思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

昭和の日・有明山麓を巡る・木食山人

2011å¹´04月30æ—¥ | é¢¨æ™¯

 昭和の日、少々雲は多いのですが、春らしい淡い光が射していました。山麓のさらに山間(やまぎわ)の桜が盛りとなりました。



安曇野市有明の有明神社の南に広がる宮城地区をいつものように巡ってみました。

 法務省所管の有明高原寮の桜も今が満開、逆光で暗くなってしまいましたがとてもきれいでした。

 中房川にかかる大王橋、大和朝廷に楯突いた八面大王に由来する「魏石鬼(ぎしき)の岩屋」という遺跡に向かう見てであることからその名が付きました。ややきつい坂を上がるとそば処「くるまや」さんと正福寺に向かう道が右にあります。そこの道に入ると直ぐ左側に、双体道祖神があります。

 いわゆる道祖神のある風景です。そこを過ぎると左側にある宮城温泉(公共風呂施設)の前の桜並木が見えます。バックは有明山つにに有明山が見える景色です。

 真言宗の正福寺、今は無住のお寺で宮城地区の住人が宗派に関係なく交代で清掃を行っています。

 昔はとても大きな修業のお寺でしたが維新後の廃仏毀釈で廃寺となりその後再建、石段を見ただけでもその古さが解ります。境内にある大スギは安曇市の天然記念物で樹齢400年以上はある大樹です。

 そのお寺の右側に山に沿って魏石鬼の岩屋に向かう小道があります。500mほど行くと魏石鬼の岩屋の上に立つ岩上観音堂があります。この観音堂には木食山居作の写真の准提観世音菩薩立像があります。

 木食(もくじき)僧は木喰僧とも書き柳宗悦先生は、その著の中で「昨日迄上人に就いて全く無知であった」と語るぐらいですから、素人の私は当然のことです。柳先生木食上人は山梨県の話で18世紀後半の人物です。

 知らないことを素通りにできない性格、この信州の「木食山居」とはどういう人なのか調べようとしたところ義父の書棚に『木食山居を追って』(清水顕光著 安曇野出版)がなぜかあるのです。著者は清水顕光さん北安曇郡小谷村にある曹洞宗・玉泉寺の住職さんでした。

 義父は小谷村出身ですから知人で頂いたということでした。これも何かの縁、ありがたい。


(『木食山居を追って』から)

 木食僧とは、「五穀を断って木の実を食べて修業に打ち込んで廻国僧のこと」と薄々知ってはいましたが、信州では円空・五行とともに有名な木食僧とのことでした。木食上人山居で故真とも名乗っていたそうで、同著によると宮城の観世音菩薩立像には「木食山居故真作」の銘があるそうです。

 この木食山居の話になると長い話になりますので後日の話としたいと思います。

 正福寺、観音堂を巡り次に行くのが有明神社。普段閑散としているこの神社も多くの人たちが参拝に来ていました。

 有明神社参道の桜、まさに今盛りでした。

 自宅の田んぼの土手下の道から見た有明山です。

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NHK連続テレビ小説”おひさま ”(23)道祖神・水車小屋のある風景

2011å¹´04月29æ—¥ | ãŠã²ã•ã¾

 ã€€ï¼®ï¼¨ï¼«é€£ç¶šãƒ†ãƒ¬ãƒ“小説”おひさま ”29日昭和の日の今日は、家族の思い出の場所、道祖神と水車小屋のある風景が映されました。

 連休は多くの方が見に来られるのではないでしょうか。

 昼間は春の陽気、風は少々強く夕方から少し気温が下がります。北アルプス常念岳は時々雲に蔽われ、春を告げる常念坊の雪形もはっきりと見えそうになりかけていましたが、昨朝の常念岳を見ると、また雪が降ったようです。

 しかし平野は、田に水を張るところも増え、田に写される白帽子の逆さ常念岳ももうすぐ見ることができる季節になってきました。


(NHK連続テレビ小説”おひさま ”から)

 父は朝からどこかへと出かける。


(NHK連続テレビ小説”おひさま ”から)

 兄弟の三人はお地蔵さんのある水車小屋のところでそれぞれの思いを語る。


(NHK連続テレビ小説”おひさま ”から)


(NHK連続テレビ小説”おひさま ”から)

 するとそこへ、父が帰宅。お地蔵さんの前で次男にお守りを二つ渡します。


(NHK連続テレビ小説”おひさま ”から)

 学業成績向上と安全祈願のお守りです。

 遠く列車で諏訪大社までこのお守りを求めに行っていたんですね。


(NHK連続テレビ小説”おひさま ”から)

 親子四人のつかの間の笑い声が聞こえます。

 間もなく太平洋戦争に突入することになります。

 この風景のある場所から約1km離れた場所にある菜の花畑に言ってみました。ご覧のとおり素敵な風景が広がっていました。

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「しなゆ」という「やまと言葉」(2)補正

2011å¹´04月29æ—¥ | ã“とば

 写真は、有明山のすそ野に広がる田園風景です。これから田植えが始まります。

 最近は連続テレビ小説”おひさま ”に魅せられ、また好きなニーチェの番組があるなどしてその関連記事が多くなっていました。

 そんな折に3年ほど前に描いた、

「しなゆ」という「やまと言葉」[2008年09月20日]

という記事にコメントがありました。

<コメント>
 シナユは 《生気を失ってうちしおれる》(大野晋)だそうですから 持って来いだと思います。ただしその半面で考慮すべきことがあるように考えます。
 
 それは シヌ(死ぬ)が ナ行の変格活用であることです。
 イヌ(往ぬ)がナ行変格活用ですから 漢語のシ(死)にこのイヌを添えて そこから シ+イヌ⇒シヌと成ったという見方も考えられるかと思うのです。さて どうお考えになりますか?
<以上>

ほとんど記憶からとうざ買っていたことを蘇らせていただき、この偶然性には意味があるのではないのか、と深く考えさせられます。

 現代中国語でも「死」は「si」と四声音でiに「∨」が付く発音で「し」と発音し、日本語の「死」と全く同じです。

 「イヌ」は、古語で、

い・ぬ【往ぬ・去ぬ】〔自ナ変〕
1 行ってしまう。さる。また、もとの所へ帰る。
2 時が過ぎさる。経過する。
3 死ぬ。

という意味があります(ベネッセ古語辞典使用)。

 「シヌ」は、古語で、

し・ぬ【死ぬ】〔自ナ変〕
 生命を失う。息が絶える。

となっています(同様にベネッセ古語辞典)。

 今回は、ベネッセ古語辞典を使用しました。今回は理由があって、この「死」ということについてとても参考になる解説がついていたからです。


 
 相関図38 「死」の婉曲(えんきょく)表現語群
 上代から現代に致るまで「死ぬ」という動詞は存在していたが、直接この語に遭遇することはあまりない。つまり、だれもができれば避けたいと思っているのがこの「死」である。
 つまり、だれもができれば避けたいと思っているのがこの「死」である。とくに女流の文学作品革じとくに女流の文学作品においては、間接的な表現が好まれる傾向にあり、そこから「死ぬ」意の別表現も、きわめて多様に発達した。

