ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

パピヨン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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自殺がなぜ人生最大の罪か

人間は、呼吸の中に魂の解放や宇宙創造のためのコントロールシステムが組み込まれている。
自殺がなぜ最大の罪であるかというと、呼吸が出来なくなるからだ。
だが、深呼吸をすれば、世界のコントロール権を手に入れ、世界は意のままになる。

映画『パピヨン』の中で、パピヨンは夢の中で裁判にかけられ有罪を宣告された。
「俺は殺していない」と主張するパピヨンに対し、裁判官が言う。
「その罪ではない。だが、お前は人生最大の罪を犯した」
驚き、「何の罪だ?」と問うパピヨンに裁判官はとどめの言葉を告げる。
「人生を無駄にした罪だ」
すると、パピヨンはうろたえ、うなだれる。
「認めるよ。有罪だ」

では、人生を無駄にするとは、本当はどういうことか?
それは、深呼吸を十分にしなかったことだ。
人に従い、魂の声に従わなかっ者は、深呼吸をしなかったのだ。

森の呼び声
AIアート491
「森の呼び声」
Kay


1ページか、長くとも3ページで深呼吸のやり方を完全に語った本以外は、著者が儲けるために書いた本だから見ない方が良いと思う。
深呼吸に決まったやり方などない。
ただ、沢山空気を吸う・・・これだけだ。
後は、自分で、楽で気持ちよく行えるやり方を工夫すれば良いだけだ。
私が思う深呼吸について語られている良い本を以下に紹介する。

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人生を無駄にしないために

世界で最も有名な宇宙飛行士は誰かというと、おそらく、1961年に人類初の宇宙飛行を行った旧ソ連のユーリィ・ガガーリンと、1969年に人類で初めて月面に降り立ったアメリカのニール・アームストロングだと思う。
この2人の名は、人類の歴史に永遠に刻まれることだろう。
そして、2人の名だけでなく、ガガーリンが宇宙空間で、アームストロングが月面で発した言葉も、永遠に残る。
それは、

ガガーリン「神はいなかった」

アームストロング「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」

である。
こう言うと、「あれ?」と思う人もいるだろう。
ガガーリンの言葉としては、「地球は青かった」を覚えている人が多いと思うが、日本以外では、「神はいなかった」が有名らしい。
もっとも、ガガーリンの言葉として本当によく知られているのは、打ち上げの際の「さあ行こう(パイェーハリ)」であるようだ。

ところで、宇宙飛行士に必要な、ある重要な適性をご存じだろうか?
そりゃあ、飛行士として以前に、優秀であることも必要だが、アームストロングもガガーリンも、最も優秀だったから、人類史に名を残す快挙を行う役になったというわけではない。
宇宙飛行士は、「命知らず」でなければならない。
アームストロングが選ばれた理由も、何度も墜落経験がありながら飛行士を続けていた、その命知らずっぷりに白羽の矢が立ったと言われている。

ところで、宇宙飛行士が「命知らず」と聞いて思い出すことがある。
『サンダーバード』で有名な映像作品プロデューサーであるジェリー・アンダーソンが、初めて人間の俳優を使って製作した1970年のイギリスのSFテレビドラマ『謎の円盤UFO(原題:UFO)』でのものだ。
宇宙人と戦う地球防衛委組織シャドーの最高司令官ストレイカーと、フォスター大佐が重々しく会話する場面だ。
フォスターが「若い頃は死ぬことなんか何とも思っていなかった。だけど、今は死ぬのが怖い」と言うと、ストレイカーは、「君も歳を取ったんだ」と言う。
ちなみに、フォスターは30代も前半と思われる若さで、しかもナイス・ガイで、このテレビドラマでも女性視聴者に圧倒的に支持されていたようだ。
ストレイカーの言葉に、フォスターは「どういう意味ですか?」と質問すると、ストレイカーは「歳を取ると、人生の値打ちが分かるようになる」と答えた。
ストレイカーは40代前半と思われ、フォスターとは違うタイプの、いわゆる、「格好良いオジサン」で、当時の日本でも、若い女の子に、オジサンブームを起こしたと言われている。
(もっとも、いかに格好良く見えるオジサンも、その実態を知れば幻滅するものらしいが…)
フォスターは、ストレイカーの最優秀な部下であると共に、ストレイカーの数少ない友人の1人だが、元々は、航空機メーカーのテストパイロットだった。
テストパイロットとは、新しく作った飛行機の試験飛行を行うのだから、普通のパイロットの能力以外にも様々な能力を求められるが、やはり、「命知らず」でなければ務まらない。
フォスターも、若い時は命知らずだったが、少し歳を取ると、それほどの命知らずではなくなったというわけだ。

