東京湾とは? わかりやすく解説

とうきょう‐わん〔トウキヤウ‐〕【東京湾】

読み方:とうきょうわん

関東地方南部房総半島三浦半島囲まれる海域浦賀水道太平洋につながる。湾岸には東京・横浜千葉などの大都市貿易港が並ぶ。埋め立て進み臨海工業地帯形成


東京湾

分野
地方気象情報などに用い地名全般用との共用部分は除く)に関する用語
意味:
トウキョウワン

東京湾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/22 04:45 UTC 版)

東京湾
東京湾の衛星画像(2002年)
人工衛星NASA Earth Observatory」による
東京湾
東京湾
座標 北緯35度25分 東経139度47分 / 北緯35.417度 東経139.783度 / 35.417; 139.783座標: 北緯35度25分 東経139度47分 / 北緯35.417度 東経139.783度 / 35.417; 139.783
上位水域 太平洋
日本
テンプレートを表示

東京湾(とうきょうわん)は、日本関東地方南部に広がる海域で、首都圏臨海部、房総半島三浦半島に囲まれ[1]、南の浦賀水道太平洋につながっているである。

概説

ピンクが狭義の東京湾で、「内湾」と呼ばれる。水色の範囲(浦賀水道)は「外湾」と呼ばれ、これを加えたものが広義の東京湾。

狭義と広義

現代行政上、広義では、千葉県館山市洲埼灯台から神奈川県三浦市剣埼灯台まで引いた線および陸岸によって囲まれた海域を指す[2][3]

「東京湾」は狭義には三浦半島の観音崎と房総半島の富津岬を結んだ線の北側(左図のピンクの範囲)、広義には三浦半島の剱崎と房総半島の洲崎を結んだ線より北側、すなわち浦賀水道(左図の水色の範囲)を含んだ海域を指す。ピンクの範囲、狭義の東京湾を「内湾」と呼び、水色の範囲すわわち浦賀水道を「外湾」と呼ぶことがある[4][5][6]

狭義の東京湾を、気象庁津波予報区でも「東京湾内湾」と呼ぶ[7][2]

狭義の東京湾の面積は922 km2。広義の面積は、1,320 km2である。

内湾は平均水深が約15 m[8]と水深が浅いが、外湾には急激に深くなる海底谷がある。

広義の東京湾の容積は約62.1 km3で、湾中央の狭くなった部分、すなわち横須賀市観音崎と富津市富津岬の間は、幅が約7 kmしかないことで内湾と外湾では特性が異っており、特に内湾は外海との海水交換が制限された閉鎖性の強い海域となっている[9]

海底地形、埋め立て、島

海底地形図上の東京湾海底谷[注釈 1]

内湾部の水深は比較的浅く平均水深が約15 mで、富津岬沖には「中ノ瀬」と呼ばれる台地が広がる。

元々遠浅で砂地の海岸が多かったため、江戸時代から現代にかけて、沿岸や浅瀬が相次ぎ埋め立てられた。

徳川家康1590年天正18年)に入府した当時の江戸城は、東側は海に面し背後には荒地の武蔵野台地があり、要塞としては格好だったが武家屋敷や町民を収容する平坦地は欠如していたので、家康にとって住居地を確保する「まちづくり」と食の確保のための「航路の建設」を行うことは必須だったので、入府直後の1592年文禄元年)、築城工事に伴う堀の掘削土を使い江戸城東部に広がる日比谷入江の北部(現在の丸の内八重洲)を埋め立て、続いて1603年慶長8年)から江戸城北部の台地を切り崩した土砂などを使い日比谷入江の南部一帯(現在の日本橋京橋新橋築地付近)を埋め立てた。この埋め立て・造成工事により、江戸城周辺の街並みが次第に整備され、幕府の礎も次第に堅固になってゆくことになった[10]

江戸の町の造成が進んだ1610年代から1620年代にかけて、江戸湊の埋め立ても進み、日本橋本町から東に日本橋小網町霊岸島などが造成されていった[11][信頼性要検証]明和年間(1764年 - 1771年)の江戸末期には中川河口の埋め立てが行われ、隅田川河口とほぼ東西に直線状となった。

埋立地を利用し港湾商業施設が多数建造されてきた。#東京湾の港#東京湾と経済

湾内には明治大正期に造られた海堡かいほを始め、70を超える人工島もある[12]。これに対して、自然島は横須賀市沖の猿島および鋸南町沖の浮島など決して数は多くない。

昭和期の大規模な埋立地は、工業地帯ベッドタウンとして利用されている。

現在残されている自然の砂浜は、千葉県の木更津市以南のみとなっている。

東京湾海底谷

外湾部では陸から離れた沖[注釈 2]の海底は急激に深くなっており、水深500 m以上に達する東京湾海底谷が認められる[13]。この海底谷は西方の相模トラフへ合流する。

河川を通じて東京湾に流れ込んだ有機物沈殿しており、栄養が豊富な深海という特異な環境が東京(江戸)の都市化とともに形成されてきた。そのためメガマウスミツクリザメなど世界的に希少な深海魚が捕獲されることがある[14]

