美濃守とは? わかりやすく解説

美濃国

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/15 02:02 UTC 版)

美濃国

-美濃国
-東山道
別称 濃州(じょうしゅう、のうしゅう)[注 1]、美州[注 2]
所属 東山道
相当領域 岐阜県南部、愛知県のごく一部
諸元
国力 上国
距離 近国
18郡131郷
国内主要施設
美濃国府 岐阜県不破郡垂井町美濃国府跡
美濃国分寺 岐阜県大垣市美濃国分寺跡
美濃国分尼寺 (推定)岐阜県不破郡垂井町
一宮 南宮大社(岐阜県不破郡垂井町)
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美濃国(みののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。

「美濃」の名称

美濃国を指す木簡は多く見つかっているが、石神遺跡・飛鳥池遺跡・藤原宮跡など7世紀の木簡はみな「三野国」と記す。青野(現・大垣市青野)、大野(現・揖斐郡大野町)、各務野(現・各務原市)という3つの「野」に由来するという説がある。

そして8世紀初頭の大宝2年戸籍(702年)や同3年(703年)の藤原宮跡木簡に「御野国」という表記が出てくる[1]。そして『古事記』には三野と美濃国の両様の表記がある。美濃の表記は8世紀にやや遅れて登場したようである。

別に、平城宮から出土した木簡には「美野国」と表記されたものもある。藤原忠通書状案(天理図書館所蔵文書)には「御庄々、武義(美乃国)、山上(美乃国)、吉田(美乃国)、保元々年七月」と記載されている。『新抄格勅符抄』(神事諸家封戸大同元年牒)にも、「美乃国」とある。

 柳田国男は著書『地名考』で、美濃、耳納、三納など、ミノと読む地名を挙げ、これらは一方が山地で、わずかな高低のあることを意味した地名であるとし、島根県美濃郡、岡山県の美濃県(みぬのあがた)などを例示した。当国本巣郡に美濃郷があり、この本巣郡は根尾川両岸を占める山地丘陵地帯で、美濃国造の本拠とされている。[2]

沿革

美濃国は『先代旧事本紀』によれば、もともと三野前国三野後国額田国の三国、『古事記』によれば、この二国に本巣国牟義都国を加えた五ヵ国であったとされる。それぞれの国には国造が設置され、また美濃県、鴨県、刀支県の三県に県主が設置された。後にこれらの国々と県を統合した結果、美濃国が7世紀に成立した。成立時の範囲は、現在の岐阜県の南部地域(美濃地方)と長野県の南西部地域の一部の木曽郡木蘇国)にほぼ相当した。南隣の尾張国との境は木曽川であったが、当時の流路は現在より北で、現在の境川下流を通っていた。

霊亀元年(715年7月、席田君邇近(むしろだのきみにこん)と新羅人74家のひとびとを美濃の国に移住させて、席田郡がつくられた(『続日本紀』)。岐阜県本巣市の舂稲神社には、当地が邇近の墓であるという伝承が残っている[3]大宝2年(702年)の美濃国加茂郡半布(はにゅう)里(現在の富加町羽生)戸籍に古い渡来系氏族である秦人・秦人部の姓をもつ人々が多くみられる(『日本書紀』斉明天皇6年10月条)。[4]

領域

明治維新直前の領域は、現在の岐阜県から下記を除き、愛知県一宮市の一部(東加賀野井の一部[注 3])と稲沢市の一部(祖父江町拾町野・祖父江町馬飼および祖父江町祖父江の一部[注 4])、豊田市の一部(須渕町・浅谷町・三分山町・下切町・下中町・島崎町・上中町・上切町・一色町)を加えた区域に相当する。

飛騨国に属する範囲
信濃国に属する範囲
越前国に属する範囲
伊勢国に属する範囲
尾張国に属する範囲
  • 海津市の一部(海津町駒ケ江の一部[注 6]

