週刊金曜日 37号 1994.8.5日本の「加害責任」の光景 慰安婦 南京大虐殺


P7 本多勝一編集のページ
8.15特集 日本の「加害責任」の光景
考えてみれば単純な話です。ぶんなぐった相手になぐり返されたとき、「なぐられた」と第三者にいくら訴えても、
先にぶんなぐったことを黙っていて何も反省しなかったら、だれが同情してくれましょうか。
敗戦後何十年間というもの、日本はヒロシマ・ナガサキをはじめとする
「戦争の悲劇」を国の内外に訴えてきましたが、
そのほとんどは被害の側面に焦点があてられていました。
原爆を「天罰」とみるアジア諸国の視点、
すなわち「侵略による加害」 への反省が欠落していたのです。

P8 「慰安婦」を強制された女性たち 長沼節夫 以前掲載のテキスト文
死にたいです、痛くて・・・ 盧清子(ノ・チョンジャ)さん
P9 嫁に行く前に捕まって
「早く逃げなさい。日本軍が女狩りをしている。この前掛けを頭から被って、伯母さんの所へ行って隠れていなさい。広い道を行っては駄目。山道を行くんだよ」と言った。
「助けて」と逃げ回ったが

P10 凄惨な処刑風景を見せられ
P11 私が連れて来られた松代
姜徳景(カン・ドッキョン)さん 富山県の不二越飛行機工場へ
テント小屋で
その男は憲兵で「コバヤシ・タテオ」といい、その後もしばしばカンさんを襲った。

P13 私の青春を取り戻してくれ
黄錦周(ファン・クムジユ)さん

列車に乗ると北に向かって走りだした。当初、南のソウルか日本で、紡績工か軍需工場の女工かと予想していたので、不吉を予感がした。列車には外が見えないよう黒い油紙を張って目張りをしてあるので余計不安だった。二日走ってようやく列車から降ろされた。「吉林、吉林」という呼び声が聞こえた。
P15 性の共同便所だった
沈美子(シン・ミシャ)さん

P16 警察で拷問を受け、強姦され
「お前に桜の花でなく朝顔の花を刺繍せよと言ったのは誰か、名前を言え」といって、また殴られた。誰の名前も思い出せないので黙っていると、少女の手の指と爪の間に竹を削った串を刺し込むというむごたらしい拷問を行なった。その挙げ句に、シンさんは警官たちに強姦されてしまったという。やがてシンさんは気絶してしまったらしい。
人間として扱われない日々
気が付くと周りに見知らぬ女の顔ばかりがあった。ここはどこかと聞くと、日本の福岡だといわれた。
日本兵に殺される仲間たち
福岡のほか、神戸、大阪、和歌山、千葉・流山、奈良の慰安所にも連れていかれたことがあるが、軍慰安所の構造はどれも似ており、もし仕切りのカーテンを上げれば、隣の小間での「慰安」光景をいつでも簡単に覗くことができた。

P18 一番大切なのは、真相究明だ 尹貞玉(ユンジョンオク)韓国挺身隊問題対策協議会共同議長
私たちの挺対協がいつも要求してきたことは真相究明・公式の謝罪・責任者処罰・本人か遺族への補償。それからこの悲劇を記念碑か教科書に記して後世に伝えていくこと、その他。一番大事なのは真相究明です。誰かにお金をやったり、センター作って静かにさせようとかはいけません。
アジア蔑視が今も支配的な日本 鄭鎮星(チョン・ジンソン)挺身隊研究会会長
いわゆる従軍慰安婦以外に勤労挺身隊として工場に行ったのに、二、三カ月後には南アジアに送られて慰安婦にされたケース、富山の飛行機工場では昼間、皆と同じように働かされたうえに、夜は慰安婦にされたという意外な被害届けも来ています。また常習的にレイプされていた看護婦とか、悲しい発見があります。

P20 声明 村山首相の訪韓に対する私たちの立場 韓国挺身隊問題対策協議会
1.アジア交流センター基金案 を撤回せよ
真相究明と謝罪、個人賠償、責任者処罰などの法的責任を履行しなければならない。そうしてこそ日本は、過去の歴史的な罪過に対する責任を果たすことになるのであり、アジア各国との未来志向的な関係を構築するための土台をつくることができるであろう。