 『源氏物語』には、主人公源氏が亡くなったとされる「雪隠(くもがくれ)」の巻があったといわれる。が、ストーリーのうえからは、ここで源氏は亡くなったものと読みとれる。

 「みまかる」は、この世から退出するという「身・罷る」である。その他、目の前から消え去ることを表す動詞は、「死」の言い替え語として頻繁に用いられた。

と書かれ、次の表が書かれていました(上写真拡大)。


 実に興味深い相関図で、大変勉強になりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そもそも”「しなゆ」という「やまと言葉」”というブログの記事は、万葉学者の中西進先生のラジオ講義から得た知識です。

 中西先生の著書『古代日本人の心の宇宙』(NHKライブラリー)の補章一「水と言葉の宇宙」にも解説されていますが、



今朝は、1994年1月~3月にNHK放送大学で中西先生が講義された「古代日本人の宇宙観」で使用したテキストから、参考になると思いますので長文引用します。

 話は古事記の話から入ります。
 
<引用>
・・・・・日本の神話におもしろい話があります。『古事記』の中にクヒザモチの神という神さまが出てきますが、これを江戸時代の国学者本居宣長は「クミヒサゴモチの神」つまり水を汲むヒサゴ(瓢箪・ひょうたん)をもった神だと理解しました。
      
 この神さまは分水嶺(ぶんすいれい)にいます。分水嶺にいて水を汲むヒサゴをもつというのですから、どこからか水を汲んでは川に流す神さまにほかなりません。

どこからか、遠い彼方の水域からでしょう。そのために川は水が流れ、海は漫々たる水をたたえることになります。クヒザモチの神は超越的な巨人ですね。

 この速い彼方の水こそ、今まで述べてきたアメ・アマとよばれる水でしょう。これを宇宙水とよぶなら、古代人は世界のめぐりに宇宙水を考えていたのでした。あるいは、宇宙水がクヒザモチの神によってもたらされるからこそ、海はアメ・アマになったといってもよいでしょうか。
 
生命の分与(小題)

 そこで、宇宙水は川にだけ流されるものではありませんでした。洪水を起こすばかりでもありません。もっと大事なことに、どうやら宇宙水の分与をうけるのは、万物の生命だったようです。その多いか少ないかによって、生命はみずみずしくもなり、枯れはててもしまいます。

 古代日本人の最高のほめことばは「みず」(みづ)でした。この国土は豊葦原の千五百秋の瑞穂の国と賛美されました。ホとは秀でたものをいいます。何でもみずみずしく、秀でていれば最高の状態です。稲穂がみずみずしく実っても、その一つです。
 
         
 神域を囲むものは瑞垣(みずがき)です。

 末通女等(おとめら)が袖布留(そでふる)山の瑞垣の久しき時ゆ思ひきわれは(巻四)

 というのは『万葉集』の柿本人麻呂の名歌ですが、少女たちが袖をふるというのは魂を招く美しくも厳かな神事で、その華やかで若々しい仕草と対応するのが神域のみずみずしい、生命にあふれた垣根でした。
 
 瑞枝(みずえ)ということばもあります。これも神域の長寿の木が生命力の象徴のみずえようにさし伸べている枝です。
 
 そこで当然、人間についても同じように考えることになります。みずみずしい姿こそが最高の理想像で、これを「しなう」(しなふ)といいました。弾力がある姿です。弾力はみずみずしくなければ出てきません。

反対にみずみずしくなくなると、しないません。『万葉集』では「しなふ」姿が男女ともに賛美されました。しなやかな姿ですね。

 じっは「たわや女」ということばも、たわむようにしなやかな女性をいったことばでした。それがいつからか「手弱女(たおやめ)」といって手の力の弱い女性を意味するようになり、平安時代になると、いかにもなよなよと弱い女性をいう、むしろ悪いことばになりました。

 「なよ竹」ということばも、しなやかな美しい竹のことで、これも「なよ竹の とをよる子ら」(『万葉集』巻二、柿本人麻呂)と、しなやかな竹のように「とをよる子ら」つまり弾力のある、みずみずしい女性をほめることばとして用いられています。
 
 これほどに、みずみずしいことが生命力に溢れでいるというのは、宇宙水によって人間が生かされているという考えにもとづくものでした。
 
 そこで宇宙水が枯渇すると生命力もしなえることになります。ちょうど植物が、水分を切らしてしなえる、古いことばでは「しなゆ」というように、人間の生命もしなえて、やがて「しぬ」ことになります。
 
ですから「しなふ」というのはいい意味なのですが、「しなゆ」というのは悪いのですね。「しなゆ」は自然に「しぬ」状態になっていって、やがて「しぬ」のです。反対に「しなふ」とは継続的に「しぬ」ことです。死につづけるというと誤解をうけるかもしれませんが、くり返し死ぬということは、つまりいつまでも生きつづけることにほかなりません。

 ついでに植物はついには枯れます。古語で「かる」とは離れることで、何が離れるのかというと魂が肉体から遊離するのです。そこではじめて肉体の終わりがきます。古代人にとって「しぬ」ことは、死の一歩手前で、死を意味しませんでした。

<以上>

お蔭さまでコメントにより改めて勉強することができました。

 古代日本列島になる前、また列島形成後にいろいろなところから人々がこの日本に渡来してきました。互いのコミュニケーションの為に言葉はいろいろと変化していきます。

 不思議に中国語でも「死」は「シ」です。「shi」の発音とは異なり日本語と全く同じ発声の仕方をします。四声があるので若干異なりますが、発声の仕方は同じです。

<イヌ(往ぬ)がナ行変格活用ですから 漢語のシ(死)にこのイヌを添えて そこから シ+イヌ⇒シヌと成ったという見方も考えられるかと思うのです>

というコメントに対しての答えとなるかわかりませんが、「シ(死)」と「イヌ(往ぬ・去ぬ)」との合成語、「死」と「死」の強調なるように思います。

 よく「そんなことを言うと、死ぬ~」とドラマで叫ぶシーンがありそうです。「別れるなっていうと死んでしまう」という意味ですが、「死ぬ」を強調しています。予告であって完了ではない。

