刹那
刹那
「刹那」とは、仏教において時間の最も小さい単位を意味するために使用されている用語で一般的には非常に短い時間または瞬間のことを意味する表現。
「刹那」とは・「刹那」の意味を詳しく解説
刹那(せつな)とは、極めて短い時間、あるいは瞬間を指す。仏教用語では時間の最小単位を意味する。時間の感じ方は人それぞれであるので、刹那が明確に何秒ほどのことなのかを示すことはできない。だが、仏教用語として1度指を鳴らす間に60ないし65ほどの刹那があるとされる説や、また、1刹那を75分の1秒と考える説もある。刹那は数の単位としても使われている言葉である。10のマイナス18乗を1刹那と呼ぶらしい。近年では人の名前として刹那が用いられることもある。「刹那」の語源・由来
刹那の語源や由来は仏教用語にある。サンスクリット語の「クシャナ」が刹那の元になった語とされている。漢訳では「念」という。語源となったサンスクリットにおける刹那は、この世の最も短い時間を意味している。人を含む世の中のすべては、その短い時間のなかで千変万化しており、生死や物事も変化しているという。また、人間の意識は、刹那の中で生成と消滅を繰り返す運動であるという考え方もあるようだ。「刹那」の熟語・言い回し
刹那に生きるとは
「刹那に生きる」とは、現状だけを注視し将来を気にせずに生きる、あるいはその生活のことを指す。
一見すると良い意味合いの言葉に感じる者もいるだろう。たしかに、今だけに注視する生き方は、必ずしも悪いことではない。だが、「刹那に生きる」はあまり肯定的な意味を持った言葉ではない。人生が充実しないことや、将来に何も残す気がないと、いったネガティブなニュアンスを含ませて使うことが多いからだ。例えば「刹那に生きる人間と将来を語り合う自信はない」「漠然とした将来への不安が、刹那に生きる若者を増やしている」のように使われる。実際に「刹那に生きる」のニュアンスがネガティブな意味を持っているかどうかは、文脈から判断することになる。
刹那的なとは
時間がきわめて短い様子や、一瞬の事柄を指す。刹那主義な考えの傾向を指す場合もある。刹那主義とは、過去や未来に捕らわれず、その一瞬を真剣に生きること。仏陀が弟子に語った言葉が元になって生まれたと伝えられている。しかし、現在ではネガティブなニュアンスが強く、一時的な享楽をむさぼる様を表す場合にも使われる言葉だ。また、将来への展望がない生き方や、希望を持ち合わせていない考え方、といった意味合いで使われることも多い。
刹那的な人とは
刹那主義の傾向を持った人物。あるいは(人生を)悔いが残らないように、その瞬間の出来事を大切に生きている人間を指す。もちろん、「刹那的」と表現する以上、将来への展望を長期間で考えられない、といったニュアンスを含む場合がある。そのため「刹那的な人」と言った場合には「享楽的な生き方を望む人」「全力で臨むものの行き当たりばったりに生きる人間」を表すこともある。
刹那に願うとは
一般的な熟語や言い回しとして「刹那に願う」と使うことはない。あえて「刹那」と「願う」を組み合わせて使うなら、「その一瞬だけ、願い事をした」という意味での理解も無理ではない。しかし、多くの場合「刹那に願う」と使われた場合は「切(せつ)に願う」の誤用であろう。「切に願う」は「(望みが叶うよう)心のそこから願う様子」あるいは「心から望むような事柄であってほしいと願うこと」を指す。誤用されるようになったのは「刹那(せつな)」と「切(せつ)」が、言葉の響きとしてよく似ているからであると考えられる。
刹那の時とは
ごく短い時間であったり、一瞬に起きたということを強調するため、時と刹那を合わせて使うことがある。「刹那の時」は「ごく一瞬の間」「その瞬間に」といった意味合いになる。だが「刹那」はごく短い時間そのものを表す言葉だ。それゆえに、「刹那の時」は「ごく短い時間の時」というような、不自然さを感じさせる表現となってしまう。日本語としては意味が通じるものの、適切な表現とは言えない言い回しである。一瞬の時間を表現したいのであれば「刹那」だけで足りる。
刹那に過ぎるとは
「刹那に過ぎる」とは、その一瞬で終わってしまう、短い間に過ぎ去る時間の事を指す言葉。「若い時間は刹那に過ぎる」「当時は辛く長い時間に感じたが、今思い返せば刹那に過ぎたものだった」のように使う。しかし、「切な過ぎる」の誤用として「刹那に過ぎる」が使われているケースも珍しくない。誤用であるかどうかの判断は、文意から読み取るしかないだろう。だが、仮に誤用していても、文章がまったく読み取れなくなることは少ない。
一刹那の意味とは
「一刹那(いっせつな)」とは、極めて短い時間や一瞬の時間を指す。「刹那」と同じ意味ではあるが、「一」を付けることで、その瞬間を強調していると捉えられている。一刹那を使う言い回しのほとんどは「一」を省いても意味は通じる。
浮世は刹那とは
浮世とは、現実に人が生きている世界を指す。仏教的厭世観では「いとうべき現世」の意味。もともとは憂き世と記した。俗世を浮かれて暮らす気持ちや、享楽的な世界を指す場合もある。そのため、「浮世は刹那」とは「現世が一瞬の泡沫のようなものである」ことを示している言い回しだ。だが「浮世は刹那」は浮世が何を指すのかによって、意味が変化する。例えば、死に臨んで「浮世は刹那である」と記すなら「人生やこの世の短さ」を表すことになる。一方で、遊廓での男女のつながりを指して「浮世は刹那」と記したなら、「一夜限りのはかない(享楽的な愉しみの)時間」を意味することになるだろう。
その刹那とは
