思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

尊さの過ぎ去り・「二度、生まれ」

2014å¹´07月30æ—¥ | æ€è€ƒæŽ¢ç©¶

 7月7日に「人間が本当の人間いなるために」と題したブログをアップしました。その際に

 元長崎県教育長の竹下哲先生の「二度生まれる」

という話を挿入しましたが、元長崎県社会教育長という肩書が正しいのですがそれ以前は、長崎県長崎西高校の校長先生もおやりになっていた方で、NHK日曜日に放送している「こころの時代」に私の知る限り2回ご出演されて教育者として心の教育を語っておられました。

 昭和61年4月6日には、「いのちをはぐくむ」

 平成4年3月8日には、「二度、生まれる」

 長崎県では「命の大切さ」についての教育に力を入れていることが、今回の長崎県佐世保の女子高校生の引き起こした殺人事件では、テレビのニュース等で放送されていました。

 故竹下哲先生が長崎県社会教育長であったころからその思いが織り込まれて今に続いていたのですが、「人とは何か」「何故にそのようなことになってしまうのか」とても考えさせられる事件であり、教育というもの難しさを想います。

「二度、うまれる」

という番組ですが、検索ドライバーで「竹下哲」で検索しますと、次のサイトがあります。番組全体を、文立てにされた方がおられ、再放送はもうされないと思いますので、以下のURLをクイックしてみてください。

NHK「こころの時代~竹下哲 二度、生まれる」
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-168.htm

 犯罪行為とは身体の動静

 動静には、そのものの意思があり、認識があり・・・。

 認識とは、違法性であり、故意であり・・・。

 法的な侵害であり・・・。

 違法性の認識、

 責任性の問題として、責任能力があるか・・・。

 法律的な次元からはそのように問われ、精神分析、心理学の立場からは、責任能力があったか否かとなりますが、私的には『人間とは何か』になります。

 春秋社から『夜と霧』で有名になったV・E・フランクルの『人間とは何か』(山田邦男監訳)が2011年3月に出版されています。厚い本です大いなる学びを得ます。

 私のブログでは、時々話題にするのですが、いつも思うのは「時は流れる」です。3.11の東日本大震災後に『夜と霧』は有名になり、心打たれた人が多くおられました。

 それなのにそれなのに世の中は、いつものように過ぎて行きます。

『無常であるという事』(小林秀雄)

『無常』(唐木順三)

 小林秀雄先生は、その中で「いつのもように過ぎて行く」を語り「無常感から無常観への移行」を語ります。

 あくまでも私の読み取りです。無常なるものはそういうもの、今朝は「尊さの過ぎ去り」を感じています。


神の内なる自然

2014å¹´07月28æ—¥ | å“²å­¦

 中国で行われた食の安全に対する非道徳な行為、潜入ルポのニュースに、実際行なっている労働者の声が聞こえます。そこには、行為者である労働者は、食する側のことを全く考えない事実があります。

 自宅であれば多少の古い食材も、食材として使用され、自分も食べることになるのですが、商品として世の人々の食材になるとなると、内部規則はもちろん守るのは当然ですが、心情的に「そのようなことはできない。」という声が自発的に生れ出てくるのが普通ではないかと思うのが普通ではないか、そんな疑問が湧きます。

 「誰かほかの人の立場に立って考える能力」

 前回司馬遼太郎さんが21世紀に生きる子供たちに伝えたかった言葉の中に、この言葉がありました。

 これは一般的な人の生き方の中にあるべき能力なのか、普遍的な人の生き方の中にあるべきことなのか。

 生死の間(はざま)にある人の生き方にみえる、その人の行為の選択を決する時の意思の中に、その人だけの法則があるだけに思います。

 この行為(古い食材の混入等)を悪しき行為と見る多数の人々とは異なる意思の決定をする、その人の心の法則、多数から見れば普通ではない選択です。

 「誰かほかの人の立場に立って考える能力」

他者を思いやる心、親が子を思いやる心

「愛」「慈愛」・・・

それに類する言葉は、宗教の世界から倫理道徳の世界でも語られる言葉ですが、永遠に消えない人々に問う、訴えの言葉です。

 意思の自由、選択の自由はどこから来るのか。悪を択びとりうる人間的自由は何によって根拠づけられるのか。

 「神の内なる自然」

いつの時代でもそう考える人(哲学者)がいるもので、まだ神がある時代では「内なる自然」を考えた。

 ドイツ観念論哲学の一つの最後的決算と言われるシュエリングの『人間的自由の本質』は、神無き時代にも大いなる問いを投げかけます。


人間が本当の人間になるために

2014å¹´07月27æ—¥ | æ€è€ƒæŽ¢ç©¶

 昨夜(26日)Eテレ「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか」の知の巨匠たちシリーズ第4回は、歴史小説家の司馬遼太郎さんでした。

サイトの予告解説には、

戦後、日本人に最も愛された歴史小説家、司馬遼太郎。その作品を、“22歳の自分への手紙”と述懐した司馬は、学徒出陣し、22歳で戦車兵として敗戦を迎えた。

“どうして日本人はこんなに馬鹿になったんだろう”―

8月15日に抱いた関心が原点となり、司馬は、幕末から明治の国民国家の歴史をたどっていく。しかし、ノモンハン事件について多くの聞き取り調査を行いながら、昭和の戦争を書くことなく、この世を去った。

なぜかー。生前のインタビューや半藤一利さんや編集者たちの証言などから探っていく。さらに、古代史研究者の上田正昭さんや在日の友人・姜在彦さんらの証言からは、司馬の、アジア共生への思いが浮かび上がる。

「日本人とは何か」を問い続けた司馬の思索を、戦争体験、アジアの視点からたどる。

と紹介され、当ブログでも司馬さんの作品等にも触れながら司馬史観を書いてきました。

 上記の中に語られている司馬さん22歳の時の、

“どうして日本人はこんなに馬鹿になったんだろう”