 古語辞典には、

ぬ〔助動詞ナ変形型〕「往(い)ぬ」の「い」が脱落か。
1 完了した動作・作用を確認する意を表す。・・・た。・・・てしまう・・・。・・・しまった。
2 並列の意味を表す。・・・たり・・・たり「例:泣くぬ笑いぬ」。

と書かれたいます(同上辞典)。

「死んでしまう」で「死」と「往(い)ぬ」から成った言葉ということもできるわけです。

ここで問題なのは、

辞書の<「往(い)ぬ」の「い」が脱落か。>

はっきりした定説がないことです。したがって誤りではないと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やまと言葉は大変、現象学的な志向性で考えると大変難しいところがありまた興味深いところがあります。

 冬ごもり 春さり来れば・・・・冬から春になることです。

「春さり来れば」は「春になると」という意味なのです。

 現時点から去ることではありません。

い・ぬ【往ぬ・去ぬ】〔自ナ変〕は、上記のように「行ってしまう。さる。また、もとの所へ帰る。」という意味もあります。

 固定された視点の向きで理解すると理解不能なところがあります。感覚的に動的にとらえる言葉、やまと言葉はそんなところがあると思っています。

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たった一度のいまの命をどう生きるか。

2011å¹´04月28æ—¥ | ä»æ•™

 曹洞宗大教師の青山俊董先生の「出会いは人生の宝」と題した講演会を受講した話を以前書きました。

 私の母校ではないのですが、青山先生が4月16日(土)に塩尻志学館高校創立100年記念の講演をされるという話を聞き久しく伺っていないこともあり、お会いしたくなり聴講に出かけました。

 78歳におなりになるということですが、その話方の力強さには年齢を感じさせないものがありました。

 講演会の中でも語られておられましたが、沢木興道先生の「大事な話は耳鳴りがするほど熱心に聞け。聞くときには初めて聞く気持ちで聞け!」という教えを実践しているものにとっては、話された内容についてはこれまで語られていることと重複されるとのことでしたが、新たな感銘を受けることができました。

 1時間30分にも及ぶ話を要約して紹介をするような力量はありませんので、私が時々ブログに描く「アンテナを立てる」「出会いの教え」について講演の冒頭部分を録音から起こしましたので紹介したいと思います。

【青山俊董】
 お互い様の人生を振り返ってみた時に、この方に出会えたから、この教えに出会えたから、今の私がある。と遙かに振り返る。

 そこに多くの人や教えがある・・・・。と、浮かんでくる方も多いかと思います。

 私も多くの人に導かれて今日の私があると思っています。正に「出会いは人生の宝」と申せましょう。

 しかし出会いが成立するためには、アンテナが立っていなければ出会いは成立いたしません。

 私の名古屋の尼僧の修行道場でのことですけれども、そこで去年の四月に、近くの会社の新入社員研修というのがありまして、エリートらしき青年20人が一日研修にやってまいりました。

 午前午後二度のお話と二度の坐禅とお食事を、作法に従って召し上がってもらうという一日の研修でございました。

 仏法の話というものは、特別なものではありません。

 たった一度のいまの命をどう生きるか。

と、それを本気に問うものです。専門の仏教のことば一つも使わなくともお話はできる。

 初めての青年たちに私なりに分かりやすいお話を、二度したつもりでございます。一日の研修を終えて、夕方茶話会に感想を述べてくれました。

 20人の内の19人までが足が痛かったのほかは、何んにも聞こえていなかった。

 まあ感心するほどまでに聞こえていない。

 その様子を見ていた、尼僧と雲水たちが「みんな幸せすぎてアンテナが立っていないんですねー」と言った言葉が心に残っています。

 19人のうちの一人だけが、重病を患ったという青年が、その病気の苦しみと重ねて「今日のお話は、心にしみました。」と言ってくれまして、少し救われた思いと同時に一つの学びがございました。

 苦しみ、悲しみ、心に叶わぬことがアンテナとなる。

 そしてお話に、人に出会えるんだ。

 そういうことに気づかされました。

 日蓮上人が「病によって道心は起り候」とおっしゃっている。

 「病によって道心は起り候」

 求める心は、 アンテナは、

 苦しみ、悲しみ、病気なのどによってアンテナが立つんだぞ。

と。

 それによって人に、教に出会えるんだよ。

ということですね。

 そのことで思い出すことがございます。あちこちでお話し申し上げているので何度でもお聞き及びの方もあろうかと思いますけれども、私が生涯慕っておりました沢木興道という禅僧がおります。この方がこうおっしゃた。

 大事なことは耳鳴りがするほど聞け!

と。

 くり返しくり返しくり返し耳鳴りがするほど聞け。一遍聞いたらいいということではない。

 大事なことは耳鳴りがするほど聞け!

 しかも、毎回初めて聞く思いで聞け!

これは難しいことですね。一生懸命聞いても私どものきき方というものは、大方ぬけてしまいます。大方滅んでしまいます。

 帰って来て今日のお話は、「はっ、いいお話でした。」その辺まではいいのですが、その次はもう出ませんね。

 その程度の聞き方しかできなくとも、二度目に聞くと「あっ、前も聞いた」という思いが出ると、新鮮度がなくなってしまう、という聞き方しか私どもはできません。

 大事なことは耳鳴りがするほど聞け!

 しかも、毎回初めて聞く思いで聞け!

という沢木興道の言葉を思い出します。

<以上>

 残り1時間以上もある話の冒頭がここから始まるのです。何度となく聞いた話もあるのですが、改めてまた先生の口から聞くと涙が出んばかりのありがたさを感じました。

 さて今朝は、この冒頭の中にあった沢木興道先生の「毎回初めて聞く思いで聞け!」という言葉に焦点をおいて自分なりに思うことを書きたいと思います。

 教えをいただくときの聞き方、「何んにも聞こえていなかった。」ということのないように、さらに得た気持ちの再構築なり、再編成、再編集ともいえる作業についてです。

 安心と信頼というブログ記事をアップしましたがその中で、自分の印象を考え直し、次の考えを持つ。

 打ち消しという否定から、更なる肯定の作業に入る。

旨の話をしました。自分思っている知識なり体験は、自分のみが持っているもの、同じ場においての体験であろうとすべてが、自分の持ち得ているものにより構築されているものだと思います。

