どんな世界にも、“物知り博士”がいます。 クラスにもひとり、職場にもひとり、飲み会にも必ずひとり。 何を聞いてもすぐ答えが返ってきて、「へぇ〜、よく知ってるね」と言わせるタイプ。 でも不思議なもので、そういう人の隣には、なぜかいつも“もう少しだけ物知りな人”がいるんですよね(笑)。 そしてこの二人が出会うと、世界は一気に百科事典モードに突入します。 「○○って実はこうなんだよ」「いや、正確にはね……」と、 その場の空気がどんどん「豆知識のマウンテン」になっていく。 もちろん、聞いている側としては嫌いじゃないんです。 むしろ感心したり、面白かったりもする。 けれども、そのうちにふと思うんです―― あれ? この会話って、いつの間にか“知識の披露合戦”になってない? と(笑)。 誰が悪いわけでもないのに、 「より詳しい人」が現れた瞬間、最初の人の立場がすっと変わってしまうのも面白いところです。 知識って、競技じゃないのに、つい競技みたいな顔をしてしまうんですよね。 そんな光景を見ていると、ふと考えてしまいます。 “知っている”ということは、果たしてどんな状態なんだろう? 知っている人がえらいわけでも、知らない人が劣っているわけでもない。 むしろ、「知らないことを面白がれる人」ほど、いつも新しいものに出会っている気がします。 そんなことをぼんやり考えていたある日、 またしても「物知り博士」たちのやりとりに遭遇しました。 それが――博識のA氏は言います: 「ムカデは英語でcentipede。百本の脚という意味だ。」 より博識なB氏は 「ムカデはそうだが、ゲジゲジはhouse centipedeなんだ。」 じゃあ、英米人に "I caught a house centipede yesterday, not a centipede." と言ってみろよ!どうなるか?(笑) 私は「博識」が何か知らないし、「博識」ではありません。 でも「ゲジゲジ」が幼児語で、日本語での正式名が「ゲジ」だと は知ってます(笑) 「博識」ぶってるうちに、他の人の専門分野に突入してしまう… 恥ずかしいのでおやめになった方がいいですよね(笑) 「おお、君は専門家か?オッホッホ」と取り繕おうとしても、 時すでに遅し! 聞きかじっただけのことは、興味を持って調べたことに劣ります(笑) そこで質問ですが、 「博識」と「知ったかぶり」の境界って、どこにあるんでしょう? どちらも“知ってる風”には見えるんですが、 片方は「さすがだね!」と尊敬され、もう片方は「はいはい」と苦笑される(笑)。 結局のところ、違いは“情報量”じゃなくて“温度”なのかもしれませんね。 知っていることを、相手を見下ろすために使うのか、 それとも一緒に面白がるために使うのか――。 ほんのその差だけで、同じ言葉がぜんぜん違う響きになるのだから、 人間関係ってほんとに不思議です(笑)。 みなさんは どう思いますか? ๑๐/๑๑