東京湾の港

主な港としては横須賀港横浜港川崎港東京港千葉港木更津港がある。

なお横須賀港には米軍横須賀基地海上自衛隊横須賀地方隊の基地もある。

東京湾と経済

葛飾北斎名所絵揃物『冨嶽三十六景』の「武陽 佃嶌[注釈 3]
京浜工業地帯

湾奥部は関東平野と接し、江戸時代にはそこで江戸が栄え、江戸前と呼ばれる深川から羽田にかけての狭い海域で漁が盛んで、本芝芝金杉などでは幕府御用の漁が行われ御菜浦と呼ばれ、品川にも漁師町があり、大川河口には江戸開府以来の歴史を持つ漁師の基地の佃島があり、東端の深川にも漁師町が栄えた。芝の漁場はシバエビ、佃島はシラウオ、深川はハマグリカキが採れることで有名だった。そのほか江戸前の漁場ではキスアナゴカレイハゼクルマエビなど小魚類が大量に採れ、それは江戸市中では「江戸前小魚」と呼ばれ、江戸中期ころには庶民の食卓を彩るようになり、眼の前の湾で採れたばかりの鮮度の良い魚なので江戸前寿司天ぷらも誕生した。江戸市中には「一日に千両の落ち所」と言われ一日で千両ものお金が動く場所が3か所ありそのひとつが魚河岸(魚市場)で、日本橋川の北岸の日本橋から江戸橋にかけての魚河岸は活気に溢れていた[15][16][17]

現在では東京湾周囲に首都圏が形成されており、東京湾の各港湾は、首都圏約4000万人の生活や経済を支える物流の要である[18]

港湾近くで発展した京浜工業地帯京葉工業地域は、加工貿易で国を富ませてきた日本の心臓部である。バブル景気の頃から、オフィス街臨海副都心幕張新都心)も開発され、バブル崩壊後は、超高層マンションの建設ラッシュや大型ショッピングセンターの新規オープンなどが相次ぐ。

基本データ

以下は、「国際エメックスセンターによる、2009年時の物である[2]

呼称の歴史

中世では、この湾全体は単に(武蔵相模上総下総の)内海、あるいは裏海のように呼ばれていた[19]。その後の幕末や明治初期の記録文献類に登場する現在の東京湾に相当する湾の名称もほとんどが「内海」となっている。なお、近世の東京湾を指すとされる「江戸湾」という語は近年になって造られた語(造語)であり、明治時代以前にあった言葉ではない[20]

江戸時代には「江戸前」や「江戸前海」などの言葉もあったが、江戸前とは漁場を示す言葉であり、主に佃沖の漁場、あるいは品川沖から葛西沖あたりまでの漁場を包括的に指すための言葉で、東京湾のほんの一部を漁場として指すための言葉であった。「江戸前海」も、「房総沖」などと並ぶ、かなり限定された海域のことだった[20]

明治時代の初期でもこの湾は主に「内海」と表記されていたことは上で説明したが、明治中期以降にこの湾の呼称に「東京」が入るようになったのは明治維新で江戸が「東京」となったことが関係しているものの、地形図では「東京湾」、海図では「東京海湾」となっていて、1974年(昭和49年)の『東京湾史』にようやく、最近「東京湾」に統一された、と書かれた[19]

なお明治初期まで使われた「内海」という言葉は江戸時代以前に北東の下総常陸国境付近に存在していた「香取海」に対しても用いられ紛らわしいので、昨今では区別のため、古代以前の東京湾のことを「古東京湾」や「奥東京湾」、中世から近世までの湾を「江戸湾」「江戸内海」などと呼ぶことが多い[21]

歴史

1926年時点の関東平野地図に、縄文海進時代の海進領域(斜線部)を重ねた地図[22]

12万年前は現在より海水面が高く(下末吉海進)、房総半島は島であった。この頃の湾を「古東京湾」と呼ぶ。

旧石器時代最終氷期にあたり、氷河が発達していたため海面が現在より著しく低く、浦賀水道付近以北は陸地だった。渡良瀬川[注釈 5]利根川とが現在の大宮台地を挟んで東西側を南流し、現在の内湾の中央付近で合流した後[注釈 6]、太平洋への河口へ向けて流れた[注釈 7][23]。これらの河川は大規模な峡谷を作った。

6000年前には縄文海進による海水面の上昇があり、関東地方の海水準は現在より3-4 mほど高かった[24][25]。東京湾は北へ湾入し、渡良瀬川河道では群馬県邑楽郡板倉町付近まで、利根川河道では埼玉県川越市付近まで湾入したことが貝塚分布から裏付けられる。この頃の東京湾を指して「奥東京湾」と呼ぶ[注釈 8][26][27]

3000年前から縄文海退が始まり、渡良瀬川・利根川が沖積層を作り湾入部・峡谷を埋めていった[注釈 9]

