2025-07-12

創作の「不気味の谷

創作活動に取り組むとき、ふとした瞬間に立ち止まってしまうことがある。「このストーリー、ぶっ飛んだ設定すぎない?」と不安が立ちはだかる。でも、最近エンタメ世界を見渡してみると、そんな心配はもしかしたら無用なのかもしれない。突拍子もない設定や奇抜な物語が、意外にも多くの人の心を掴んでいるのだ。

たとえば、『ウマ娘 プリティーダービー』を思い浮かべてみよう。実在競走馬モデルにした美少女たちが、レース場で競い合い、友情努力物語を紡ぐ——初見では「え、競馬美少女?」と二度見してしまうような設定だ。現実競馬アニメ的なキャラ交錯するこの世界は、一見すると「どうやって受け入れられるんだ?」と思えるかもしれない。だが、実際はゲームが爆発的な人気を博し、アニメ熱狂的なファンを獲得。SNSではキャラクターごとのドラマレースの熱さに心を奪われた人々の声が溢れている。この成功の裏には、作り手が「これが面白い!」と信じて突き進んだ情熱があるはずだ。

もう一つの例として、『チンチンデビルを追え』を見てみよう。このタイトルだけでも、思わず「何それ!?」とツッコミを入れたくなるような奇抜さがある。普通ストーリーとは一線を画す設定だ。こうした作品が受け入れられる背景には、ユーザーが「新しい体験」や「予想外の展開」を求めている現実がある。奇妙で、笑ってしまうような設定でも、物語に心があれば、ファンはその世界に飛び込んでくれるのだ。

ユーザーは、意外性や斬新さに心を動かされる。たとえば、ホラーやダークファンタジーのジャンルでは、「不気味さ」そのもの物語の魅力になる。『東京喰種』や『チェンソーマン』のように、グロテスクで奇抜な世界観が多くのファンを惹きつけるのは、作り手が「これが描きたい!」という衝動を抑えずに表現たからだ。理屈常識を超えた「何か」を持っているからこそ、ユーザーの心をつかむ。

理屈で考えることももちろん大切だが、頭でっかちになりすぎると、せっかくのアイデアが「安全な枠」に収まってしまい、平凡な作品になってしまうかもしれない。中途半端リアリティを出すことにより、いわゆる「不気味の谷」のような違和感が出てしまったりする事もあるだろう。

不気味の谷」という言葉は、元々ロボットCGの分野で使われることが多い。人間そっくりに作られたものが、微妙に「何か違う」と感じられることで生じる違和感を指す。創作物語でも似たようなことが起こる。たとえば、中途半端リアルさをを求めすぎた結果、少しの違いで「こんな設定、現実には起こらない」と、ユーザー現実比較して創作世界から醒めてしまう。勿論リアルさが重要となってくる創作物もあるが、それが必須であって欲しくないと私は思う。リアルさよりも、創作者の突拍子もないユニーク世界観を見たいのだ。

ユーザーは、感情を揺さぶ物語や、見たことのない世界を求めている。だからこそ、「これ、ちょっと変だけど面白いかも」と感じたアイデアを信じて、まずは形にしてみることが大事だ。自分がワクワクする物語なら、その熱はきっと読者やプレイヤーに伝わる。

ただし、奇抜さや不気味さだけで勝負できるわけではない。『ウマ娘』の成功の裏には、実在競走馬ストーリーを丁寧に反映し、努力や絆といった普遍的テーマが織り込まれている。キャラクター一人ひとりの背景や成長が、ユーザー感情を揺さぶるのだ。

ユーザーは、もっと自由で大胆な物語を待っている。SNSレビューを見ると、ファンは「予想外の展開」や「独特の世界観」に熱狂していることがわかる。理屈や「売れるかどうか」を考えすぎるよりも、「これを伝えたい!」という情熱を信じて突き進むことが、時代を超えて愛される作品を生む鍵なのかもしれない。

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