チェコの首都、プラハ北東のドロウヘ・ドヴォリ村とリーパ村の間、ドハリウェ近くの高速道路建設予定地で、ヨーロッパ最大級の長さの先史時代の長墳墓が発掘された。
約5300年前のものと推測されており、その長さは約190m、最大幅は15mに及ぶ。
高速道路建設現場で発見された細長い古代の墳丘墓
チェコのフラデツ・クラーロヴェー大学の考古学部は、東ボヘミアのドロウヘ・ドヴォリ村とリーパ村の間で行われた高速道路建設予定地で、古代の長墳墓を発見した。
最初の手がかりは、細長い台形の溝が見つかったことだった。これは長墳墓の典型的な特徴といえる。
長墳墓とは紀元前3800年~3350年頃の銅石器時代、具体的には漏斗状ビーカー文化時代にさかのぼる古代墳墓のことだ。
今回見つかった墳墓は、長さ190m、幅15mと巨大で、中央ヨーロッパ最長の先史時代の長墳墓のひとつとなる。
航空写真から、巨大な細長い楕円形の墳丘であることがわかり、相当古いもので重要な考古学的発見といえる。
地上部分の埋葬塚は失われてしまっているが、残った部分からたくさんの情報が得られている。
墓には遺体や埋葬品も
中央にある1番目の墓は、墳丘の長い側面に沿って溝があり、角に柱の穴がある内坑構造になっている。
陶器の容器の副葬品が見つかり、遺体は北を向いて体の左側を下にして横たわっていた。内坑構造ではない2番目の墓も、遺体は左側を下にして横たわっていた。
この墳墓は記念碑的な葬送を意図して築かれ、中央の墓2ヵ所は、この墳丘が最初に造られる発端になった人たちのものと思われ、それ以外にも28ヵ所の墓が発掘された。
少なくとも5300年前のものと推定されているが、分析を進めれば、正確な年代はすぐにわかるはずだ。
人骨以外にもいくつかの遺物が発見された。陶器の破片、火打石の矢尻4本とナイフ1本。これらはおそらく供物として残されたもので、チェコやポーランドの同じような墳墓遺跡で見つかっているものと一致している。
中央ヨーロッパ中北部の考古文化である漏斗状ビーカー文化は、独特の陶器と埋葬習慣で知られる。今回見つかったこの長墳墓もこの先史時代文化と関係がありそうだ。
References:Katedra archeologie UHK – Department of Archaeology UHK / Archaeologists discover Europe’s longest prehistoric mound in the Czechia – Arkeonews / written by konohazuku / edited by / parumo
ちゃんと調査するからすごいよな欧米は。
日本は簡単に遺跡を潰しちゃうから正しい歴史が分からない。
5300年前というと日本で言う縄文時代か
さすがにその時代のものにこれほど大規模なものはないな
>>2
日本の縄文時代だと貝塚に埋葬していたので
単純な範囲で言えば数倍の規模になる
加曽利貝塚なら少なくとも60体以上
吉胡貝塚では340体もの人骨が発見された
>>2
ざっと日本の場合を確認してみた。
・群馬県の居家以岩陰遺跡で縄文時代早期中頃(8300年前)の屈葬された人骨が出土。
・日本最大の貝塚は千葉県の加曽利貝塚で縄文時代中期(5000年前)から縄文時代後期(4000年前)。大きさが北貝塚が直径約140mのドーナツ形、南貝塚は長径約190mの馬蹄形。貝塚自体に埋葬された人骨はなかったはず。
・岡山県の津雲貝塚は縄文時代後期(4000年前)と晩期(3200年前)が主体。ここでは170体の人骨が出土。ちなみに世界最古のサメによる犠牲者と発表があった人骨はここの出土。
・愛知県の吉胡貝塚は縄文時代晩期(3200年前)で300体以上の人骨が出土。
そもそも日本では権力者の墳墓という概念はもっとあとの時代のものだからね。
貝塚を再生の場として人を埋葬するというのも縄文時代後期からだろうし、墳墓とは言えないわな。
その頃既に銅を使ってたのがこっちから見ると凄い
あらやだ、死んでる
君よ墳墓の河を渡れ
これだけの規模だから相当の権力者で埋葬品も多そうだけど、少ないのは盗掘されちゃったのかしら。