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ファシズムとは何かという問題は大変に難しい。気軽にファシズム・ファシストという単語が使われるが、これはもちろんレッテルの一つという意味合い以外にはない。

たとえば、イタリアのファシズムとドイツの国家社会主義の二つを「ファシズム」で本当に一括りにできるのかという問題がある。ヒットラーのナチスにとって人種政策・反ユダヤ主義は根幹の一つだったが、ムッソリーニのファシズムの場合、反ユダヤ主義の傾向は本質的なものではない。そもそも歴史的に言えば、イタリア人はユダヤ人差別という点でドイツ人ほどの残酷さを持っていなかったという背景もあるが、それに加えて1938年に差別的な反ユダヤ政策がイタリアに導入されたのには、ヒットラーに押されたムッソリーニがかなりしぶしぶ飲んだという経緯があり、かつ現場ではユダヤ人にはなにかと逃げ道を与えていたりした。(その点、杉原千畝だけで威張っている日本人は認識を改めなければならないのではないか)

という次第で、イタリアのファシズムとドイツの国家社会主義を一つに括るのも、それなりに慎重であったほうがよい面があるわけで、ましてや第二次大戦前にヨーロッパで広まった「ファシズム」、さらに大戦後に南米などで「ファシズム」とされた政権などを包摂した、全体を説明できる「ファシズム」となると専門家でも議論が絶えない。「ファシズム大統一理論」のようなものはおそらく不可能だ。

当然、戦前の日本はファシズムだったかという問題については非常に慎重であるべきであって、簡単に判断できない。

おそらく、日本の場合はファシズムではなくて、保守主義で強権的で反動的、ということになるんだろうと思うが、もしそうならばこれはファシズムではない。注意しなければならないのは、日本がファシズムではなかったとしても、イタリアやドイツよりもいろいろな面でマシだった、ということにはならないことだ。