P21 日本の「加害責任」の光景 杭州湾から南京へ 南京大虐殺 本多勝一 テキスト文
意識変革をもたらすジャーナリズムが存在しなかった
私自身の体験だけからしても、たとえば『南京への道』といったルポは「マスメディア」としての『朝日新聞』に発表することができなかったし、その取材は休暇をとってやらざるをえず、発表も小部数週刊誌たる『朝日ジャーナル』であった。しかし事態はますます悪化し、その『朝日ジャーナル』さえ休刊にさせられたので、もはやこの日本にはこの種のルポを発表できるメディアは、少なくとも一定以上の影響力のあるものには(週刊金曜日を除いて)なくなった。

刻々と消える大虐殺の体験者
P22
杭州湾に上陸した日本軍が、その直後に捕虜を全員虐殺したことは、当時の火野葦兵や小林秀雄の記録に出ているとおりである(注2『南京への道』(朝日文庫)18ページ以下に引用)。このように南京への途上で捕虜は片端から虐殺していったのだから、南京に到達したとたんに虐殺しなくなるのでは日本軍の行動として矛盾することになる。南京での捕虜虐殺を否定する論者たちには、こうした基本的なあやまりがあるが、さらに「南京大虐殺」を南京市内に限定して定義することの無意味さも理解できよう。大虐殺は南京攻略線と南京占領前後の約四カ月間という時間と空間での連続する暴虐事件であって、そのどこにも境界線を引くことはできない。


P26 実態を教えるのが信頼を得る道 大塚一二(郷土史家)
福島大の庄司吉之助 教授は常磐炭田の朝鮮人強制連行を掘り起こさなければならないと力説された。
日本の戦争加害行為について、特に侵略という意識を持たずにアジア諸国を訪ねる日本の若い方への対応が憂慮されます。
日本の侵略戦争について、特に学校教育の強化での適切な指導が望まれます。 さらに家庭教育、社会教育・・。

P28「南京大虐殺」最大の暴虐現場から 本多勝一 テキスト文


P32 日本軍に踏み躙られたマレーシア 中原道子 泰緬鉄道は数多くのマレー人を強制連行して労働させたり、ここでも女性を慰安婦にした事実は、まだほとんど明るみに出ていない。 テキスト文
慰安婦にされた女性たち
P40 家永三郎 戦争責任を考えることの意味ー教科書問題と私の闘い テキスト文
過去を反省するな、という検定権者の思想
国家管理のもとでの教科書画一化の恐ろしさ
一九八〇年と八三年との二回にあたる改訂申請に当っては、(中略)七三一部隊と日本軍の強姦とは削除を余儀なくされた。その経過の詳細は紙幅の余裕がないので省略するが、一九九三年名書刊行会発行「『密室』検定の記録」に具体的に書かれている。
教科書の自由発行・自由採択を
九四年度の検定では、「日本の侵略」、南京大虐殺、「日本軍の残虐行為を告発する抗日壁画」、七三一部隊での生体実験、朝鮮における「皇国臣民の誓詞」斉唱の強制、「創氏改名」政策、朝鮮人・中国人の強制逆行、従軍慰安婦など、今まで検定意見をつけられたり、たぶん意見をつけられるにちがいないと心配していた部分がすべてフリーパスしている。
しかし、検定制度が維持され、不合格の危険が最後までわからないしくみとなっている現状では、執筆者の良心を完全に満足させる教科書は制作できない。私も中国での強姦その他は自己規制して書かなかった。自由発行・自由採択の日の到来を切望してやまぬ。 教科書検定

P64 今週のニュース 長沼節夫
・村山首相訪韓に元慰安婦らデモ 宿舎となったソウルのホテルへ韓国挺身隊問題対策協のメンバーら約300人が集合。元慰安婦への直接賠償や責任者処罰を求める。
P65編集部から
大塚一二さんは、福島県内の朝鮮人強制連行・強制労働の実態を明らかにするため、20年以上も調査している。「日本に住む朝鮮人は、過去をあえてとりあげず、日本人と仲よくしようと努力している。彼らは、日本に住む限り、日本の加害行為に対して『ちくしょう』とは言えないんです」

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