 人間とは明滅的に、刹那の存在だと教えられ、いつも変わることができるのだよ、と教えられてきました。

 細胞が毎日生まれ変わっている事実は、私自身が毎日変化し続けているということでもあります。

 毎日打ち続けている心臓は、60サイクル、50サイクルで明滅し点灯している白熱電球と同じです。「0(ゼロ)」を通過し「プラス・マイナス」の世界を行き来しています。

 宮沢賢治の白熱電灯の明滅もそのようなところにあると聞いたことがあります。

 「ゼロ」とは、死に相当する。そんな気持ちを持てば、その命の脈打ちが見えるというものです。

 死からの生まれ変わりの連続それが人間。

 だから人には生まれ変わりのチャンスがある。

 こういう話を大昔に聞き、新たにこのことを思い出しました。

 同一の存在でありながら、矛盾する私。絶対矛盾的自己同一という西田幾多郎先生の言葉を私はそのように解釈しています。

 「毎回初めて聞く思いで聞け!」

という言葉の中には「ゼロ」になれという意味合いもあり、「是」と「非・否」も含まれてといった意味もあると考えています。

「何んにも聞こえていなかった。」

という青山先生の言葉。これがとても深くのしかかります。

 青山先生の講演会内容は、何回も聞き直し時々アップしたいと思います。

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安心と信頼を考えた時に

2011å¹´04月27æ—¥ | ã¤ã‚Œã¥ã‚Œè¨˜

 東日本大震災ともなう福島原発放射能漏出事故からよく聞かれる言葉に「安全・安心・信頼」という言葉があります。例えば、

 北沢防衛相は「すべて安心していただける数値だ」と述べた。(2011å¹´3月21æ—¥00時26分  読売新聞)

安心・安全の数値入り野菜

安心感は、信頼関係が前提になる。

安心感と信頼感で気持ちが満たされていると観点から。

大木のような安心感 信頼感を得られる人間になりたいものです 。

と使われています。

 ある人が「安心は数値よりも信頼だ。」ということを福島原発の政府・東電の対応姿勢から発現した話を聞きました。

 誰が言ったのか忘れてしまいましたが、この言葉を耳にしたときに「なるほど」と納得したことを覚えています。

 その後放射線量と体内被ばくそしてガンの発生率の関係、たばこの吸引量とガンの発生率との関係などの話を聞くと、数字も捨ておけない、安心には数値も関わるのではと考えるに至りました。

 しかし数値を知らなくとも信頼関係があるならば、その人の言うことならば安心感を持つことができる、などと。

 打ち消しという否定から肯定へ、そして肯定から否定へさらに肯定へ、総じて自分の思いとなります。

 安心と信頼、均衡のとれた状態、心穏やかな、波風の立たない状態。えも言われぬ心地よさの中に眠りに入るような心境、春風が吹く心地よさの中にいるような心持。


『安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方』( 山岸俊男著 中公新書) によると「安心」と「信頼」は、

安心
社会的不確実性が欠如した状態で、相手が自分の期待通りの行動を取ると期待すること

ä¿¡é ¼
社会的不確実性が存在した状態で、相手が自分の期待通りの行動を取ると期待すること

と定義されるようです。

 法学的には信頼の原則、期待可能性の言葉が浮かんできますが、上記の定義によれば、

 社会的不確実性の欠如・存在の状態において「相手が自分の期待通りの行動を取ると期待すること」が安心と信頼の言葉の使用するときの決め手になりそうです。

 わかったようでわからない話です。

勝手に「普段の常態・異常な事態」という言葉を使用し、

社会的不確実性が欠如した状態=普段の常態=問題のない毎日

社会的不確実性が欠如した状態=異常な事態=危機的、危険な状態

としてみると、日々平穏な毎日においては、他者が私と同等の行動で生活しておりトラブルは発生しないことになります。一方の危機的・危険な状態では、更なる危機・危険が増大しないように他者が私の希望する行動をしてくれることを期待する、ということになります。

 安心は常態の中で、相手はトラブルを起こさない行動をしてくれる。

 信頼は危機的・危険な状況を増大しない行動をしてくれる。

ということだと思います。

次にこんな文章を目にしました。

 日本は「信頼社会」ではなく「安心社会」なので、一見集団主義的に協力し合っているように見えても、それは単に、「コミットメント関係」と呼ぶ様々なしがらみ(ムラ社会の掟)が存在するおかげで「相手が自分を裏切ることはないだろう」と安心できるに過ぎない。なので、逆にコミットメント関係にない“よそ者”に対しては、日本人は強い不信感を抱く傾向がある。

 それに対して「信頼社会」を生きるアメリカ人は、よく知っている者同士の内輪の協力は日本人ほど密ではないかも知れないが、逆によそ者であってもひとまず「信頼」してみせるという開放的な態度を持つ人々だ。

(※コミットメント:約束、義務、責務、債務、かかわりあいの意)

 この文章に書かれていることは本当なのか、このような文章に出会い自分で考えてみる。

 いろんな人に出会い、いろんな考えに接する。意外性の出会いは常にあります。これを縁と言い、己に与えられた偶然性だと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 価値観の多様性、それぞれに人々は個性のある生き方をします。他者との信頼関係のみでは生きていけない世の中です。その中でどうすれば安心を得られるか、そこに宗教の存在もあるように思います。

 その宗教が排他性の強い者であったならば、どうなのでしょう。その答えさえ分からなくなってしまっている人も多いようです。

 あの世、この世と言ったところで、千の風になってそっと小枝を揺らすと考えて安心を得る人もいることは明白です。

 本当はお釈迦様はそうはいっていないと言ったところで己は救えても衆生は救えない。

 何を語ろうとしているのか?

 法身は何なのか、それさえもつかめない瞑想がどこにありましょうか。

 自分のしっかりしたアンテナで、よい師匠に出会う。切り口は皆同じなのです。

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日めくり万葉集・「画(ゑ)・縁(え)」の意外性

2011å¹´04月27æ—¥ | ã“とば

「日めくり万葉集」という番組が今もNHK教育で昼間に放送されています。5分間という短い時間に、各界の著名人が自分の好きな万葉集の歌を紹介する番組です。

 今週の月曜日(25日)に長野県上田市にある戦争に行って帰らぬ人となった画学生の作品を集めた美術館「無言館」の館主窪島誠一郎さんの選んだ一首でした。

九州・隠岐の島へ行く遠江国防人「物部古麻呂(もののべのこまろ) 」の歌で、

我が妻も
画(ゑ)に描き取らむ
暇もが
旅行く我は
見つつ偲はん
(巻20-4324)

でした。

 テキストによると、

我が妻を
絵に書き写す時間がほしい
そうすれば、旅を行く俺は
妻の絵をながめて、なつかしさに
ふけることができるのに

という訳になります。

「画に描き取らむ」の「ゑ」現代では「え」という一音の言葉です。当時も絵をかくということがあったのかと疑問に思ったのですが、土器へ何かを描く、古墳の壁画を描くなど描くという行為は古くからあったことから当然のことでした。