その頃より、利根川は流路を変え、大宮大地の東の渡良瀬川河道の地帯を流れるようになり、東京湾へ注ぐこの河道の一帯は広大な氾濫域・低湿地となった。

有史以降

一勇斎国芳(歌川国芳)の名所絵揃物『東都富士見三十六景』の「佃沖 晴天の不二[注釈 10]

かつては武蔵国と下総国とが接する境界は広大な低湿地帯であり両国間は通行に適さなかった。したがって古代の交通路は相模国三浦半島と上総国房総半島との間の東京湾を渡っている[注釈 11]鎌倉時代にも交通路として利用されていた資料が残る。

中世には湾内で海賊衆も活動し、戦国時代には後北条氏里見氏水軍の争いの舞台にもなった。

江戸時代には徳川家康以降、幕府によって沿岸の埋め立てが進み[28]菱垣廻船樽廻船などの和船による水運が行われ、後期には外国船来航に対する湾岸防備のために品川沖に台場が築かれている。

長らく鎖国状態にあったが、黒船来航の後に日米修好通商条約が結ばれた結果、横浜港が開港。 その後、軍事的側面から明治時代から大正時代にかけて、湾内に人工島(砲台)である海堡(第一海堡から第三海堡)が建設された。 1945年昭和20年)9月2日には、東京湾[注釈 12]に停泊中のアメリカ海軍戦艦「ミズーリ」甲板上で連合国各国代表が見守る中、日本政府代表が降伏文書に署名して第二次世界大戦が終結している。

昭和30年代には、産業計画会議による「東京湾2億坪埋立についての勧告 NEO TOKYO PLAN」[29]や、丹下健三による「東京計画1960[30]など湾を大規模に利用する計画があった。

1962年(昭和37年)11月18日京浜運河の沖合でタンカー『第一宗像丸』とノルウェー船が衝突、炎上。41人が死亡する事故が発生[31]

生物と環境保全

東京湾(江戸湾)は多種・大量な魚介類を産し、利根川東遷事業による生態系や環境面における東京湾への影響は明らかになっていないものの、江戸時代までは世界最大の人口を誇った大都市・江戸の人々の胃袋を満たしてきた。

しかし、とくに明治時代以降、沿岸や流入河川の流域では都市化・工業化が進み、埋立地拡大に伴う干潟など自然海岸や浅瀬の減少、水質悪化が深刻になった。特に1970年代に環境汚染はピークを迎え、海の生き物は激減、一時は「死の海」とまで呼ばれる状態にあった[32]

1980年代以降環境保全の取り組みが進み、水質の改善がみられ[33]。様々な生き物が戻り、少しずつではあるが生態系を取り戻しつつある[34][35]アカエイの生息数は国内の沿岸域でも有数である[36]が、人間への危険性を持ち、お台場葛西臨海公園隅田川荒川などの人間の生活圏にも多く生息するために注意が必要である[37]。上述の通り、東京湾海底谷ではメガマウスミツクリザメダイオウイカなどの貴重な深海性の生物が発見されることもある。2005年に川崎区で発見されたホオジロザメは、オスとしては世界最大級の記録だった[38]。ムギワラエビ[注釈 13]のように希少な固有種も見られる[39]

外海に面している浦賀水道の水質は比較的に良く、ジンベイザメマンタマンボウなどの大型回遊魚類が館山方面で見られることがある。加えて水温が比較的に高い黒潮の影響を受けるため、南方系の魚やサンゴも生息している。特に、夏には沖縄近海で見られるような魚(死滅回遊魚)の姿を見ることも出来る。また、東京湾沿岸は、アカウミガメの産卵分布としてはほぼ北限であるとされる[40]

一方、夏場には常態的に貧酸素水塊が発生するなど、まだ取り組むべき課題はある。水質改善により、東京湾には多くの種類の生き物が戻ってきたが、個体数はそこまで増えていないと考えられている。実際に東京湾の漁獲量は、2000年に入っても環境汚染のピークだった1960年代・1970年代から増えておらず、横ばいが続いている[41]。たとえば、ハマグリなども依然として生息数が大幅に減少しており[42]ウミガメ鳥類や魚類など多くの生物にとって重要な生息地である干潟や藻場や自然の砂浜や浅瀬なども著しく減少した[40]

後述の通り、本来はニホンアシカ鯨類が豊富に生息していたが、現在ではニホンアシカは絶滅種に認定され、全体的に鯨類自体[注釈 14]の出現も限られている[43][44]。また、セミクジラコククジラと言った絶滅危惧種混獲が相次ぎ[45][46][43]、本湾におけるスナメリの地方個体群は激減した[47]など、現在では危機的な状況に置かれている。しかし、ザトウクジラは将来的な東京湾への出現が増加することが予想され[注釈 15]マッコウクジラ[注釈 16]は現在でも浦賀水道や館山湾や三浦半島など湾口の周辺に来遊する事がある[51][52]。また、小型のイルカ類や上記のスナメリも少数ではあるが湾内に生息しており[47][53]、時には大規模なイルカの群れが現れたり[54]シャチの目撃例も存在する[注釈 17]

