韓国民の「国を守る気概」

自民党折り鶴よりもカネのツル (埼玉県 兵藤新太郎)

憲法を急に大事にする自民 (埼玉県 恵村順一郎)

裸足で逃げ出す「表現の自由」 (東京都 上田幸孝)
               12日の朝日川柳より

 政治資金規正法の再改正をめぐる議論。衆院予算委で、企業献金は憲法第21条の表現の自由で、これを禁じることはこれに「抵触する」と石破首相。

 13日の参院予算委員会では企業・団体献金に関して、「憲法違反まで持ち出してまで企業献金を守ろうとしている」(立憲・杉尾秀哉氏)と問われ、「違反するとまでは申しません。そこは言い方が足りなかったと思う。少なくとも、憲法21条との関連は法律学上、議論されなければならないと考えている」と首相。のらりくらり。

 「政策決定をめぐる献金の影響は否定しがたいと思う」(立憲・石垣のり子氏)とずばり聞かれて、「お金をもらったので国策に反する意思・政策決定をするような者は自民党にはいない」(首相)との答弁。冗談でしょ。苦笑するしかない。

「お金をもらったので国策に反する意思・政策決定をするような者は自民党にはおりません」だと。真顔で言うんですか、それを・・(NHKニュース)

 自民派閥の裏金問題で、「単なる(政治資金報告書への)記載ミスという認識なのか」(石垣氏)との質問には、「法に定められたように載せず、国民に判断する材料を与えなかったことは極めて重大なことだ。それはミスによるものが多く、故意でやろうとしたとは私は現在、認識していない」(首相)と単なるミスだと結論づけた。

 旧安倍派の元会計責任者、松本淳一郎氏(政治資金規正法違反で有罪確定)が自身の刑事裁判で、2022年8月の派閥幹部会合でパーティー券収入の還流再開が決まったと証言し、判決文でも事実認定されているではないか。石破総理がここまで腰砕けになるとは。やはり自民党ではダメということだな。

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 韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領を弾劾する議案が14日、国会で可決された。大統領の職務が停止され、今後、憲法裁判所が、弾劾が妥当かどうかを判断することになるが、ユン大統領は「決してあきらめない」との談話を発表した。

 今回の韓国の事態を私は驚嘆しながら見ている。一つは、民主主義的な手続きで選ばれたリーダーが、民主主義を自ら破壊する行動をとる可能性を目の当たりにしたことの驚きだ。

 ユン大統領は、いつもYouTubeばかり見ていたといい、右翼的なYouTuberに影響されたと報じられている。ユン大統領が演説で「国会が犯罪者集団の巣窟になった」「破廉恥な従北反国家勢力を一挙に取り除く」などYouTuberが使う表現をなぞっていることについて、元自衛隊陸将の松村五郎氏は、民主主義国家の元首がインターネットの世界のなかで情報のエコーチェンバーに自分が乗って誤った決断をするということは初めてだという。(14日「報道特集」)

 エコーチェンバー現象とは、自分と似た意見や思想を持った人々の集まる空間(電子掲示板やSNSなど)内でコミュニケーションが繰り返され、自分の意見や思想が肯定されることによって、それらが世の中一般においても正しく、間違いないものであると信じ込んでしまう現象。日本の最近のおかしな選挙結果も、これが影響しているのだろう。

 ヒトラーもプーチンも選挙で権力についたことで、民主主義から独裁が生まれる可能性は分かっているつもりだったが、隣国でそれが起きたことはやはりショックだった。

 先のエコーチェンバー現象などを見ると、選挙で指導者として不適な人が選ばれる可能性だけでなく、選ばれたあとで「おかしく」なる場合もあることを見せつけられた。指導者が理性的な判断ができなければ、例えば、核抑止を含むぎりぎりの外交的な駆け引きも、各国が合理的な判断に基づいて行動することが前提で機能するのであって、それが崩れれば本当に核戦争が起きてしまう。我々はきわめて危うい綱渡りをしているのではないか。

韓国の市民の直接行動は何度も政治を変えてきた(NNN)14日

 一方で、民主主義を守ろうとする韓国の国民の力に感銘を受けた。戒厳令発令を知ってすぐに国会に駆けつけ、国会を制圧しようとする軍部隊に対峙した。「死ぬ覚悟で来た」という市民の姿に、これこそが真の「国を守る気概」だと思った。この気概は日本の我々に決定的に欠けているものだ。

たくさんの子どもたちが親に連れられて集会に参加している。これは民主主義のOJTになるだろう。すばらしい(NNN14日)

ノリは軽いが、厳寒のなか何時間も地面に座って抗議する根性もすごい(NNN14日)

 また、国会制圧を命じられた軍が、抵抗する市民に暴力を用いず、事実上上からの命令をサボタージュしたことも大きい。平井久志氏(共同通信客員論説委員)は「国民に銃や警棒を向けた軍人や警察官が歴史の裁きを受けるという社会教育が、韓国の中で定着してきている」と論評している。市民も軍も歴史に学んでいるのだ。

「民主主義の法治国家の軍人として全ての過ちの責任を取り、自ら罪を認めて、愛する軍を離れます。国民の皆様に厳粛な思いで深くお詫びします」と顔と名前、所属をさらし涙ながらにカメラの前で謝罪する軍人。軍が権力ではなく民衆の方を向いている。(報道特集14日)

 日を追うごとに大規模な街頭集会が開かれ、連日まるでKpopのコンサートのノリで、市民が政治を身近に感じていることを示した。そしてその市民の声が、与党議員まで弾劾賛成に回らせたのである。結局は民衆が民主主義を守るしかないという、教科書のイロハのようなことを実地に見ることができた。

 日本の国づくりへの教訓にしなければならない。