 この「え」という言葉、単音でありながら、古語にはたくさんの意味があります。

「愛」「兄・姉」「江」「役」「枝」「柄」「疫」「宴」「榎」「縁」の意味があります。

 「画・絵」の意味がありません。どういうことかと単語の「えい【影】」という言葉があり、

えい【影】〔名〕人の姿を描いたもの。肖像画。

とありました。肖像画にしたい、「えい」にしたい、「え」にしたい、ということになったらしい。

「え」という言葉は、ほかには「ああ」と感動したりため息をつくとき、「えっ」と驚くとき、と意外性があるときにも使います。

この「え」の意味に上記のように「縁」があります。「縁(えん)の(ん)が表記されない形」とのこと、

 夕露にひもとく花は玉ぼこのたよりに見えし縁(え)にこそありけれ

源氏物語の夕顔の言葉だそうです。「縁」とはあの縁です。縁があって出遭うことの縁です。

 意外性で「えっ」と驚いてしまうとともに、感動しました。

 やまと言葉の意味の広がり、そんなものを感じました。


(NHK教育「日めくり万葉集」から)

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道祖神のある風景 安曇野(2)・菜の花と彩色する道祖神

2011å¹´04月26æ—¥ | ãŠã²ã•ã¾

 「道祖神のある風景 安曇野(1)」と題して安曇野の道祖神のことを昨年(2010å¹´02月21æ—¥ )紹介し、NHKの連続テレビ小説”おひさま ”が始まってからは、印象的な道祖神のある風景に魅せられています。

 昨日のブログでは、有明山のある風景、これも印象的なシーンでしたが今朝は、また朝霧の風景ではありませんが、「菜の花畑と道祖神のある風景」を紹介し、置かれている双体道祖神について紹介したいと思います。休日は見学する人が多く風景の身を取ることは難しく平日の早朝ならばと思い立ち出かけたわけです。

 また前回紹介した時には、近くの菜の花畑の菜の花の丈が短く本咲ではありませんでした。菜の花畑と道祖神のある風景、そんなシーンが頭をよぎり、さっそく出勤時間を早め安曇野市塚原地籍の水車小屋と道祖神が残されている場所に立ち寄りました。

 菜の花畑の山麓沿いの山村風の景色、朝日に照らされてとてもきれいでした。遠くに土塀のある大庄屋山口家、江戸時代から続く景色が広がります。





 撮影現場の東南側、約1km離れたところにも菜の花畑があるのですが、そこは後2週間ほどたつと満開になり、毎年とっていますのでまた紹介したいと思います。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて道祖神についてです。今朝は視点を少し変えて民俗的な立場から話したいと思います。民族的ですから伝統的な文化ということになります。

 道祖神については、一般的に「村の境の神でその境を守り、悪い病(やまい)などが村井に入るのを防いだり、旅行く人を守る神をいう」と解説されています。境の神で、遮り防ぐことから、塞(ふさ)ぐ神で「さいのかみ(塞の神)」とも呼ばれます。

 ”おひさま ”に登場する道祖神は「双体(双立)道祖神」です。この道祖神は安曇野だけに見られるものではなく、神奈川県、静岡県にもあり雄山閣の『日本石仏辞典』には静岡県と神奈川県にある双体道祖神が紹介されていました。

 長野県安曇野地域には文学碑や像碑が約900基あり、その半数がこの双体道祖神です。専門書に全国的にも有数の多い地域と紹介されています。そういうこともあって市では、観光の一つの目玉としてこの双体道祖神の「道祖神マップ」を観光客用に作成しています。

 NHK連続テレビ小説”おひさま ”では主人公陽子の小学生の頃の思い出シーンでこの双体道祖神に色を付けをしているところが映されていました。


(NHK「おひさまの舞台を訪ねて」から)

 これは道祖神を祀る行事で、なぜ子供たちがそのようなことをしているのか、不思議に思う方もおられるかもしれません。

 その理由は、道祖神を祀った場所は村境にある辻などが多く、そこは子どもたちの遊び場所になっていました。ということは遊び場とする子供たちと親しい神で道祖神の行事には必ずある子供たちが参加するようになったというのが、民俗学者の見解です。

 また、道祖神に彩色する理由はどのようなことなのかということになりますが、この双体道祖神は男女の双体です。

 安曇野市の隣、松本市の市史民俗編に「道祖神像碑への女性の祈り」と題したとても分かりやすい解説がありました。

<引用松本市史第三巻 民俗編p528>

 縁結びの願いは、ムラの辻にまつってある道祖神像碑の祭りに、結婚適齢期の女性によっておこなわれたところがある。島立(しまだち・地籍名)の永田(小字名)の道祖神祭りには、二月の八日前後の休日に、ムラのこどもたちが道祖神像碑にあつまり、リヤカーにのぽりをたててはやしてムラを一巡し、そのあと道祖神像碑の色塗りをおこなう。

 こどもたちが色塗りをしたあとに、結婚適齢期のムラの女性が化粧道具をもちより、高さ一五〇cmくらいある双体道祖神像碑の顔に化粧をおこなった。ムラの女性が、双体道祖神像碑の顔を化粧することにより、縁談に恵まれて男性と結ばれることを願っていた。この双体道祖神像が祝言像にみたてられるように化粧して祈願するのは、結婚適齢期に人生の関門としての女性の縁談の祈りをかなえてくださるまじないである。

<以上>

 双体道祖神にはこのような理由があったわけです。次の写真は、信濃毎日新聞社の『石仏と道祖神』に掲載されている双体道祖神の安曇野編です。そのカラフルな様子がよく解ると思います。


(安曇野市穂高等々力地籍)


(安曇野市穂高本郷地籍)

 見学者が絶えない”おひさま ”の撮影現場の道祖神、菜の花畑に映(は)える双体道祖神、見に来た人たちがお賽銭を上げています。

 それぞれの思いで上げていると思いますが、日本人は必ずお賽銭を上げます。上記の理由を知っている人は少ないかもしれません。お賽銭を上げる人たちの思いは、多分それぞれ違うかも知れませんが、なぜかその気持ちはわかる気がします。では、

 その気持ちとは何か? わかるが言葉にはなりません。

 そんなことがあるか、と疑問に思う人があるならば、それは何かを忘れているのかもしれません。

 馬鹿でなかろうかと、お思いでしょうが仕方がありません。

 菜の花に映えるお地蔵さん。連続テレビ小説”おひさま ”の印象的なシーンとともに、気になって仕方がなく昨日の早朝、立ち寄ったわけです。

参考文献
 『日本石仏事典 庚申懇話会編』(雄山閣)
 『日本の民俗20 長野』(向山雅重著 第一法規)
 『石仏と道祖神』(信濃毎日新聞社)
 『松本市史第三巻 民俗編』(松本市)

