ドワンゴの川上量生会長が言った・・・というよりは、一般論として語りたい。
川上会長だって、過去に言ったことにいちいち責任を取る気はないだろうし、取る必要もないし、私も、川上会長に限らず、誰にもそんなことを期待しない。
エマーソンだって、一貫性がないことは悪いことではなく、その時思ったことを言えば良いと言っていたと思う。

ネット廃やゲーム廃というのは、ネットやゲームにのめり込んで現実社会に適応出来なくなった者のことだ。
そんな人達を会社に迎え、さらには、そんな人達を活躍させるために会社を存続させるという考え方もあるらしい。
ネット廃だろうと、ゲーム廃だろうと、地頭さえ良ければプログラミングのようなことは出来るからだ。
だが、この話には、意図的ともいえる、「隠されたこと」がある。
それは、「地頭が良ければプログラミングは出来る」のではなく、「地頭が良くないと(ちゃんとした)プログラミングは出来ない」ということだ。
ネット廃やゲーム廃なら何でも良いのではなく、頭が良いネット廃やゲーム廃・・・もっとシンプルに言えば、IQが高いネット廃やゲーム廃限定なのである。
IQが高いかどうかは、いちいちIQテストなんかしなくても、IQが高い人が少し見て話せば分かることだ。それこそ、ネット越でも分かるだろう。
ビル・ゲイツも、プログラマの能力は純粋なIQだと言い、間違いなく、IQが高い者を採用しようとしていたのである。
ゲイツと川上会長って、案外に雰囲気がよく似ているように思うのであるが、人間ってのは、みかけで大体分かるものである。
そして、そんな会社で、選ばれて採用されたIQが高いネット廃やゲーム廃なんて、実は僅かだが、数名でも入れれば、「ネット廃やゲーム廃を採用した」と言えるし、そんな者達に仕事をさせるために会社を存続させているというのも、まあ、嘘にはならない。

人間は所詮IQという、不都合な真実は必ずある。
そこで、人間の取るべき道は2通りで、1つは、可能ならIQを高くすることと、もう1つがIQが低くてもやっていける方法を探すことだ(元々IQが高い人は、すぐに奮闘することだ)。
IQが高くない者の重要なやり方は「特化」だ。
IQが高くないのに、いろいろ手を出して力を分散させていたら、そのどれも児戯に等しくなってしまう。
大島光義という戦国時代の武将がいたが、彼は、60歳を過ぎて世に出て、天下人達に重用され、93歳で戦に挑んで活躍したという。
光義は弓矢の達人で、生涯、その技を徹底して磨き続けた。
私は、きっと彼はIQは低かったのだと思う。
だから、彼は戦略家にはなれなかったが、1つのことを徹底して磨き抜けば、ちゃんと立派になれるのである。
だが、IQを高くすることは、特に今の世の中では大いに可能に違いない。
ただ、その誤った方法ばかりが知られているようにも思えるが。
IQを高くするには、頭を使うことである。
それも、巷にある算数パズルやIQゲームといった単純な頭の使い方ではなく、「脳が汗をかく」ような使い方である。
ビル・ゲイツや、あるいは、Googleが採用試験で使ったユニークな思考問題が知られているが、それらは、あくまで、冗談か、せいぜい、参考だろう。
もし、試験でIQの高さを見たければ、その人の論理性や思考力、あるいは、集中力を試す問題なんて、いくらでも作れるのだから。
例えば、IQを高くする目的で、学校の理系の科目を、試験の点よりは論理的理解に重点を置いて勉強したり、会社の仕事を効率を考えてやってみるのも良い。
仕事なんて、全て、論理性を適用出来るのである。
それこそ、スポーツだろうと、肉体労働だろうとね。
豊臣秀吉は、元々頭が良かったというよりは、一兵卒だった時に、生きるためと勝つために、必死に頭を使って、頭が良くなったのだろう。
天才的発明家の中山正和さんは、「命をピンチに追い込む」という表現をよくされていたように思うが、生きるためにこそ、脳は最大の力を発揮するのであり、また、生きるために考えることで、頭がよくなり、IQも高くなるのだと思う。









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