木曽も含んでいた古代から近世

702年(大宝2年)に「始めて美濃国の岐蘇山道を開く」と続日本紀に記されているのが岐蘇(木曽)の史料上の初見であるが、このとき木曽路を開通させたのは美濃国の役人たちであったため、木曾谷は美濃国に含まれた。はじめ美濃国恵奈郡絵上郷に属していたが、信濃国と所属がしばしば争われた。9世紀後半の、貞観年中の859年876年に天皇の勅命により、朝廷より藤原正範と靭負直継雄が派遣され、両国の国司と現地に臨んだ。この時の正範らの報告によると、「もともと吉蘇、小吉蘇の両村(木曾谷の村落)は美濃国恵奈郡絵上郷の地域にあり、和銅6年(713年)に美濃守笠麻呂らが、ここに吉蘇路を開通させた(三代実録)。ここは美濃の国府(不破郡垂井町府中)から10日余りもかかる距離にあり、信濃国府(松本市)のすぐ近くではあるが、もし信濃国ならば、美濃国司がこのような遠いところで工事をする理由がない。その理由で美濃と信濃の両国の国司立ち会いの上で国境を「懸坂上岑」(木祖村と旧奈川村との境界で木曽川の水源から北にある境峠)と定め、吉蘇・小吉蘇両村を恵奈郡絵上郷の地と裁断。それでこの報告にしたがって、木曾谷を美濃国と決めた。」という。当時は、境峠を越えて飛騨から来た道と合流し信濃国府へ向かったのである[5]。しかし平安時代末期になると、源義仲が信濃国木曾の住人とされたように「木曾谷は信濃」という認識が生まれた。平安時代中期の拾遺和歌集には、源頼光の『なかなかに いいもはなたで信濃なる木曽路の橋のかけたるやなぞ』という和歌がある。

  • 信濃地名考という文献には、木曾が信濃国に移管されたのは、平安時代の延喜年間(901年 - 923年)と記されている。
  • 美濃国恵奈郡であった木曾全域が信濃国に移った時期について、信州大学人文学部の山本英二教授が長野県木曽郡大桑村定勝寺の古文書の回向文の中から年代が分かる5点で、延徳3年(1491年)には、美濃州恵奈郡木曽庄とあるが、永正12年(1515年)には、信濃州木曽荘と書かれているので木曾が美濃国恵奈郡から信濃国へ移ったのは1491年から1515年の間と結論付けた。
  • 木曾古道記には木曽川より東側にある定勝寺の天文18年(1549年)作の鐘銘には信州木曾庄と書かれてあるのに対し、木曽川より西側にある興禅寺にある承応2年(1653年)作の鐘銘には美濃国恵那郡木曾庄となっていることを述べた上で、天正以来の記録に木曽川より東を信濃国筑摩郡、木曽川より西を美濃国恵那郡と分けていたが、享保9年(1724年)に木曽川の東も西も信濃国筑摩郡木曾と定められたと記されている。

尾張国から美濃国へ移された地域

天正14年(1586年)に木曽川が氾濫して流路をほぼ現在のものに変えたことをうけて、変更された木曽川の北岸と中洲を尾張国から美濃国に移した。現在の地図にあてはめると、北岸は岐阜県のうち境川と木曽川にはさまれた一帯、中洲は各務原市川島にあたる。 該当するのは、岐阜市(旧柳津町の一部等)、各務原市(旧稲羽町の一部、旧川島町)と、羽島郡のほぼ全域(岐南町笠松町)、羽島市のほぼ全域、海津市(旧海津町、旧平田町の大部分)である。

三河国から美濃国へ、岐阜県から愛知県へ移った地域

現在の愛知県豊田市の上切町・上中町・下中町・下切町・島崎町・一色町は、元は三河国加茂郡足助庄仁木郷であったが、室町時代にこの地域を支配する領主が、隣接する美濃国恵那郡南部の領主であった明知遠山氏へ娘を嫁がせる際に美濃国恵那郡に化粧料として割き与えたと伝えられている。しかし1955年昭和30年)4月1日にこの地域に存在した岐阜県恵那郡三濃村が岐阜県と愛知県に分裂し、愛知県東加茂郡旭村越県編入された。

