大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

大阪市内で戦争と平和を考える

 大阪市には大阪大空襲をはじめ、戦争の傷跡が残されています。かつてのアジア・太平洋地域への侵略戦争と戦争に対する抵抗のあともみつけることができます。
 このページでは大阪市内の戦争遺跡や戦争体験をもとに戦争と平和について考えたいと思います。

戦争体験文資料もごらんください。戦争体験文や資料はこのページの下の方に目次があります。

(お断り)氏名などでJISコードにない漢字については最も近い文字で表示しています。

制作:「大阪市内で戦争と平和を考える」有志
 メールは   最終更新  2020年10月2日 迷惑メール多数のためメールアドレスを変更しました。


大阪市内でせんそうと平和を考える(子ども版)
子どもにもわかるように、むつかしい漢字にはふりがなをつけ、言葉もやさしくしました。順次ふやしていきます。

主な項目

戦争と学校
大阪大空襲
大阪市城北の戦争遺跡・戦争体験
大阪市中央部の戦争遺跡・戦争体験
大阪城の戦争遺跡
大阪市北部の戦争遺跡・戦争体験
大阪市東部の戦争遺跡・戦争体験
大阪市西部の戦争遺跡・戦争体験
大阪市南部の戦争遺跡・戦争体験
戦争体験文集
戦争と平和を考えるリンクのページ
児童文学で戦争と平和を考える

 戦争と学校

大阪市の学童疎開 子どもたちの戦闘配置
花園国民学校 疎開教育計画案
空襲による国民学校の被害
国民学校とは
戦争中の小学校6年生 「国史」テスト問題
体錬手帳

 

 資 料

調べてみよう 先のとがったお墓
大阪市の平和都市宣言など
参考にした本
戦争を調べ学び伝える

 

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 日本国憲法 第9条 

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

ここから詳細目次 240項目以上

大阪大空襲

大阪への空襲は1944年12月から始まり、敗戦の前日1945年8月14日まで続いた。そのうちB29 100機以上によるものが「大阪大空襲」とされている。
第1回大阪大空襲1945年3月13,14日
第2回大阪大空襲1945年6月1日
第3回大阪大空襲1945年6月7日
第4回大阪大空襲1945年6月15日
第5回大阪大空襲1945年6月28日
第6回大阪大空襲1945年7月10日
第7回大阪大空襲1945年7月24日
第8回大阪大空襲1945年8月14日

 

大阪市城北の戦争遺跡・戦争体験
都島区

都島区の学童集団疎開
平和地蔵尊(都島北公園)
皇紀2600年記念碑(都島区)
内代公園 「祈平和」碑
不発弾の発見と処理(都島区)1995年
都島の空襲 昭和20年6月7日(竹中三子さん)
よくぞ生きのびれた(安東静江さん)
京橋空襲をわすれまい
なぜ終戦の前日に
当時の新聞は?
駒つなぎの楠
大長寺 護讃地蔵尊
空襲で廃校になった
南都島小学校・北都島小学校

戦旗大阪中央支局・コップ大阪地方協議会
「連結器の上で」(高倉小学校)

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旭区

旭区平和のための戦争展インターネット版
集成高等女学校の悲劇
旭区の学童集団疎開
「兵戈無用」碑
城北公園と戦争(千人塚)
生江 平和観音
延命地蔵尊
不発弾の発見と処理(旭区)1995年

 

 

淀川に沈む夕日
淀川に沈む夕日

城東区

旧城東区からの学童集団疎開
城東区の戦争記念碑
京橋空襲をわすれまい
なぜ終戦の前日に
当時の新聞は?
平和のための城東区戦争展インターネット版
城東区と戦争 国技館・関目学園付近
関目学園のあゆみ
野江水神社の戦没者慰霊塔
昭和20年8月14日のこと(木村 良子さん)

鶴見区

鶴見区の戦争記念碑
鶴見区緑に高射砲陣地があった
鶴見緑地のはじまりは防空緑地
今津に落ちた1トン爆弾

 

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大阪市中央部の戦争遺跡・戦争体験
中央区(旧東区 南区)