人生の値打ちが分かってくると、死ぬのが怖いというのではなく、命の大切さが分かると解釈すべきと思う。
そうなると、自分の命だけでなく、他者の、あるいは、あらゆる命の大切さが分かる・・・そうありたいものだ。
では、人生の値打ちとは何だろう?
これについては、スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンが共演した傑作映画『パピヨン』のあるシーンを思い出す。
殺人の罪で終身刑を受け、孤島の刑務所に送られたパピヨンは、確かに悪事は働いたが、実は、殺人に関しては冤罪だった。
そのパピヨンが、夢の中で、砂漠の中の裁判所で裁判を受ける。
裁判官が「有罪」を告げると、パピヨンは、「俺は殺していない」と主張した。
だが、裁判官は、「その罪ではない」と言い、パピヨンは困惑して「では、何の罪だ?」と問うと、裁判官は、「人生を無駄にした罪だ」と告げる。
それを聞くと、パピヨンは、
「確かに有罪だ。認めるよ」
と言ってうな垂れ、去って行く。

若くて勇敢なのも美点であるかもしれないが、若くても、人生を無駄にしてはならない。
若い時に人生を無駄にすれば、その「ツケ」が大きいことが、後で分かる。
歳を取れば、ますます、人生を無駄に出来なくなる。
無駄とは、自主的に何かをしないことだ。
子供の時から勉強ばかり「やらされて」一流大学に入った直後に死ぬことになったら、大変な後悔をする。自主的には何もしなかったからだ。
つまり、好きなことを自主的にしないことは、人生を無駄にして後悔するだけでなく、それは罪なのである。








人間最大の罪

最近、夢の中に、昔、勤めていた会社の同僚が出て来て、彼らに苦しめられている(笑)。
苦しめると言っても、向こうが悪いのではなく、彼らが、私の行いを正当に非難するのだが、私がそれに対抗出来ないのである。
まあ、夢の中だから、他愛もないことばかりだが、例えば、こんなことである。
私が、昔、勤めていた会社の中にいると、よく見知っている2人の女子社員が、「その靴、いけないんだ」と言う。
この会社の中では、まるで学校のように、上履きに履き替えないといけないのだと言う。
いや、私はそんなこと、全然知らないぞ・・・と思いながら、他の同僚を見ると、彼らは気まずそうな顔で黙っている。
つまり、誰も教えてくれなかったのだ。
しかし、それは、同僚とほとんど会話をしなかった私の問題であるということになる。
そして、夢の中だけでなく、実際に、私には、そんな問題があったのだと思う。

あるいは、やはり、夢の中で、昔、勤めていた会社にいると、大勢の男達がやって来て部屋を占領してしまい、私は、部屋の隅どころか、ドアの外に追いやられる。
やって来た男達のリーダーらしい、アクが強そうで貫禄ある男が、私に、「おや、君は場違いなようだ」と嘲るように言う。
すると、私の上司が、女子社員に耳打ちしているのが見えたが、何を言っているかは見当がついた。
その女子社員が私のところに来て、「今日は、好きな所に行くことを許可します」と言う。
夢でなく、実際に、私は、いつでも勝手に好きなところに行っていたのだった。