という言葉は、時代の反省の過去語というよりも司馬さん亡き後もいまだに司馬さんの吐露としてあるように思う。

 個人的に『絶対主義の起源』のハンナ・アーレントの「悪の凡庸」という考え方に最近注目していると、司馬さんのこの言葉も同次元にあると感じました。

 「底知れない程度の低さ、どぶから生まれ出た何か、およそ深さなどまったくない何か」(アーレント)

 番組のはじめに終戦間近の本土決戦の時の体験が語られていました。

『歴史を動かすもの』から

 もし敵が上陸したとして、「われわれが急ぎ南下する。そこへ東京都民が大八車に家財を積んで北へ逃げてくる。途中交通が混雑する。この場合はどうすればよいのでありますか」と質問すると大本営からきた少佐参謀が「軍の作戦が先行する、国家のためである轢っ殺してゆけ」といった。

という作品に書かれていた言葉とともにインタビューの肉声でこのことについて、

【司馬遼太郎】私は死ぬために威張っていられる軍人、兵士は、ところがみんなのために死ぬんじゃなくて、みんなのほうが先に死ね。県民の方が先に死ぬ。・・・何だろうと思いました、こんな状態までもってきて。・・・」

 これは司馬さん自身の体験ですが、その後新聞記者を経て時代小説家になりノモハン事件における関東軍と参謀本部の官僚の「底知れない程度の低さ」が取材から見えてきます。

「どぶから生まれ出た何か、およそ深さなどまったくない何か」

 時代思想、歴史思想、現代思想

 戦後の歴史の流れの中に「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」を現代思想として時々に分析する社会学者の方もおられます。

 司馬さんは戦後の現代歴史小説は書かれませんでした。そこには表象的に見られる現象としての時代認識よりも、個々の人々が持つ「どぶから生まれ出た何か、およそ深さなどまったくない何か」を見るのではないでしょうか。

 番組最後の司馬遼太郎さんが、小学校の教科書のために書かれた三つの文章の『21世紀に生きる君たちへ』の次の部分が語られていました。

<『21世紀に生きる君たちへ』から>

 さて、君たち自身のことである。
 君たちはいつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
 ãƒ»ãƒ»ãƒ»ãƒ»è‡ªåˆ†ã«åŽ³ã—く、相手にはやさしく。
という自己を。
 そして、すなおでかしこい自己を。
 21世紀においては、特にそのことが重要である。
 21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
 
 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
 人間は、助け合って生きているのである。
 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。 
 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。
 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり。今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
 
 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
 このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
 他人の痛みを感じることと言ってもいい。
 やさしさと言いかえてもいい。
 ã€Œã„たわり」
 ã€Œä»–人の痛みを感じること」
 ã€Œã‚„さしさ」
 みな似たようなことばである。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
 ã€€
 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。
 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

鎌倉時代の武士たちは、
 ã€ŒãŸã®ã‚‚しさ」
ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
 ã€€ã‚‚う一度繰り返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、あいてにはやさしく、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。

 ã€€ä»¥ä¸Šã®ã“とは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心構えというものである。
 ã€€å›ãŸã¡ã€‚君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
 ã€€åŒæ™‚に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
 ã€€ç§ã¯ã€å›ãŸã¡ã®å¿ƒã®ä¸­ã®æœ€ã‚‚美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
 ã€€æ›¸ãçµ‚わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。
 ã€€
<以上>

番組では、最後の

「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
 みな似たようなことばである。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。・・・・いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心構えというものである。

の部分がナレーションされます。この言葉に親交のあった東京大学名誉教授の上田正昭先生が次のように解説します。

【上田正昭】優しい人間になれ、人の痛みのわかる人間いなれ、いたわりを知れ、この3つが人間として大事だと強調している。それだけであれば、私は感動しない。訓練しなければそういう人間になれないと書いている。・・・訓練しなければ、自然のままではそういう人間にはなれない。やさしい人間になるためには訓練しなきゃいかん。他人の傷みが分かる人間になるためにも訓練がいる。もちろん自分で考え自分を見つめ他人をよく知るということです。その訓練をしなければそういう人間にはなれない。どうかそういう人間になってほしいという思いを込めた・・・(『21世紀に生きる君たちへ』)。

「訓練をしなければそういう人間にはなれない」

 以前ブログに元長崎県教育長の竹下哲先生の「二度生まれる」、姜尚中さんのW・ジェムズ『宗教的経験の諸相』からの「二度生まれ」について書いたことがあります。

 最近地元長野の教育者であった赤羽王郎(あかはね・おうろう1886-1981)の「人間とは、人間に生まれて、人間へと無限に成長する存在である。」という言葉を目にしました。

 夕べの今朝ですが、すべては思考の中に折り重なってきます。

 今朝は「本当の人間になるため」の折り重なった思考の経過を書いています。

 最後に当ブログの最初の部分に書いた「悪の凡庸」「「底知れない程度の低さ・・・」の話をどこから引用したかということですが、それは6月25日 (水)に放送されたHNKの「視点・論点~ハンナ・アーレント~フェリス女学院大学教授 矢野久美子」からです。その中で矢野先生は、 

【矢野久美子】アーレントは、「悪の陳腐さ」という言葉で何を言おうとしていたのでしょうか。批判への応答のなかで、彼女は、「悪の表層性」を強調しています。悪は「根源的」ではなく、深いものでも悪魔的なものでもなく、菌のように表面にはびこりわたるからこそ、全世界を廃墟にしうるのだ、と述べています。アーレントは、20世紀に起こった現代的な悪が、表層の現象であることの恐ろしさを、述べようとしたといえるでしょう。「悪の凡庸さ」という言葉で「今世紀最大の災いを矮小化することほど、自分の気持ちからかけ離れたものはない」と、アーレントは語りました。「底知れない程度の低さ、どぶからうまれでた何か、およそ深さなどまったくない何か」が、ほとんどすべての人びとを支配する力を獲得する。それこそが、全体主義のおそるべき性質である、とアーレントは考えました。・・・・・彼女の事例は、表層的になった社会のなかで自立した思考が孤立するとき、生きることはどれほど過酷で、思考はどれほど勇気を必要とするか、を表しています。こうした思考が孤立したり、攻撃されたりしないような世界のあり方を、アーレントに学びつつ、考えたいものです。

