責任なき戦場、ビルマ、インパール





太平洋戦争で最も無謀な作戦
牟田口廉也中将が発案、
補給なき作戦、兵站・輸送力の不足、補給ルート,険しい地形(岐阜~東京の距離にある大河、山河)
作戦に反対する小畑中将を罷免
陸軍の体質
大本営>南方軍>ビルマ方面軍>第15軍(牟田口)
上部組織みなが反対
東條の政略(ビルマの独立)により準備を命令
→やれと理解
英国:航空機を使った空中補給
ビルマ方面軍:中参謀長:慎重にできないか、沈黙
南方軍:今岡参謀長、1か月以内に攻略できるか
ビルマ方面軍、南方軍も作戦認可、
大本営:参謀総長=なんとかやらしてやってくれ
昭和19年1月作戦発令
・軍人教育:陸軍士官学校、精神力、体力(補給をあてにするな)
後方・兵站を軽くみていた
陸軍大学校:輜重兵はわずかしかいない、御賜の軍刀
・現地から食料を調達、ジンギスカン作戦(牛で運んで肉にする)
・佐藤幸徳師団長、インパールがとれなかったときの補給はどうするのか
・チンドウィン河で牛の半数が溺れ死ぬ、山の中腹で動かなくなる、牛放棄
・31師団はコヒマに到達
・天長節までにインパールを攻略せよ
・5月、雨季でマラリヤ、赤痢
・1日の百人分の米が、片手1杯
・食わず、弾もない(佐藤)→泣き言だ(牟田口)
・佐藤、6.1無断撤退(2万人の師団長)、コヒマからウクルル、フミネへ撤退
・牟田口:顔色で作戦撤退を察してほしかった(牟田口は4月で実は作戦失敗を認めていた)
・戦死者3万、傷病者4万、白骨街道
・大本営>南方軍>ビルマ方面軍>第15軍の馬鹿の4乗がインパールの悲劇を招来した(佐藤中将)
・誰も責任はとらなかった
・日本人は組織で動く(今の組織はどうか)
・インド、ビルマの戦死者16万4千人、遺骨がまだ眠っている
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