大阪と進駐軍  芝川ビル
解体されるところだった愛珠幼稚園
空襲で消えた国民学校(中央区)
東区(現中央区)の学童集団疎開
南区(現中央区)の学童集団疎開
大阪府庁地下室  国防婦人会館
大阪陸軍病院の跡(大手前病院)
赤紙で招集され、戦地に送り出された日本赤十字社の従軍看護婦  旧NHKなど消えゆく遺跡  8連隊37連隊碑  不発弾の発見と処理(本町2005年)
森之宮神社  谷町筋に残る焼夷弾のあと  平和の塔(難波)  女神の像(難波)  皇紀2600年 記念碑(中央区)
内久宝寺のお地蔵さん  油掛け地蔵尊(南船場)  大村益次郎碑
私の戦争体験(高砂 光雄さん 金甌国民学校)

大阪城の戦争遺跡

大阪城の戦争遺跡を訪ねて(地図でさがす)
陸軍省標柱  京橋爆撃慰霊碑
偕行社附属小学校
大阪砲兵工廠表門と守衛詰め所
砲兵工廠水門  化学分析場
中国の狛犬  砲兵工廠の碑
女子防空通信手の碑  機銃掃射のあと
1トン爆弾でずれた石垣  天守閣
旧師団司令部 教育勅語の碑
兵器支廠  陸軍大阪衛戍(えいじゅ)刑務所
鶴(つる)彬(あきら) 顕彰記念植樹
教育塔
陸軍城南射撃場
傷痍(しょうい)軍人と妻の碑)
ピース大阪
原爆被爆者の祈念植樹

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天王寺区

不発弾の発見と処理(天王寺区)2003年
大阪市立美術館に高射砲第3師団司令部が置かれた
空襲で消えた国民学校(天王寺区)
天王寺区の学童集団疎開
騎兵第4連隊 跡
大阪傷痍軍人会館の跡(大阪府社会福祉会館)
三光神社
旧陸軍墓地
炎に包まれた清水谷高校
生玉地下壕
戦争と天王寺動物園
満州開拓物故者の碑(一心寺)
谷町筋に残る焼夷弾のあと
天王寺区の戦争記念碑・忠魂碑
私の戦争体験(大塚寿夫さん)

浪速区

浪速区の学童集団疎開
浪速区の忠魂碑
海泉寺の焼け仏群
平和地蔵尊(浪速区難波中公園)
空襲で消えた国民学校(浪速区)
浪速西公園 供養塔
浪速東 為戦災無縁諸霊菩提 碑
皇紀2600年記念碑(浪速区)

 

大阪城の堀

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大阪市北部の戦争遺跡・戦争体験

豊中市

大阪市 戦災死者慰霊塔

東淀川区

崇禅寺
法華寺 被災したお墓
柴島浄水場・JRガード下の弾痕
高射砲陣地跡
旧東淀川区の学童集団疎開
東淀川区の戦争記念碑・忠魂碑

淀川区(旧東淀川区)

淀川区の「忠魂」碑
成小路国民学校跡
北野高校 校舎に残る弾痕と殉難碑
旧東淀川区の学童集団疎開
戦争と私(飯田光代さん)

北区(旧北区 大淀区)

不発弾の発見と処理(北区)2008年
旧北区(今の北区)の学童集団疎開
旧大淀区(今の北区)からの学童集団疎開
空襲で消えた国民学校(北区)
軍艦最上のマスト
旧長柄橋橋脚の弾痕
大阪中央郵便局

福島区

福島区の学童集団疎開
平和之碑(福島区海老江)
ガード下の弾痕(福島区)
焼夷弾で焼けこげた堂島大橋
空襲で消えた国民学校(福島区)
福島区の戦争記念碑・忠魂碑
「野田の藤」跡

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大阪市東部の戦争遺跡・戦争体験

東成区

東成区の猪飼野と大成小学校
東中本校下戦歿者供養之碑
東成区の戦争記念碑
東成区の学童集団疎開
中本国民学校・東小路国民学校の集団疎開【リンク】

大阪城周辺の昔の地図
大阪城周辺の昔の地図 軍施設がある

生野区

十五年戦争下の生野区「猪飼野」の町
-平野川、御幸森小学校、そしてコリアタウン-

生野区の学童集団疎開
空襲で焼けた舎利尊勝寺の大楠
生野区巽に高射砲陣地があった
生野区の戦争記念碑・戦没者碑
皇紀2600年記念碑(生野区)

