0-100で人間性を捉えるならおかしいですか? 「金の斧銀の斧」のイソップ寓話ですが、 木こりが鉄の斧を泉に落として、 神様が金と銀の斧どちらを落としたのか?と木こりに聞く訳です。 神様は木こりの人間性を試したのかもしれませんが、 神様も少し引っかけ過ぎでは? 例えば、木こりの家族が病気で医療費が掛かるから私が落としたのは金の斧ですと言ったとして、 その金の斧を質屋に入れて医療費を稼きたい場合はそう人間正直には行かない。 心が綺麗であるには、己の欲望だけでなく、魔が差す様な環境の条件からも左右されるのが人間です。 寓話の意図はそんな屈折はなく、正直者とは?の問いかけとかもしれませんが、 人は嘘をつくのも人間性では? 泉に落とした斧が鉄や銅の斧でも、 金の斧と答えたから人間性が酷いとは限りませんか? 逆にお金に困ってないなら斧ですと答えたならその木こりは、全然人間性は高くないですか?