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NHK連続テレビ小説”おひさま ”「有明山のある風景」続(1)

2011å¹´04月25æ—¥ | ãŠã²ã•ã¾

 松本、安曇野平の桜の満開が先週の木曜日あたり、土・日までもつかと思っていたところ、風と雨で今年は全くチャンスを逃してしまいました。北アルプスの山麓は今週の半ばごろ、桜の風景はどうも紹介できないようです。

 日曜日は雨こそ降りませんでしたが薄曇り、北アルプスには雲がかかっていました。

 桜がだめならせめて、”おひさま ”の有明山の風景の撮影場所の特定しようと、土曜日の「NHK連続テレビ小説”おひさま ”(17)・有明山のある風景」で推測した場所を探しに行ってきました。

 ã“の「有明山のある風景」、有明山を遠くにのぞむ村道、見出しの東京から来た時、


(NHK連続テレビ小説”おひさま ”から)

母が病院から子供たちの待つ家に帰る時、


(NHK連続テレビ小説”おひさま ”から)

そして友達と別れる時・・・・これからもきっと出てくる風景だと思います。


(NHK連続テレビ小説”おひさま ”から)

 やはり北アルプスの燕岳や有明山から流れてくる中房川(穂高川)の堰堤近くに大町市方面に広がる田園の農道でした。


 あいにく燕岳は雲に覆われ見えませんが確かにこの景色です。

 三週間ほど前に大きな土手火災が有った話を聞いてはいましたが、左側の堰堤の内側中房川河川敷であったことを知りました。写真を撮ろうと思いましたが、絵になりませんので中止しました。

 田植え前に他の土手草の草や木をするのが慣習化されていますが、今年は乾燥しているのか、飛び火がひどく、注意を促す消防車による広報をしながらよく走り回っていたのを思い出しました。

 安曇野は田植え時期が松本よりも早く、撮影場所の田は代かきの最中でした。代かきとは田に水を引き、土を掘り起こす作業のことです。

 番組では、稲刈り後のはぜ掛け、や霞で遠方の電柱等が見えないように工夫していることがわかりました。

 昭和の10年代頃の風景、撮影は大変なことがよく解りました。

 番組で時々菜の花畑が広がっている大町市の美麻付近の風景が出ますが、今年は鹿の被害で全滅とのこと、とても残念です。

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NHK教育”100分de名著『ツァラトゥストラ』4-(2)~表現ゲーム・文化~

2011å¹´04月24æ—¥ | å“²å­¦

 NHK教育100de名著の1冊目ニーチェの『ツァラトゥストラ』が終了し、来週の水曜日は4回目の再放送になります。

 この番組にはテキスト(550円)があり増す値段の割にはというと語弊がありますが、自分の不理解を理解するには番組とともに非常に参考になるものです。

 この最終回4回目については4-(1)で、

 一日一日を大切に生きる

ことについて書きましたが、今朝は少し視点を変えて書きたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ツァラトゥストラは、

 神は死んだ!

 ツァラトゥストラはキリスト教に基づいた価値観を崩壊していることを人々に知らせます。
 
 そしてこれまでの価値観に頼ることなく、創造的に生きることができる存在、「超人」を理想としたのです。

 超人になるための最大の関門、それは苦しみも含め同じ人生が何度でも巡ってくるという永遠回帰を受け入れることでした。

 ニーチェは、人間が生を肯定するにはどうすれば良いかを徹底的に考えぬいた人です。

 最終回では、講師の西研先生は、ニーチェの「悦びの方向に向かって行け、高め合って行けというメッセージがよい。」と語り、ゲストの精神科医の斎藤環先生は、ニーチェから「全部肯定出来た瞬間に自由になれる。本当の価値を学んでほしい。」と語っていました。

 このゲストの斎藤先生は、番組の前半の <それぞれの超人論>の中で、精神科医として現代の引きこもりの若者を看てきた経験から次のような話をされていました。

【斎藤環】
 普段若い患者さんに接して思うことは、ニヒリズム(「すべてのものは無価値である」という考え方)じゃないですけれども、否定の力を持ち続けている(を感じます)。

 若い世代の人たちの意識の中で肯定をする力が弱まってきている。すごく危惧しているところです。

 そういう時に自分を力強く肯定するところからはじめようという考え方はすごく意味があると思います。

 臨床をやっていて、何か人間関係の中でもいいですけれども、何かちょっとしたきっかけでも自分を肯定することができると、引きこもっていた人が動き出すということがよくあります。

 肯定観が最初にあると医学的にみても次の展開につながるという実例は一杯経験してきました。

 願望も含めて、”究極超人 ”になれ!
 
 (堀尾キャスター:ひここもりの人にそんなことを言ったらますます引きこもりになってしまうのではないか?)

 それもありで、しかし実は経験的に言うと引きこもって抜けられないのは、世間体を気にし、あるいは世間の物差しに縛られているから抜け出せない(と考えます)。

 社会的なモノサシ(基準)だけに依存しているので自分をどうしても肯定できない。

 自分を否定しながら毎日を過ごしているのでとても苦しい。

 逆に言うと、全てを肯定出来た時に自由になれる。パラドックスのようなもので、ツァラトゥストラが山から下りて来たように、肯定が完成したらこもっていられなくなる。

 そうすると多くの人たちと交わることもできてくるのです。

<以上>

ここで西先生から、斎藤先生へ

 自己を肯定すること「それでいいんだよ」と言ってくれる承認(者)が必要ではないか?