生態系の欠落

上記の通り、現在の東京湾の生態系は、マクロミクロ問わずに様々な生物種が激減したり欠落した状態である[42]。とくにメガファウナ英語版[注釈 19]に関しては、現在では本来の生態系から喪失した部分が大きい。

明治時代まではアシカ島など湾内では絶滅種であるニホンアシカが繁殖し[58]、数多くの鯨類[注釈 20]も見られた。古式捕鯨の主対象であったセミクジラ[45][46]やザトウクジラ[48]やコククジラ[59][60]を中心とした沿岸性が強いヒゲクジラ類が湾内に回遊していた可能性が高く、三浦浄心も『慶長見聞集』にて「江戸浦」を遊泳するクジラに言及しており[61]袖ヶ浦浦安沖から湾奥部などでよく見られた「クジラまわし」と呼ばれる光景[注釈 21]は、冬の風物詩の一つとされた[62]。また、シロナガスクジラの可能性がある記録(寛政の鯨)も存在する[63]。後述の通り、ツチクジラも浦賀水道から鋸南町の一帯に多数が回遊していた[注釈 22][64]

しかし、明治40年頃にはニホンアシカは乱獲によって関東の一帯から姿を消した[58]。(外国船による日本近海の主だった捕鯨が展開されるよりも前である文禄期に東京湾と相模湾の周辺でのクジラの多さが起因して、三浦半島を皮切りに東日本では珍しく[注釈 23]組織的な捕鯨が展開され[注釈 24]、瞬く間に「関東諸浦」に拡大した[61]。東京湾一帯では、三浦半島における操業[注釈 25]と鋸南町沖の浮島では、醍醐新兵衛が率いる鯨組によるツチクジラを主対象とした組織的な捕鯨が発達した[64]。しかし三浦浄心が憂慮するほど乱獲が進行し[注釈 26][注釈 27][61][67]、江戸時代から明治時代を境に東京湾や三浦半島への大型鯨類の安定した回遊は消滅したと思わしい[64]

哺乳類ではないが、ヒゲクジラ類と食性等に類似性が強いウバザメも、1970年代までの乱獲の結果、太平洋全体で絶滅危惧種となり、東京湾一帯だけでなく日本列島東アジア全体でも以降の確認は非常に少ない[68][69][70]

赤潮と青潮

多摩川鶴見川、荒川、隅田川[71]江戸川小櫃川などが注いでいるが、湾口が狭く外海との海水の交換は行われにくい。そのためプランクトンの異常発生である赤潮が度々発生してきた。

1960年代から1970年代の東京湾沿岸部の埋め立ての際、埋め立て土砂を海底から採取したために、流れの悪い浚渫窪地ができた。ここに貧酸素水塊栄養塩が溜まり、嫌気性細菌により大量の硫化水素が発生する。このことが青潮の発生源の一つとなっている。現在の東京湾では約1億立方メートルの浚渫窪地が存在する。

干潟の再生

江戸時代から現代にかけて、沿岸や浅瀬が相次ぎ埋め立てられた。これにより湾内には明治・大正期に造られた海堡を始め、70を超える人工島がある[12]。対して、自然島は現在横須賀市沖の猿島および鋸南町沖の浮島等がある。

沿岸の埋め立てに伴い干潟面積は大きく減少しているが、海水の浄化作用があること、海生生物や野鳥の生息に欠かせない自然環境であることから、残された天然の干潟に対する保護運動が起きている。現在、東京湾に残る干潟は以下の通り。

干潟は東京湾に生息するスズキタイ貝類など日本固有種を含む漁業価値の高い魚介類の稚魚の生息地となっており、これを保護・拡張することは環境面のみならず東京湾の漁業や観光(釣り)などの事業価値を高めることにもつながるため、その価値は大変高いものである。

東京都港区のお台場では、1990年代以降砂を運んで人工の干潟を作る試みが行われている。この人工干潟では、アサリを始めとする生き物が戻りつつある[72][73]

合流式下水道越流水問題

水も生活排水などの下水も、下水道を通じて下水処理場まで運んでいる場合、大量の雨水が下水道に流れ込んでしまい、下水道管で受け止めきれなかった一定量については、汚水未処理のまま河川の公共水域に放流せざるを得ない状況が発生しており、大雨時には放流海域での大腸菌数の増加など、環境影響が発生している。

家庭排水対策

化学的酸素要求量(COD)の上昇などで示される東京湾の水質汚濁は、富栄養化の原因物質である窒素リンともに約7割が家庭排水によるものであり、その主たるものは糞尿である。

対策として、合併浄化槽の整備や下水処理場の高度化、合流式下水道の改善などが行われている[74]

海洋清掃船

東京湾内の浮遊ゴミおよび浮遊油を回収する目的で、清掃兼油回収船「べいくりん」が国土交通省関東地方整備局・千葉港湾事務所により運用されている[75]