なんだか、私の弾劾裁判のような夢である(笑)。
『マジック・ストーリー』(翻訳:『人生を変える魔法の物語』等)という短編小説の形の自己啓発書で、主人公の男は、自分の分身が、自分の昔の勤め先を毎日訪れるのに付いていったが、分身がそこに入って行っても自分は入って行くことが出来ず、見ているだけだったという話があるが、それに少し似ていなくもない。入って行けないのは、入って行けないような後ろめたい理由があるからだ。
また、映画『パピヨン』で、主人公のパピヨンが、夢の中で、砂漠の中の裁判所で、自分が裁判を受けているという場面を思い出す。
裁判官はパピヨンに「お前は有罪だ」と言うが、パピヨンは「俺は殺していない」と言い返す。
すると、裁判官は「その罪ではない」と言う。
パピヨンが訝(いぶか)って、「では、何の罪だ?」と問うと、裁判官は、「人生を無駄にした罪だ」と言う。
それを聞き、パピヨンはうなだれる。
「確かに有罪だ・・・認めるよ・・・」

『マジック・ストーリー』の主人公の男は、夢から覚めた時、実際に目覚めて人生をやり直す。
『パピヨン』のパピヨンは、脱獄して自由を手に入れると、自分の戦いを始め、伝説の人物になった。

「人生に意味などない」とか「人に価値などない」と言う者がいるが、人生にも人間にも、値打ちがある。
しかし、時間は限られており、その中で、その値打ちを生かさなければならない。
要は、生き様が大事なのだ。
宮本武蔵が、「吾、ことにおいて後悔せず」と言ったのは、「どんな結果になろうと後悔しない」という意味ではなく、「私は後悔しないよう全力を尽くす」という意味でもないかもしれない。
ひょっとしたら、「もっと後悔しないようにやっておけば良かったなあ」という後悔の言葉かもしれない。
彼だって、心残りみたいなものは、いっぱいあったのだと思う。
それで、後の時代の人に、「後悔しないようにやれ」と言いたかったのかもしれないが、そう言われて、「はい、後悔しないようにやります」なんて思う者はいない。
結局のところ、皆、後悔する。
それで、「吾、ことにおいて後悔せず」という理想のみを掲げたのだろう。

自我主体、左脳主体、理屈主体で行くと、後悔する。
天主体、右脳主体、勘主体で行くと、それほど後悔しない。
それなら、今の日本人の人生は、最後に後悔する場合が多いに違いない。
つまり、やりたいことはやっておかないと後悔するということだ。
やりたいことをしないことを、「人生を無駄にする」と言うのだと思う。
それは罪なのである。








意外な最強の引き寄せ書とは

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は、罰する神で、悪いことをしたら罰が与えられる。
ただ、イエスは、「人を許せば、神もあなたを許して下さる」と教えている。

映画『パピヨン』で、パピヨンが裏切ったら、自分が窮地に立たされる可能性があったドガが、「パピヨンが裏切ったら彼を罰したいか?」と尋ねられ時、穏やかに笑い、「罰するのは神の仕事だ(私の仕事ではない)」と感動的なことを言う。
ドガは、パピヨンへの神の罰を望んでいる訳でもない。
つまり、たとえパピヨンが裏切っても(結果、自分が死ぬことになっても)、ドガは許すつもりだった。
そして、パピヨンは、ドガを裏切らなければ死ぬほどの苦しみがある中でも、決して裏切らなかった。
ドガは大詐欺師で、多くの人に苦しみを与えたが、神に許されたかもしれない。

引き寄せがうまく出来ない原因に、罪悪感・・・つまり、罪の意識がある。
罪悪感にもいろいろあるが、特に多いのが、「自分には罪があるので、願うものを受け取るに値しない」といったものだ。
そう思わせるものは、心の中にある、過去に自分が行った悪いことに対する後悔だ。
もちろん、罪悪感は悪いものではなく、悪いことをしたなら、後ろめたい気持ちを持つのは必要なことである。
しかし、自分を許せないと、そのように、自分には良いものを受け取る値打ちがないように思えてしまい、そうであれば、願いは叶わない。