とハンナ・アーレントの思いを語っていました。

“どうして日本人はこんなに馬鹿になったんだろう”

は、司馬遼太郎先生の感慨

「人間が人間になるための」

大いに重なる「二度生まれ」の訓練の必要性、思考の必要性の話です。

引用ばかりの私のブログですが、誰にも聞く世界が開かれているもので、それは自分の受け取り方にかかってきます。


日本語の行間を読む・詞と辞と

2014å¹´07月26æ—¥ | ã“とば

 過去に江戸学というものに興味を持ったころに、

「江戸のダイナミズム」と「時枝文法」[2010年01月21日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/e1a548797886a18ed112e9697997895c

と題して書いたことがあります。この時の「時枝文法」に関して野崎健秀さんという方の「時枝文法の<詞>と<辭>とは何か」と題して書かれているサイトを勝手にリンクして紹介したのですが、そこで紹介されていた時枝文法の解説書が加地信行先生の『中国人の論理学』(中公新書1977年)で、私はこの本の7版(1994年)で学びその後は時枝先生の著書を読むようになりました。

 『中国人の論理学』は今は、ちくま学芸文庫版(2013年)があり、中公新書版を修補を加え再刊したもので、これに『現代中国学』(中公新書1997年)に書かれている、第1章「名実を読みこむ」「講義・<名>優先の日本人・<実>優先の中国人」が加筆され第一章として付け加えられています。

 日本語の言葉として「わたし」について探求していると宇津木愛子著『日本語の中の「私」』(創元社2005年)に出会います。

 すると中村雄二郎著『西田哲学の脱構築』(岩波書店1987年)を介して、西田幾多郎先生の最後の思索である『場所』と時枝文法との関係が出てきます。

西田幾多郎(1870年5月19日~1945年6月7日)

時枝誠記(1900年12月6日~1967年10月27日)

ですから、時枝文法に西田哲学が出てくるという話ではなく、「場所の論理」の理解に時枝文法はとても参考になるという話です。

 『中国人の論理学』から『場所』になってしまったのですが、

<加地伸行著『中国人の論理学』ちくま学芸文庫「第一章日本語と中国と」から>

 テレビドラマのコメディなどを見ていると、てっとりばやく中国人(あるいは欧米人)の感じを出す表現方法がある。たとえば、強盜が威して金を出せと言うとき、こう言っている。

「オマヘ、ハラマキ、カネある。それ出す、イノチ助ける。許す」

だいたい意味は通じるが、やはり変な日本語である。日本人なら「お前の腹巻きに金があるだらう。それを出せば、生命は助けてやる。許してやらう」となる。くらべてみると、「だらう」という推量や、「出せば」という条件や、「生命は」の「は」という「他と区別する気持」などが表現しきれていない。つきつめてみると、助詞や助動詞が欠けているうえに、いろいろな活用形というものがなくて、終止形ばかりである。それがこの妙な日本語を作り出すコツである。日本語から助詞や助動詞を抜きとり、動詞や形容詞を終止形ばかりにすれば、外国人が話す下手な日本語となる。

この事実は興味深い。「オマヘ、ハラマキ……」式日本語のなかに、逆に日本語の特性がくっきりと浮び上がってきているからである。それを実に巧みに説明してくれる文法理論は、時枝誠記氏に始まる時枝文法であらう。

 時枝文法については、多くの解説書があり、しだいに識者において一般化されつつあるすぐれた文法理論である。そしてその理論は、日本文法学においてのみではなくて、訓読によって漢文を読む中国研究者にとって非常に參考になる。そこではじめにその大要を紹介することにする。

 鎌倉時代から江戸時代にかけて発展継承されてきた言語に対する日本人の考へ方というものがあった。ところが、この伝統的な文法学説は、明治以後、忘れ去られるようになった。というのは、明治になってから、ヨーロッパの文法学説を模範として、それに基づいて日本文法が新しく組織された。しかも、さうして組織された日本文法を基礎とする学校文法なるものが生れ、日本の学校における文法の時間は、ヨーロッパの文法学説による日本文法が教へられることとなつてしまつたのである。日本の傳統的文法学説が学校教育からしめだされ、しだいに忘れ去られるやうになつたのはそのためである。

この忘れ去られた日本の傳統的文法学説に對して、近代的な言語研究の立場から、新たに息吹きを與へ、體系化したのが、時枝誠記氏であつた。

時枝文法は、言語過程説という言語理論に基づいている。それは、ヨーロッパの言語学説、すなはち、意味とか思想という内容と、音声や文字という形式、この二つの要素が結合してできあがつたものを言語と考へる立場、言いかえれば言語構成説と対立的なものである。 言語過程説は、言語は<物・もの>ではなくて、自分自身の心を外部に表はす人間活動の一種と考へる。話し手と聞き手との全体場面を背景とする心の表現過程そのものである、とする。言語過程説は、言語を人間の働きと考えるので<事(こと)としての言語観>であるが、言語構成説は、言語を物質と同じやうに、要素の結合から成りたっていると考えるので、<物としての言語観>ということができる。

このように両者の立場は対立的である。当然、語の分類の基準が異なる。<物としての言語観>、言語構成説では、語を物的に、すなはち形式面からのみ見て機械的に分けようとする。日本語の語を、まず、自立語、付属語に二大別する。その語が独立して使われるとき(「山」「走る」「美しい」など)自立語と言い、その語が独立して使はれず、自立語にくっついて使われるとき、(「が」「……ない」など)付属語という。そして、その次に、自立語、付属語のそれぞれにつき、活用するものと活用しないもの、とに分ける。というような手続きで分類してゆく。それは、徹底的に語を物として見、形式や機能という外的な面から分類しようとする立場である。日本の学校で学ぶ文法は、こうした言語構成説によるものである。現在、普通の日本人の文法観はほとんどこのような学校文法によっているといってよい。