国内の施設

国府

美濃国府
国府不破郡(現:垂井町府中)にあった。様々な遺構や遺物が発掘され「美濃国府跡」として国の史跡となっている。

国分寺・国分尼寺

美濃国分寺
上記の国府に近い青野ヶ原(現:大垣市)に建立された。現在の美濃国分寺は江戸時代初期の再興。
美濃国分尼寺
国分寺の南西約1km(現:垂井町平尾)に建立されたとされており、平成16年から発掘調査が行われ尼寺建物の基壇の一部が見つかっている。

神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、以下に示す大社1座1社・小社38座37社の計39座38社が記載されている(美濃国の式内社一覧参照)。大社1社は名神大社である。
総社一宮以下

関所

地域

  • 多藝郡-富上郷、物部郷、垂穂郷、立野郷、有田郷、田後郷、佐伯郷、建部郷
  • 石津郡-桜樹郷、山埼郷、大庭郷、建部郷
  • 不破郡-三桑郷、野上郷、高家郷、藍川郷、新居郷、袁佐郷、栗原郷、荒埼郷、眞野郷、山本郷、有寶郷、文部郷、駅家郷
  • 安八郡-那珂郷、太田郷、物部郷、安八郷、服織郷、長友郷
  • 池田郡-額田郷、壬生郷、小島郷、伊福郷、春日郷、池田郷
  • 大野郡-大神郷、明見郷、三桑郷、上秋郷、下秋郷、郡家郷、志麻郷、太田郷、石太郷、栗田郷、七埼郷、駅家郷
  • 本巣郡-鹿立郷、遠市郷、安堵郷、美濃郷、穂積郷、物部郷、船木郷、栗田郷
  • 席田郡-美和郷、磯部郷、那珂郷、名太郷
  • 方県郡-村部郷、大唐郷、鵜飼郷、方縣郷、思淡郷、駅家郷
  • 厚見郡-市俣郷、川邊郷、厚見郷、郡家郷、三家郷、皆太郷
  • 各務郡-村国郷、各務郷、那加郷、芥見郷、三井郷、大榛郷、駅家郷
  • 山県郡-出石郷、大神郷、片野郷、三田郷、大桑郷、餘部郷
  • 武藝郡-御佩郷、跡部郷、生櫛郷、有知郷、白金郷、大山郷、稲杇郷、菅田郷、揖可郷
  • 郡上郡-郡上郷、安郡郷、和良郷、栗栖郷
  • 加茂郡-埴生郷、生部郷、井門郷、小山郷、曰理郷、神田郷、中家郷、川邊郷、志麻郷、駅家郷
  • 可児郡-可兒郷、郡家郷、曰理郷、大井郷、矢集郷、池田郷、駅家郷
  • 土岐郡-日吉郷、楢原郷、異味郷、土岐郷、餘部郷、駅家郷
  • 恵奈郡-淡気郷、安岐郷、竹折郷、坂本郷、絵下郷、絵上郷

