近代化改造
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近代化改造を施工したスハフ42形 近代化改造を施工したスハフ44形の室内 1963年からは戦後製オハ35系とスハ43系を中心に更新修繕が行われるようになる。これ以降、更新修繕を受けた車両は近代化改造車と呼ばれるようになり、1966年度までに急行列車で使用する車両を対象に施工された。 改造内容としては二等車とスハ42形で行われていた更新修繕を基本的に踏襲したが、コスト削減のため、窓枠とデッキ扉はできるだけ在来品を使用し、座席は灰色8号で塗装され、蛍光灯化は台座を活用して環形の蛍光灯を取り付けた。 鋼体化改造車は対象外であったが、優等列車用として製作されたオハニ36形については、少数ながら近代化改造を受けた車両がある。 1964年(昭和39年)以降に施工した車両は区別のため青15号に塗装された。
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近代化改造
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「コンスタル105Na」の記事における「近代化改造」の解説
105NT - 制御装置をサイリスタ制御に交換。 105Nb・805Nb - 集電装置、扉を変更。 105Ne - 運転台と客席の間に壁を設置。 105Nf - ブレーキ装置と運転台を更新。 105Ng - 三扉化、ブレーキの近代化、静止型コンバータの装備。 105Nm - ブレーキ装置と運転台を更新、静止型コンバータの装備。 105Np - 静止型コンバータの装備。 105NT - 制御装置をサイリスタ制御に交換。 105Nz - 制御装置をサイリスタ制御に、モーターを非同期モーターに交換。 105N1K・105N1K2 - 三扉化、ブレーキの近代化、制御装置をサイリスタ制御に交換。 105N-2K・805NaND - 前面更新、2両固定編成化 プロトラム405N - 中間に低床車体を組み込み5車体連接車化。 モデルスアルファ - 車体、機器を更新。改造時期・内容によって複数の形式が存在する。 105Ng/S 105NT 805NaND プロトラム405N モデルスアルファ(HF 01) モデルスアルファ(HF 05)
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近代化改造
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「ソ連運輸省VL80形電気機関車」の記事における「近代化改造」の解説
シリコン整流器を用いたVL80T形やVL80S形の一部は新型機関車である2ES5K形(ロシア語版)に基づきサイリスタを用いた制御方式に改造されており、これらの車両にはVT80TK形、VL80SK形という形式名が与えられている。また、一部車両についてはサイリスタ制御への変更に加え電動機を混合励磁式交流電動機としたVL80SSV形への改造が実施されている。 VL80TK-1338 VL80TK-1331前面の形状変更が実施されている VL80SSB-2111
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近代化改造
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1960年以降、クモハ73形・モハ72形の一部は全金属化改造が施された。 1962年以降に施工されたものは、台枠・車体骨組のみを残して全解体、台枠上面には鋼板を張って補強し、内外装とも全金属製に改造。側窓は2段式のアルミサッシとなり、窓上下の補強帯もなくなった。さらにクモハ73形は高運転台構造となり、運転台正面中央窓が下に長くなっているなど、ほとんど新製に近い更新であった。第一次改造では行先表示器が装備されていなかったが、第二次改造では運転席窓上に装備された。これによって接客設備だけは当時最新鋭の101系電車並になったが、台車などは従来のものをそのまま使用したため、乗り心地などの面では新製全金属車の920番台に比べて見劣りは隠せなかった(#新製車との差も参照)。これら元63系の改造車は、全金属車体化による延命で最終的に30年 - 40年も使用されたものもあった。 これらの近代化改造車は、施工された工場や時期によって細部の仕様が異なっており、クモハ73形の前面形状(行先表示器の有無、運行番号表示窓の形状、パンタグラフ母線および空気配管の露出・隠蔽、通風器の形状)、両形式の側面窓サッシ隅部の処理(角型・丸型)などバリエーションが多かった。また、73359のように窓上下の補強帯を残したものや、72018のようにパンタグラフの位置と戸袋窓の方向が符合しない 異端車もあった。 この改造の対象となった車両と施工工場は、次のとおりである。 