごとに自分に言うのだ。「これは軽い荷だ」と。
ここにあげた青年は、家族を持ってリストラされた時も、癌の告知を受けた時も言うのだ。「平和そのものさ」。
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でないと、やりきれない。
年末には自殺者が増えるというが、分かるような気がする。
周りの雰囲気に押されて、どうしてもその1年を振り返り、お正月を区切りとして未来を考えてしまうのだが、明るい展望を見出せなければ気が滅入り憂鬱にもなる。そんな時期に、お金が無かったり、失業していれば、絶望感はより強くなるのだ。
お正月を喧伝(盛んに言いはやすこと)するのは、辛く苦しい人に「死ね」と言うに等しいということを少し考えて欲しいような気がする。
私は、自分もお正月を意識したくないし、絶望している人をさらに苦しめ、下手をしたら自殺させかねないお正月が無くなれば良いと本当に思っていた。世間の人である私の家族は、まるで嫌がらせのように、毎年、お正月を言葉と行いで私に思い起こさせてくれたので、私はそう強く思うようになった。
そんな私の人生目標なんて、年の暮を心安らかに過ごすことだけだった。希望に満ちている必要もないが、せめて平安のうちに過ごしたいと思っていたものだ。
それでも、太陽暦を使っているからまだ良いが、これが太陰暦(旧暦)が使われていたら、更に自殺者は増えているかもしれない。太陽暦の場合は、お正月の時期では、まだ冬の勢いが上り坂の感じはあるが、太陰暦のお正月である2月18日だと、まだまだ寒いことが多いとはいえ、日照時間も増えていて、春の予感を感じ始めている。すると、明るい希望の無い者には、よりわびしさが増すのである。
区切りの時。例えば、このようなお正月や、お誕生日、卒業。私は完全に無視したが成人式などの気の持ち方は大切と思う。
そして、実は、1日の終りの就寝時の気分が重要なのだ。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、「神様に全てお任せすれば、年の暮は安らかです」と言った弟子に対し、「神様に全てお任せすれば、毎日の暮が安らかなのだ」と教えた。
毎日を心安らかに終えることを覚えれば、1年の終りも、1つの年齢の終りも、学校の終了も全て安らかでいられる。そして、安らかな心は、確実に幸運を呼ぶ。
そのために、こんな話がヒントにならないだろうか?
ある青年が道を歩いていたら、不意にナイフを持った男に切りつけられた。相手は巨大で鋭利なナイフで、自分を刺し殺そうという凄まじい勢いだ。こちらは動揺しているし、敵も若い男でそれなりに力強いので、危ない状況に追い詰められるが、なんとか難を逃れた。
すると、そこへ、偶然に彼の姉が通りかかった。大勢の人々の喧騒の中心にいる弟にただならぬものを感じて姉は駆け寄り、「どうしたの!?何かあったの?」と、取り乱して尋ねる。
しかし彼は、落ち着き払って、静かに言う。「いや・・・平和そのものさ」。
今日も、嫌なことや苦しいことがあったかもしれない。しかし、それは神様が差し出した軽い荷に過ぎない。丁度、ハイキングの時、良い父親が子どもに、無理の無い荷を持たせるようなものだ。神様も父親も、可愛い子どもを甘やかさずに鍛え、子どもがそれに応えた時に褒美をやろうと手ぐすね引いている(準備して機会を待っている)のだ。
アメリカ大統領だったセオドア・ルーズベルトは「荷を軽くしてくれと祈るな。重い荷を背負えるように強くして欲しいと祈れ」と言ったらしい。
しかし、祈るまでもないのだよ!セオドア!常日頃与えられる軽い荷を黙って負えば良いのだ。辛いことや、苦しいことがあるごとに自分に言うのだ。「これは軽い荷だ」と。
ここにあげた青年は、家族を持ってリストラされた時も、癌の告知を受けた時も言うのだ。「平和そのものさ」。
【OVA ガッチャマン】 「いや・・・平和そのものだ」を、痺れるほどクールに決めるガッチャマンを見れました。 | |
【いのちの教え】 残念ながら忘れられてしまってはいるが、釈迦、イエスにも匹敵する、我が国の偉大な神道家、黒住宗忠の教えは、決して、贖罪(罪の償い)や苦行を要求しない。天照大神に全て(まること)お任せする絶対他力の教えだ。明るく、気楽で、普通の庶民を勇気付けるものだと思う。 |
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