本多勝一や週刊金曜日を読み侵略や加害の歴史などを考えるサイト
書けないことが書いてある週刊金曜日を応援、侵略を考える。 平和憲法が危ない、改憲を阻止。 あなたは戦争に行きたいですか。現在、旧日本軍の「加害の歴史」を過去記事から特集中!
加害の歴史,旧日本軍
皇軍毒ガス作戦の村 最終回 週刊金曜日第80号
週刊金曜日1995.6.30号P64~67より引用。 石切山 英彰北坦村虐殺事件・加害者の証言虐殺の村・北坦での聞き取り取材を終えた筆者は日本での調査にとりかかり、作戦を指揮した大隊長が毒ガス使用を明記した文書を発見、さらに戦闘に加わった元兵士から毒ガス戦の生々しい様子を聞き取った。そして元大隊長を捜し当て、その自宅を訪ねたー 一 毒ガス戦の決定的文書(略)「大江部隊の掃蕩治安戦にて特筆大書すべき戦闘は定県、安...
加害の歴史,旧日本軍
従軍慰安婦 まず謝罪、そして補償を考えて 宋神道 週刊金曜日第80号
週刊金曜日1995.6.30号P60~61より引用。まず謝罪、そして補償を考えて 宋神道在日で唯一名乗りをあげている元「従軍慰安婦」の宋神道さん。政府の戦後補償政策について、「悪いことをやって、なんで謝罪できないのか」と、怒りをあらわにする。 金の問題じゃない宋さんは現在、日本で暮らす「在日」の朝鮮人元「従軍慰安婦」としてはただ一人、日本政府に謝罪と補償を求める裁判を起こしている人だ。「慰安婦」問題を考える上...
加害の歴史,旧日本軍
花岡事件とは何だったのか 週刊金曜日第80号
週刊金曜日1995.6.30号P52~57より引用。企業が抱える戦争責任 野添憲治 花岡事件とは何だったのか 五〇年前、秋田県花岡鉱山の鹿島花岡出張所で、強制労働に耐えかねた中国人たちが蜂起した。蜂起は失敗に終わり、その後間もなく日本は敗戦を迎えた。強制運行、強制労働、そしてその後の鹿島の態度ー花岡事件には戦争中に日本が行なったことが凝縮されている。花岡事件五〇年目にあたる今年六月、鹿島に謝罪・補償を求め、生存...
従軍慰安婦
「従軍慰安婦」問題の根 金富子
週刊金曜日1995.6.30号P58-P60より引用。戦争中の「慰安婦」制度は、国と軍が一体になって行なった「国策」だった。自らすすんで「慰安婦」になった女性は一人もいない。まだ誤解が根強く存在する「慰安婦」問題、民間募金について、改めて問いたい。彼女たちの存在を無視したままでいいわけはない、と。「慰安掃」制度と日本国家の責任軍慰安所の設置が最初に資料で確認されるのは、一九三二年の上海事変時である。当時、上海派...
従軍慰安婦
週刊金曜日第80号 1995.6.30従軍慰安婦にされたハルモニの思いー絵筆に託して
週刊金曜日1995.6.30号P45~51より引用。かつて従軍慰安婦にされた女性達自身が一昨年から絵筆を執り始めた。(著作権は週刊金曜日にあります)...
従軍慰安婦
週刊金曜日80号 1995.6.30 目次、ヤマ場をむかえた「富山・強制連行訴訟」
週刊金曜日80号 1995.6.30 目次P4 ヤマ場をむかえた「富山・強制連行訴訟」太平洋戦争中”軍需会社”だった(株)不二越に強制連行、就労させられていた韓国人元徴用工・女子挺身隊計3名が、富山県下有数の企業である同社を相手取り、富山地裁に1992年9月提訴。23歳のとき指名徴用を受け、不二越の向上へ連行された。同社の社史によると韓国人徴用工が535人いたはずだ。賃金は一銭も受け取っておらず、この未払い賃金と慰謝料、そ...
従軍慰安婦
週刊金曜日79号 1995.6.23 目次、民間基金は慰安婦の解決にはならない
週刊金曜日79号 1995.6.23 目次P70 民間基金は慰安婦の解決にはならない 西野留美子この基金は戦争責任の認識に立つ戦後補償ではない。・結果責任の罠民間基金構想を聞いた韓国在住の元慰安婦金学順さんは「なぜすっきりと国として個人補償を引き受けるといってくれないのか」と、怒りをあらわにした。・何を詫び、何を反省したのか与党プロジェクトチームの中間報告:強制的に朝鮮女性を慰安婦に連行することを黙認した朝鮮植民...
従軍慰安婦
週刊金曜日76号 1995.6.2 目次、慰安婦問題で追いつめられる日本
週刊金曜日76号 1995.6.2 目次P5 金曜アンテナ・大阪、吹田市で平和決議存続 吹田市議会では1994年末「不戦平和を願う決議」が採択。1995年3月24日には「憲法の平和原則を守り、核兵器廃絶と世界平和確立を誓う決議」を可決。右翼の抗議が活発化したが、覆されることなく市民運動によって守られている。「3.24平和決議を守ろう吹田市民連絡会」・浮島丸事件を語る集い、開かれる 京都・舞鶴湾内で、1945.8.24、謎の爆発によ...