以下三郡は、安土桃山時代尾張国より移管された。

江戸時代の藩

美濃国の藩の一覧
藩名 居城 藩主
大垣藩 大垣城
大垣新田藩
大垣藩支藩
畑村陣屋
  • 戸田家:1万石、1688年 - 1871年(廃藩置県)
郡上藩 郡上八幡城
  • 遠藤家:2万7千石→2万4千石、1600年 - 1692年(無嗣、常陸・下野両国内1万石に移封)
  • 井上家:5万石、1692年 - 1697年(丹波亀山藩4万7千石に移封)
  • 金森家:3万8千石、1697年 - 1758年(郡上一揆等のため改易)
  • 青山家:4万8千石、1758年 - 1871年(廃藩置県)
加納藩 加納城
岩村藩 岩村城
  • 大給松平家:2万石、1601年 - 1638年(遠州浜松藩3万5千石に移封)
  • 丹羽家:2万石、1638年 - 1702年(越後高柳藩1万石に移封)
  • 大給松平家:2万石→3万石、1702年 - 1871年(廃藩置県)
苗木藩 苗木城
  • 遠山家:1万石、1600年 - 1871年(廃藩置県)
高富藩 高富陣屋
  • 本庄家:1万石、1709年 - 1871年(廃藩置県)
今尾藩 今尾城
今尾陣屋
  • 市橋長勝:2万石、1600年 - 1610年(伯耆矢橋藩2万3千石に移封)
  • 竹腰家(尾張藩附家老):1万石→2万石→3万石→2万石、1611年 - 1871年(廃藩置県)
高須藩 高須城
高須陣屋
  • 徳永家:5万石、1600年 - 1628年(不始末改易)
  • 小笠原貞信:2万2千石 1640年 - 1691年(越前勝山藩2万2千石に転封)
  • 尾張松平家(尾張藩支藩):3万石、1700年 - 1870年(本藩に吸収)
黒野藩 黒野城
揖斐藩 揖斐城
  • 西尾家:3万石→2万5千石、1600年 - 1623年(無嗣断絶)
金山藩
上有知藩 小倉山城
  • 金森家:1万8千石→2万石、1600年 - 1611年(無嗣断絶)
十七条藩 十七条城
青野藩 青野陣屋
関藩 関陣屋
  • 大島光義:1万8千石、1600年 - 1604年(没後子孫に領地を分配し、それぞれ旗本に)
清水藩 清水城
  • 稲葉通重:1万2千石、1600年 - 1607年(素行不良のため改易)
岩滝藩 岩滝陣屋
  • 本庄道章:1万石、1705年 - 1709年(高富藩に移転)
徳野藩 徳野陣屋
  • 平岡家:1万石、1604年 - 1653年(家督争いを咎められ改易)
野村藩
  • 織田家:1万石、1600年 - 1631年(無嗣断絶)
美濃長谷川藩
  • 長谷川守知:1万石、1617年 - 1635年頃(分知のため旗本に)
美濃脇坂藩
  • 脇坂安信:1万石、1615年 - 1632年(不始末改易)

幕末の領主

  • 旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り(1,561村・654,872石余)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。
    • 厚見郡(57村・41,543石余) - 幕府領美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領加納藩尾張名古屋藩陸奥磐城平藩
    • 各務郡(41村・20,532石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩、高富藩
    • 羽栗郡(63村・21,375石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩、陸奥磐城平藩
    • 中島郡(32村・14,565石余) - 幕府領(美濃郡代・名古屋藩給人毛利源内預地)、旗本領、尾張名古屋藩、尾張犬山藩
    • 海西郡(25村・11,750石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、高須藩
    • 石津郡(77村・26,373石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領、高須藩、大垣藩、尾張名古屋藩、今尾藩
    • 多芸郡(61村・34,408石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、大垣藩、今尾藩、尾張名古屋藩、尾張犬山藩、高須藩
    • 不破郡(45村・37,212石余) - 幕府領(大垣藩預地)、旗本領、大垣藩、尾張名古屋藩
    • 安八郡(152村・81,850石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領、大垣藩、尾張名古屋藩、今尾藩、尾張犬山藩、岩村藩
    • 池田郡(67村・18,973石余) - 幕府領(大垣藩預地)、旗本領、大垣藩、尾張名古屋藩、備中岡田藩
    • 大野郡(122村・50,037石余) - 幕府領(大垣藩預地)、旗本領、大垣藩、野村藩、尾張名古屋藩、岩村藩
    • 本巣郡(71村・35,899石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領、大垣藩、陸奥磐城平藩、尾張名古屋藩
    • 席田郡(9村・5,726石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領
    • 方県郡(54村・33,795石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領、陸奥磐城平藩、高富藩、尾張名古屋藩、大垣藩
    • 山県郡(50村・26,330石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、岩村藩、尾張名古屋藩、高富藩
    • 武儀郡(135村・33,827石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩、岩村藩、今尾藩
    • 郡上郡(164村・30,274石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、郡上藩
    • 加茂郡(116村・42,818石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩、苗木藩、今尾藩
    • 可児郡(95村・32,444石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩
    • 土岐郡(44村・19,895石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩、岩村藩
    • 恵那郡(81村・35,233石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、岩村藩苗木藩、尾張名古屋藩