交野市

大阪市立興亜拓殖訓練道場跡

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大阪市南部の戦争遺跡・戦争体験

西成区

西成区の学童集団疎開
空襲で消えた国民学校(西成区)
為戦災無縁諸霊菩提
平和を守りきる力を(明山 久子さん)

住吉区

住吉区(住之江区含む)の学童集団疎開
戦争にふりまわされた大学 大阪市立大学
住吉区の戦争記念碑・忠魂碑

住之江区

住吉区(住之江区含む)の学童集団疎開
大阪護國神社
防空壕
藤永田造船所跡
住之江区の戦争記念碑・忠魂碑・慰霊碑
皇紀2600年記念碑

阿倍野区

阿倍野区の学童集団疎開
文の里公園「慰霊塔」
美章園駅遭難供養之碑
阿倍野区の戦争記念碑・忠魂碑
ぼくは大阪の大空襲を見たよ(ふるしょう ゆうじ さん)

東住吉区

東住吉区(平野区含む)の学童集団疎開
模擬原爆投下地跡碑
東住吉区の戦争記念碑・忠魂碑

平野区

東住吉区(平野区含む)の学童集団疎開
平野区の戦争記念碑・忠魂碑など
瓜破霊園 「平和塔」

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大阪市西部の戦争遺跡・戦争体験

西区

西区の学童集団疎開
昭和橋の焼夷弾跡
竹林寺の「焼け地蔵」
九島院  「八紘一字」の碑
和光寺の和光地蔵尊
西六平和塔  土佐稲荷神社
平和の祈り像  茨住吉神社の焼け楠
安治川 川底トンネル
焼夷弾で焼けこげた堂島大橋
西六国民学校と空襲【外部リンク】
大阪大空襲50周年(東谷 敏雄さん)(花園国民学校)
炎上し破壊された学校廃校跡をたずねて
戦災日誌(中平 昭和さん)

港区

大阪港の戦争遺跡
港区の学童集団疎開
港住吉神社
空襲で消えた国民学校(港区)
港区戦災死者有縁無縁精霊碑
元波除警防団員戦災死者之碑・慰霊之碑
三津神社 港区戦没者の碑
戦旗大阪中央支局
友達の夢を見続けて(山下 猛さん)(八幡屋北国民学校)

大正区

大正区の学童集団疎開
疎開先の火事で亡くなった子どもたちと十六地蔵(南恩加島国民学校)
空襲で焼かれた八垂銀杏
空襲で消えた国民学校(大正区)
45年6月から8月にかけて(小川 和治さん)

西淀川区

空襲で焼かれた姫島神社の大楠
西淀川区の学童集団疎開
被爆者鎮魂碑(左門橋南詰)
柏里北向地蔵尊
西淀川区の戦争記念碑・忠魂碑
西淀川区の戦没者慰霊碑
空襲で消えた国民学校(西淀川区)
外島保養院記念碑
戦争遺跡ではありませんが、ハンセン病施設跡がありました。

此花区

此花区の学童集団疎開
此花区の戦争記念碑・忠魂碑
空襲で消えた国民学校(此花区)
安治川 川底トンネル
沖縄県祖国復帰記念 時計塔

 

 

 

 

 

 

 

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戦争体験文集

大阪大空襲50周年(東谷 敏雄さん)
  東谷さんが花園国民学校で当直をしていたその夜、B29 247機が大阪を襲った。

平和を守りきる力を(明山 久子さん)
  女学生として勤労動員の日々。ザァーと焼夷弾の落ちる音を聞き、真っ赤に染まった空を見た。

あの日はもう2度と(有木 一郎さん)
  後ろから追いかけてきた機銃掃射の弾痕が、逃げまどうぼくの足もとを、砂煙をあげて追いぬいていく。頭上には…

よくぞ生きのびれた(安東静江さん)
  昭和20年6月7日、都島北通りの自宅に焼夷弾が落ちた。母に手を引かれて西へ西へと逃げた…

戦争と私(飯田光代さん)
  女子挺身隊として工場で働いていた時に空襲。その日、十三から生駒まで歩いて帰る。

高松大空襲の日から(磯海 瑠美子さん)   降り注ぐ焼夷弾に追いかけられるように栗林公園を逃げる

私の戦争体験-非人道的な原爆-(上野祐司さん)
  山の向こうから激しい閃光が飛んできた。その時教室にいた誰もが、何が起こったのかわからなかった。そして、15分ほど後、「ドカーン」という大きな爆発音が響き渡り、教室は騒然となった。

