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ビーチサイドの人魚姫
俊樹

2019年9月Nikon D700で一眼レフデビュー。カメラは独学。2020年4月、Nikon D810へアップグレード。いつか写真展を開く為、日々精進。勿論、詩、小説、エッセイ、作詞は継続中。2021年夏、Nikon Z7Ⅱへと更にアップグレード。2022年10月、3回目の心臓手術に耐え抜き現在に至る。2023年8月ペースメーカー植え込み。

父の日は遠い空からやって来る。

2015年06月21日
その他 22
遠い空

 父の日は母の日に比べるとその存在感が若干薄いような気がしますが、父の働く姿を子どもはあまり見かける機会が少ないため、父親が外でどんな仕事をしているのか、それは日常の親子の会話の中でしか知ることは出来ないかも知れません。プレゼントももちろん大切ですが、それ以上に会話は重要です。

 私と父に関しては過去に何度か書き綴って来ましたので想像は付くと思いますが、これから話す内容は私自身も割と最近になって知りました。私と父が一緒に生活した時間は非常に短かいものでした。その中心は小学生時代に凝縮されています。アルコール依存症で酒が切れると手が振るえ、字を書くとミミズ状態でした。最初に届いた葉書が府中刑務所からでしたが、その葉書には酒を止め、一生懸命働き、美味しい物を沢山食べさせてやると書いてありました。もちろん私はそれが本当だったらどんなに幸福だったろうと思っていましたが、それが叶う筈もありませんでした。
 父は酔うと人格が変わってしまい、鬼のような形相になり襲いかかってきます。それも私だけに対してでした。よそ様に手を出すような事(ヤクザ同士の喧嘩以外)はありませんでした。私の喧嘩相手は一番身近な父でしたが、狂った父をとり抑える事など子どもには到底無理。殴られ蹴られしますが、私なりに抵抗はしました。

 父は酔っている時の自分を何も覚えていません。顔に痣を作って学校へ行くと、クラスメートや担任が尋ねてきます。「神戸君その傷どうしたの?」私は正直に答えず「転んだ」と答えます。常にその繰り返しでしたが、いずれ父の行動は学校中に知れ渡る事となりました。そんな私を不憫に思った担任が養子に欲しいと相談があった時はかなり驚きましたが、私はきっぱりと断りました。何故なら私には父親がいるからです。私の心臓病が悪化したのも責任は父にありました。もっと早く医者に診せていればそれほど酷くはならなかったでしょう。酒を飲んでいない時の父は非常に優しく、またお人よしでした。人からの頼まれ事は断ったことがありません。その為、不本意な結果を招き手錠を掛けられたりと、父自身もまた波乱の人生を送り41年前、42歳の若さでこの世を去りました。
 人は死ぬと生前一番慕っていた人の所に魂となって現れると言われています。私は一回目の手術を19歳で受けました。父が亡くなって一年が経とうとしていた時です。かなり以前に短編小説「冬の蛍」を記事にしましたが、あの作品は半分ノンフィクションです。重度の心臓病を抱えた少年と父親の物語ですが、少年に付き添っていた父は既にこの世の者ではなかった…。少年が一番欲しがっていた「蛍」をプレゼントしてあの世に帰っていく父。そして奇蹟が少年の身に起こる。手術の支度を一人で整え、ペーパーバックに必要な物を詰め込み、静岡市立病院の門をくぐりました。春の穏やかな日差しに包まれた病室が、静かに私を迎え入れてくれます。6人部屋の一番窓際のベッドが私の仮の宿。暫くここで過ごす事への恐怖感はまったくありませんでした。心臓の手術を受ける少年にしては妙に落ち着いて見えた事でしょう。
 そして検査に追われる日々が続きました。そして正にこの時、故郷の藤枝である事件が起こっていたのです。亡き父が私に親らしい事を何一つしなかった事は誰もが知るところでしたが、そんな父の愛情が実は非常に力強いものだったと知ったのです。
 藤枝に住む親戚の伯母にその夜異変が起こったのです。なんと父の霊が現れ、伯母に「俊樹が心臓の手術を受けるため入院しているから早く行ってやってくれ」と伯母に頼んだのです。それは毎晩続き、そして日ごとに布団の上に覆い被さって来、伯母は金縛りに合い、身動きが取れない状態になりました。あまりにもしつこいので「そんなに何度も出てくるなら行ってやらないよ」と父に向かって怒鳴ったそうです。するとその次の晩から父は現れなくなったそうです。それまで私は父が自分を本当に愛していたのか心の奥では不信が募っていましたが、この話しで私は鳥肌が立ち、父の愛情が死してもなお別な形で現れたのだと知った時、大きな愛に包まれている自分を知ったのです。窮地に立たされている時、父はこの広い空のどこかで見守ってくれている事でしょう。脳梗塞から奇跡の復活を果たしたのも父のお陰だったかも知れません。
 父の日に何もプレゼントが出来なかった私ですが、私を活かしてくれた父は、やはりどんな言われ方をしても私にとっては偉大な存在です。ありがとう、親父。天国の酒は美味しいですか。酔っ払って天使を追い掛け回す父の姿が見えてくるようです。