人物

国司

美濃守

美濃介

守護

鎌倉幕府

室町幕府

戦国時代

戦国大名

織豊政権の大名

武家官位としての美濃守

江戸時代以前

江戸時代

美濃国の合戦

脚注

注釈

  1. ^ 「のうしゅう」と読むのは江戸時代後期以降(「」の漢音は「じょう」で、「のう」と読むのは慣用音とされる)。ジョアン・ロドリゲス『日本語小文典』では"Giôxû"(ヂョーシュー)と綴られ、城州上州常州の"Iôxû"(ジョーシュー)とは発音が区別されている。
  2. ^ 美作国と区別するためそれぞれ二文字目を採って「濃州」「作州」とするが、美濃国の場合は「美州」と呼ばれることもあった。現在も越美山地越美南線など、越前国と組み合わせる呼称で「美」が採られているものもある。
  3. ^ 1887年明治20年)に尾張国に移管。
  4. ^ いずれも1887年(明治20年)に尾張国に移管。
  5. ^ いずれも1883年(明治16年)に美濃国に編入。
  6. ^ 1887年(明治20年)に美濃国に編入。

出典

  1. ^ 舘野和己「『古事記』と木簡に見える国名表記の対比」、『古代学』4号、2012年、20頁。
  2. ^ 角川地名大辞典 21 岐阜県. 角川書店. (1980-09-20日) 
  3. ^ 「船来山古墳群保存活用基本構想 概要版[1]
  4. ^ 筧敏生「古代国家の形成と美濃・飛騨」 松田之利・谷口和人・筧敏生・所史隆・上村恵宏・黒田隆志『岐阜の歴史』山川出版社 2000年 52-53ページ
  5. ^ 恵那郡史、1926年。すなわち古代には木曾は美濃国恵奈郡に属していたのである。そして元慶3年(879年)9月に懸坂上岑と鳥居峠を境界とし、岐蘇・小岐蘇の所属は美濃国恵奈郡絵上郷と定められた。
  6. ^ 宝賀寿男『古代氏族系譜集成 中巻』

関連項目


美濃守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 15:37 UTC 版)