さて、言語過程説では、どのやうに語を分類するのか。時枝誠記・増淵恒吉両氏の『古典の解釋文法』(1950年・至文堂)から引用してみよう。

「おどろき」(驚き)という語と、驚いたときに表わす「おや」「まあ」などという語をとつて比較して見ましょう。この両者は、共に驚きの感情を表現する語であることで同じであると云えるのですが、前者の「おどろき」という語は、驚きの感情を、一旦、対象化し、話手の前に置いて、これを、指し表わすところの表現でありますが、後者の「おや」「まあ」は、驚きの感情をそのまま、直接に表現する語であります。前者に属する語は、皆、何かを、指し表わしているので、物そのものが既に客体的な存在である「山」「犬」「机」などは勿論のこと、主観的な抽象的な「悲しみ」「雄大」「勇気」「ほがらか」等の語も、同様に皆何かを指し表わしています。このような語を詞といひます。ところが、後者に属する語は「雨だ」の「だ」、「桜も咲いた」の「も」「た」のような語は、それによって、何かを指し表はしているものではなく、話手の判断や立場や気持ちを、直接に表わしています。このやうな語を、辞といいます。(18頁)

 すなわち、語には、詞と辞という二つの性質の違った種類があるとする。いま私が「山」と言う、「静か」と言う。するとどの場合も、読者にはビンビンとそのことばのイメージが思い浮かぶであろう。すなわち、話し手の私と、聞き手の読者ととに共通にイメージが起こったということである。それは客体としての事象を互いに思い浮かべたということである。こうした種類の語が詞(し)である。ところが、私が「山」と言った次に、「山よりも」と言うか、「山よ」と言うか、「山だろう」と言うか、それは話し手である。言いなおすと、詞(「山」)に対する主体(私)の把握のしかたを直接に示すものが辞である、ということである。

 こうした詞・辞という分類のしかたは、ことばを話し手と聞き手との関係において分析した動的なものである(自立語・付属語という分類は、ことばを物として見て分析した静的なものである)。そして、この辞が豊富に存在し、かつそれらを流暢に使いこなすこそ、日本語の特徴と言える。

<「時枝文法の詞と辞と」上記書p44-p48から>

長い文章の引用ですが、時枝文法の一部解説ですが、言葉に興味のある人にはとても参考になるのではないかと思います。

 そしてなぜ西田哲学の『場所』に関係してくるのだということもよくわかると思います。

 「場所の論理」における場所は、

 情意をうつす場所

 心をうつす場所

であり、場所はまた背景でもあると西田先生は語っています。

 行間を読む。

ということばには、そこにうつし出された「心を知る」ということになるのです。


胡蝶の舞

2014å¹´07月22æ—¥ | æ€è€ƒæŽ¢ç©¶

 落ち武者の幽霊が殺人事件の被疑者のアリバイ証明をするために、法廷に証人として出廷する邦画『ステキな金縛り』DVDの中古が200円で売っていたので購入、連休に観ました。

 深津理恵さん、西田敏行さん等々、脚本・監督が三谷幸喜さんですから面白くないわけがなく、2年ほど遅れて腹を抱えました。

 世の大半の人は、その存在をおそらく信じてはいない・・・、まぁ、見えないのですから信じようがなく、あくまでも想像の産物としてないのですが、あります。

 霊界通信、霊は語る・・・。

 書店の棚に『ハンナ・アーレント』の文字を見つけ、手に取るとハンナ・アーレントがいまの世に現れ語っているではありませんか。

 作者や出版元の名に・・・納得。

 世の中見えないものが見えてしまい、自分は見えなくとも、見える人を信じ切って、世の誠を信じる人々が同じ次元に居ることを改めて驚きます。

 見えないものが見える人が集団で、世のあるべき姿を説法すれば、世の中ももう少し「まとも」になると思うのですが、どうもそのような力がある?、人は一人芝居(第三者体に見た場合)がほとんどです。

 自分こそが本物だ。

「ボーダレス」

 そもそも精神の彷徨いのなかで、正常と異常の境界が定まらない、健康であるのか不健康であるのか、この場合は精神的に不安定なのか、というのだと思うのですが。

 胡蝶の舞ではありませんが、夢の世界と現実がまさにその一冊の『ハンナ・アーレント』に現れているのを感じました。

 価格「1400円」

 値段があることに現実に引きもどされるのですが、『ステキな金縛り』と同じ気分で購入。

 面白い。

 みんな違ってそれでいい。

 それが今の世の中です。

 オウムの松本サリン事件から20年。

 事が起きなければ、問題にしない世のなかです。

 最近はどうも夢の世界に舞っている人が多いような気がします。現実世界に不安を感じるからなのだろうと、精神分析をしてしまうのですが、まぁ面白い喜劇の世界のうちにあればよいのですが・・・・。


Eテレ「民主主義を求めて~政治学者 丸山眞男~」を観て(2)永久革命

2014å¹´07月21æ—¥ | æ€è€ƒæŽ¢ç©¶

 Eテレ「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか」番組を観て自分なりに受けとったことについてブログに書いています。今日は第3回「民主主義を求めて~政治学者丸山眞男~」の最終の(2)として何か書こうと思います。

 番組最後には「まとめ」がナレーションとともにあるのが定番で、学びの徒(途上人)には大変にありがたいことです。

 丸山先生の指導下で学ばれた方々の、丸山先生からのメッセージ、先生の思いが、これから、が語られています。

 丸山先生の「他者感覚」「永久革命としても民主主義」の主張を受けての言葉です。

【政治学者石田雄】 永久革命としての民主主義は、一人一人が主権者としての発言できるということが民主主義だと。その一人一人が発言できるためには、お互いが理解し合わなきゃいけない、対話がなきゃいけない。対話が成立するためには不利な人の立場も、その身になって見るということが必要なんで、本当に絶えず一番下から言葉を掘り起こし、主権者としての発言ができるようにするためには、それをくみ上げる他者感覚が必要なんだと。

 だから私としては、永久革命としての民主主義と永遠の課題としての他者感覚が、表裏(おもてうら)の関係をなしているということが丸山眞男さんから今日引き継ぐべき最も重要な遺産だと。