一瞬の時や瞬間を指し示した言葉。あるいは短さを強調する意味を持つ。
「刹那」の使い方・例文
非常に短い間や、その瞬間を切り取ってと伝えたいときには、出来事や事象と組み合わせて「刹那」を使うとよいだろう。また、状況・心情・場面が瞬く間に変化するときなどにも、刹那を用いることができる。例文は以下の通りである。・「いうべき言葉も知らず」とは、まさにこの刹那の二人の驚きといっていい。(吉川英治「新・水滸伝(二)」
・口さえ一言も利きけない夫は、その刹那の眼の中に、一切の心を伝えたのです。(芥川竜之介「藪の中」)
・何だろうと思って振り返った刹那、ぼくは叫び声を上げそうになった。(原田宗典「どこにもない短篇集」)
・船は今までよりも倍以上の速力を鼓こして刹那に近寄り始めた。(夏目漱石「満韓ところどころ」)
・出産の刹那に感じたと同じ心の興奮が、ふたたび彼の心に迫ってきた(トルストイ「アンナ・カレーニナ」中村白葉訳)
・私にはKがその刹那に居直りの強盗のごとく感ぜられたのです。(夏目漱石「こころ」)
・雪子に対する母性愛は、火に投じられた雪のように、刹那的に蒸発した。(荒俣宏「帝都物語 第弐番」)
・才能のある人なんだけど、あんな目にあって、刹那的になってしまうんじゃないかと思って、心配だったんです。(西村京太郎「雲仙・長崎殺意の旅」)
・実さんは自分の一刹那の気持を分析する力が極めて強い。(夢野久作「実さんの精神分析」)
・この感じが鋭くなって、一刹那あの目をデモニックだとさえ思ったのである。(森鴎外「百物語」)
・その刹那に彼は、彼を載せて回転する大地の巨大さをシミジミと感じた。(夢野久作「少女地獄」)
・その刹那彼女の眼は実に大きく一時にびっくりしたような色をおびた。(室生犀星「性に眼覚める頃」)
・あわや第三の犠牲となって床の上を鮮血に汚すかと思われたその刹那!(海野十三「流線間諜」
せつな【刹那】
刹那
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/10 13:32 UTC 版)
仏教用語 刹那 | |
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パーリ語 | khaṇa |
サンスクリット語 | kṣaṇa |
中国語 | 刹那 |
日本語 | 刹那 (ローマ字: setsuna) |
刹那(せつな、サンスクリット: क्षण)は、仏教思想において、人間の認識領域を超えた一瞬の間のこと[1]。刹那はサンスクリット語の音写であり、念、念念等と漢訳される[2]。
刹那は、西洋近代の時間の観念である直線的時間上の点時刻である「瞬間」とは異なる概念であり、刹那と瞬間は異なる背景を持つ異質な用語であるが、今日では刹那に瞬間という用語のイメージがオーバーラップしており、「極めて短い時間」「瞬間」「最も短い時間の単位」等と説明されることが多い[2]。
仏教の基礎経験である無常と結びついた概念であり、刹那という用語は刹那生滅(刹那滅)、刹那無常と不可分に用いられる[2]。刹那生滅とは、一切の行(サンカーラ、つくられたもの、有為の世界、有為法)は無常であるという原始仏教以来の諸行無常の教理を理論化したもの、無常の理論であり、「諸法はただ一刹那のみ存在して滅する」とする説である[3][4]。
刹那の長さ
刹那の長さについては、指をひとはじきする(1弾指)間に65刹那ある[5]など諸説ある。
極めて短い時間を念といい、一刹那、または60刹那、または90刹那などを一念とする[6]。
また現代的解釈では、1刹那は1/75秒に対応する[7]という解釈もある。
なお、物理学的な意味での「最も短い時間」(時間の最小の単位)は、2020年9月現在プランク時間とされている。
有為法
仏教においては、因縁によって起こるもの(サンカーラ)の変質する時間を示す単位である。
アビダンマッタ・サンガハでは、生(Uppāda)・住(ṭhiti)・滅(bhaṅga)それぞれを1刹那として、3刹那を「1心刹那(citta-kkhaṇaṃ)」単位と定義した[8]。
説一切有部では、人間の意識は一刹那の間に生成消滅(刹那生滅)を繰り返す心の相続運動であるとする。それについて曹洞宗の道元は、『正法眼蔵』の「発菩提心」巻で、悟りを求める意志も、悟りを開こうとするのもその無常性を前にするからであり、常に変化するからこそ、悪が消滅し、善が生まれるのであると説く。
脚注
出典
- 木岡伸夫「「刹那滅」の世界」『關西大學文學論集』第71巻、關西大學文學會、2021年12月18日、1-30頁、CRID 1390853719908843136。
- 中村元他『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年。ISBN 4-00-080072-8。
- 上杉宣明「パーリ仏教にみられる有為相をめぐる論争について」『印度學佛教學研究』第31巻第1号、1982年、NAID 130004024560。
関連項目
外部リンク
- 仏教語>刹那 (真宗大谷派東本願寺)
刹那
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/08 04:42 UTC 版)
8月10日生まれ。O型。ギター担当。NHK教育番組「天才てれびくんMAX」の元てれび戦士で元ジャニーズJr.の吉野翔太。
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