モハ72形(44両)大井工場(9両) : 72028, 72059, 72084, 72086, 72092, 72099, 72101, 72102, 72131 大船工場(2両) : 72111, 72143 浜松工場(25両) : 72001, 72008, 72011, 72014, 72030, 72035, 72041, 72042, 72050, 72057, 72062, 72063, 72066, 72078, 72079, 72085, 72088, 72106, 72126, 72138, 72147, 72157, 72165, 72181, 72289 吹田工場(5両) : 72017, 72018, 72021, 72082, 72110 幡生工場(3両) : 72004, 72227, 72249 クモハ73形(44両)大井工場(5両) : 73079, 73109, 73137, 73207, 73259 大船工場(7両) : 73039, 73068, 73095, 73117, 73150, 73175, 73195 浜松工場(11両) : 73009, 73023, 73031, 73045, 73047, 73087, 73106, 73121, 73125, 73183, 73293 吹田工場(10両) : 73024, 73028, 73030, 73035, 73037, 73043, 73049, 73088, 73170, 73359 鷹取工場(6両) : 73008, 73017, 73020, 73029, 73103, 73114 幡生工場(5両) : 73013, 73021, 73027, 73033, 73277 上記の他に、1962年に発生した三河島事故の被災車2両 (72549, 72635) が、復旧の際に近代化改造を施工されている。これらは、新製72系に属するもので、例外的なものである。そのうち72549は電装解除され、サハ78形 (78500) に編入された。 また、1年前の1959年に形式称号改正が実施され、モハ73形はクモハ73形に形式変更された。 クモハ73259(1984年、海田市駅)
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近代化改造
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「ポーランド国鉄EN57形電車」の記事における「近代化改造」の解説
本来の制御方式は抵抗制御であるが、チョッパ制御 (EN57KM) に改造したものも存在する。2006年からは欧州連合の資金協力により車両の近代化更新が始まり、第2001編成以降に改番された。リクライニングシートや、客室への防犯用ビデオカメラが設けられたほか、移動制約者用に、便所への警報や、一部ドアへの車椅子リフトも設置された。2008年には主電動機が1基250kWの誘導電動機に換装されたもの (EN57AKM) も登場した。
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近代化改造
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「国鉄ワフ25000形貨車」の記事における「近代化改造」の解説
ワフ25000形は太平洋戦争後もそのまま使用されたが、車掌室設備の適正化を図ったワフ29500形が1955年(昭和30年)に登場するにおよび、本形式の執務環境の悪さが問題視されるようになった。そこで、1960年(昭和35年)から1965年(昭和40年)にかけ、844両に対し国鉄工場でワフ29500形に準じた設備への改善工事を実施した。これにより、車掌室が拡大されてストーブが設置され、出入台も設けられた。そのため、貨物室の荷重は5トンに減少した。同時に走り装置も二段リンク式に改造して、最高運転速度は75km/hに向上した。この改造により、形式はワフ35000形に改められた。新車号は原番に10000を加えたものとされ、ワフ35000 - 35909となったが、下記の改造車や戦災廃車を含めて66両分の欠番が生じている。貨物室の長さは3,255mm、床面積は6.8m2、容積は15.0m3、自重は10.0tとなった。1967年(昭和42年)以降、電灯設備が整備され、床下に蓄電池箱と車軸発電機が取り付けられた。 この改造に漏れたワフ25000形については、原則廃車となったが、1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正以降は1両が書類上残存し、1983年(昭和58年)まで在籍した。ワフ35000形は、他の有蓋緩急車とともに全国で使用されたが、1985年(昭和60年)3月14日のダイヤ改正で実施された車掌車の連結廃止によって用途を失い、1986年(昭和61年)までに全車廃車となった。
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