【衆議院議員江田五月】 自分自身が正しいと思っていることを常に疑ってみる、相対化する、そしてその自分自身が正しいと思っているものに対抗する、自分と意見が違う、その自分と意見が違うものをどれだけ自分が内在的に理解するか、その上で自分の意見と内在的に理解したい他者の意見とを自分の中でぶつけ合わせてみることによって、思想の発展というものが出てくる。これは非常に(丸山眞男から)教わったことですね。

 今現在の政治の中でそういうようなことが、あまりにもちょっと足りないという感じはしていまして、多数を持っている人たちも、自分の考えにあぐらをかくのではなく、少数、あるいは自分と違う他者への・・・いっぺん共感してみようという思いを持って、お互いの討論をすると、少数の方も同じことは言えるわけですけれどもね。そういうことがないと次のステージにのぼって行くことがなかなかできない。

【政治学者山口二郎】 戦争が終わったから戦後がきたんじゃなくて、丸山さんたちが戦争をきっちり総括して、その敗戦の構図を明らかにしたからやっと戦後が始まったわけです。だからだとすると震災の後の災後なるもの、3.11の後、災後になったんじゃないんですよね。私たちがあの原発事故をもたらした日本の政策決定について、きちっと、闘って、向き合って、それを解明しないと災後ははじまらないと思います。それは今の時代に生きる政治学者の最大の仕事だと思います。

【福島県郡山市長品川萬里】 3.11は、地震があった、原子力発電所の事故があった。その事実はもう起きましたから、そこを与件としてどういう風に新しい、まさに人間が作った制度ですから、どう作り変えていくか・・・。

 ミクロの永久革命です。しかも常に、現場第一線の人との会話を繰り返しながらその中から知恵を見い出していくと、絶えず見直す、絶えず改善・・・エンドレスです。

<以上>

 政治には素人なもので郡山市長の品川さんが丸山眞男先生と深い関係があることを知りませんでした。個人的に郡山市民の選択の聡明さに敬服しました。後手の政策ではなく実のある政策が行なわれ、改善すべき課題に対しては相互の折り合いの中で進められることを期待したいと思います。

 番組最後は、ナレーションで我々に「問われている存在」であることを語ります。

【ナレーター】 民主主義とは何か、敗戦後直後の焼け跡から丸山眞男が思索を重ねてきた問いは、今の私たちの前にあります。

<最終 肉声の丸山先生の言葉>

【丸山眞男】 もし「永久革命」という言葉に意味があるとしたら、民主主義だけが永久革命という名で呼ばれるに値する。世界中のどこにも民主化が完了した国はない。日(日々)、これから永久に革命していかなければならない。あらゆる国は民主化の過程にある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 日々の現象は、形成の存在であることを語るものであり、そこに差異の向上的なもの、審級をみるならば、それは止揚の論理にもなって行きます。

 「永久革命」で言うところの「革命」は政治用語ですから、「民主主義」という国家があってこそで、そこには国民がいます。国家無き大地の民ならば、烏合の民、生活するには相互の関係性がなければ一日たりとも生命の存在はありません。

 宗教の世界から「可謬性、不可謬性」の言葉を持ち出すならば、互いの過ちを認め合ってこそ愛が成立し、可逆性を認めない不可逆的な関係性になると絶対的神、天、王を創造します。

 「対話」の重要性については、皆がそう思うのですが・・・・そうもいかない人の世です。

 せめて自分だけはそうありたいと思います。


Eテレ「民主主義を求めて~政治学者 丸山眞男~」を観て(1)

2014å¹´07月20æ—¥ | æ€è€ƒæŽ¢ç©¶

 体験は思想を創り上げる。

 Eテレの「戦後史の証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか。知の巨人」の第3回目が昨夜放送されていました。

「第3回 民主主義を求めて~政治学者 丸山眞男~」

 今年は丸山眞男生誕100年の年にあたるということで、いつの時代も政治が問われているのですが、世界経済のバランスが崩れつつあり、発展途上国などと蔑んだ言葉も今は意味なさない言葉の遺物になりつつあります。

 そもそも発展とか貧困などという言葉は、時々の人々の持つ感慨だけであって、一律的な意味あるものでないということです。語る側の場の意識が意味を特徴づけるだけで実質的なものはなにもない、日本人の今ある「怯え」はそんなところにあるのかもしれません。

 人文学の世界は、よくわかりません。政治学、社会学、哲学等諸々の学の世界が専門家でない私にはその境目がよく解りません。

今回の番組はサイトでは、「丸山眞男と政治学者たち」と題されて、

<サイト紹介では>

 出征、そして被爆体験を経て8月15日を迎えた丸山眞男。日本の超国家主義を分析し、「無責任の体系」と鋭く批判した論文で戦後の論壇をリードした。

敗戦直後、丸山は、東大で教鞭を執るかたわら、静岡県の「庶民大学三島教室」に通い、民主主義を広めようと努めた。60年安保闘争では「市民派」として積極的に発言したが、東大紛争では、戦後民主主義の申し子ともいうべき学生たちの厳しい批判にさらされた。

民主主義を「永久革命」ととらえ、自律した個人の確立と、他者を認め合う「他者感覚」の重要性を訴え続けた丸山。その政治学は日本社会をどのようにとらえ、戦後日本に何を提言していたのか。東京女子大に残る未刊行資料、丸山自身の録音テープ、そして石田雄さん、三谷太一郎さんら丸山政治学の弟子たちや丸山批判を展開した森田実さんらの証言を軸に探っていく。

<以上>

と解説されています。

 「丸山眞男」という名に直接触れてきた世代ではありませんので、学生時代に政治学は学びませんでしたので直接丸山さんの著書に接することはないでしょうが、福沢諭吉「学問のすゝめ」やその他の福沢翁の著書に接しゆくと、自ずと丸山眞男著『「文明論之概略」を読む』(上中下・岩波新書)に接することになり、すると『日本の思想』(岩波新書)の読みたくなり、手元に読み切っていない4冊が黄色味を帯びてあります。