という質問がされました。それに対して斎藤先生は、

 ここではまずニーチェ的に「承認抜きで自分を肯定する」と言いたいところです。

と語り、引きこもりの若者に対してはまず承認者抜きでの自己の肯定ということを主張されていました。

 ここで語られているのは、引きこもりの事例からの精神分析から得られた考えです。

 少々自分は引きこもり傾向があると思う人にはとても参考になるのではないかと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「超人」について、西先生は次のことも話されていました。

【西研】
 「超人」というのは究極ポジティブな存在です。常にクリエーティブに生きていく。ルサンチマン(恨み、妬み、嫉妬の感情)には関係ないというと言う存在です。

 ニーチェは超人を目指せというのですが、悦びの方向に向かって行け、高め合って行けというメッセージはいいのですが、ニーチェの書き方は、独りで頑張れというところがある。

 独りで頑張って強くなれと、ストイックなのです。でも人が本当にクリエーティブになるときはどのようなときかを考えるとき、それはお互いが自分の感情を出してそれをちゃんと受け取ったことが判り、ちゃんと返ってくる。

 そういう信頼があるところで、クリエーティブというものはすごく出てくるものだと考えます。

 古い話でビートルズの話になりますが、ジョンレノンとポールマッカートニーが曲を作るときが最高だったと言っているのですが、お互いの間でどんどん響いて”コールアンドゥレスポンス”互いに刺激し合って高まっていくところに超人の具体的な形があるような気がします。

 だからお互いの感情をちゃんと交換し合うとか、そのようなつながりの中で超人を目指す、いうなればしなやかな超人像、そのようなイメージを持っていた方がいいような気がします。

<以上>

旨の超人論を語っていました。

 上記のお互いの人間関係についての話についての話ですテキストに細かなところが解説されています。

 悦びの方向に向かって行け、高め合って行けというメッセージ

の自己と他者という人間関係においてのニーチェ思想の考え方の利用についてです。

 テキストでは「『表現ゲーム』を取り入れる」と題して次のように書かれています。

 ニーチェの強者や超人のイメージは、

 生理学的・生物学的にイメージされているところがある。つまり、生まれつき気力、体力があり、ルサンチマンを持ちにくく、傷があってもすぐに治ってしまう健康な動物のように、精神的な傷もすぐに治ってしまう。そしてつまらないことにクヨクヨせず、余計なことはすぐに忘れてしまう「忘却の能力」をもっている。----そんな、いわば健康な生命体として強者がイメージされている。

 そしてさらにニーチェは、強者や超人は永遠回帰を受け入れることができる人であり、『力への意志』には、強者とは遺伝によって多くの力を受け継いだものであり、弱者は少ない力を受け継いだ人とも書かれていて、ニーチェ思想がナチスに利用されたのも「強者・弱者」を生理学的・遺伝学的にとらえる見方に原因がある。

旨が書かれています。
 (※ニーチェとナチスの関係がニーチェの解説本には必ず出てきますがポイントとして参考になる部分です。

 「ツァラトゥストラ」は、一人孤独に山に登り、ニーチェは「私は孤独を愛する」と語る一方で、山を下り末人に向かって語り、ニーチェ自身は友を求め著書を表します。

 そこにある語りとはどういうことなのか、また、「文化」というものの本質は、互いに高め合うことにあるともニーチェは考えていたようです。

 今朝の最後はこの点について、「『表現ゲーム』を取り入れる」から次の文章(西先生の主張)を引用します。

<引用>
 文化というと、「消費財」というイメージをもつ人が多いかもしれません。絵画や音楽にしても、映画や小説にしてもアニメにしても、それぞれは個々人が楽しむためのもの、という感覚です。でも、そのアニメが素晴らしくいいものであるとしたら、その「よさ」を語りたくなることもあるでしょう。

ではどういう言葉でいうとそれをうまくいえるか。かなり難しい場合もありますが、その「よさ」をうまくいえて人がそれを理解してくれるととてもうれしい。このように文化というものは単なる消費財ではなく、ほんらい、作品をめぐる語り合い(批評)を含み込んでいるものだとぼくは考えます。

 なぜ「この作品はすごい」のか、なぜ「この考えはいまひとつダメなのか」。こうやって互いに語り合われることを通じて、人生に対する態度や、他者に関わる態度、社会に対する姿勢など、自分がいままで無自覚につくってきた「よい・わるい」の感覚が、他者の感覚と照らし合わされ、検証されていく。そのプロセスを経て、「やっぱりこれはいい。これはよくない」という価値観の軸ができあがっていく。

こういうことが文化の本質でしょう。一言で言えば、自他の価値観を照らし合わせながら、ほんとうに納得のいく価値観をともにつくりあげていうとすることです。

 こうした語り合いのないところに、「創造性」や「高まること」はない、とぼくは考えるのです。そしてもちろん、生まれつきの体力でそんなものが決まるわけではない。創造性に必須なのは語り合いの関係であり、それをぼくは、あらためて「表現のゲーム」と呼びたいのです。ニーチェのいう創造性は「表現のゲーム」という仕方で受け継がれる、とぼくは確信しています。
 
 しかし私たちの生きている現在、語り合う場も語ろうとする姿勢も、きわめて縮小してきているように感じます。大学でゼミ(議論し合う授業)がなかなか成り立たないといわれたのは、もうかなり前のことになります。それだけではなく、さまざまな職場においても、忙しさのなかで語り合いを大事にしない。

 一人ひとりが個人主義化していくなかで、語り合うことの仕方も、その大切さも、忘れてしまっているようにも見えます。しかしこれは、とても(とても!)危険なことだと思います。なぜなら人は、語り合う関係のなかで自他の意見を確かめ合うことによってはじめて、物事の 「よし・あし」を確信できるからです。

<以上>

 この西先生の言葉は、サンデル教授の講義でもいえることで主眼はそこに求めるべきであると思います。

 互いの否定し合うことにあるのではない、他者に耳を傾ける姿勢が大事。

 私自身深く反省させられるところです。

 互いに協力し合い、助け合う姿に感動する。会話がなくとも暗黙の了解の内にある。

 それが文化にまで高められれば、これほど幸いなことはありません。

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NHK連続テレビ小説”おひさま ”(17)・有明山のある風景

2011å¹´04月23æ—¥ | ãŠã²ã•ã¾

 NHK連続テレビ小説”おひさま ”17回目に兄(氷山絢斗)の引くリヤカーに乗って自宅に帰る陽子(井上真央)のシーンが出てきました。


(NHK連続テレビ小説”おひさま ”(17)から)

昔お父さんのリヤカーでお母さんと一緒に東京から来た時の思い出が重なります。


(NHK連続テレビ小説”おひさま ”(17)から)

とても好きなシーンです。
 
 揺られて行くこの道は有明山に向かう思い出の道です。遠くに有明山が見える風景です。




(有明山は、常念岳と異なりどこから見ても同じ形に見えます)

 このシーンの場所は、合成かなと思っていたところ聞くところによると中房川の堤防の外側の農道のようです(見出し地図参照)。

 今朝はこの有明山について紹介したいと思います。
 
 江戸時代の(享保年間・1722年ころ)の書物で『信府統記日』があります。その中に、

<信府統記日から引用>

 有明山は安曇郡松川組中房といふ所の山なり是を戸放が嶽とも又鳥放嶽ともいふ委くは郡境記・に見ゆ安曇郡を古へ有明の里といひしも此山のふもと故とかや同名の所他郡にもあれども此山富国にかくれなき名所なりと所に言博へたり肯き歌として詠人しれざれども此山の事を「駿河なる富士を信濃にとりはなし煙にまがふ秋の夕霧」所に博ふる歌なれば雲にのす高き嶽ゆえ常に霧ふかく山のすがたもさだかに見分がたし、