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俊樹
この記事を書いた人: 俊樹
本名/神戸俊樹
静岡県藤枝市出身。
19歳の時に受けた心臓手術を切っ掛けに20歳から詩を書き始める。
2005年3月詩集天国の地図を文芸社より出版、全国デビューを果たす。
うつ病回復をきっかけに詩の創作を再開。
長編小説「届かなかった僕の歌」三部作(幼少編・養護学校編・青春編)父を主人公にした(番外編)を現在執筆中。
詩、小説、エッセイ、作詞など幅広く創作。
2019年9月、一眼レフデビュー。Nikon D700を使用。
2020年4月、Nikon D810にアップグレード。
2021年夏、ミラーレス一眼 Z7Ⅱへと更にアップグレード。
2022年10月3度目となる心臓手術を受け、大成功を収める。
2023年8月徐脈性心房細動で心停止(失神)したため、ペースメーカーを植え込む。

コメント22件

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sado jo

こんにちわ^^

私の父は腕のいい猟師で、戦争にも行き、アメリカ兵も動物もたくさん殺しました。
生きる厳しさを自覚していたんだろうと思います…それを子供に叩き込もうとして厳しく接しました。
勿論、殴られた事もしばしば…だから、私は父の笑顔を見た事がありません…お互いに辛い少年期を送りましたよね~
神戸さんの父上の話は、何だか他人事とは思えません…ブログ人気ランキング応援させていただきます^^

2015年06月21日 (日) 14:17

orenge

No title

親心って、親になってその立場になって本当の気持ちがわかると思います。
息子が脳腫瘍で最初の手術の時に10数時間も付き添うつもりで来てくれました。
私の子供の頃にも同じ思いであちこち病院めぐりをしていてくれたのだろうと思います。

神戸様の記事を読ませていただくとどうして自分の子供の時を思い出します。
つい涙してしまいますが、お父様の想いと神戸様のお父様を思う気持ちはずっとつながっていたんでしょうね。
“可愛い大切な息子の為に頼む”と現れたお気持ちは如何ほどの想いだったのでしょうか?

今の自分にも当てはまり、とても切なく感じます。

2015年06月21日 (日) 15:38

野津征亨

こんにちは。

今日は父の日でしたね。
自分も先ほど、父にメールを出しました。
返信内容は割に淡々としたものでしたが、こうやって互いに好きな時に簡単にやり取りができる今の時代は本当に恵まれていると思います。

きっと今も、俊樹様のお父上は天から俊樹様のことを見守っていらっしゃるのでしょう。

2015年06月21日 (日) 15:41

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2015年06月21日 (日) 21:01

双子パンダ

(*^^*)