美濃国」の記事における「美濃守」の解説

笠麻呂慶雲3年706年7月から養老4年720年10月まで14年間にわたって美濃守を務め美濃信濃をつなぐ「岐山道」(きそのやまみち)(「吉路」)を開削した。 大伴兄麻呂745年 藤原執棹従五位下):天平宝字8年764年任官 藤原楓麻呂従四位下):天平宝字8年764年任官 百済教俊(従五位下):延暦25年806年任官 藤原綱継従五位上):大同2年807年任官 藤原縵麻呂従四位下):大同3年808年任官 佐伯社屋従五位下):大同3年808年任官 藤原今河従四位下):大同3年808年任官 藤原縵麻呂従四位下):大同3年808年任官 紀広浜従四位下):大同3年808年任官 藤原緒嗣従四位下):大同5年810年任官 小野岑守従五位下):弘仁3年812年任官安倍易笠(従四位下):弘仁9年818年任官権守春原五百枝従三位):天長3年826年任官 源弘従四位下):承和5年838年任官 笠広庭従四位下):承和7年840年任官 紀諸綱(従五位上):承和8年841年任官 紀名虎従四位上):承和9年842年任官 藤原経永(従五位下):承和13年846年任官 藤原宮房従五位上):承和15年848年任官成王従四位下):嘉祥2年849年任官 田口房富従五位上):嘉祥2年849年任官 紀今守従五位上):仁寿3年853年任官 藤原直道従五位下):斉衡3年856年任官 笠数道従五位下):天安元年857年任官 良岑清風正五位下):貞観2年860年任官 坂上貞守従五位上):貞観2年860年任官 滋野善根従五位下):貞観4年862年任官滋野安成従五位上):貞観7年865年任官権守) 源穎(従五位上):貞観8年866年任官 大江音人従四位下):貞観10年868年任官滋野安城従五位上):貞観10年868年任官権守藤原冬緒従四位上):貞観10年868年任官権守源能有従四位上):貞観12年870年任官権守文室巻雄従五位上):貞観14年872年任官藤原良近従五位下):貞観16年874年任官権守源覚従四位上):貞観18年876年任官橘広相従五位上):貞観18年876年任官権守在原業平従四位上):元慶4年880年任官権守忠貞王正四位下):元慶5年881年任官権守源直正四位上):元慶6年882年任官 源貞恒従四位上):元慶9年885年任官藤原諸公従四位下):仁和3年887年任官権守藤原諸葛従四位下):仁和3年887年任官権守源雄従三位):仁和5年889年任官源昇正五位下):寛平4年892年任官権守在原友子従四位上):寛平9年897年任官権守源湛従四位上):昌泰2年899年任官権守源是恒延喜5年905年任官 源是茂従四位上):延喜10年910年任官源悦従四位下):延喜13年913年任官権守源正明従四位下):延喜14年914年任官 源悦従四位下):延喜14年914年任官源等従五位上):延喜17年917年任官権守橘良殖従四位上):延喜17年917年任官権守平中興従五位上):延喜22年922年任官権守藤原玄上従三位):承平2年932年任官 藤原伊衡正四位下):承平4年934年任官平随時従五位上):承平4年934年任官権守藤原師氏従四位下):天慶3年940年任官藤原元名従四位下):天慶5年942年任官権守大江維時正四位下):天慶10年947年任官藤原興方天暦4年950年任官権守) 伴彦真:天暦6年952年任官源重信従四位上):天暦6年952年任官権守大江朝綱従四位上):天徳9年955年任官権守藤原斉敏従四位下):天徳2年958年任官権守平真材:天徳4年960年任官藤原兼通従四位下):応和3年963年任官権守藤原兼家従四位下):康保4年967年任官権守藤原時柄:康保5年968年任官大江斉光従五位上):安和2年969年任官権守橘恒平従五位上):天禄3年972年任官藤原元輔従五位上):天禄4年973年任官権守藤原為輔正五位下):天元3年980年任官権守藤原実資従四位上):永観2年984年任官権守) 源遠資:永延元年987年在任源時中正三位):永延2年988年任官権守藤原道信正四位下):正暦3年992年任官権守藤原忠信正四位上):正暦4年993年離任 藤原共政:正暦4年993年任官藤原誠信正四位下):正暦5年994年任官権守源為憲長徳3年997年任官 源頼光長保3年1001年任官 源国擧:寛弘5年1008年任官藤原実成従三位):寛弘6年1009年任官権守源済政寛弘8年1011年在任 源頼光長和4年1015年任官 藤原泰通長和5年1016年任官藤原師成従五位下):寛仁5年1021年任官 藤原頼任治安元年1021年任官 藤原頼明従四位下):万寿2年1025年任官 藤原庶政従四位下):万寿4年1027年任官 源頼信従四位下):長元5年1032年任官藤原顕家従五位下):長元8年1035年任官権守橘義通長元9年1036年任官 藤原国成:長暦4年1040年任官藤原良基従五位上):長久2年1041年任官権守藤原基貞寛徳3年1046年任官 高階業敏永承7年1052年在任 藤原定房天喜5年1057年在任 源実基康平4年1061年在任 藤原隆経正四位下):延久3年1071年在任

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