2024-12-31

東日本大震災被災地に初めて行ってみました

※ もしこの文章を読んで不快な気分になる方がいれば、申し訳ありません。

※音声入力スマホメモした内容をChat GPTで直してもらった文章なので、読みづらかったらごめんなさい。

今回の年末年始休暇を利用し、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市福島県双葉町を訪れた。震災当時、私は日本を離れ海外滞在しており、テレビの画面越しにその映像を見ていたが、心が恐怖で拒絶しているのか、どこか現実感がなかった。

その後10年近く時間が経ち、ようやくYouTube津波映像を目にする事ができるようになったがやはり実感が湧かず、「一度自分の足で現地を訪れ、体感してみたい」という思いになった。

実際に現地を訪れてみると、写真を見て想像通りの部分と想像を超える部分があった。

岩手県陸前高田市

陸前高田では、津波で壊れた建物震災遺構として残されている一方、広大な更地が続く風景が広がっていた。津波によって街全体が流され、人々の生活のものが根こそぎ奪われた跡を目の当たりにし、普段は優しい海の圧倒的な暴力性に言葉を失った。Google Earth震災前の衛星写真で家が並んでる所を見た後、何もない広大な更地をみると無力感を強く感じた。正直建物が壊れた学校などの震災遺構を見るよりも何もない広大な更地の方が胸にくるものがあった。

福島県双葉町

福島県双葉町では、駅前レンタル自転車を借りて街を少し巡らせていただいた。

震災崩壊した民家が13年経った今でもそのまま残り、帰宅困難地域看板がいくつかあった。人がほぼ全くいない街の中で巡回する消防車カンカンという音が響いており、申し訳ないが正直少し怖さを感じた。

村上春樹小説に出てくる「猫の街」を思い出した。)

今回訪れて学んだこと

一つ目は津波が来たら迷わず逃げること。家族他人を助けたい気持ちがあっても、まず自分の命を守ることが最優先。高台に向かって一秒でも早く逃げることが必要。(津波てんでんこという言い伝えがあるらしい)

二つ目は、政府権力者を盲信しないことである震災原発事故が起きた時、政府権力者提供する支援は「焼け石に水レベルにもならないことが多い。双葉町光景を目にして、以前訪れた満蒙開拓団記念館で聞いたエピソードを思い出した。当時政府宣伝を信じて満州移住した人々は、「豊かな土地楽園のような生活が待っている」という言葉に期待を膨らませた。しかし、実際にはゼロから耕作を始め、他民族土地を奪って生活せざるを得ず、戦争に敗れた後も男性シベリア抑留され、女性は酷い目に遭った。

これは政府に限らず、企業経営者教育機関トップなどでもどの組織でも同じかもしれないが、「限られた情報の中でも偉い人の言葉鵜呑みにせず、自分五感をフルに使って違和感がないか確認する」とか、言葉通り「歴史に学ぶ事」が改めて大事だと思った。

実際にやるのは難しいかもしれないけど、自分自分の大切な人が痛い目に遭わないようにするためにも。。。

  • 政府同様 会社の言うことだって信じちゃいけないのにバカが多いことだ

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