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千早茜さんの『神様の暇つぶし』について質問です。 単行本42ページ目に、下記のような藤子と全の会話がありました。 藤子「右折のタイミングがつかめず、流されて左に曲がってしまう」 全「右に曲がる理由がなければ曲がらなくてもいい、流される時だってある。ここぞというとき、右に道がなければ道を作ってでも進まないと後悔する」 藤子「右に進んで後悔できるのは左の道を知っている人だけでしょう。右に流された人には左の道が良かったかどうかなんて分からない」 最後の藤子のセリフについて、左右が逆な気がしてひっかかってしまいました。右折ができないと言っているのだから流されるなら左の道で、右の道を知らない人は左に進んで後悔することもできない、というなら理解できるのにと思います。 読んだことある方はどう思われましたか?

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回答(1件)

単行本と文庫本が同じかどうか分かりませんが、 全さんのセリフとしては、 全「右に曲がる理由がなければ曲がらなくてもいい。流される時だってある。でもな、そういう奴に限って右に曲がりたいって思った時にはてこでも動かない。そういうもんだ。おまえも多分そうなんだろう」 全「ここぞという時の自分の道は自分で決めたほうがいい。右に道がなきゃ、道を作ってでも進んだほうがいい。でなきゃ、後悔することになる」 とあります。 これから考えると右に曲がると決めたならそうしろと言っているので、いいんじゃないでしょうか。

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回答ありがとうございます。 全さんは、"自分で右に曲がると決めたなら、無い道を作ってでも進まなきゃ後悔する"と言っているんですね。 しかし、その次の藤子のセリフがやはりどうにもよく分かりませんでした。 全さんの"右(自分で決めた道)に進まなきゃ後悔する"という話に対して、藤子の「右に進んで後悔できるのは…」はどう繋がるんでしょうか?藤子はなぜ自分で決めた道に進んで後悔する話をしているのか、右(自分で決めた道)へ流される話をしているのかが分かりません。 もしよければ回答者さまのお考えを教えてください。