今でもお父様が天国から見守ってくれているのでしょうね♪

私も父と母には本当に感謝しています。
もっと親孝行をしないとなと思いました。

2015年06月21日 (日) 21:53

koyuri

何はともあれ

お父様の分まで、長生きして下さいませ。

今年は、生まれて初めての父がこの世に居ない「父の日」になりました‥‥

2015年06月21日 (日) 22:45

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2015年06月21日 (日) 23:05

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2015年06月22日 (月) 03:16

孝ちゃんのパパ

No title

こんにちは。

父のこと・・・・・・・・
子供を思わない親はいませんよね。
お父さんの本当の愛情が伝わってきました。

僕は大阪に出てきてしまいましたが
いつも父の優しさは忘れたことがありませんでした。

母の性格がとてもきつかったので
いつも母に大変な気を使っていました。

父がタバコを吸うと母が怒るんです。
僕が帰った時に、外で一緒にタバコを吸うと
とっても嬉しそうな顔をしていました。

晩年は病院で過ごしていましたが
僕が見舞いから大阪に帰るときには寂しそうな顔をしていました。

僕はお酒が飲めないので、
一緒に飲めないことを残念がっていました。

帰ったときにはビール一杯だけ付き合ってあげたのですが
それだけでも父にとっては嬉しいことだったらしいです。

父親の子供に対する愛情は中々目に見えませんが
僕は母親以上の愛情をもらったと思っています。

2015年06月22日 (月) 17:55

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2015年06月22日 (月) 19:06

夏至子

No title

涙がでました

どんな親でもやっぱり親は親です
親は子供を愛していないはずがありません
そう信じています

表現の仕方が不器用で上手くできないだけなのかなって思ったりしています

今こうしてこの世に生きているってことは、産んでくれた両親がいるからです
あーだこーだと思えることも考えたりすることも、生きているからこそでしょう

両親に深く感謝ですかね(笑)
私自身もいい思いがないので・・・

2015年06月22日 (月) 23:22

anne

素敵はお話ですね

読ませていただき、泣きました。
でも、何度か読ませていただき、お父さんもですが
神戸さんのやさしさに、涙が出ました。

私は、恵まれていたんだと、親に改めて感謝しました。

親って、素晴らしいですね。

私が今の家で、家族と暮らしていた時、
突然、ガスが付かなくなったことがあったんです。
元栓が閉まっていたのですが
今まで一度も、ガスの元栓を触ったこともなかったんです。
誰か、通りすがりに悪戯をしたのかな?
と思ったのですが

ちょうど、その時間、父が亡くなった時間でした。
父は、おっちょこちょいな私を心配していたので
なんとなく、父がお別れに来てくれたんだと、思いました。

そのことを、神戸さんのブログで、思い出しました。
親って、ありがたいものですね。

長くなって済みません。

2015年06月23日 (火) 01:07

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2015年06月23日 (火) 04:36

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2015年06月23日 (火) 14:51

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2015年06月24日 (水) 15:14

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2015年06月24日 (水) 15:44

ネリム

No title

こんばんわ
どんな親でも親なんだなと思いました。
お父様の分も長生きして下さい。

2015年06月24日 (水) 22:01

慧喜

No title

俊樹さん☆

拍コメ、有難うございました!!
お墓参りにいけないことや俊樹さんの状況、
お父さんは全部分かってると思う・・・><
どんな場所からでも、俊樹さんが祈ってさしあげたらいいと思う><
祈ることで、亡くなられた方に少しでも徳を積んでさしあげる思いで・・・!

2015年06月24日 (水) 22:29

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2015年06月24日 (水) 22:32

夏至子

No title

こんばんは!

俊樹さん、ブログ訪問、コメントをありがとうございました
最終的には親からみればどんな子でもわが子は愛おしい、
子どもからみれば、どんな親でも親が大好き

どんなに遅くなっても、会いに来てくれたら嬉しいです
お墓参り、体調がよくなったら行って下さいね

2015年06月24日 (水) 23:41

鈴子

+゚。*(*´∀`*)*。゚+父の日〜♪

俊チャンさん

お久しぶりです♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪
多分 お父さんは風になって
俊ちゃんのそばにいる気がします。
いつも 守ってくれていると思う。
(´・艸・`)
読んでて うるうるしました。T_T
私の父と似ているから…

これを空のお父さんが読んでくれていると思います。T_T 気持ち 伝わってると思いますよ。お父さんのことを想い、回想することが、お父さんへの供養だと思います。

(^○^)歌いまーす🎶

わたしのお墓の前で〜♪泣かないで下さい〜♪そこに〜♪わたしはいません〜♪眠ってなんかいません〜♪千の風に〜♪千の風になって〜♪あの大きな空を〜♪吹き渡って〜♪います〜♪🎶

★注意★

私の記事への この返信鍵コメはいらないよ。リラックスして下さいねーっ!

By Suzuko...φ(ー ̄*)カキカキ


2015年06月25日 (木) 04:26

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2015年06月28日 (日) 14:21