 意味ある偶然性に感謝、意味ある必然性の流れ、学びの機会の到来でしょうか。

 昨年映画化された「ハンナ・アーレント」の世界。その後話題になりつい最近矢野久美子先生が『ハンナ・アーレント』(中公新書)を出版されNHK視点・論点で「ハンナ・アーレントと“悪の凡庸さ”」放送され、20世紀を代表する政治哲学者が語られていました。

 そういうことでNHK番組で戦前戦後に活躍された政治学者を知ることが出来、ある人は作為をみるでしょうが、「政治学者という人」の生きざまを知る機会などに出会うことのなかった私にとっては、ある意味、形成の啓示に思われます。

ブログの文頭に「体験は思想を創り上げる。」と書きましたが、丸山さんもハンナ・アーレントもともに戦争体験が政治思想を創り上げています。

今回の「民主主義を求めて~政治学者 丸山眞男~」の最初の方に「抑圧の移譲」という言葉が出てきます。

「抑圧の移譲」
 上からの抑圧を下のものを抑圧することで順序に移譲し組織全体のバランスを維持して行くこと。

 丸山さんは、軍隊経験における暴力的な抑圧に、「抑圧の移譲」という構造的な体系で説明し納得します。

 この「抑圧の移譲」という構造は軍隊ばかりにあったのではなく国家のあらゆるところにあった。それによって誰もが主体的な意識がないままに戦争が行なわれていた。

と時代を読み解きます。戦前戦後の国家、終戦と敗戦国における戦争責任。丸山さんの次の言葉が語られます。

<「超国家主義における論理と心理」から>

 我こそは戦争を起こしたといふ意識がこれまでの所、何処にも見当たらないのである。何となく何ものかに押されつつ、づるづると国を挙げて戦争の渦中に突入したといふ、この驚くべき事態は何を意味するか。

これを「無責任の体系」と分析することで戦後を丸山さんは時代を切り開こうとしました。

<新たな時代の指針>

 知らないということは、感動を受けます。戦後まもなく静岡県三島市の三嶋大社の社務所で開かれていた「庶民大学」。社会学者の清水幾太郎、英文学者の中野好夫さんも講師として開催され多くの庶民が「何かを求めて」聴講した事実が紹介され存命する参加者の声も紹介されていました。

 番組では残されている丸山さんの肉声が紹介されていました。丸山さんはその中で、集う人々の姿を語ります。

 「今までの価値体系が一挙に崩れ、まったく精神的空虚にある庶民」

 「飢餓の中の飢えの中の民主主義の原点」

という言葉に、「裸の実存」という言葉が重なりました。

 名誉も地位も財産も喪った人々に、招来した民主主義という新しい言葉。個々の理解の納得にあるのですが、「裸の実存」には、時代から問われるその中に、自らの問いと納得をもふくめた形成の働きがあるように感じました。

 単純に裸のままに放り出されるのではなく、自ずから自らどうあるべきかという姿勢がそこにあります。

 飢えながらもこの時代のこのような集いに、集まる人々がいる一方で、食に翻弄されるばかりで全くこのような機会を意に介さない人々もまたいたのも事実です。

 上記の丸山さんの語られる「民主主義の原点」は、明治維新にまでさかのぼって考え出されます。

 三嶋での最初の講義は、「明治の精神」。

 自由という思想は、戦後民主主義とともに到来した自由という思想であり、占領軍から押し付けられたもののように思われそうですが、明治維新の思想に既に見いだされていた。 
 そこに現れる人物が『学問のすゝめ』の福沢諭吉で、その著書の「一身独立して一国独立す」は、「主体性を持った個人が独立心をもってはじめて国家も独立する。」という思想で福沢の言葉に丸山は新時代を感じていたということです。

「戦争責任者のどこにも居ない国」

謄写版の当時の文集に上記の言葉が映し出されています。

 番組から一部だけを取り出しています。

 丸山さんのこの言葉は、「戦争」という言葉を削除すれば「責任者のどこにも居ない国」ということになり、「先見の眼」と言われますが、現代社会の今まさに日本を語る言葉です。

 個人的に思うところとなりますが、先ほど紹介した矢野久美子先生のNHK視点・論点「ハンナ・アーレント」で語られた次の言葉を思い出します。

【矢野久美子】 アーレントは語りました。「底知れない程度の低さ、どぶからうまれでた何か、およそ深さなどまったくない何か」が、ほとんどすべての人びとを支配する力を獲得する。それこそが、全体主義のおそるべき性質である、とアーレントは考えました。

「底知れない程度の低さ」

この言葉は、投げかけています。

 ホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人や他民族への破壊、大量殺人)の背景にある「底知れない程度の低さ」がそこに語られているのです。

 『イェルサレムのアイヒマン』『全体主義の起源Ⅰ反ユダヤ主義』(みすず書房)

購入してしまいました。その後よその県の県議会議員の「涙の会見」「脱法ドラック所持」が話題になりましたが、地方選挙も国政選挙も民主国家の構造の現れの中にあり、庶民はそれに関わっているわけです。

 「底知れない程度の低さ、どぶからうまれでた何か、およそ深さなどまったくない何か」

という言葉はアイヒマンだけに見い出されるものではないことは、「<悪>の陳腐さ」に現れてきます。

 現代社会はこの「<悪>の陳腐さ」に翻弄され自ら怯えているように思います。

 行く場のないという怯え。

 来たらざる未来に怯えています。

丸山眞男さんの、

「今までの価値体系が一挙に崩れ、まったく精神的空虚にある庶民」

とは今の時代を物語っています。


Eテレ「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか」を観て思うこと(3)怯え

2014å¹´07月17æ—¥ | æ€è€ƒæŽ¢ç©¶

 NHKの「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち」がネット上に話題になっていないのか、毎日検索をしてみるのですが「少ない」というよりもほとんど見ません。

 深夜に放送されている番組ですから見ない人も多く、見ても私のように時々の感慨をネット上にアップするというもの好きもいないでしょうから・・・・当然なのでしょう。

 問われ人と言いましょうか、今朝もこの番組から問われた人の思うところを書いてみようと思います。今回も第2回の鶴見俊輔さんの「思想の科学」からです。

 この番組の最終に近いところで、1980年代の『思想の科学』の会に戦後世代の人たちが加わってくるなかに作家の黒川創さん(53歳)の話があります。黒川さんの父親が「思想の科学」の古い会員であったことから、黒川さんは子どものころから鶴見さんと交流があったとのこと。そこで語られるのが多元主義。既成の枠にとらわれない、また他者からの干渉にも影響されないそれぞれの人々の表現があります。