又西行法師当国行脚の時此所にて

「信濃なる有明山を西に見て心細野の道を行くなり」

と詠めり細野といふ在所も同じく松川組にて程近し。

<以上>

ここに「戸放(とばなし)が嶽とも又鳥放嶽ともいふ」と書かれています。松川組とは現在の松川村のことで、安曇野市と中房川を境にします。

 「戸放が嶽」から連想するのが古事記に書かれた天照大神が「岩戸隠れ」の話です。

 弟ノスサノオの荒ぶる姿に怒った姉天照大神は洞窟(岩屋)に入って、岩の戸をしっかりと閉めてしまいます。すると世の中は真っ暗になってしまいました。困り果てた神々が相談し施策を練ります。

という話で、知恵の神である八意思兼命(やごころおもいがねのみこと)に知恵によって、昼夜長く鳴く鳴鳥(なきどり)を集め放し鳴かせます。

続いて伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に鏡を、玉祖命(たまのおやのみこと)には玉、天児屋根命(あまのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)の二人には榊(さかき)の木を用意させ鏡、玉および丹寸手(にぎて:楮(こうぞ)や麻の繊維で織った木綿)を榊の木に垂(し)して(取付下げる)布刀玉命 (ふとだまのみこと)には御幣(みてぐら:供物)を天児屋根命には祝詞(のりと)を奉らせます。

 そして有名なところですが、

 天宇受売命(あめのうずめのみこと)は日かずらを襷(たすき)にかけつるまきを髪のかずらとし、小竹(笹)の葉を手に持って、伏せた汗気(おけ)の上に立ちます。そしておけを踏みとどろかしながら胸乳をあらわにだし腰にまとう裳のひもおしさげ陰部まで出して踊り続けました。

 それを見た神々(八百萬の神々)はこれを見てどっとばかり笑ったので天照大神は自分より尊い神があらわれたかとあやしんで、岩戸をそっと開きます。すかさず天児屋根命と布刀玉命とは、鏡をさしだして大御神に示すと、女神はますますあやしみ、岩戸から一歩足をふみ出します。

 この時、待ってましたとばかり岩陰に待構えていた天手力雄命は大神の手をとりて引出し後布刀玉命がしめ縄を張りて岩屋にかえれないようにしました。こうして、高天原葦原中国(あしわらのなかつくに)まで、またおのずから照り明るくなった。
               
という話です。何が有明山とこの話がつながるかというと「戸放」、すなわち天手力雄命が力まかせにこの大きな岩、岩戸を「エイ」と放り投げたのです。その岩は、遠く信濃の国まで飛んできたのです。

 長野市の戸隠までという伝説、いや安曇野の戸放が嶽・戸放山(現有明山)がそれだという伝説、そして破片は美ヶ原の裾の松本市入山辺(いりやまべ)の扉温泉の崖であるという伝説として残っています。

 今でこそ県庁所在地の戸隠が有名ですが、安曇野は安曇族が住んでいたところで、古くは綿積見(わたつみ)続と呼ばれる海洋民族で、出雲族と同根であるという話があります。

 綿積見(ワタツミ)ということばはアイヌ語で「塩気のない湖」という意味があり、安曇野・松本平は古くは湖であったという地形的な証拠が重なり、神話の山とされています。

 ですから有明山がある安曇野の宮城にはこの山をご神体とする有明神社がありパワースポットがあることを紹介したことがあります。

安曇野のパワースポット[2010年05月30日]


また、安曇野には古代「八面大王」というものが住んでいて大和政権に従わず、征夷大将軍坂上田村麻呂に滅ぼされたという伝説があります。

 この田村麻呂の墓がこの有明神社の近くに魏石鬼岩窟としてあることも紹介しました。

魏石鬼岩窟[2009年09月07日]

そして、中房温泉郷の市営しゃくなげ荘の近くには平成になって作られた「八面大王の足湯」などがあります。

八面大王の足湯[2006年03月07日]

 坂上田村麻呂となると平安期の話ですが、安曇野には縄文遺跡から古墳時代の古墳が60基あまりあるなど古くから人々が住んでいました。

 私は土偶が好きですが、
 
 国宝「縄文のビーナス」[2010年03月15日]

 å®‰æ›‡é‡Žã‹ã‚‰ã‚‚多くの土偶が発掘されています。



ということで今朝は”おひさま ”から歴史の話になってしまいました。

 有明山は有明神社の御神体山で祭神は山頂中岳に手力雄命、八意思兼命、大己貴命(おおなむちのみこと:因幡の白うさぎで有名な神)、南岳には天照大神、天宇受売命(天鈿女命とも書く)、金毘羅大神が祀られています。

 神話に出てくる知恵の神の「八意思兼命」ですが天皇家が天照大神が先祖神ですが、八意思兼命を先祖神とするのは、日本神話を研究すると実は坂上田村麻呂の一族です。

 大和民族は、東征の歴史で全国を制覇して行きます。その際信濃の国へは岐阜県との境にある御坂峠(みさかとうげ)を通過しなければなりません。

 日本の峠路には必ず神をまつる神社があります。理由は峠越えの安全のためです。山には荒ぶる神がいてその鎮めの為に別の神の力を借りる。この峠に関しては阿智神社があり、ブログでも紹介しています。

御坂峠[2005年06月26日]

そこにも、

 東国征伐の坂上田村麻呂も天思兼命を祖とするから、この峠は、大和政権の密接な関係のある重要な峠である。

と書きました。天思兼命とは八意思兼命のことです。多分平安期に坂上田村麻呂が東国への旅の安全のため先祖神の力を借りたのだと思います。

 天津神と国津神の関係、出雲系の神は国津神です。天思兼命(八意思兼命)は、これも実はの話になりますが、渡来の神だと目されています。知恵の神、知恵とは大陸文化でもあります。

 有明山についての話から神話学になってしまいそうなので話はこれまでとします。

 有明山のある風景を”おひさま ”で見たときにはそんな歴史のある山だということを思い出してください。

 参考ですが、この有明山については、『有明山史』という信濃有明山開山天明講社代表の倉田兼雄さんが書かれた本があります。



また有明の安曇野族については

坂本博『信濃安曇族の謎を追う―どこから来て、どこへ消えたか』 2003年・坂本博『信濃安曇族の残骸を復元する―見えないものをどのようにして見るか』 2007年、近代文芸社 などがあります。

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