交通

東京湾を横断する交通

東京湾を発着する旅客船の施設・運航事業者

東京湾沿いの陸上交通

架空の東京湾埋め立て都市

脚注

注釈

  1. ^ 海上保安庁・J-EGG500データ
  2. ^ 水深が浅いのは観音崎の北までであり、隣接する久里浜の南の沖である。
  3. ^ 江戸時代後期、廻船で賑わう江戸前の佃島(現・東京都中央区)より、遥か富士山を望む。
  4. ^ 「1」以上を示す海域のため、排水規制対象である。cf. 閉鎖性水域水質汚濁防止法
  5. ^ ただし渡良瀬川はおよそ5万年前までは、現在の深谷市付近へ向かい、利根川へ合流していた。
  6. ^ 多摩川もこの地点で合流していた。
  7. ^ 古東京川」と呼ばれる。
  8. ^ 大宮台地の西は「古入間湾」とも呼び、利根川河道に由来する。
  9. ^ 現在の東京湾の海底にも、澪筋が外海から海岸線に向かって伸びている。
  10. ^ 江戸時代末期、江戸前の佃島沖にて漁師が行う網漁の様子を描いた一図。
  11. ^ 日本書紀』や『古事記』におけるヤマトタケルの東征。771年以前の東海道古代官道)。
  12. ^ 浦賀水道の城ヶ島と館山の中間付近。
  13. ^ 2015年に135年ぶりに再確認された。
  14. ^ とくにヒゲクジラ類とツチクジラなど。
  15. ^ ホエールウォッチングの対象になっている事もあって保護が進み、個体数の回復に従って微弱ながら北海道本州四国九州の沿岸部への増加が見られる[48][49][50]
  16. ^ 現代の東アジアに分布する大型鯨類では比較的に現存個体数が多い。
  17. ^ シャチは1960年代後半までの捕獲によって日本列島の各地で激減し、東京湾でも1970年に11頭の群れの中の5頭が市原市で捕獲されている[55][56][57]
  18. ^ 後述の通り、東京湾でツチクジラ猟が開始されたのは、古式捕鯨の主対象だった沿岸性のヒゲクジラ類が西日本各地での操業ですでに減少した後の可能性があるため、本来の状況でどの種類の大型鯨類がどの程度東京湾内に見られたのかは不明瞭である。
  19. ^ 海獣ウミガメや大型魚類などの大型生物。
  20. ^ クジラやイルカやスナメリやシャチ。
  21. ^ ナガスクジラ科が海面で行う採餌行動と推測される。
  22. ^ 上記の通り、同様に深海性であり現在も東京湾口や三浦半島の周辺で見られることもあるマッコウクジラが、当時は安定して一帯に回遊していたのかは不明である。
  23. ^ 日本列島を含む東アジアでは、鯨神えびす信仰の対象としてクジラを神聖視する事例が目立ち、積極的な捕獲を忌諱していたり捕鯨自体をタブーとしていた地域が多かったとされる。それゆえか、日本では伊勢湾周辺で商業捕鯨が発祥して各地に伝播するまでは、各地域において積極的な捕鯨が大々的に行われていたという記録は存在せず、古式捕鯨が行われたのは西日本に集中していた。東日本で組織的および商業的な古式捕鯨が大々的に行われていたのは、東京湾と三浦半島の他には、現在の福島県いわき市の沿岸部のみであり、以降も捕鯨を禁止する地域が見られたり、「東洋捕鯨鮫事業所焼討事件」のように捕鯨に反対する漁民による暴動が発生した事例も存在する[65][66]
  24. ^ 名の知れた鯨捕りであった間瀬助兵衛が関東に進出した際に東京湾周辺のクジラの多さに着目したとされる。助兵衛がこの地に進出した理由は、おそらく関西方面で狩猟圧の結果としてクジラが減少し、助兵衛が新たな猟場を探していためとされる。
  25. ^ 具体的に対象としていた鯨種は不明。
  26. ^ 「関東諸浦」では年に平均して100 - 200頭の捕獲がされていたが、20-25年ほどで年に4-5頭の捕獲にまで減少し、浄心も「このままでは後世にはクジラが消えるだろう」と書き記している。
  27. ^ 古式捕鯨の主対象とされていた沿岸性のヒゲクジラ類は、おそらく当時はすでに関西における古式捕鯨によって減少していたとみられる。これらの種類は回遊の途上で東京湾周辺を通過していた可能性が高く、「関東諸浦」で捕獲されていた鯨種にもこれらの沿岸性のヒゲクジラ類もふくまれていた可能性は高いものの、主立った捕獲対象はツチクジラ以外は不明となっている。

