『ウクライナはなぜ戦い続けるのか』予約販売開始

 去年ウクライナを取材した成果を『ウクライナはなぜ戦い続けるのか~ジャーナリストが戦場で見た市民と愛国』(旬報社)にまとめました。

旬報社 1870円(税込)12月12日発売予定


 ロシアの全面侵攻からもうすぐ3年。ロシアが民間インフラを狙って人々の暮しを破壊し続けるなか、ウクライナでは兵士だけでなく銃後の市民もやれることを見つけて抵抗を続けています。

 ウクライナを旅するあいだ自問したのは「もしウクライナが日本なら、自分はどうするのか?」でした。本書では、ウクライナの戦う姿から、私たち日本人の戦争と平和、国家と国民にかんする価値観を問い直してみました。

 アマゾンで予約販売が始まりましたので、ご関心ある方はお求めください。

 

 私は昨年、戦争下のウクライナを訪れ、市民や兵士の置かれた状況を見てきました。

 前線では物量に勝るロシア軍の攻撃を兵士らが懸命に食い止め、市民がカンパやクラウドファンディングで武器や必要な装備を調達して直接、部隊に届けていました。音楽家やコメディアンも前線の兵士を慰問するなど、市民一人ひとりが得意な技能や可能な活動で祖国の抵抗戦争に貢献しようとしていました。

 もし他国から侵略されたら「あなたは進んで自国のために戦いますか」と77の国・地域で調査したところ、全体では「はい(戦う)」が64.4%、、「いいえ(戦わない)」が27.8%でした。日本は「はい」が最下位でわずか13.2%、「いいえ」が48.6%と各国のなかで突出しています。また、「わからない」が38.1%と、これも世界一。

 日本に住む私たちの多くが、国の運命など自分とは「関係ない」と思っているということなのでしょう。日本では「愛国心」が戦前の軍国主義を想起させるとして忌み嫌われてきました。しかし私たちは、このままの価値観で、混迷の時代を生きてよいのでしょうか。また、人として生きる意味、死ぬ意味を自覚できるでしょうか。

 ウクライナで感銘を受けたのは、市民が自発的にロシアへの抵抗を続けていたことです。ある青年は私に「政府なんかあてにしないで、祖国に自分のできる限りの貢献をする」と言いました。彼にとって祖国とは「政府」ではなく、自分と家族や友人、愛する郷里と同胞、そこに根付く文化や伝統のすべてを意味します。人々は祖国のために生きることに、さらには祖国のために死ぬことにも意味を見いだしていました。

 私たちにとって「国」とは何か。

 ウクライナで私は、日本人の平和と戦争、国家と国民、人の生き死にの意味について考えさせられました。

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