キリスト教をベースにした引き寄せでは、人の罪を許すことの重要性を訴えているが、それは、引き寄せを行う上で必要なことなのだろう。
しかし、実際にはそれは難しい。
凡人には、恨みがある相手、憎い相手をなかなか許せない。
だから、自分も許せない。
ところが、浄土仏教の場合は、非常に簡単なのである。
法然や親鸞の教えなのであるが、いかなる罪を背負っていても、念仏を唱えれば、無条件でたちどころに許されるのだ。
いや、罪が消えてしまう。
ただ、いきなりそう言われても、良心を持った人間は、なかなか納得出来ない。
だが、親鸞の教えを弟子の唯円が記した『歎異抄(たんにしょう)』を読むと、念仏で罪が許されることを受け入れられるのである。
それを考えると、親鸞は、『現世利益和讃』で、念仏を唱えれば、あらゆる利益を得られる・・・つまり、引き寄せも自在であると述べていることが、確かであると思われるのである。
ひょっとしたら、『歎異抄』こそ、最強の引き寄せ書かもしれない・・・と言ったら、浄土系仏教信者に怒られるかもしれないが(笑)。








罪や欠点を帳消しにする

自分の欠点を自覚するようになれば一人前、いや、かなりのものだ。
私の職場に、30もとおに過ぎていたり、40にもなろうという女達で、他人の欠点を辛辣に罵る人達がいる。
それを見て思うのは、
「確かに、その人にも欠点はあるが、お前達のその欠点に比べれば、ものの数ではない。むしろ、立派な人だ」
である。

人間は、死んだ後で、人々が自分をどう言うかが気になるものらしい。
私は、そんなことは考えたことがなかったが、あの女達を見て、こう言われたいと思うようになった。
「人の悪口だけは決して言わない人だった」

昔の小学校の道徳の教科書に、こんな話があった。
ある人が、自分が死んで閻魔様の前に出た時、
「私は、大したことは何もしませんでしたが、トイレの下駄だけはきちんと揃えていました」
と言うつもりだと書かかれていた。
もし、よほどの事情があった場合を除き、一生、必ずそうするなら立派なものである。
ビル・ゲイツなら、「パソコンを誰でも使えるようにした」と言うかもしれないし、スティーブ・ジョブズなら、「高度な情報機器を使いやすくした」と話すかもしれない。
伊藤博之氏なら、閻魔様の方で、「初音ミクちゃんを生んで育て、世界を平和に導いてくれた」と言うだろう。
少なくとも、伊藤博之氏以外は、閻魔様ではなく、別の黄泉の国の大物相手になるだろうが。
私も、彼らのようなことをしたかったが、せめて、「人の悪口だけは言わなかった」と言えるようにしたいものだ。
ところが、ひょっとしたら、ゲイツも、ジョブズも、あるいは、伊藤博之氏も、上のように言う(言われる)にしろ、別のことを言うにしろ、それは、自分がやったことの自慢というのではなく、罪滅ぼしのつもりかもしれない。

映画『パピヨン』で、パピヨンが裏切るかもしれないと言われたドガに、誰かが、「彼(パピヨン)を恨むか?」と問うと、ドガは笑って、
「裁くのは神だ」
と言う。状況から見て、パピヨンが裏切るのは仕方がなかった。だが、パピヨンは裏切らなかった。
そのパピヨンも、別のことで罪の意識を持っている。

自分の罪、欠点を深く悔いるようになってこそ、人間になったと言えるのかもしれない。
だが、そのことが、人生を台無しにすることが多い。
イエスは、他の人の罪を許せば、自分も許される」と言ったが、憎いあんちきしょうを許すことが出来ない。

だが、問題ない。
たった1つのアファーメーション(心を鼓舞する言葉)・・・呪文と言っても、祈りと言っても良い・・・を持っていて、それをいつも唱えるなら、許されるかどうかはともかく、罪や欠点は帳消しになる。
そうとしか思えない。
だから、自分の罪や欠点を悔やむなら、あるいは、他人の罪や欠点を問題にする暇があったら、自分が選んだ、そのたった1つの言葉を繰り返すことだ。
それしか救われる道はないだろう。
法然や親鸞の教えはそのようなものであると思う。
「南無阿弥陀仏」の念仏には、「阿弥陀様が救って下さる」という想いが秘められているはずである。
ノーマン・ヴィンセント・ピールが、『積極的な考え方の力』で、どん底に沈む男に教えた聖書の言葉「私を強くして下さる方により、私はどんなことでもできる」も、全く同じだろう。
その男も、この言葉を繰り返すことで、全てうまくいったのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
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