安田純平の「自己責任論」

 仕事が一区切りしてから国会議事堂前へ。
 「安田純平さんを救おう!6・6官邸前緊急市民行動 Save Yasuda Junpei!」(主催:解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会・WORLD PEACE NOW)がどんなものか見たいと思ったのだ。
http://kyujokowasuna.com/?p=2062

 これについては、安田氏の友人たちから批判の声が上がっていた。
 シリアで亡くなった山本美香氏の同僚だった「ジャパンプレス」のジャーナリスト、藤原亮司氏は、安田氏の親友の一人だが、「安田純平を運動に使うな」と警告を発した。
 《このような声高な行動は却って安田さんを危険に晒し、かつ身代金を欲しがっている相手に代わって宣伝をしてやっているようなものです。国内の誘拐事件でも交渉は秘密裏に行うもの。また彼が望まないことをするのは、呼びかけるのはやめてください。》
https://twitter.com/JP_Fujiwara

 終了予定時刻の19時半前に着いたのだが、もう解散して20人ほどが残っているだけ。残念ながら集会をライブで見ることはできなかった。
 主催者のツイッターには「120名の皆様、お疲れ様でした」とあったから、それなりの人数が集まったようだ。

 政府に対して安田純平を救えと運動することをどう評価するか。
 これは、自称「仲介人」とその動きに対する見方に関わっている。
 自称「仲介人」は、去年12月の安田を殺すか他組織に売り渡す「カウントダウン」がはじまったという脅し、3月の動画公開そして5月の画像公開と「1000万ドル」と「1ヵ月」の期限提示と3回にわたってアピールしたことになる。
 いずれも日本でメディアが大きくとりあげ、大騒ぎになった。結果的に、自称「仲介人」はヌスラ戦線に対して、「日本では騒ぎになってうまくいっています。政府への交渉しろという圧力は高まるでしょう」と報告できたはずだ。ヌスラ戦線としては金がもらえるに越したことはないから、「お前たちに任せよう」ということになる。これに気をよくして、自称「仲介人」は、また次の脅しを仕掛けてくるに違いない。
 どんな脅しをかけられても、パニックにならず静かに聞き流し、日本からは身代金を取れそうにないな、とヌスラに思わせるべきだと私は思う。メディアにも、誘拐報道に準じて、冷静に慎重に情報を扱うことを求めたい。
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 さて、藤原亮司氏の訴えにある「彼が望まないこと」とは何か。
 安田純平氏の「自己責任」論を紹介してみよう。2004年4月にイラクで拘束され、「自己責任」云々でバッシングされた彼は、この問題についていろいろ考えさせられたはずだ。
 先日取り上げた『囚われのイラク』は、第1刷が2004年5月25日。解放されたのが4月17日だから、ものすごい速さで一気に書き上げている。それだけに不思議な迫力が伝わってくる本である。
 「現場で自分自身に何が起ころうと、受け入れるしかないのは当然だ。こんなことは聞かれるまでもないことである。イラク戦争開戦前から、それだけの覚悟があるかどうかを悩み続け、開戦後も、『盾』(注)の日本人たちと、いかに自分たちの身を守るかを話し合ってきた。当然、何かが起きたり、起こる可能性があったりするときは、そのつど恐怖を覚え、そのつど乗り越えなければ現場には行けない。そして、『行かない』という判断をすることも十分に尊重されなければならない。
 結局、日本で問われていたのは自分自身への覚悟ではなく、『迷惑をかけた』ことに対する『社会的責任』である。私の実家の前には報道陣が集まり、『息子さんをイラクに行かせた親の責任はどう考えているんですか』と質問していた記者がいたという。私自身の考えてイラクに行っているのだが、親への取材をするメディアに『自己責任をとらせる』という発想はない。
 だから、自分自身に関しては、『自己責任』を問われれば『覚悟している』と答え、それを説明する『社会的責任』として、せめて事前に『何かあっても動かないように』とする文書を家族か第三者に渡しておこうと思う。後者の対応を怠ったことが、今回の最も大きな反省点だ。しかし、本人の意思にかかわらず救出活動をしなければならないのが国家であり、『国家のあり方論』は『自己責任論』という言葉で行うべきものではない。
 私が現場に行くのは、見てみたいものがあるからだし、自分自身で感じている疑問を少しでも解きたいからだ。現場でしかわからないものがあるし、わからないことがあることに現場に行ってはじめて気づくことも多い。だから私は、ジャーナリストだろうとNGOだろうと、バックパッカーであろうと、現場に行く人はすべからく尊重する。とくに、バックパッカーは民家に泊り込んだりして、ジャーナリストが見ていないものを見ていることが多い。彼らの話を聞くのは楽しいし、よい刺激になる。
 現場に行くたびに、出会った人々の姿や声を伝えなければいけない、という責任を感じる。せめてそれをしなければ彼らに申し訳ないから、という気持ちからだが、半ば自己満足のようなものでもある。それを仕事としてできるならば、ジャーナリストの仕事はなかなかいいな、と思っている。
 私が帰国してすぐ、アブグレイブ刑務所で米兵がイラク人を虐待している写真が報道された。イラクの知人からは『アブグレイブで虐待された男と、別の男が殺される瞬間の目撃者を紹介するから来い』とのメールが来た。早くも、うずうずし始めている。現場が私を呼んでいるのだ。」(P252-253)
(注:アメリカが侵攻する直前にイラクに行った「人間の盾」のこと)

【日本からの「人間の盾」の雑誌の表紙。左から2人目が安田氏】

【人間の盾でイラクに入ったときの安田氏。うれしそうだな。撮影は加藤健二郎氏】
 激しくバッシングを受けながらこう書く安田純平という男は、とことん「懲りないヤツ」であり、政府に「助けて!」などとは口が裂けても言わないだろうと思う。
 もちろん、それを知ったうえで、友人たちは「勝手連」として救援に立ち上がっているのだ。