出典

  1. ^ 国土交通省関東地方整備局 2006, p. 5, 「2)自然条件 a)東京湾の特徴」の章。「東京湾は、首都圏臨海部と房総半島、三浦半島に囲まれた、...(中略)...湾である」.
  2. ^ a b c 日本の閉鎖性海域”. 国際エメックスセンター (2009年3月25日). 2011年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月18日閲覧。
  3. ^ 国際航海船舶及び国際港湾施設の保安の確保等に関する法律施行規則第3条第1号、船舶油濁損害賠償保障法施行規則第11条第1号、海上交通安全法施行令第1条、海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律施行規則第33条の6第2号(剱埼灯台は「剣埼灯台」表記)
  4. ^ 国土交通省関東地方整備局 2006, p. 5, 「... 内湾(観音崎~富津岬以北の海域)と外湾(湾口部)の二つの特性を有しており、...」.
  5. ^ 複雑な地形が生んだ天然のいけす”. 豊海おさかなミュージアム. 2024年6月17日閲覧。
  6. ^ 東京湾の今を知り、生き物がたくさんすむ東京湾をもっときれいにしよう!”. エコチル. 2024年6月17日閲覧。
  7. ^ 津波予報区について - 津波予報区の配置図”. 気象庁. 2023年11月16日閲覧。
  8. ^ 国土交通省関東地方整備局 2015, p. 6, 「図2-2 東京湾の地形」の図中「内湾の平均水深:約15m」.
  9. ^ 国土交通省関東地方整備局 2015, p. 5.
  10. ^ 遠藤毅「東京臨海部における埋立ての歴史」『地学雑誌』第113巻第4号、2004年、534-535頁、CRID 1390282679207109120doi:10.5026/jgeography.113.4_534 
  11. ^ 佃島の歴史2〜「佃島」の誕生〜”. 和のたしな美ぶろぐ, わが町佃島・月島. 一般社団法人和のたしな美塾. 2024年6月17日閲覧。
  12. ^ a b 加藤庸二『東京湾諸島』駒草出版、2016年11月、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4-905447-72-6 
  13. ^ 東京湾の海底”. 千葉県理科学習資料データベース. 千葉市教育センター. 2012年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年4月5日閲覧。
  14. ^ 東京湾に潜む「深海の楽園」 内房沖の大渓谷「東京海底谷」の奇妙な世界”. 産経新聞 (2009年8月15日). 2009年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月15日閲覧。
  15. ^ 「江戸前の魚」って何ですか?その変遷と今”. 料理王国. 株式会社JFLAホールディングス. 2024年6月16日閲覧。
  16. ^ 江戸時代に花開いた日本人の魚食文化を、『江戸前魚食大全』の著者・冨岡一成さんが解説” (2023年3月23日). 2024年6月16日閲覧。
  17. ^ 江戸の繁栄を象徴する―魚河岸”. 東京 日本橋. 有限会社月刊日本橋. 2024年6月16日閲覧。
  18. ^ 首都圏4000万人の生活と産業を支える東京港”. 東京港埠頭株式会社. 2019年10月14日閲覧。
  19. ^ a b 菊池 1974, pp. 13–14.
  20. ^ a b 平凡社地方資料センター 2002, p. 43.
  21. ^ 盛本 1997, p. 275.
  22. ^ 東木龍七「地形と貝塚分布より見たる関東低地の旧海岸線」『地理評』第2巻、1926年、597-607,659-678,746-773、CRID 1570009749338220032 
  23. ^ 葛飾の歴史”. 葛飾区. 2016年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月30日閲覧。
  24. ^ 縄文の海は、広かった!” (PDF). 企画展「+2°Cの世界 縄文時代に見る地球温暖化」ワークテキスト. 神奈川県立生命の星・地球博物館. 2005年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月26日閲覧。
  25. ^ 遠藤邦彦ほか「関東平野の《沖積層》」『アーバンクボタ』No.21、クボタ、1983年4月、26-43頁、NAID 10007427996 
  26. ^ 地面の下って、どうなっているの?”. 埼玉県環境科学国際センター. 2017年4月29日閲覧。
  27. ^ NPO法人富士見市民大学「第2章 富士見の歴史」『郷土富士見検定問題集』(PDF)NPO法人富士見市民大学、2012年9月11日。オリジナルの2013年10月19日時点におけるアーカイブhttps://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8328315/www.city.fujimi.saitama.jp/35miru/01kyouiku/syougaigaku/files/dai1dai2syou.pdf2017年4月29日閲覧 
  28. ^ 家康が夢見た港湾都市。東京港は夢のはじまり”. 東京港の歴史. 国土交通省関東地方整備局東京港湾事務所. 2019年1月13日閲覧。
  29. ^ 産業計画会議 編『東京湾2億坪埋立についての勧告』(PDF)ダイヤモンド社、1959年8月31日。全国書誌番号:59007673オリジナルの2017年12月7日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20171207065554/https://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/recom/recom_07.pdf2019年1月13日閲覧 
  30. ^ 東京計画1960”. 株式会社丹下都市建築設計. 2019年1月13日閲覧。
  31. ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、113頁。ISBN 9784309225043 
