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雑感

 

・医療に絶対はない。

今、当たり前だと思われていることが実はたいした根拠がなく極めて通俗的な理解でしかなった、ということはよくあることだ。

あらゆる情報に対して、眉に唾を付けなければならない。科学は、断定しない。

 

・医学教育を受けていない私たち一般の人間にとって、注意をする必要ある点を特に書いておく。

 

まず、英語のニュースを頭から信じないこと。外国語で伝わる記事はついつい信用してしまうが、実際のところは記事を書いている人間がどこまで理解して書いているかはなはだ怪しく、今だと閲覧数稼ぎのために何事も刺激的に書いて読者を釣ってしまう。

 

日本のインテリがえてして、多数派ではあるが大した根拠があるのかどうか疑わしい、あるいは慎重さを欠いた話を信じている理由の多くはこれである。

 

もう一つは、医学論文そのものの信頼性の問題。私たち一般の人間からすると、医学論文は学術的にそれなりにしっかりしたもので信頼できると安易に考えてしまうが、実際はそうではなく、どうとでも書けてしまうものだ。

 

なので、相当批判的に読む必要があり、これはそれなりの教育を受けた人間にしかできない。しかし、別に専門家でなければならないわけでもなさそうで、一般的な医学教育を受け、しっかり勉強した人であれば十分批判的な読解ができていそうな印象を私は持っている。

 

ところが、肝心かなめの医療関係者がえてしてうかつで、公平に批判的な姿勢を保つことができなくなってしまっているような場面すら見受けられる。

 

あるいは、医学教育を受けていなくても、それぞれの人の持ち場と重なる部分については批判的な読解が可能となるはずだ。公式見解だけが正しいとは決して限らない。

 

大書しておきたいことは、医療関係者というのはそれほど頭のいい人たちでもなんでもない。頭からバカにする必要はなくとも、かといって過度に崇め奉ることはない。バカがバカなことを言っているのであれば、掛け値なしに「こいつはバカだ」という認識を持つことは重要である。

 

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現在は明らかに全体主義・ファシズムの現代版をやっているのであって、後世の歴史家はどうしてこんな愚劣なことをやったのだろうかと首をかしげるに違いない。

 

私自身、このブログから遠ざかった大きな理由は、このとんでもない時代に生きる私自身の身を守り、私の幸せを守ることで精いっぱいだからだ。私としてはそれでもう十分で、世界の愚かしさにほとほと呆れ、ブログを書く意欲はなくなっている。

 

とりあえずの生存報告としてここに書いておくが、今後も続けるかどうかはわからない。