45年6月から8月にかけて(小川 和治さん)
  6月10日、真昼でも空襲のため真暗になった電車道を境川から大正橋を通って歩いて、家へ。

被爆地獄と恐怖-封印を解き初めて手記をつづる(小谷滋彦さん)
  旧制中学校3年制、勤労動員で工場で被災した小谷さんは、市内中心部で地獄を見た。その心理的衝撃は人生にずっとつきまとった。

私の戦争体験(大塚寿夫さん)
  天王寺区日東小学校の近くで大空襲にあった大塚さんは母につれられて松阪屋百貨店まで逃げて空襲の夜をすごした。

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連結器の上で(柏木 功さん)
 ようやく、高倉国民学校も学童集団疎開が終わり汽車は大阪へと急ぐ。お母さんに会えるとはしゃぐ子どもたちに…。

予科練と非国民(金井 清さん)
  予科練を志願せよと担任に言われ、親の反対されたと報告すると「お前の親は非国民やな」と

昭和20年8月14日のこと(木村 良子さん)
  14日は、B29が飛来して、森の宮の砲兵工廠を中心に爆弾を落としたのです。その時、京橋に入ってきた電車に、私の父が乗っていました。

大阪大空襲を見た私(佐藤 泰正さん)
  田んぼの向こうの真っ暗な大阪市の空を照らすサーチライトに浮かぶB29。マッチをばらまいたように焼夷弾が落とされると、下の方から火炎が上がる

蘇生(島本幸昭さん)
  両親が八月六日に逝ってから、この時計を携えて親戚を廻り、収容所、里子を経て、果ては…

私の戦争体験(高砂 光雄さん)
  金甌国民学校から滋賀県長浜へ集団疎開。毎日、空襲はないが空腹やシラミとのたたかいであった。

戦争と私(高杉 昭次さん)
  山口県の田舎、近くに人間魚雷の基地があった。機銃掃射がこわかった。

都島の空襲 昭和20年6月7日(竹中三子さん)
  国民学校1年生。病気のため縁故疎開先から都島のお母さんのもとに帰っていた。お母さんの働く都島工業高校について行った日、焼夷弾による空襲をうけた。

戦災日誌(中平 昭和さん)
  3月13日14日の空襲の体験を当時18歳の青年がその直後、手帳に克明に記録していた。

私の戦争体験記「豊橋空襲」(西岡 豊子さん)
  火の粉がバラバラとふりかかるのを、座ぶとんを頭の上にもって防ぎ、山の方へと逃げた。

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私の戦争体験(藤田 拡さん)
  軍港舞鶴の近くで、8月15日の数日前、爆撃に逃げる。

ぼくは大阪の大空襲を見たよ(ふるしょう ゆうじ さん)
  大声で何かをいいあっている人の声にかさなって、もっと大きな音がゴーッと響き桃色の空をまっ黒な何かが通り過ぎました。また来ました…

学徒勤労動員 6月7日(森 孝一さん)
  旧制大阪府立住吉中学校の学生だった森さんは勤労動員で大阪砲兵工廠(当時の名称は大阪陸軍造兵廠)にも行かされ、トラックで旭区大宮に運ばれ、第3次大阪大空襲を経験された

墓参(柳河瀬 弘子さん)
  兄の墓には「中支にて死亡 享年19歳」 田舎の墓には他に34歳、20歳、23歳、22歳、27歳、24歳。「英霊」たちの年齢に、あらためて戦争のむごさを思う

友達の夢を見続けて(山下 猛さん)
  縁故疎開で天草へ。大阪大空襲で焼けだされ、ボロボロになって、同級生でいとこが、田舎にやってきた。

歴史の逆もどりは許せない(吉田 太一さん)
  原爆詩人峠三吉に依頼されたビラを撒いていた吉田さんは、アメリカ占領軍憲兵に威嚇射撃された。原爆反対は占領政策違反というのである。

サイパンへ(横田 志保子さん)
 「南洋群島方面にて戦死」という通知。あとで調べてもらって父の部隊はサイパンで玉砕したことがわかった。

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