  32. ^ 東京湾 ~サンゴが棲む海~”. 奇跡の地球物語. テレビ朝日 (2010年7月18日). 2014年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月1日閲覧。
  33. ^ 都内河川及び東京湾の水環境の状況”. 東京都環境局. 2014年6月1日閲覧。
  34. ^ 奇跡の深海を潜る あなたの知らない東京湾 探検!"東京海底谷"の神秘”. ボクらの地球. BS朝日. 2014年6月1日閲覧。
  35. ^ 次回は「シリーズ東京湾① 生きものいっぱい!大都会の海」”. ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜. NHK (2014年5月29日). 2014年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月1日閲覧。
  36. ^ 原田友佳子、藤田清「東京湾におけるアカエイの年齢と成長,繁殖」『日本魚類学会年会講演要旨』第36号、2003年、65頁。 
  37. ^ 大川雅治 (2023年8月19日). “【触っちゃだめ!】釣り人が出会った危険な魚まとめ[その2]”. 釣りビジョン. 2023年11月25日閲覧。
  38. ^ 「世界最大級の雄だった!/東京湾のホオジロザメ」『四国新聞』2005年10月27日。
  39. ^ ふしぎな生物いっぱい しながわ水族館「日本の固有種展」”. 毎日新聞 (2018年9月13日). 2018年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月28日閲覧。
  40. ^ a b (2) 環境に関する現況特性 - (1) 砂浜・干潟・浅場・藻場の分布” (PDF). 東京湾沿岸海岸保全基本計画[千葉県区間]. 千葉県 (2016年9月). 2023年11月18日閲覧。
  41. ^ 江戸前の復活!東京湾の再生をめざして”. 独立行政法人水産総合研究センター. 2014年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月1日閲覧。
  42. ^ a b 第4次レッドリストの公表について(お知らせ)』(プレスリリース)環境省、2012年8月28日https://www.env.go.jp/press/15619.html2023年11月17日閲覧 
  43. ^ a b 加登岡大希、崎山直夫、石川創、山田格、田島木綿子、樽創「相模湾・東京湾沿岸で記録されたヒゲクジラ亜目(Mysticeti)について」『神奈川自然誌資料』第2020巻第41号、神奈川県立生命の星・地球博物館(旧神奈川県立博物館)、2020年、83-93頁、CRID 1390002184884436608doi:10.32225/nkpmnh.2020.41_83ISSN 0388-9009 
  44. ^ 鷲見みゆき、花上諒大、崎山直夫、鈴木聡、石川創、山田格、田島木綿子、樽創「相模湾・東京湾沿岸で記録されたハクジラ亜目(マッコウクジラ科Physeteridae,コマッコウ科Kogiidae, アカボウクジラ科Ziphiidae,ネズミイルカ科Phocoenidae)について」『神奈川自然誌資料』第2022巻第43号、神奈川県立生命の星・地球博物館(旧神奈川県立博物館)、2022年、1-23頁、CRID 1390010292742695808doi:10.32225/nkpmnh.2022.43_1ISSN 0388-9009 
  45. ^ a b 和名:セミクジラ 科博登録ID:2562”. 海棲哺乳類ストランディングデータベース. 国立科学博物館. 2023年6月13日閲覧。
  46. ^ a b 定置網にセミクジラ? 館山”. 房日新聞 (2023年3月19日). 2023年11月16日閲覧。
  47. ^ a b 夢鯨工楽部”. アァネット. 2023年11月18日閲覧。
  48. ^ a b 後藤豪 (2023年1月21日). “クジラ、東京湾では目にする機会増える? 相次ぐ出現の事情は”. 毎日新聞. 2023年11月18日閲覧。
  49. ^ 榊原智康 (2023年4月30日). “三宅島に現れたザトウクジラ ドローンで「噴気」キャッチ! クジラの生態の謎に迫る”. 東京新聞. 2023年12月13日閲覧。
  50. ^ 宇仁義和『戦前期日本の沿岸捕鯨の実態解明と文化的影響 ―1890-1940年代の近代沿岸捕鯨―』東京農業大学〈博士(生物産業学) 乙第0947号〉、2020年、191-194頁。 NAID 500001385241NDLJP:11511728https://nodai.repo.nii.ac.jp/records/802 
  51. ^ 私たちの東京湾 - 東京湾の誕生と歴史” (PDF). Fact Sheet. 葛西臨海公園・海浜公園. 2022年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月16日閲覧。
  52. ^ 遊漁船と衝突か“三浦半島沖 クジラの交差点のようなところ””. NHKニュース (2023年3月7日). 2023年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月26日閲覧。
  53. ^ 吉岡まちこ (2012年3月19日). “横浜の海にイルカがいるってホント?”. はまれぽ.com. 2023年11月18日閲覧。
  54. ^ 東京湾にイルカの群れ”. ボートワールドプレス (2023年1月28日). 2023年11月18日閲覧。
  55. ^ シャチ 北西太平洋” (PDF). 令和元年度国際漁業資源の現況. 国立研究開発法人水産研究・教育機構. 2023年11月18日閲覧。
  56. ^ 宇仁義和、谷田部明子、石川創「NHKアーカイブス保存映像のなかの鯨類ストランディング」『日本セトロジー研究』第25巻、日本セトロジー研究会、2015年、1-6頁、CRID 1390565134799151232doi:10.5181/cetology.0.25_1ISSN 18813445 
  57. ^ 和名:シャチ 科博登録ID:263”. 海棲哺乳類ストランディングデータベース. 国立科学博物館. 2023年12月9日閲覧。
