タイムキャプスル

三年前の夏。 羽化直前のセミの幼虫を探す為、必死で神社の境内の木々の根元を見て回った。
80過ぎの元高校教諭によると、夏の夕刻、木の根元に小さな穴を見つけたら、そこにセミの幼虫が潜んでいる事がある、という話だった。
セミの羽化するドラマチックな瞬間を子供と一緒に観察したかった。
普段気に留めていなかったが、木々の根元には意外と沢山穴が開いている。 その穴へ、木の枝の切れ端をゆっくり差し込んでみる。 もしもセミがいたら、それに釣られてひっぱり出てくるという寸法だ。
ところが、いくら差してみてもセミの気配はまったく無い。 どの穴も全部、巣立ってしまった後なのではなかろうか。 幹を見上げると、おびただしい数のセミの抜け殻がこちらに背を向けている。
そろそろ今日の探索を終えようとしていたところ、一本の古木の根元に不自然な盛り上がりが見えた。 奇妙に思い何気に蹴ってみると「カツン」と乾いた音がした。 見ればガラスの瓶である。
壊さないよう丹念に周囲を掘り進み、瓶を取り上げた。 かなり年季の入った瓶だ。 ビーカーみたいに寸胴で、牛乳瓶の底みたいに厚く、口は分厚いコルクで閉じられている。 薄汚れているから中はハッキリ見えないが、どうやら何かが入っている。
コルクの腐り具合からすると、埋めてから相当月日が経っている雰囲気がする。 一瞬ためらったが、せっかくなので口を開けてみた。 中には巻物のように丸められた紙が入っていた。
赤いボールペンで文字がびっしり書かれている。 何か嫌な予感のする中、文面を読み始めた……そこにはこの世の恨み、つらみを煮つめて濃縮したような、ここに記すのもはばかられるほど恐ろしい怨念の言葉がビッチリ書かれてはいなかった。
恋文でもない。
途中で読むのを止めたが、おおよそ要約すると「これを見つけたあなたはラッキー! これから良い事沢山起こるかもよ♪ まったねー♡」みたいな、これといった中身のない文面である。 文末には『昭和45年6月18日』とある。
たぶん中学生の作品だろう。
また、元のように紙をまとめて瓶に入れ、口を固く閉じた。 そして穴を当初の二倍ほどの深さに掘り、外から違和感のないように埋め立てた。
この際せっかくだからと、紙の最後の部分にラミーの青文字万年筆で、今日の日付と「これを見つけた人は夢がきっと叶うでしょう」と書き添えておいた。
タイムカプセル
このお盆「タイムカプセルを掘り起こします」という連絡が入った。 まったく心当たりがないので振り込め詐欺の一種かと思い二三連絡を取り合ったところ、どうやら本当らしい。
なんでも小学校の卒業記念として埋めたもので、今年は学校創立100周年になるからそのついでに目出度がっておこうという話らしい。
さておき卒業した記憶はあるものの、そんなカプセルを埋めた覚えがない。 たぶん何らかの原因で気が進まずに、適当に済ませてしまったから記憶から抜け落ちているのかもしれない。
かれこれ30年前に埋めた事になろうか。
けたたましいセミの合唱の中、ひとり学校へ向かった。
すでに校庭は人であふれていた。 その時代に在校生だった男女、またその子供達、親、町内会の人々……どの顔も見憶ありそうでもあるが、知らない人のようでもある。
「オイくん!」
声のほうを向けば、一目で分かる懐かしい顔があった。 当時よく一緒に遊んでいた同級生だ。 「お互いオッサンになったなあ(笑)」 話す時に左手で頭の後ろをかく仕草は今も健在である。 なんでも彼は実行委員会のひとりであり、すでにタイムカプセル自体は有志の腕により掘り上げたそうな。
促されてカプセルの前に行くと、いかつい鉄製の箱が横たわっていた。 この中に30年前の子供達が遺した何かがあるのだ。
四方はびっしりボルトで止めてあり、箱の中心には弁がある。 ここからガスを注入し、中身を保護したらしい。
開封の儀式までまだ時間があるそうで、彼と昔話をしていたところ、いまだ続々と人が集まっている。 アレ…あいつはもしや「あ!」という場面が増えてきた。
あちらこちらで昔話に花が咲く中、ついにカプセル開封の時が来た。
電動レンチで小気味よくボルトを回して外してゆく。 それにともないフタはかすかに浮いてくる。 時折ボルトが結着しており電動ですら回せない所があり、その部分は手動のレンチでもって、ニッカポッカを着込んだ初老の元大工が逆方向に回転させ、ボルトをねじ切っていた。
すべてのボルトがはずれた。
あたりは静まり返った。 皆鉄の箱を見守っている。 実行委員長はボソリと「開封を手伝ってもらえる方おりませんか」と皆に聞いた。
「では俺、わたしも」とぞろぞろ人が集まり、フタをのけた。 中からケムリがボワン! とは出てこなかった。 こうしてみると、30年ぶりに開いた箱も、3日ぶりに開いた箱にもまったく変わりはないんだなという乾いた感想を心中つぶやいた。
箱からぞろぞろと収容物がブルーシートの上に広げられる。 文章が多いようだ。 どれもみな、古文書的なセピア色をしている。 ある造形物が取り出された時背後から「あ、私のだ!」という声がした。 見るかぎり、じぶんが収めた物とおぼしきものは見当たらない、というか何を入れたのかを覚えていない。
出されたものの状態はすぐ精査された。 どれも皆湿気を帯びており、無理に開くのは危険である、という判断が下された。
だから今日、ここに集ったタイムカプセラーは、自分の収めたものを確認できない事となった。 個人的にはそこは特別残念だとは思わずただ、30年前埋められたというタイムカプセルをこの目で見、また開封作業も観察できたのだからそれでもう満足だった。
帰りはあえて、違う道を通った。 遠くに神社の鳥居が見えた。 そういえばこの間の埋め戻した瓶、あの辺だったよなあ。 行って掘り返してみようと一瞬思いついたが、やめた。 あの時一緒だった息子が私の歳になった頃、はたして瓶を事を覚えているだろうか。