 黒川さんが編集に加わった昭和60年(1985)6月号の『思想の科学』、「戦後の思想家107人」と題した特集号、さまざまなジャンルの人々が取り上げられています。谷川俊太郎、五木寛之、井上ひさし、立花隆・・・ビートたけし、タモリ・・・。

 哲学者、評論家、作家ばかりでなく芸能人も思想家として語られています。「山口百恵『伝説のシンデレラ・ガール』、「タモリ 『何だろうね、俺は・・・』」の中からタモリの思想性が取り上げられます。

 「タモリは観察力の天才で、それは宇宙から微生物にまで至りますが、特に、人間のいかがわしいところを実に鮮やかにすくい上げ、タモリの流儀で徹底的に批評する。・・・タモリは無思想の思想家とでも言っておけばよいのでしょうか。」という井上章子さんが見たタモリ像が描かれています。

 書く側、取り上げられる側それぞれにその思考の姿があり「ひとびとの哲学」があります。

 「みんな違ってそれでいい」

 ふとそんなことを思いました。私の30年代の話。今から思うととても懐かしく、それぞれに自由であったように思います。「自由」などというまた不確かな言葉を使いましたが、今とは違うそれぞれにエネルギーのあった時代を感じます。

 いまの時代すべてが受ける側に回ってしまい、模倣のような世界です。

 反省無き行いの連続。

 善し悪し区別なく同じことがくり返されている。

「進歩がない」というと「目的」などを想定してしまいますが、そんな大それたものではなく時代の流れの中に時代の持つエネルギーが失われつつあるように思います。

 人々の怯(おび)えなのでしょうか。

 子どもの未帰宅、脱法ドラックによる挙行、馬鹿な県議の号泣

 時代に「怯え」を感じます。

 今朝は、「ひとびとの哲学」から「怯え」の話になってしまいましたが、とても心打たれる番組なのですが・・・。


Eテレ「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか」を観て思うこと(2)「ふつう」

2014å¹´07月16æ—¥ | æ€è€ƒæŽ¢ç©¶

 Eテレ番組の「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか」の「知の巨人たち」シリーズを観て、あり過ぎる「問い」に思うところを書いています。

 今朝は、60年安保の「声なき声の会」を母体にして誕生したベ平連の平和運動の中で語られた「ふつう」という言葉に視点を置きたいと思います。が語られた。

 1960年代の大衆示威運動の代表格であった「ベトナムに平和を!市民連合」という平和運動。この中で次の言葉が紹介されていました。

<ふつうの市民の声>

 わたしたちはふつうの市民です。ふつうの市民というのは、会社員がいて小学校の先生がいて、おかみさんがいて、花屋さんがいて、英語を勉強している少年がいて、つまりこのパンフレットを読むあなた自身がいて、その私たちが言いたいことは、ただ一つ「ベトナムに平和を!

 勝手に「ふつうの市民の声」と命名しましたが、私の小学校低学年から始まった戦争であったことに驚きました。歳のせいでしょうか、つい最近あった戦争のように思うし、画面を見ているはるか過去の記録のようにも見えてしまいます。

 ベトナム戦争は、南ベトナム解放民族戦線がベトナム共和国(南ベトナム)政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月1960年12月から1975年4月30日のサイゴン陥落するまでの間にあった戦争とするならば15年間という長きにわたる戦争でした。

 時代は高度成長期のただ中で起きていた他国の戦争でした。

 「ふつう」という言葉反対語辞典を見ると「とくべつ」「とくしゅ」という言葉になります。

 範疇化の線引きと言いますか、非常に個別的な意味合いの高い言葉です。それぞれに違う、というのがその線引きにあります。

 「普通」という漢字にしないところがまた意味があるように思います。前回のブログには漢字文化、平仮名文化と書きましたが、「ひらがな」は「漢字」から作られているので誤りなのですが、言葉の表記としての単音の文字化を考えた時に日本語の単音は平仮名で書かれますのでそのように勝手に決めつけました。

 「ふつう」と「普通」

と書いただけで、ひらがなの方が柔らかさと許容量がひろく、漢字の「普通」は平仮名文字と対比させると線引きがしっかりされていて、固さを感じます。

 画面でも平仮名でテロップが流れました。

「ふつうに生きたい」

 喧騒の世の中、いざこざが絶えない世の中、身の周りに多すぎるのでそう思うのか分かりませんが、「ふつうに生きたい」という言葉が還暦を過ぎ、ますます脳裏に吐露する言葉です。吐露とは口に出すことではないかなどと言われそうですが、これは秘匿のうちにあるという意味です。

 その喧騒の原因は、私が主人公ではなく、立場からそう成ってしまう、ということで、場を離れれば他人が惹起する喧騒ももめごとからは離れることが出来ます。

 自分のことならば打って出ますが、慈悲心もあるのでしょうか今はそうもいきません。

 世の中が一つのまとまりで、部分というものがなく、従って個別はないので個人もない。

 地球という一つの中で、線引きがあり、個々の存在がある。鳥瞰的には一つですが、地上に降りれば個別の集合体、個々の個々、それぞれ、あらゆる線引き、間引きがあります。

「ふつう」と「普通」

考えさせられます。この番組は、一語一語に「問われ」ます。

番組冒頭鶴見俊輔さんの

「人民の記憶が私にとっては国民の記憶より重大なんだ。一体どういう風に人民の記憶に残っているかそれが知りたいんだ。それが歴史学の生きている課題だと思う。」

という言葉が流れます。

「人民」と「国民」

ここには国家の線引きを見ます。国境なき人々のつどい。そういう意味あいなのだと思います。


Eテレ「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか」を観て思うこと(1)