  58. ^ a b 中村一恵「三浦半島沿岸に生息していたニホンアシカについて」(PDF)『神奈川県立博物館研究報告. 自然科学』第22号、神奈川県立生命の星・地球博物館、1993年1月、81-89頁、CRID 1520853833567161472ISSN 04531906NDLJP:3226957 
  59. ^ 撮影成功!姿現した”東京湾クジラ” 相次ぐ目撃情報追い… | みんなのニュース 2017/04/21(金)16:50のニュース”. TVでた蔵 (2017年4月21日). 2023年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月17日閲覧。
  60. ^ 南部久男、徳武浩司、石川創、大田希生、藤田健一郎、山田格「2005年に東京湾に出現したコククジラの観察」『日本セトロジー研究』第19巻、日本セトロジー研究会、2009年、17-22頁、CRID 1390283659822257024doi:10.5181/cetology.0.19_17ISSN 18813445 
  61. ^ a b c  三浦浄心関東海にて鯨つく事」『慶長見聞集』 巻8、寛永後期。ウィキソースより閲覧。 
  62. ^ 高橋在久『東京湾学への窓 東京湾の原風景』蒼洋社、1996年2月、[要ページ番号]頁。ISBN 4-89242-780-2 
  63. ^ 和名:ナガスクジラ 科博登録ID:7”. 海棲哺乳類ストランディングデータベース. 国立科学博物館. 2023年11月17日閲覧。
  64. ^ a b c 河野博 監修、加納光樹、横尾俊博 編『東京湾の魚類』平凡社、2011年12月、323頁。ISBN 978-4-582-54243-1 
  65. ^ Fynn Holm (2023年8月). “The Gods of the Sea”. Cambridge University Press. Cambridge Oceanic Histories. 2023年11月18日閲覧。
  66. ^ 岩織政美『八戸浦"クジラ事件"と漁民 : 「事件百周年」駒井庄三郎家所蔵「裁判記録」より』田名部清一 サポート、「八戸浦"くじら事件"と漁民」刊行委員会、2011年1月、327頁。全国書誌番号:21875481 
  67. ^ 鯨(関東)”. 戦国日本の津々浦々. 2023年11月18日閲覧。
  68. ^ ウバザメ 日本周辺” (PDF). 平成28年度国際漁業資源の現況. 国立研究開発法人 水産研究・教育機構. 2023年11月18日閲覧。
  69. ^ 【速報】定置網に6メートルウバザメ 横須賀・佐島漁港”. 神奈川新聞 (2016年3月29日). 2023年11月17日閲覧。
  70. ^ 加登岡大希、崎山直夫、瀬能宏「ウバザメ(ネズミザメ目ウバザメ科)幼魚の相模湾における記録と全世界における出現状況」(PDF)『神奈川自然誌資料』第43号、神奈川県立生命の星・地球博物館、2022年3月、53-60頁、2023年11月16日閲覧 
  71. ^ とりくらりゅうせん(トコトコ鳥蔵). “昭和21年撮影の東京上空からみた東京湾口”. 2023年6月1日閲覧。
  72. ^ アサリやマハゼ・アユの稚魚で知る人工干潟の重要性”. 平成16年度 主要成果集. 東京都島しょ農林水産総合センター. 2014年6月1日閲覧。
  73. ^ 内湾調査平成19年10月 東なぎさとお台場人工干潟の貝類生息環境の違いについて”. 東京湾便り. 東京都島しょ農林水産総合センター. 2014年6月1日閲覧。
  74. ^ きれいな東京湾を目指して” (PDF). 九都県市首脳会議環境問題対策委員会 (2008年12月16日). 2015年7月28日閲覧。[リンク切れ]
  75. ^ べいくりん”. 関東地方整備局千葉港湾事務所. 2019年10月14日閲覧。

参考文献

関連項目

地形

沿岸開発

水産

交通

事故、災害など

外部リンク


東京湾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 01:51 UTC 版)

海の王子」の記事における「東京湾」解説

海へび大帝の猛襲」などに登場海へのような怪物出現し漁船などが被害受けていた。その正体海へび大帝海龍戦艦シー・ドラゴンで、襲われ海上保安庁巡視船くろしお」は遠隔操縦で船を襲う幽霊船にされてしまった。その後鉄の獅子の襲来でも、鉄の獅子侵略兵器ゴルゴン上陸され大きな被害受けた

※この「東京湾」の解説は、「海の王子」の解説の一部です。
「東京湾」を含む「海の王子」の記事については、「海の王子」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「東京湾」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「東京湾」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



東京湾と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「東京湾」の関連用語






6
72% |||||

7
72% |||||

8
72% |||||

9
72% |||||

10
72% |||||

東京湾のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東京湾のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
気象庁気象庁
©2025 Japan Meteorological Agency. All rights reserved.
なお、「気象庁 予報用語」には、気象庁の「気象庁が天気予報等で用いる予報用語」に掲載されている2009年11月現在の情報から引用しております。
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東京湾 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの海の王子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS