思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

己の舞い・身体化された心

2011å¹´07月24æ—¥ | å“²å­¦

 古語の世界から身体的な発現としての肉中の言葉について語ってくると、自ずから生命の有機構成が織りなすすなわちオートポイエーシスの話になってくる。人間型ロボットのフーレーム問題は結局はこの問題に行きつき、社会学者の大澤真幸先生の語るところの社会も含めての『量子の社会哲学』(講談社)に至るように思う。

<ある書籍の訳者あとがきから>

 「創発する自己という仮想の同一性が無秩序に沸き起り、心/身体レベル、細胞のレベル、又は超生物体レベルであれ、世界を創出するのは何故なのか?このかくも生産的な現象は生命、心、社会といったまったく新しい領域を創出して止まない。だが、この創発する自己はかくも不安定で根拠のないプロセスに依拠しているので、出現するようにみえるものの実質性とその無根拠性との間には明らかなパラドクスがある。」これこそ、本書の主著であるF・ヴァレラにとって抜き差しならぬ永遠の問いなのであった。

 ある書籍というのは『身体化された心』F・ヴァレラ著・訳田中靖夫(工作舎)である。

 最近ちくま学芸文庫から『知覚の哲学』出版された。フランスの哲学者メルロ=ポンティ好きの人には待望の出版です。メルロ=ポンティの哲学は「意識から身体」訳者に言わせれば「存在論的転回」なのですが、ある面「知の世界」の拡がりには驚きを隠せません。

 現実社会を如何にリアルに認識するか?

見えないものは見えないものなりに。

語れないものは語れないものなりに。

 肉中的な思考欲望を埋めていくか、そこに楽しさがある。人の語る中に何があるのか。


(橋掛かりを鏡の間へ立ち去る役者:Eテレ「日本の芸能」羽衣から)

 人間は、この世に己の舞を舞い橋掛かりを鏡の間へと去ってゆくようなもの。なぜ幽玄なのか、なぜ亡霊は舞を舞うのか?

 儚さのリアリティを謡曲はあらわしている。確かに人は演じている。己の舞と信じているが、踊らされていることには多分一生気づかずに鏡の間へと去ってゆくだろう。

 悦びの中に、苦しみの中に・・・・信じるものは幸いなのである。

今に生きるとは何なのか?

 今朝はわけのわからない言葉を語りながら、この『身体化された心』から次の文章を紹介したいと思う。

<引用『身体化された心』F・ヴァレラ著・訳田中靖夫(工作舎)から>

 われわれが何を検討しているのか明らかにしておこう。三昧/覚に関する経験の検証から明らかにされたのは、経験が不連続で、ある刹那に意識がおこり、しばし存在してやがて消滅し、次の刹那が訪れることである。

経験に関するこの説明(われわれが求めてきた正真正銘の人間経験に関するような説明)は、神経科学から得られる説明と一致しているのか、いないのか? 因果関係の方向性について論じているのではなく、また、経験を正当化するのに神経科学の助けを借りようというのでもない(それは科学の帝国主義であろう)。できるだけオープンな方法で刹那の問題について神経科学が何を言えるのかに興味があるだけなのだ。

神経科学と心理学で「知覚フレーミング」と呼ばれる、感覚運動の律動性とパーシングを扱った文献において紹介された最も著名な現象の一つに「知覚同時性」とか「仮現運動」と呼ばれるものがある。

例えば、二つのライトが0.1~0.2秒より短い時間間隔で連続して示されれば、それらは同時または仮現的に同時であるものとして見られる。この間隔がわずかでも増加すれば、閃光が素早く運動しているように見える。この現象によく似ている例は、最後のライトが矢印の形をした、閃光が連続する広告ディスプレイである。次々と点滅するライトは矢印の方向へ次々とジャンプしている印象を与える。

 脳が脳波図(EEG)で検出される周期的な活動リズムを有することはよく知られている。視覚皮質の主要リズムも約0.15秒なので、時間的フレーミングと皮質のα波との間に関連があると仮定するのは自然なことである。・・・・・・。

<以上上記書p113~p114から>

意味不明な引用で指摘されそうだが、現実に眼前の世界はこうなのである。一刹那の体得とはこういう世界の内にある・・・ということなのである。

この著書の

 第4章 嵐の私(I:アイ)
     「自己」の意味
     五蘊のなかに自己を捜すこと
      色蘊:身体
      受蘊:感受作用
      想蘊:表象
      行蘊:形成作用
      識蘊:意識
     刹那と脳
     自己のない五蘊