2014å¹´07月15æ—¥ | æ€è€ƒæŽ¢ç©¶

 Eテレで放送されている「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか」という番組、7月に入り「知の巨人たち」という8回シリーズ「2014年7月(4本)・2015年1月(4本)」が始まりました。 既に、

第1回 湯川秀樹と武谷三男

第2回 鶴見俊輔と「思想の科学」

が終了し、7月19日(土)に、

第3回 丸山眞男と政治学者たち

が予定されています。

番組サイトによると、

「民主主義、エネルギー問題、平和など今日の課題に思想家・言論人はどのように取り組んできたのか。思想家の言葉と証言でたどる戦後史。(戦後編)」

ということで、個人的に学ぶべきところが数多くある番組で、還暦の私にとっての学びのの場になっています。

 番組紹介のサイト内容をそのまま引用しますが、

第1回 湯川秀樹と武谷三男
 ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹とその共同研究者、武谷三男。戦時中、原爆開発に関わった二人は、戦後「科学者の社会的責任」を唱え、原子力の平和利用のあり方を模索する。
 æ­¦è°·ã¯ã€åºƒå³¶ã‚’訪ね、原子力が二度と軍事利用されない研究の枠組みが必要だと考え、原子力研究の「自主」「民主」「公開」の三原則を主張した。1956年原子力委員会の委員となった湯川は、海外からの原発の早期導入を進める方針に対し、自主的な基礎研究を重視するよう主張し、辞任。晩年まで、核兵器の廃絶、核なき世界を訴えた。
 æ¹¯å·ãŸã¡ç‰©ç†å­¦è€…は「原子力」とどう向き合い、その未来をどう見つめたのか。

第2回 鶴見俊輔と「思想の科学」
 終戦の翌年、創刊された『思想の科学』。鶴見俊輔や武田清子ら同人たちは、「敗戦からより多くを学ぶこと」を目的に掲げ、「公園の片隅の砂場」のような雑誌をめざした。それから、半世紀、どんな立場の人でも“来るもの”は拒まず、多元的な意見を闘わせてきた。
 番組では、創刊メンバーの鶴見俊輔さん、武田清子さんから最後の編集者・黒川創さんまで、半世紀にわたって『思想の科学』に集った人々を全国に訪ね歩く。戦争に協力した過去を見つめる知識人、平和を願った人々、自立した生き方を求める女性たちなど、戦後日本の市民たちの姿が浮かび上がる。

<以上>

政治、思想には素人である私には知らないことが多く、ありがたいの一語に尽きます。

<第1回 湯川秀樹と武谷三男>

「第1回 湯川秀樹と武谷三男」は、核エネルギーの平和利用、核兵器完全撤廃など、これまでブログで評論家の唐木順三先生の、『「科学者の社会的責任」についての覚え書き』(筑摩書房・ちくま学芸文庫)からの学びを書いてきましたが、哲学者で評論家でもある唐木先生が書かれた時代の背景がよく解りました。

 平和利用、核兵器完全撤廃

そもそも「核エネルギーは人類に扱えるものなのか?」、平和利用や核兵器廃絶以前に「核廃絶」という問題があることが現代社会に生きるものとして問われているように感じるのですが、廃墟の中からの復興という課題に科学技術の果たした役割は大なのですが、考えさせられます。

「制御できるという確信」

はどこから来るのか?

 私のような素人は「信じる」か「眼中におかない」に徹するしかありません。

<第2回 鶴見俊輔と「思想の科学」>

 『思想の科学』という雑誌の背景がよく解りました。「ベ平連」「転向」・・・時代に目覚めているとはどういうことなのか。

 時代に迎合していた人々と目覚めていた人々

このような単純なる区分けにあるのだろうか。

「転向」という言葉について過去ブログで、長野県出身者の竹内好先生の『近代とは何か』の中から次の文章をアップしました。

※ウィキペディアから: 竹内 好(たけうち よしみ、男性、1910年(明治43年)10月2日~1977年(昭和52年)3月3日)は、日本の中国文学者。文芸評論家。魯迅の研究・翻訳や、日中関係論、日本文化などの問題をめぐり言論界で、多くの評論発言を行った。

<『近代とは何か』から>

 転向は、低抗のないところにおこる現象である。つまり、自己自身であろうとする欲求の欠如からおこる。自己を固執(こしつ)するものは、方向を変えることができない。わが道を歩くしかない。しかし、歩くことは自己が変わることである。自己を固執することで自己は変わる。(カ割らないものは自己ではない。)私は私であって私ではない。もし私がたんなる私であるなら、それは私であることですらないだろう。私が私であるためには、私は私以外のものにならなければならぬ時機というものは、かならずあるだろう。それは古いものが新しくなる時機でもあるし、反キリスト者がキリスト者になる時機でもあるだろう。それが個人にあらわれれば回心であり、歴史にあらわれれば革命である。

 回心は、見かけは転向に似ているが、方向は逆である。転向が外へ向う動きなら、回心は内へ向う動きである。回心は自己を保持することによってあらわれ、転向は自己を放棄することからおこる。回心は低抗に媒介され、転向は無媒介である。回心がおこる場所には転向はおこらず、転向がおこる場所には回心はおこらない。転向の法則が支配する文化と、回心の法則が支配する文化とは、構造的にちがうものだ。
 
 私は、日本文化は型としては転向文化であり、中国文化は回心文化であるように思う。日本文化は、革命という歴史の断絶を経過しなかった。過去を断ち切ることによって新しくうまれ出る、古いものが甦る、という動きがなかった。つまり歴史が書きかえられなかった。だから新しい人間がいない。

<以上>

 「中国文化は回心文化」はさておき、「転向は自己を放棄することからおこる。」という部分に「自己」という不明確な言葉が、まさにそのようなものがあると限定されて言及しているものの「日本文化は型としては転向文化」という言葉はいまも生きているように思います。

 「八紘一宇」「鬼畜米英」

 漢字文化、ある意味合理的な意味掴みの文化です。これが平仮名文化で、古代に漢字輸入がなかったならば、時代に酔うことはなかったのだろうか。

 漢字文化は激易い。

そんなことも考えてしまいました。