「刹那と脳」の中で語られているのだが、この著書の紹介されている、

身体化された心[詳細]
http://www.kousakusha.co.jp/DTL/varela.html

にはこの書評が書か次のように紹介されている。

◎2007.9.16 中日新聞・東京新聞にて西垣通氏紹介
テーマで読み解く現代 情報学2 人工知能より人知
…(オートポイエーシス理論は)まさに21世紀の鍵をにぎる思想と言えるだろう。一つのポイントは「身体」である。心は生きた身体を離れて存在することはできない。オートポイエーシス理論の創設者の一人である数理生物学者フランシスコ・ヴァレラは、90年代に入るとさらに進んで、新たに「エナクティブ認知科学」を提唱した。『身体化された心』にはその魅力的な思想が語られている。安易に人工知能を語る西洋流合理主義の限界を指摘し、仏教思想にまでおよぶその議論の射程はおそろしく長い。…

◎2006.1.8 読売新聞・「空想書店」1月店主 西垣通氏紹介
思索する生物学者ヴァレラが最後にたどりついたのは何と、先端認知科学と仏教思想との橋渡しだった

◎bk1 金沢創氏(三菱化学生命科学研究所研究員)の連載コラムにて書評
…21世紀の新しい心の科学のための、もっとも重要な本の1冊であると考えている。おそらく、今後、大流行の予感すらある、新しいアプローチをこの本は予見しているように思えるのである。そのアプローチとは何か。彼らの言葉でいえば、「行為からの産出(enaction)」ということになる。エナクション。この聞きなれない言葉こそ、私自身も同意する、新しい心理学、あるいは認知科学のキーワードと思われる。

*金沢創のコラム「サルの意識・機械の知覚」第16回 エナクション:普遍的な心の科学へ
◎bk1ブックナビゲーター 宇波彰氏(札幌大学教授) 書評
現代の認知科学の第一人者が、西欧の知の根拠の欠如を自覚し、仏教に救いを求める。 bk1サイト全文

◎「現代思想2001.10月号 特集:オートポイエーシスの源流 F・ヴァレラの思想圏」
マトゥラーナとの共著『オートポイエーシス』で名を馳せたヴァレラですが、その思想の到達点が『身体化された心』です。 

◎bk1 「人文書 とれたて新刊!レジ前コーナー」 書評
「仏教と認知科学をつなぐ、オートポイエーシス理論家の快心作」「近年の人文書・理学書において決定的に重要な著書である」と。(人文書コーディネーター・小林浩氏)

なかなか興味をそそられる書評に思う。

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 さて今日は24日地上デジタル化移行への最後の一日である。ハイビジョンは今や超ハイビジョンの時代へと進んでいる。このリアルさといったら本物以上にリアルなのである。

 なぜなのだろうか?

 超ハイビジョンのディスプレイを見ると認識される物と物との境目がにじむのである。

「0」「1」の世界ではあるが画然(かくぜん)とした世界ではないのである。

 現実の世界は原子顕微鏡で見ても画然としている。風景に感動するのは肉中の私である。

 明滅する心臓の鼓動とともに感じる感動なのである。

 超細密画になぜ感動するのか、画家の揺れがあるのであり、にじみがあるのである。

 人間の思考とは、ある面、にじんだ曖昧な思考が普通なのかも知れない。そこに画然とした合理的な思考が参入してくると壊れやすくなる。

<人間は、この世に己の舞を舞い橋掛かりを鏡の間へと去ってゆくようなもの>


(橋掛かりを鏡の間へ立ち去る役者:Eテレ「古典芸能への招待」鉄輪から)

 善き先達者さんに出逢うがよかろうと思う。


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Unknown (Unknown)
2018-10-28 05:31:33
 ≪今に生きるとは何なのか?≫

 [永遠の今]を【数そのモノ】で観てみる。
 オートポイエーシス理論で【数そのモノ】を掴もうとして、十進法の自然数【0 1 2 3 4 5 6 7 8 9】を弄りまわしていたとき。

 離散的な有理数の一・二・三次元の数体の間に、『離散的有理数の組み合わせの多変数創発関数論 命題Ⅱ』の[自己無撞着の摂動方程式]である種の[離散対数問題]と生るのが見つかった。
 これを[連続性]へ拡張すると『数そのモノ』の【1】が『カオス表示』を帯同していると観る事が出来るようだ。  


 ≪人間の思考とは、ある面、にじんだ曖昧な思考が普通なのかも知れない。そこに画然とした合理的な思考が参入してくると壊れやすくなる。≫

 もともと自然数が曖昧さ(カオス)を背負っているのだが[双対性]は、崩さない。

 ≪仏教思想からのエナクティブ・アプローチ≫は空海の「声字実相義」(この宇宙全体が超越的存在である大日如来の「言語」の現れ)としての『数そのモノ』と生り.[二階述語論理]をもともと備わった通常の言葉よりも[上空移行]した、≪身体化された心≫の言葉と観ることができよう。
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